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王城裏ピエロ城  作者: Ryo
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ゲス.ソング

王城裏のピエロ城




 道化の騎士

              

 木彫りのピエロの仮面には金箔が貼られ、所々剥がれかけている。仮面を被った男の前に、金の髪を持つ者たちが平伏し、甲高い声をあげる。

「私たちは王族だ。王の子だ。」

 ピエロは彼らに答えるように声を上げる。

「その美しい金の髪は、王族の証。王が持つ美しい髪を受け継いでいるのだ。王の子らよ!再び声をあげよう!」

 歓喜の声が悲痛な叫びに変わる瞬間を彼は知っている。ピエロの仮面下で、喜びに満ちた表情をしていることを誰が知ろう。

 この地下水路の通るドブネズミの棲家一角で、美しき王妃に生涯を誓ったピエロ。

 ほら、蝋燭を灯しただけの薄暗い部屋の隅から、蝙蝠のような黒い服に身を包まれた生き物たちがうぞうぞと流れ込み、金の髪たちを呑み込んでいく。

 血飛沫をあげ倒れていく彼らを横目で見ながらピエロは美しく踊る。失った神にすべてを捧げるために産まれた。これは悲しきピエロの物語。

 

「酒を買って来い。このクソ女。」

 怒鳴り声に怯えて、部屋の隅で耳を塞ぐ。父親は毎晩酒を飲んでは暴れて母を殴った。逃げるように母は細い腕でソンの手を掴むと、雪の降る街へ酒を調達しに出かける。元々王家の血族だと言っていた。王族の城で道化師を営む父に一目惚れした母は、家を飛び出し勘当同然で父の元へ嫁ぐ。

 金の髪は王家の者だけが受け継ぐらしい。しかし今、その髪は日々の酒代に消えていく。腰まであった長い髪は肩まで短くなり、母は日に日にやつれていく。

「ソン、寒くない?」

 そういいながら、母は彼の手を強く握る。ソンは片手に冷たい酒瓶を抱きながら、母の手を握り返す。夜道に店の灯りがポツンポツンと寂しげにともり、二人は肌を寄せ合って歩いた。冷たい雪も凍える寒さも感じないほど、母と歩く道は暖かかった。

 ソンは貧民街で産まれた。父は道化師で、国王の前で芸を見せるほどの腕前だった。しかし酒飲みで素行が悪く稼ぎは全て酒代に消える。母は優しく、容貌は醜いが美しい金の髪を後ろに束ねていた。父が酒によって母に金を要求する度、あの美しい髪がお金に変わるのをソンは寂しく思っていた。

 ある日城から帰ってきた父は、鬼のような形相で母の髪を掴み、殴る蹴るの暴行を加える。曲芸中に、王の一族に辱めを受けたと言うのだ。

「金髪の種族は皆死ねばいい。」

 父が出ていくと、母はあざだらけの体でソンを呼び、震える手で髪を全て剃った。そして、ソンに伝える。

「この髪を売ったお金で食べ物を買いなさい。余ったお金は隠して大切に使ってね。可愛いソン。大好きよ。」

 ソンは母を支えベットに寝かせると、雪の降る中走って換金し、パンとミルクを買う。 部屋には小さな蝋燭の灯りすらない。全ては父の酒代に消えた。ソンは震える手で母の口にミルクを運ぶ。一口飲んだだろうか。パンのかけらは口元からポロリと落ちた。

「母さん。母さん。」

 母がその後、返事をすることはなかった。

 父は母の死に激怒し、捨てるように近くの墓場の端に母を埋めた。ソンは悲しくて毎日のように摘んだ花をそこに備える。。

「王の血族の端くれとか言いやがったが役に立たねぇ。」

 父はそんな母をなじり、ソンにつらく当たった。酒飲みの父に金はなく、風呂や食事はもちろんわずかに母が稼いで支払いをしていた家賃さえなく、彼らは家さえも失った。

 父は王宮の晩餐会で素晴らしい芸をみせてはいたが、最近は専ら彼らの食事時、子どもたちの面倒をみるだけのお遊びになっていた。彼らは曲芸師を軽視し、悪戯をしてはその姿を嘲笑った。

 

 あれは王妃の誕生日。

 父は名誉挽回にと、王妃の為に美しいバラを三メートルもある高い梯子からばら撒いた。薔薇色の唇を可愛らしく開いて王妃が笑う。美しい王妃様に見惚れていると、また例の従兄弟たちがふざけて父の梯子を蹴飛ばす姿が目にとまる。声をかける間もなく急降下した梯子は、父諸共地面に落下しバラバラに砕けた。

 父は、頭から血を流しぴくりとも動かない。梯子を倒した張本人たちは遠くで腹を抱えて笑っている。

 ソンは呆然として父に近づくと潰れてしまった顔を見て嘔吐してしまう。母を殺した張本人は呆気なく逝ってしまった。醜い姿で。呆然と座っていると、ざわつく人々の中から一人の少女が現れた。

(神様がやって来た。)

 ソンはその姿に身体中の血が沸騰するような感覚を覚えた。

 彼女は涙を流し優しくソンの背中を撫でた。そして、戸惑うことなく父の遺体に触れ、祈りを送ったのだ。跪いた白いドレスには父の血液や自分の吐瀉物がべっとりとついている。

「丁重に弔います。名誉ある王宮道化師として。

 彼女が支持すると、近くにいた全身黒づくめで黒いマントを纏った少年が静かに音も立てず動いた。

 父は丁寧に埋葬され、墓まで立ててもらった。母の墓にはは棒切れ一本立っていなかったのに。皮肉にも美しい花に囲まれて父は逝った。 

 王妃は、父を丁重に埋葬し、ソンに王族の住む城の雑用という仕事と、住まうための小さな部屋まで与えてくださった。

 

 その日から、ソンに貧困や寒さのない生活が訪れた。毎日洗濯された服を着て、王宮の庭を整える。草花の世話や庭の掃除は完璧さを求められたが、そんなものは父との仕事に比べれば大したものではなく、親方に言われた通りに全ての仕事を懸命にこなした。仕事が終わってしまえば、美味しい食事に暖かい寝床が用意されている。恐ろしい暴力や罵声に脅かされない上に、寝る前までは自由な時間まで与えられた。

 それはある日の夕食どきのことだった。

「あんたはちゃんと食べなきゃダメだろう。」

 食事の半分を残し布に包むソンに、料理人のソフィが声をかける。

「痩せっぽっちなんだからしっかり食べな。」

 同じように食事をとっていた親方がチラリとこちらを見る。ソンは顔を赤くして下を向き、小さく呟いた。

「母さんに届けたくて。」

「母親がいたのかい。どこに住んでなすって。」

 食べ物の入った布を強く握り、ソンは首を横に振る。

「孤児だ。」

 親方か立ち上がり二人に近づいた。

 厳しい視線にソンはおずおずと、握っていた布を机上に置いた。

「犬猫に食わせるものではないんだけどね。」

 ソフィが大きなため息をつき、親方が布を開いて包まれた食事を眺める。

「どに持っていくつもりだったんだ。」

 小さく細い肩に手を置くと、親方はソンの前にしゃがみ顔を覗く。目を伏せ、指を絡めながらソンは涙目で呟いた。

「母さんは僕に毎日食事を分けてくれたんです。自分はほんの少ししか食べなかった。」

 頬を伝う涙が冷たい床に落ちる。二人は黙って小さな男の子の言葉に耳を傾ける。

「だから今度は僕が母さんに食べさせてあげたい。」

「墓に持って行くのか。」

 ソンが頷くと、親方は黙って机上の食べ物を布に包み直した。

「仕方ないね。じゃあ母親に分けたらあんたが食べるんだよ。」

 子どもが育つのが母親の幸せなんだ、と言いながらソフィは硬いクッキーをソンのポケットに突っ込んだ。ソンははお礼を言うと、親方から布に包んだ食べ物を受け取り頭を下げて小屋を後にした。

「母さん、いい人でいっぱいなんだ。」

 ソンはただ土を盛っただけのお墓の前で、膝を抱えて話しかける。布から出したパンやチーズ、クッキーはそこにちょこんと置いてある。

「母さんが食べたら僕か食べなさいってソフィが言うんだ。」

 うふふとソンが笑う。

「それにほら、今日は白いパンだったんだよ。フワフワで美味しいんだ。」

 ソンがパンを手に取ると、近くの墓石の横で何かが動いた。

「今日はスープしか食べてないじゃないか。いくらなんでも。」

 俯きギュッと布を握りしめて、ソンは何も答えない。大きな声に親方がチラリと覗く。

「ごめんなさい。」

 謝ると、ソンは小さな声で白状する。

「母さんのご飯を食べていた子たちがいたんだ。僕が食べちゃったらその子たちは一日中何も食べられない。」

 はぁとソフィは大きなため息をつく。

「残念だけど、この街に孤児は山ほどいる。あんたが一食届けたところで何にもならないんだよ。」

「僕も昔毎日寒くてお腹が空いてたから。」

 ガタッと音がして親方が突然席を立つ。叱られると思いソンが身を屈める。

「今日は腹が痛いからもういらん。」

 パンを半分ちぎって口に入れると、親方は自分の部屋へ帰ってしまった。

「ちょっとスープぐらい飲みなね。あーあ、本当に誰もかれも、しょうがないったら。」

 ソフィが残されたスープを乱暴にソンに差し出す。

「あの爺さんこそ、給料全部孤児のいる教会に持ってっちまう。みんな王妃様のおせっかいがうつっちまうんだ。」

 手早く残り物をソンの持つ布に包むと、ソフィはそれ食べちまいなとスープを指差す。急いで食べて口を袖で拭い、受け取った食べ物を抱きしめた。

「悪いことじゃないのさ。ただほどほどにしなよ。」

 何度も頷くと、ソンはお礼を言って走りだした。王妃様とはきっと自分を救ってくださった金色の髪の神様に違いない。

 神様がしなすったおせっかいに救われたんだから、僕も親方も同じようにしてもいいにきまつてる。足取りも軽くソンは母の元へ向かう。そこには小さな姉妹が待っていた。

 

「神様の生まれ変わりであろう王妃様はこの城に住まわれているので、運が良ければお目にかかれるんだよ。」

 ソンは瞳をキラキラさせて姉妹に語る。今日はソフィが城の昼食で残ったパンを多めに持たせてくれた。食べかけなどもあったがそれは油で揚げて粉砂糖がかけてあり、今まで食べた事がないくらい美味しかった。姉妹はそれをポケットに入れ小さくちぎって口の中になるべく残るよう工夫して食べていた。そんな様子なので食べ物全てを母の墓に供えたままのソンは一人饒舌に話続ける。

「王妃様は母と同じ金の髪なんだ。そして女神様のように美しい。」

 パンを食べ終えた妹がソンの分まで手を伸ばすが彼は話に夢中で気づかない。

「だから僕は、王妃の通った後を何度も注意深く歩き、美しい金の髪を拾っては大切に布にくるんで胸のポケットにしまっているんだ。見るかい?。」

 姉の方が苦笑いをして頷く。ソンは自慢げに胸ポケットからよく洗われた布を取り出し数本の光る髪を見せた。妹の方がすごい綺麗とそれを素直に褒める。

「これからもっと注意深く、王妃様の通った場所を探すつもりなんだ。」

 それからソンは夜な夜な城の庭を彷徨くようになり、ある日親方によびだされ注意をうける。

「お前はよく働くし礼儀正しくもある。しかし毎晩城の側で聞き耳を立てるのはどうなんだ。」

 ソンは異様にギラギラした目で親方に伝える。

「王妃様の声は常に私の耳に届きます。なぜなら王妃様は神様だからです。」

 土の上を這うように動き、暗闇で目を凝らす。両手で隅々まで王妃様の通った道を散策し、王妃様の髪を見つけては歓喜の声を上げる。城の周りをウロウロしては壁にべったりと耳を付け、鼻息も荒く妄想に浸る。その行為はいつしか毎日のように繰り返され、母の墓を訪れることさえ忘れてしまうほどだった。

 心配したソフィが砂糖菓子を持たせるも、ソンがそれを墓で待つ姉妹に届けることはなかった。

「王妃様に夢中になってるのはかまわないが、ちょいと度が過ぎるのは心配だね。」

 親方は黙って暫く考えていたようだったが口火を切った。

「王宮道化師をさがしているそうだ。」

 ソンが父から虐待を受けていたことを知っていた。だからそんな者にはならないだろうがと親方は付け加える。しかしその言葉はソフィには届かない。

「王宮道化師になってみないかい。王妃様の前で芸を披露するんだ。」

 食事も終わり片付けの最中、王妃様に似せた人形を作りたいと駆けつけたソンにソフィは伝える。働き始めて初めてのお給料で針とレースの布を買い、ソンは教わった通り熱心に針を刺す。髪は夜な夜な探した王妃様のものをつけるらしい。

「王妃様のお喜びになるお姿を見てみたくないかい。」

 父親が梯子芸を見せて亡くなった日に拝見しました。とソンは呟いた。

「大変美しいお姿をなさっておられました。まるで女神様のようでした。」

「お父様は、残念だったね。」

 ソフィはそれ以上は何も尋ねず残りの仕事を片付けた。

「父は母や僕を殴ってばかりだったけど、王妃様に合わせてくれたことは感謝しています。」

 淡々と答え。ソンは針を進める。部屋に帰っても夜更けまでそれに没頭し、出来上がりは素人とは思えないほど素晴らしい物だった。

「ありがとうございます。僕の部屋に神様がきました。」 

 ソンは嬉しそうにお礼を言うと、

「僕は王妃様の為に王宮道化師になりたいです。神様のためならなんだってできる気がするんです。たとえそれが道化師であっても。」

 と人形を見つめながら答えた。

「そうかい。やっぱりね。私はあんたは王宮道化師にきっとなると思っていたんだよー」

 ソフィはほっと一息つくと、嬉しそうにソンの頭を撫でた。

 親方もその横で苦笑いしている。

 その日からソンは夜な夜な彷徨う時間の一部を曲芸の練習に充てた。天賦の才とはよく言ったもので、ソンは父の曲芸道具を見つけるも水を得た魚のように、メキメキと力をつける。水晶玉が空に浮いた時には、普段は興味を示さない親方も驚いて足を止めるほどだった。

「あの子には才能があると思っていたんだよ。」

 ソフィは我が子のように喜び、食堂に来た人々に彼を自慢する。練習は食後、食堂の隅や外で行われ、仕事がひと段落ついた使用人たちは時間を作っては彼の曲芸を見に来た。時に高く積み上げた椅子の上から落ちたり、梯子で歩き倒れたりもしたが、彼は蝶のようにひらりとそれをかわす。そしてまた、難題に挑むのだ。年季の入った父の遺品である道具箱の上には、いつも彼が作った王妃様の人形が飾られ、まるで母のように見守っている。

 

 ある昼下がり、久しぶりに休みをもらい庭園の隅でボールを操る練習をしていると、聞き覚えのある声重なり、背後から迫ってくる。

 慌てて振り向くと、それは父の梯子を蹴り倒した王妃の従兄弟たちだった。母と同じく王族特有の金の髪が風に揺れる。

「コイツ、見覚えがあるな。」

 彼らはソンの髪を掴み、ジロジロ顔を確かめる。

「汚ねえ顔だが、ダークブロンドだ。忘れもしない。梯子から落ちて死んだアホな宮廷道化師の息子だ。」

「あの道化師か!俺たちはあの後王様から叱られたんだぞ。」

 三人はソンを取り囲み、ニヤニヤと笑う。

「あの時のお礼をしなきゃな。」

 逃げるも相手の数が多く、ソンはその日殴る蹴るの暴行を受けた。親方が見つけソフィが手当てをしてくれたが、彼らは暇さえあればソンを追いかけ回して暴力を振るう。ソンは働いている時も一人になると周りに細心の注意を払い行動せざるを得なかった。朝昼晩構わず憂さ晴らしにやってくる彼らを諌める術はなく、親方が気を配って仕事中はなるべく近くにいてくれたが、王族の彼らを止められる者は誰もいなかった。

 その日は王の親族が集まるパーティで仕事が忙しく、庭仕事のソンも支給係として働いていた。その中には勿論あの従兄弟たちの存在もあり、ソンはなるべく見つからぬよう顔を伏せて食事を運んだ。日が高く上がり、王族の金髪がキラキラと反射する。そしてソンのダークブロンドの髪も例外ではなかった。

「よう、道化師の息子。汚いダークブロンドだな。」

 いつものように髪を掴まれ、ソンは運んでいた食事を地面に落としてしまった。 

「あーあ。勿体無い。」

 他の従兄弟たちも、ニヤニヤしながらソンを囲む。

「食えよ。道化師。」

 一人がソンの頭を掴み、地面に落ちた食べ物に顔をなすりつける。他の二人は他の人から見えないようにそれを囲んだ。

 いつものことだ、ただ耐えればいい。そう思った矢先、従兄弟たちが急に手を引いた。

「遊んでいるだけだ。」

 彼らは誰かにぎこちなくそう言った。

「ほら立てよ。転ぶなんて馬鹿だなぁ。」

 急に腕を引かれ、立ち上がると、目の前に全身漆黒の少年が立っていた。

 (父を弔った少年だ。王妃様の護衛をしていた。)

 少年が近づくと、従兄弟たちは後退りし、バラバラにいなくなってしまった。

「ありがとうございました。」

 ソンがぎこちなくお礼を言うと、少年は何も言わずに背を向ける。背中で束ねている長い黒髪が靡くと同時に彼は音もなく闇の中に消えた。

 それ以後、従兄弟たちの嫌がらせがピタリと止んだ。おかげで昼も夜も、ソンはソフィの食堂で曲芸の練習に集中することができた。相変わらず王妃様の落とし物や声を探し歩いている時間はあったが、それ以外の自由時間は全て練習に充てた。腕が上がり、食堂で食事を取らないものまで曲芸を見にくるほどだった。皆を喜ばせるためには、演目として一通り流れを作って芸を見せなくてはならない。そうすると必然的に、父が悲劇の最後を送ったあの梯子芸が最後を飾ることになった。


 最近親方の背中を見ていると、少し小さくなったように感じる。

「ソフィ、小さくなった?」

 ソンはソフィを目の前に不思議そうな顔をする。彼女の視線もまた、自分のそれに近づいてきた。

「あんたが大きくなったんだよ。」

 ソフィは傷の手当てをしながら答える。

「随分と傷が減ったね。」

「うん。梯子から落ちる時の受け身が上手くなったんだ。」

 休まず続けた曲芸は、見る人から歓声や拍手をもらえるほどの腕前になった。知らずに体力がつき体も引き締まっている。

「梯子からもあまり落ちなくなったんだよ」

 ソフィが嬉しそうに笑う。

「いつも手当てをしてくれてありがとう。僕、王宮道化師に必ずなるよ。」

「あんたならなれるよ。」

 ソフィがソンの背中をドンと叩く。近々王の前で曲芸を見せる日が来る。たくさんの志願者の中から選ばれたら、晴れて父と同じように王宮道化師としても働ける。ソンは王妃様の笑顔を思い浮かべる。梯子の上から巻く予定の花びらは、この国一番のものが良いだろう。

 

 ソンが城に勤め始めたのは十年前だった。王宮道化師の試験を三日後に控え、齢十八にして初めて花を調達するために休暇をもらった。

「お土産買ってくるからね。」

 貯めていた給金をソフィの作ってくれた巾着袋に入れ、王妃の人形を手に持つ。

「お土産なんていいから楽しんでおいで。」

 親方とソフィが笑顔で手を振る。南の城に国一番の花が咲く庭園があるらしい。徒歩で向かうため着くまでに往路も含め二日の休暇になる。この街から出たことがなかったソンは王妃の人形と一緒に、草原を歩く羊の群や遠くに見える山々など、見たことのない景色を楽しみ、南の城での珍しい食べ物や美しい工芸品に心躍らせる。

 夕刻も過ぎていた為、城下町で親方やソフィへのお土産を買うと急ぎ庭園へ向かい、王宮への花々を選んでもらった。

 残りのお金を王城に向かう予定の馬車代に変え、ソンはそのまま荷馬車で眠りにつく。歩きで半日かかったので、早朝発の馬ならば昼過ぎには着くだろう。花々は枯れぬよう処置をしてもらった。

 準備は万端だ。

 ソンは王妃の人形を見つめながら王宮道化師として王妃様の前で曲芸を披露する自分を思い浮かべる。王妃様はあの美しい笑顔を私だけに向けてくれるだろうか。見事王宮道化師になり、ソフィや親方の喜ぶが瞼の上に思い浮かぶ。うふふと笑うとソンはそのまま深い眠りについた。

 

 目が覚めると荷馬車に揺られていた。来た時と同じく遠くに山々が見える。馬主が昼過ぎには着くと教えてくれた。ソンはカバンに入れてもらった硬いクッキーを齧ると、お土産を確認してまた鞄に戻した。ソフィには鏡を買った。庭園の花も添えて渡すつもりだ。そんな柄じゃないよと言われそうで笑った。親方には珍しいお酒を。酒は贅沢品だと言って買わず飲まず、稼いだお金は全部孤児院に納めているのを知っている。

 王宮での日々は幸せで、そこは我が家も同然だった。馬の鼻先に王城が見えてくる。ソンは自分を救ってくださった王妃様に感謝した。

 朝日が我が故郷を明るく照らす。胸は希望に満ちている。

 

 馬主にお礼を言い、馬を降りた。お土産話をした後、明日の準備をする予定だった。

 しかし、城の様子は一変していた。ソンは壊れた城門の前で立ち尽くす。住み慣れた場所は明らかに何者かに荒らされている。美しく整っていた庭木は踏み倒され、落下物で足の踏み場もない。荷物を投げ捨て食堂へ走る。どこを探しても誰もいない。影も形もない。

 王妃様は無事だろうか。親方は?ソフィは?皆は?。不安で息が苦しくなり胸が締め付けられる。

「王妃様!僕の神様!ソフィ、親方!どこなの。」

 城仕えの仕事をしていなかったので宮中に入ることはなかった。ソンは導かれるように王族の住む城の門を潜る。城の中も外と同じく荒らされ、割れた窓ガラスの破片が飛び散っている。美しいシャンデリアは落下して床に散乱し、カーテンはぼろぼろに引き裂かれている。

 争った形跡はあるが、傷ついた人々の姿はない。ただ、何者かが侵入したことは間違い無いだろう。ソンは片っ端から扉を開け、中を確認する。誰の部屋かはわからないが、とにかく王妃様の無事を知りたくてがむしゃらに探し回った。そして彼は見つけたのだ。王妃の部屋を。

 ソンにはすぐわかった。王妃様の身につけていた装飾品やドレスがクローゼットにしまわれている。靴のサイズもまちがいないだろう。鏡やベッドや机は、彼女のサイズに合わせてある。

 倒れているものや散れているものを片付け、壊れているもの以外はすべて元に戻す。彼女はここで生活していた。それだけでこの部屋はソンにとって全てが宝物のようだった。夢中で部屋を片付けていると、部屋の隅でズタズタに切り裂かれた黒いマントを見つけた。見覚えのあるマントだ。

 (これは王妃様の護衛が身につけていたマント。)

「ダークブロンドだな。」

 突然背後から声がした。

「王の血族が混ざっている。何者だ。」

 振り返ると、握っているものと同じような黒いマントに身を包んだ初老の男が立っていた。背中まである長い黒髪を一つに束ねている。ソンは驚いて壁に背中をつく。やっと出会えたが、見知らぬ人。全身に黒を纏っており赤い瞳に恐ろしささえ感じる。

「私の母は王族です。父は道化師。私はこの城の雑用係です。王妃様に与えてもらった仕事です。」

 男は首をかしげると、ソンの周りを音もなく歩く。そして、顔を近づけ、

「王の血族が何用か。」

 と尋ねる。

 ソンはしどろもろに事情を話した。自分が旅に出ている間に皆がいなくなってしまったこと。自分は王宮道化師を目指していて明日、試験があること。

「そなたは違うのだな。」

 厳しい表情で男は話し始める。

「昨夜王と王妃が襲われた。王座を狙っての同族争いだ。」

 同族と聞いて頭をよぎったのはよくこの城に現れた王の従兄弟たちだった。彼らは王を憎んでいた。父の梯子を倒した後叱られたと確かに聞いた。

「私は王族の従兄弟たちが、王を憎んでいたことを知っています!彼らが奇襲をかけたに違いない。」

 叫ぶように訴えると、憎しみで震えが襲う。父や自分だけでなく、王や王妃様さえも毒牙にかけてしまう。

「王は!王妃様は何処に。」

 悔し涙を流しソンは尋ねる。男は神妙な顔つきで答える。

「王は私が護衛し無事だ。しかし王妃は争いに巻き込まれ、行方がわからない。」

 握っていた黒いマントに爪を立てる。何故王妃の護衛は守り切れなかったのだろうか。神を、私の神様を。

「私なら命に変えてもお守りしたのに。王妃様を。ソフィを。親方を。皆を。」

 泣き崩れるソンの横で男は口角を上げる。そして、彼の肩を優しく叩いた。

「まだ分からぬ。故に私たちは今から王妃たちの行方を探そう。心配はいらぬ。必ず探し出して見せよう。」

 彼の言葉に顔を上げると、ソンは希望を託し、差し出された手を強く取る。握手を交わしたそれは氷のように冷たい。男は立ち上がると、今度は辺りを見渡して深いため息をつく。

「しかし、困ったことにこの城を守る者がおらぬ。皆我が身を守ったのであろう。王の血族がまたいつぞや攻めてくるか分からぬ。ここは危険な場所だ。だが、王妃が帰る場所で待つ者が必要だ。」

「私が!」

 ソンは声を上げる。

「私が王妃様を待ちましょう。従兄弟たちなど、今度は薙ぎ倒し、なぶり殺してくれる。」

「ふぅむ。」

 顎を触り何かを考えている様子でソンを見つめると、男はにやりと笑った。

「そなたは道化師。この城を守り、王座を狙うあの憎き王の一族を地下へ誘い込む。我が集団がそれを抹殺しよう。さすれば王妃は、自ら安全なこの地へ帰ってこよう。」

「ちがいない!」

 ソンは興奮して声を荒げる。

「我は王妃を守る道化師にしてナイト!裏切り者の憎き王族を一掃し、安息の地を創り上げることをここに誓う。」 

「おぉ、道化の騎士よ。」

 男は近寄り、彼のダークブロンドの髪に触れる。

「其方の黒髪は私たちと同じく王を守る者の証だったに違いない。そして時に光る金の髪は、王の血筋を惑わすために授けられた。」

 ソンははっとして自分の髪に触れる。そして我が運命にワナワナと震えた。男の手が彼の輪郭に触れる。

「近々その勲章として、王より金の仮面を授けよう。それを纏い叫ぶのだ。王族よ集えと。そして、王座を狙う憎き同族を地下へと導くのだ!それが其方の運命。」

 ソンは歓喜の涙を流す。

「我は道化の騎士にして、王妃を守る者。あぁ!素晴らしい。帰ったソフィや親方もきっと喜んでくれるに違いない。素晴らしい勲章に涙を流すに違いない。」

 

 金色の仮面が地下の暗闇で光る。 

「私の髪は黒い髪。王の命を守る者。」

「私の髪は金の髪。王の血を引く王家の者。」

 足元でもがき苦しむ金髪たちを軽々と避けながら、ソンは歌い金色の仮面の下で笑う。

 黒装束の集団は、このゴミたちを跡形もなく綺麗に掃除してしまうだろう。明日にはまた何も知らない金の髪を持つ者たちが、この場所に希望を求めて集う。

「我らは王の子。金の髪は王の証。王座は我が手中にあり。」

 と疑わずに。

 ソンは片付けられていく死骸を見つめながら熱いため息をつく。

「王妃は必ず帰ってこられる!。我の元に。」

 グブッグブッグフグフッ

 不気味な笑いが地下に響いた。

 

 私は道化師。

 美しき王妃に囚われし道化師。

 神のためなら我が命のすべてを捧げよう。

 

 我は道化師。

 我は騎士。

 我は道化の騎士。

 我は道化の騎士。


 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

  

 

続く

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