第1章 No.07 狂乱
何度も言いますが、この世界は現代から直結する未来とは別世界線を辿っている可能性が高いです。一切の出来事をフィクションだと捉えることをオススメします。
──病室に入ると、とんでもない叫び声が聞こえてきた。
思わず颯太が手元から傘を構えようとしたが、今は残念ながら手持ち無沙汰だ。
「──これは──」
昨日討伐したばかりの怪物がまた取り憑こうとしているかのようだ。椙野は丸くなって蹲り、頭を抱えて唸ったり、叫んだりを繰り返している。
「──颯太くん、見たらアカン。こんなん──」
その光景に唖然としていたところ、颯太は引き倒されるように結愛に引っ張られ、肩に抱かれて視界を塞がれる。
だが、現に青少年の教育上宜しくないだろう。骨格が変形した女性が、ありとあらゆる肌に自傷行為をしながら暴れ回る、まるで何かに狂ってしまったかのようなグロ映像。結愛も颯太を抱きながら、その内心はグルグルと渦巻くように、どこか気持ち悪さをも感じている。
「──鎮静剤を打ちましょう。このままだと何をし出すか分からないわ。」
「はい。結愛ちゃん、颯太くんを外に出してから押さえるのを手伝って。3人がかりで行くよ。」
「──分かりました──」
──途中で結愛によって半ば強制的にシャットアウトされてしまったが、颯太の脳裏にあの光景が残らないはずがない。
椅子に座り俯きながら、颯太はどうしようもなく震える手で、狂いそうに震える脳の震えを止めようとしているかのように頭を抱える。
(──怪物?そんなんじゃないだろ──あれは最早、依存性の禁断症状──)
酷いものだった。
雑音のようにガサガサとノイズの掛かった呻き声は、まるで彼女がかつて取り憑かれ、四足歩行で傷だらけの素肌を晒していた、トラウマの具現化時代に颯太が聞いた咆哮と同じ。
(──このままだと、椙野はまた怪物になるのか──?)
──あの状態を見ればわかる。
二度目に怪物となり、素肌を晒していた時に見たものよりも、全身が自傷行為により傷まみれとなっており、最早傷のない素肌の方が少なくなっていた。
──次に怪物になれば、椙野は恐らく助からない。
(──最早病気だな、あれが怪物に乗っ取られた人間の末路ってことか──)
──別に椙野に特別思い入れがある訳では無い。
ただ、自分が一度助け、そして仲間のマイカがもう一度助けたことを考えると、あまりに残酷な結果に胸糞の悪さを感じてしまう。
「──嫌なものを見せてしまってごめんなさい。」
近くのベンチで頭を抱えていた颯太のもとに、鎮静剤を打ち終わった穂波たちが帰ってきた。
しかもどうやら暴れた時に怪我をしていたらしく、沙梨の腕には切り傷が、結愛の顎には打撲痕が残っていた。
「──椙野さんは──」
「.....あそこまでになってしまうと、怪物化は待ったナシかも知れない。だからもう薬物療法しか方法が無さそうなんだけど──まあ、もう少し頑張ってみるわ。」
「そうですか.....」
何とも胸糞が悪くなるものだ。
二度も怪物に取り憑かれただけで、何の罪もない人間が体を蝕まれ、日常生活すら難しくなる程のところまで追い込まれてしまうのだ。
「──酷いもんだな──」
──颯太の口からぽろっと漏れ出す言葉に、全員が目を背ける。
悲しくとも、これが怪物退治を生業とする颯太たちには現実だった。怪物となっているのはあくまで罪のない人間たちであり、本来やっていることは、なんの罪もない人間に対してただひたすらに武器を向けているだけのことだった。
「──そんなのが大量発生しているのよ。ホント、ろくでもない世界になってしまったものね。」
──穂波たちはそれだけ言い残して去っていき、その場に残されたのは颯太と結愛、二人だけになった。
「──情けねぇよな、全く──」
二人きりのまましばらく沈黙が続いていたが、突如颯太がそんなことを言い始める。
「──あの程度のものを見せられただけで、お前に守られなきゃいけなくなるような程だもんな。情けねぇよな──」
「ううん。あんなもん、私らが見慣れてるだけで、なんも知らん人なら、颯太くんくらいの反応が正解やと思うけどな。」
──結愛の言う通りである。あの光景を見て、普通なら吐き気なり何なりを催すはずである。結愛や穂波たちがそうならなかったのは、単純に経験の差である。
「──正直、あれを見たあとで怪物とどう接すればいいか分からんくなった。単純に痛めつけるのは可哀想っていうか、なんて言うかさ──上手く言えないんだけど──」
「.....私だって同じ道通ったんやで?でも、それでも向こうは容赦してくれへん訳や。私たちが戦わんと好き勝手に暴れ回って、人やモノに大損害を生んでいく、それが怪物や。私はそう割り切って、もう1年近くも怪物退治やってる訳やし。」
「──」
再び二人の間に沈黙が訪れる。
ストライカーとなった人間には避けては通れぬ道なのだろうか。敵の素性を知ると言うことは、ストライカーとしての戦意を削ぎ落とし、戦いの場には不利に働く要因のはずだ。
「──正直な話、俺は今ストライカーを辞めることに何のメリットもないと思ってる。」
「──理由は.....?」
「──帰る場所が無いから、かな──」
──前々回話した通り、颯太の家族は父親が自殺、母親は気が狂った挙句に、祖父は失踪と、最早壊滅と言って差し支えない状態だ。さらに本来なら立ち入ることすら禁忌である宮原家からは半ば家出のような形で自身も失踪している。
単純な話、一人ぼっちで高縄家に帰ろうものなら、トラウマとして根付いている父親の首吊り死体が幻覚のように見え、母親と同じく狂乱エンドを迎えるのは目に見えていた。
「それに、もうストライカーとしての力を身につけてしまった以上、どうせここで辞めたとしても、またどこかで傷付けられて殺されかけてる人を見たら、どうせまた復帰するんだ。今後ろ盾を失うメリットが全くない。後ろ盾がある以上、恩を仇で返すような真似はしたくないから、なるべくは戦っていかなきゃならないって思ってる。」
「まあ、それが颯太くんの選択なら、私は別にどうもせんけどやな──」
──今のところ、結愛は一つだけ、颯太のストライカー人生の根幹にすら関わるほどの隠し事をしている。
今にも口から溢れ出てきそうな"それ"を何とか堪え、結愛は敢えて"誰も介入しない"本心だけを伝える。
「──あくまで私個人の考えやし、生意気言うてるように聞こえるかもしれんけど、颯太くんだってまだ子供なんやし、そんな心の葛藤抱えてまで無理に前線に行く必要はないと思う。別に戦時中とちゃう、誰彼構わず徴兵してお国のために戦ってこいとは誰も言わへんし、颯太くんにそんなこと言うてくるヤツおったらどつき回したる。」
「──そりゃ、頼もしい護衛だこと──」
何故かその言葉に冗談みを全く感じない、何なら今にでも行動に移しそうなほど迫力を感じる結愛の言葉に、颯太はあくまでもジョークでその場を乗り切る。
「まあ、ストライカーが俺のやるべき仕事である間は続けるよ。今のところそれ以外にやるべき仕事もないからな。」
「──」
結愛は最後の颯太の言葉に何も返さなかった。
ー‐ー‐ー
──7月2日、泉大津駅。
颯太と闘也が2人で駅に出向いている理由は、新たにやってくるリザーブ組新メンバーを迎えに行く為だった。
その新メンバーに関することなのか、突然闘也がこんなことを言い始める。
「韓国で起きていた"日本人虐殺"、お前は知ってるか?」
「──まあ、今や韓国はテロ支援国家だもんな──」
テロ支援国家、現在にも実在するアメリカ国務省による決まり事であり、テロを行っていたり、テロ組織を支援している国家が指定される。筆者がこれを書いている2021年現在、北朝鮮、シリア、キューバ、イランが指定されている。
だが、2039年から各地で相次いだ、言わゆる"アイソレータ革命"の際、革命が発生していた国が相次いで指定され、革命の失敗または終結で指定を解除するという状況が繰り返された。
が、韓国では2052年のアイソレータ革命で過剰なまでの日本人差別が発生、現地在住の日本人や親日家が皆殺しにされる事態が発生し、これを重く見たアメリカは韓国をテロ支援国家に指定し、今もなお解除されていない。
これは、主に対北朝鮮での三カ国同盟を半ば裏切るような事態であったと判断したアメリカが、南北の朝鮮を同じテロ支援国家だと判断した為である。
「何だかんだ、日本人の中には知らず知らずのうちに韓国に嫌悪感を覚えてる人間が大多数を占めてる。そりゃ、普通は自分たちの命が狙われてるって知ったら、普通なら怒るもんだし、敵を排除しようとするのは生物の本能だ。」
何度も韓流ブームがあったはずの日本で、韓国への不信感を持つ人間が98%に達したのが、異常さのあらわれだろう。そもそも、日本人の命を誰よりも脅かしていたのが2052年当時の韓国人だ。不信感が募って当然である。
結果韓国は他国にも不信の種を撒いて経済的に自滅、現在は大国の介入によってようやくアイソレータの信徒を追い出してはいるが、今でも日本人には韓国への不信を拭えない者がほとんどである。
「──それがどういう.....?」
「──颯太のことだ。偏見は特に無いと思ってるけど、今来るのは韓国のストライカーだ。韓国でストライカーとして闘ってきた経験者だ。アイツも大して気にしないとは思うけど、あんまり偏見で見てやるなよ。」
「.....なんだ、そんなことか。別に、どこの誰であろうが仲間になる人間を色眼鏡で見ねぇよ。そんな性悪な人間に見えてたのか?」
「──いや、確認したかっただけだ。それならいい、メッセージ飛ばして連絡するわ。電車の中だと通話にも出れんからな。その後(リザーブ組の)グループチャットにも招待しとく。」
闘也は確認を済ませて、ようやくメッセージを送る。
なお、2055年には通常の電話、SMSアプリは消滅し、回線において集団通話が可能だったり、電話とSMSがひとつのアプリに纏まったりして、2020年代で言う"Di○cord"や"ク○ブハウス"が、通常の電話アプリのように標準搭載されている。
「──それはいいけど、集合時間をお忘れかな?」
と、そんな二人のもとに声を掛けてきた一人の青年。
「──?あっ!キム!?早くないか!?」
振り返った闘也がその人物に気付く。
ちなみに颯太はついて行っただけで集合時間は知らされていないので、事前に約束があったことなど知る由もないが。
「言ってたじゃないか、駅に(午後)3時に集合で良いだろって、今16時なんだけど.....」
「──あれ、4時じゃなかったっけ.....」
──颯太はため息をつく。
「昔っから集合時間だけは守らんよな、闘也って。」
「──まあ、悪いところなのは理解してる.....」
──ちなみに、颯太と闘也はかなり古くからの顔馴染みである。空手家である闘也だが、堺包丁も愛用しており、かつてから高縄家にも通っていた。その頃からの顔馴染みであり、たまに会う友人くらいの親交があった。
そんな闘也は遅刻エピソードが多いことが有名で、颯太は家庭環境のせいで外で遊んだことは無いが、それこそグループチャットでは毎日のように闘也の遅刻に対する愚痴が飛んできていたものだ。
「──それより、この人が言ってた人か?」
「ああ。まあ詳しいことは施設に帰ってからにしよう。人目が多いからな。」
──現在の日本では、韓国がタブーのような印象を持たれており、口に出すだけで白い目で見られることもあった。
その為、一度泉大津に戻ってから話をすることになった。
「人目が無いことを確認したから、改めて紹介するが、かつて韓国で僅か900人しか居なかったストライカーの中でもトップクラスの実力を持っていた、ストライカーとしては大先輩のキム・ジュヌだ。まあ気軽にキムって呼んでやってくれ。」
「──えっと、泉大津リザーブ組、高縄颯太です。宜しくどうぞ。」
「よろしく、高縄くん。」
新しくメンバーとして加入した大型新人、当時の韓国では迫害対象でもあった親日家であり、なおかつ現地で怪物処理に当たっていた数少ないストライカー、その中でも実力者であるのがキム・ジュヌである。
2036年6月6日生まれで現在19歳ながら、ストライカーとしてのキャリアは3年半以上、15歳半から怪物退治に当たっていた、日本のストライカーの殆どからすれば大先輩でもある。
まあ、反韓姿勢に傾いた世論とは別に、かつて他の国でも起こったアイソレータ革命と怪物の大量発生を危惧し、日本人ストライカーも韓国に派遣され、現地ストライカーと協力していたという例も少なくはない。
「まあ、キムには事前に説明した通り、日本でも3年前の韓国と同じような状況になりつつある。怪物が相当数発生していると予想されてる。まだ末期型が出てないだけマシだが、それでも怪物関連で民間人に死者が出てる。」
「報告を聞いた感じで言うと、質より量って感じで、韓国のとは違って数が異常なんだよね。」
「まあ、そんな感じだな。」
実際、日本での怪物の総数は全体像が把握出来ていないが、大阪府の20あるストライカーグループのうちの1つ、泉大津、鳳、東岸和田、貝塚までを管理する泉大津グループにすら、1ヶ月で30体程度の怪物退治を行っている。
全てのグループを同規模と仮定して単純に考えれば、一ヶ月単位で大阪府だけで600体、47都道府県で28,200体の怪物を処理していることになる。まあ、これはあくまで単純計算であり何の目安にもなりはしないし、討伐できていない数で言えば恐らく3万などでは収まらないのだろう。
──この数は、過去に怪物の大量発生があった地域でも類を見ない数であり、それだけ日本における大"量"発生の意味合いが各国と格段に違うことが見て取れる。
「──にしても、ヨジュンはどうしたんだ。韓国ではビッグ2とまで言われていたトップクラスの相棒だったんだ、もう引退したのか?」
──キムには韓国時代、相棒として組んでいたストライカーが居たのだが、今回はキム単独での来日となった。
「ヨジュンは首都の機能崩壊をもって引退したよ。もう2年以上は力を使ってない。いくら同士の日本のストライカーの為とは言っても、彼女をまた再び戦線に立たせるのは酷な話だと思ってね。」
「そうか。まあ、元から体も強くないんだ。そういうことなら無理は言えねぇな。」
何度も言うが、怪物退治は常に命懸けである。向こうこそ戦って倒されても命を失うことは無いが、こちらは致命傷を負っても、その傷を治してくれる魔力も、無限のスタミナを供給してくれるコアも存在しない。
韓国では1年以上に渡り激戦が繰り広げられ、当然キムたちの仲間にも数え切れない損害が出た。実力トップの2人組だったキムとヨジュンも、相方のヨジュンが首都の釜山崩壊を看取り、アイソレータによる大韓民国の破壊を目の当たりにし、現在は台湾にある別荘に移住し余生を過ごしていると聞く。
「──韓国のビッグ2って、滅茶苦茶強そう.....」
「そりゃまあ、韓国のストライカーで"キム・ジュヌ"って名前を聞いて知らねぇ奴は居ねぇからな。倒した怪物は数知れず、圧倒的な実力を持つ2人のストライカーのうち、迅雷の如き早業のキム・ジュヌ、獄炎の如き一撃必殺のリ・ヨジュンとはよく言われたものだ。」
「はっきり言って恥ずかしいんだけどな、その紹介──」
日本のストライカーの上位陣など、颯太たちでは知る由もないのだが、韓国のストライカーのトップ2となれば、やはりとんでもない実力を持っているのだろう。
だからこそ、颯太は一つだけ気になることがあった。
「──にしても、そんな実力者の方がうちのリザーブ組って、ちょっと勿体ない様な気が──」
颯太の言葉にキムは苦笑いを返す。
「実力者も何もまだまだ素人だよ。しかも、当時のメインウェポンが使えなくなってしまって、まだ今のAO(武器)に慣れてないんだよね。だから、乗り込んできてからこんなことを言うのも申し訳ないんだけど、実力にはしばらくは期待しないで欲しいんだよね.....」
謙遜するキムだが、今のところそんな人材でも大助かりなのがリザーブ組の実情である。
「闘也、どうする?穂波さんへの挨拶はしとくか?」
「んん、まああの人なら差別はしないだろうし、ストライカーってことなら受け入れてくれるだろう。先にメンバーに紹介したいから、先に他のメンバーに紹介しとこう。」
「そうだな。」
ー‐ー‐ー
──その後、何だかんだでキムの紹介が済み、一日が終わろうとしていた。
「にしても、韓国人ストライカーとは、経験豊富な人を友達に持っていたものね、吉野くん。」
穂波へのキムとの挨拶の後、一人残された闘也と穂波が話をしていた。
「まあ、ネット上のコミュニティで海外の友人も少しばかり居るので、中韓初め、アメリカだのヨーロッパだの、結構色んなところにコミュニティを持ってます。」
「ということは、もう一人来るって言ってた友人も、キムくんと同じように海外の人なのかしら。」
「──?まあ、はい。フランスのストライカーです。」
──その発言で、報告書を片手に話を聞いていた穂波の手が止まる。
「──フランス.....?」
「──?は、はい。フランスです。あの悲劇、アイソレータ最大被害が齎されたフランスです。」
──穂波は珍しく動揺している様子だ。
「──あくまで大阪のコミュニティの情報なんだけど、フランスのストライカーって一人も生き残ってないってのが定説なんだけど、仮にそのお友達の存在が事実なら、フランスの事件を解明する手掛かりになると思うわ。」
「まあ、彼女もあの事件の後、戦いきれなくなってイギリスに亡命してますし、それならフランスのストライカーの生き残りが居ないって思われるのも仕方ないかもしれません。」
「──そう──まあ、私がそのことを知ったとしてもどうにもならないんだけど、"上が無駄に詮索してくる"かもしれないから、その辺はちょっとご了承願いたいわ。」
「──は、はい.....」
──穂波が少し動揺した"フランス"と言う単語、実を言うと2050年をもってフランスという国はほぼ消滅と言っても過言ではない程に悲惨な状況になっている。
彼らの間違いは、"環境活動家"を名乗るアイソレータの信徒を大統領にしてしまったことである。
まあ確かに現状は地球環境の問題が出ているのだが、それを最も、ある意味"狂信"していたのがフランスである。
ただ彼らがなにも考えていなかったのが、不可能とまでに言えるほどの期限で制約した「CO2排出量の0化」である。
これはつまり、人間の活動による二酸化炭素の排出を0にするという考えである。
──つまりは人間の呼吸すら制約しなければならないということだった。
詳しいことは省くが、フランス政府は2046年に国民に呼吸を規制する"大気規制法"、いわゆる呼吸法を定めたのだ。
──当然国民が大反発を起こす。
だがこの鎮圧と法案の撤回はわりと平和的に収まった。
しかし、最大の問題はこのあとだった。
CO2を発生させる諸悪の根源が火であることに気がついたフランス政府は、2050年、火炎禁止令なるものを発動する。
確かに当時電化なるものが大幅に進んでいたフランスでは、日常生活でほぼ直接火を使うことも少なくなっていた。
──だが、2050年4月1日、即座に発動した火炎禁止令が発動して2秒後、フランス中から電気が消滅した。
実は、自然エネルギーの切り替えが進み、この日をもって使用を停止しても大丈夫だろうと考えられていた火力発電だったが、停止した瞬間、圧倒的に需要と供給が合わなくなり、完全にキャパシティを越えたのだった。
実は、国民の主権を踏みにじり強制的にに作った太陽光発電や風力発電などの自然エネルギー発電が、うまく機能していなかったのだ。
──理由はたった一つ。彼らは自然を舐めていたのだ。
人間規模で"異常気象"とはよく言ったものだが、あくまで天気など天が決めることであり人間が決められるものではない。
そう、4月1日10時00分01秒、とても寒いこの日に限って、連日続いていた豪雨で風は乱れており、太陽光発電は全没。風力発電に至っては方向によっては回るものもあったとは言え、設置向きによっては使えないものもあれば、中には乱気流により羽根が折れて使い物にならないものがあったのだ。水力発電は機能していたが、主要な発電方法ではなかったのか、あまり貢献していなかった。
しかもこの世界線において、40年も前の日本の大震災による原発事故などを教訓に原子力発電を行っていなかったフランスは、自然の気まぐれに弄ばれるかの如く、見込んでいた発電量の僅か5%程度、さらには需要電力の8%程度の発電量にしかならず、なおかつ火の禁止から電気に依存した国民の増え続ける需要に耐えきれないのは目に見えていた。
──自然と共生すると言っておきながら、自分達ではどうしようもない自然のせいで地獄を見るハメになったのだ。こういうところ、自然災害の多い国ならばもう少し上手くやれたのだろう。
ところが、"異常気象"によってときどき暴風雨が起こる程度だったフランスは自然災害とはほぼ無縁で、自然のことを何一つ理解していなかったのだ。
運の悪いことに寒く、しかも法令のせいで極々一部の守らない者たちを除き火起こしの道具を全て失っていたため、寒波に耐えることはほぼ不可能だった。大寒波の中、フランスは手段のない寒さ耐久大会に強制参加させられることになった。
しかも加熱前提でしか食べられない食品は即座に使い物にならず、生ものもどうせすぐに悪くなっていくため使い物にならなくなっていく。
──4月6日、皮肉にも日本で"火"曜日だったこの日、フランス人、及びフランス在住外国人の犠牲者が100万人を突破、以後1ヶ月も経てば3000万人規模に増えた。
(──フランスの人口の85%もの人々が亡くなった、戦後最悪の事件、"フランシス・アイソレータ事件"。名付けのセンスが馬鹿なのかなんて当時の私は思ったものだけど、内容を知った瞬間に走った寒気、今でも鮮明に思い出すわ──)
闘也が部屋を出た後も、闘也がさも当然のように言った"フランス人ストライカーの生き残り"の件で、報告書を打つ手が止まってしまい、全く動かなくなっていた。
現に、2050年にテレビやスマホ、パソコンでニュースを見ていた人間は、4月7日に報道された"100万人以上が死亡か"と言う見出しに、思わず犠牲者数のカウントミスを疑っただろう。
「──先生?先生!」
「えっ!?な──何よ、沙梨じゃない.....」
と、パソコンの画面を点けたままボンヤリとしている穂波を見て、報告に来た沙梨が声を掛けてくれたようだ。
思わずふと時計を見ると22時過ぎ、どうやら相当な時間手が止まっていたらしい。
「──先生の手が止まることってよくあるような気がしますけど、今回はなんか珍しいですね。普段なら頭を抱えて椅子に仰け反っていたりとかしますけど──」
「──仕方ないでしょ──プロの小説家でもなければ、中の人と同じく、思考の迷路に落ちて手が止まることもあるのよ。」
──耳が痛いが、実際1日平均3000文字、最大でも1万6千文字程度が限界である中の人も、思考の迷路に落ちて書き方に迷ったり、ネタ切れの末に手が止まったりなどよくある。そういう時は罰則を設けて無理矢理でも手を動かすので、その無理矢理というマイナス要素によってこのようなクソ作品を恥ずかしげもなく書いているのだろう。
穂波も沙梨に声をかけられ、再び手を動かし始めた。
「にしても、韓国人のストライカーなんて、珍しい人も居るものですね。」
「あら、それは韓国の人々に失礼じゃないかしら。別にあの人達も根っから日本人虐殺を唱えている訳では無いんだし、当時だって日本から派遣されたストライカーと共に、数少ない現地のストライカーたちも戦ってくれたのよ。」
「まあ、確かにそうですね。」
沙梨は苦笑いするが、その後すぐに笑みが消える。
「──しかし、韓国と言えば忘れもしませんね。もうあの事件から3ヶ月近く経つんですよ.....」
──穂波はそれを聞くと再び手を止めた。
「残党狩りの後の悲劇、ね。全く、今も韓国には残党が残っているって言うのに、それを聞く度に不安になっちゃうこの気持ちをどうにかしたいわね──どうにかしちゃいけないのかもしれないけれど──」
日本で怪物の大量発生が起きた2055年4月、そのすぐ後に、泉大津では全メンバーが二度と忘れられないような事件が発生し、3人の犠牲よりも圧倒的な心の傷を受けた。
主力グループの面々のみならず、当時はまだ主力だった結愛や、泉大津の管理側である穂波たち、そして近隣のストライカーグループにも、この重大事件は二度と忘れられないものとなった。
「──次の22日になったら裏の墓に手を合わせてあげましょう。かつて私たちのリーダーであった彼女の墓にね。」
穂波がそう言って、カレンダーの7月22日のところに印を付けた。この日が、かつて泉大津のリーダーであったある人物の命日から3ヶ月後である。
穂波はそれだけ済ませると、再び報告書を書き進めようとする。
──そんな穂波を的確に邪魔するように、電話が鳴る。
「──タイミング最悪──沙梨、悪いけど代わりに出て、もし下らない要件なら私は居ないって言っといて。」
「そういう時に限って重要な要件だったりするんですよ.....?」
沙梨はそう言いつつも、上司に言われた通り、雑務のような容量で電話に出る。
「はい、こちら泉大津です。」
とは言え、一応はストライカーグループと"上"を繋ぐ専用の電話回線からの通話であることを察してはいた。
それでも、何だかんだで村本からどうでもいい報告が飛んできたりすることも多く、どうせ今回もそれか、前回リザーブ組を危険に晒した時の謝罪でもしているのだろうか。
「──え──なるほど──」
──だが、受け手となった沙梨の様子がおかしい。
沙梨が受話器を顎で咥えるようにしながら、妙な角度で穂波の方を見ていた為、穂波は一度手を止め、電話を代わるようにアイコンタクトで示す。
「──はい。お電話代わりまして穂波です。」
『あっ、穂波さん!妙な調査依頼が飛び込んできたので、どうしようか迷っていたんですけど──』
電話の声の主は村本だ。
「妙な調査依頼って、具体的にどんな感じなの?」
『えっと、貝塚駅周辺で"ゾンビが湧いている"って言うことらしいです。今のところ30人前後ですが、昨日は4人くらいしか居なかったようで、少しずつ人数が増えているようなんですよね。話しかけても自我が無く、返答が帰ってこないらしいんですけど.....』
──ゾンビが発生した?
別にこの世界はバイ○ハザードだののゾンビ映画やゾンビアクションゲームの世界観では無い為、そもそもそんなモノが存在していること自体がおかしいのだが。
「──狂信者の可能性はあるの?」
『──はっきり言って現状では分かりません。30人くらいいるゾンビも、全く攻撃してくる様子も無いそうですし、煩いとかそういう訳でも無いそうなんですけど、ただただ昼夜問わず貝塚駅の周りを徘徊する不審者で、不気味らしいんですよね。』
「そう。ならリザーブ組を派遣してみるわ。一応狂信者だった時も考慮して、7月3日に出発、同日帰ってくる主力グループのメンバーの一部を援軍として手配するわ。それでいい?」
『は、はい。泉大津に受け持って貰えれば大助かりです。』
──という訳で、謎のゾンビ達の調査をリザーブ組が任されることになるのだが、当然そんなものだけで終わらない。
ここまでは前座、この後に起きる事件たちが、颯太たちがまだ知らないような真実を教えてくれる。
──そして、真の物語が幕を開けるのだ。




