第1章 No.05 何が為
──2055年、第303回国会。
第302回国会は2055年の常会、いわゆる通常議会として、1月19日から150日間の日程で開会する予定だったが、とある理由で3月に衆参議院のダブル解散総選挙が行われ、政権交代が行われた後、2055年2回目の常会として開かれることになったのが、第303回国会である。
3月1日、この日、参議院にてある重大法案の審議が行われていた。
「採決の結果、賛成181票、反対67票となりました。このため本案は衆参両院で可決、成立することとなりました。」
──連立与党第一党の総裁として、そして第108代内閣総理大臣として、周囲と比べればやや若めの整った顔立ちの男が頭を下げた。
彼の名前は市川秀作、2017年8月16日生まれの現在37歳である。31歳にしてこの"民共党"を立ち上げ、言葉巧みな話術で2年前に野党第一党に成長。先の2055年3月のダブル解散総選挙にて衆参両院で連立政権で議席数の7割以上を獲得、さらに民共党単独での過半数議席を獲得した。
そんな民共党が最前線にプッシュしていたのがこの法案、"恒久の安寧秩序のための関連法案"、正式名称に平仮名が入っているのも2055年では常識。そしてこの法律は国民の間で"平和化政策"と呼ばれている。
衆議院でも7割以上の賛成で法案を参議院に送り、参議院でも可決となり無事成立、その後は天皇陛下に奏上し公布となるのだが、まあその模様は中の人の知識不足で全カットとする。
「この法案の狙いは、憲法に従う武力放棄、そして国際戦争における一切の不介入による日本国民への安寧を約束するものであります。当然ながら国際戦争だけでなく、罪の厳罰化を主軸とした過去の悪しき習慣を撤廃し、そもそも罪など起こせないような社会を構築する為に、武器となりうるものの没収や給与、学校教育の一律の平等化を測ることでのそもそもの"不均衡による紛争"を減らすことも目的であります。」
──何だかんだと説明くさい文章をペラペラと並べ立て、市川自らが民共党の動画サイトの公式チャンネルにてその意義を説明する動画を撮り終えた。
「お疲れ様でした総理。」
「悪いね村川。わざわざ公式チャンネルの動画枠を開けてもらって。」
市川が話し掛けたのは、同じく民共党に所属し、幹部クラスである女、村川穂菜だ。市川の政策秘書のような役割を果たしている。
「いえ、我々の代表たる総理自ら政策を説明される重要な機会になりました。我が党の支持もより磐石になるでしょう。次回の国勢調査が楽しみなものです。」
──市川はその言葉に笑いもせず淡々と相槌を返した。
元より彼はあまり支持率なるものを気にしていない。選挙等で示される民意ならまだしも、ただの民間企業如きが出した数字など意味が無い、そんな考えが根底にあった。
──まあ、現にそもそも"この程度で"支持率が上がるほど国政は甘くないのだろうが。
「しかし、総理がもとより理念に掲げていた程の法案ですし、総理も国民の安寧を心より願われているのですね。」
──市川は返答に一瞬迷った。
「──はっきり言うが、そもそもこの世界で安寧を捨て去りたいなどと思っている人間は本当に極僅かだ。それこそ、大国に勝ち目もない喧嘩を売って天皇制に戻そうなどという、理論も根拠も何も無い馬鹿騒ぎな連中を除いてね。」
──2020年台の日本でそんな連中がいるかどうかは果たして中の人の勉強不足で分からない。あくまで中の人の想像であることをご理解頂きたい。
「──ただ、考え方が"抑止論"か"戦力放棄"かの二択だった訳だ。私は長らく後者の考え方だが、戦後日本は長らく前者の考え方をしていた政治家が多かった。なんともまあ滑稽な話ではあるが。」
「それで総理は、国民からも武器を押収すると?」
「その通り。核抑止論だの何だのと言っていた旧時代の人間を処分する。全ての人間から争いの種を抜き取る。これが私の考える平和だ。人間は争いの種から発せられる毒に掛かりやすいからね。だからこそ早めにその種を取り除くのが、我々民共党の仕事だ。これから忙しくなるよ。」
「──はい。」
そこまでは普通の民共党の会話だった。
だが、市川はこの場に村川しか居ないことを確認すると、本音を少しずつ零し始めた。
「──とは言え、今や戦争というものも旧時代のものになりつつあるからこそ達成できるのだがね。」
──戦争が旧時代のものになった。
市川がそう言うのには理由がある。村川がそれを指摘した。
「──"アイソレータ革命"ですか。」
「そうだ。使い方を間違えれば、国を内部から食い荒らし壊滅させ、世界を蝕む蠱毒と化す。2039年のギリシャを筆頭に今や世界6ヶ国で起こっている。特に韓国の例は気の毒だ。」
──何せ、彼の国の国民900万人が惨殺されたのだからね。
「──あのニュースのインパクトは私も存じております。忘れるはずも無い。"韓国首脳部による国民粛清計画"、アイソレータに狂ってしまった国の末路なのかも知れませんが──」
──これは2052年に、日本の海を挟んで向かい側、大韓民国で起こったとてつもない事件の話である。
2052年の大統領選挙に当選した人間がアイソレータ、いわゆる固執主義と呼ばれる、自分の主義主張以外を聞き入れない、そんな宗教の熱狂的な信者であり、その挙句に韓国でアイソレータ革命を引き起こした。
彼は何世代も前からの有名な反日活動家の家系の人間であったことから、後に"日没法案"と呼ばれる日本人の虐殺政策を取った。無論この政策は大統領選挙の際には示されていなかったが、そもそもの根底にあった国民の反日感情もあり、次第に活動家たちが一斉放棄し日本人や親日的な韓国人の殺害を敢行するようになった。その殺害に韓国軍や警察が関与したという噂は日本でも絶えない。
──理由は、狂信者と呼ばれる過激派の発現。
自分の思想を無視しただひたすらに狂信する輩たちの発生により、泥沼化したこの一件により、韓国での日本人の犠牲者は6万人を数えた。しかもあろうことかそれを韓国政府は隠蔽したため、後々にその数値が出るまでの間日本国がそれを知ることはなく、自衛隊を派遣することも出来なかった。
──だが、ツケはすぐに回ってきた。
日本人ヘイトに回り続けたせいで、日本からの輸入品などを廃棄し続けたツケ、さらに国際社会的にも"マズいことをした"影響で、段々韓国が国際社会からの信頼を失い、台湾などからの輸入品なども高い関税をかけられ、アメリカに至っては禁輸政策をとるほどであった。中国はとある複数の理由により使い物にすらならなかった。
挙げ句韓国は国家創立以来の深刻な大不況に陥った。
2053年6月、釜山の98%が機能を停止した。残った2%はそんな中でも日本ヘイトを続ける過激派の活動家の事務所のみで、実質的に韓国経済の基盤は全滅したと言えよう。
そして2053年7月に起こった悲劇。
──韓国人約900万人の虐殺。
「──アイソレータへの冒涜に他ならない。大統領になったことで権力に狂った人間の末路が、自分について行かない者に価値は無いと踏み切ったアイソレータの悪用。経済を回さなくなった国民たちを、自ら洗脳した"殺戮兵器"で虐殺した。」
「──恐ろしい話です。過去に他の5ヶ国でも起こっていたことですが、我々日本人にとっては最も記憶に残った虐殺事件ですからね──アイソレータの信徒は、なぜ権力を持つと溺れる傾向にあるのでしょうか──」
──実に、ここ15年少しで起こった6件のアイソレータ革命は、全てアイソレータの信徒が国の代表となったことで起こっている。それだけアイソレータは危険な思想であるのだ。
そして、アイソレータ革命の最大の問題点がある。
「──この革命には、多数の犠牲が生まれる──」
「フランスの5900万人、全人口の7割の犠牲が圧倒的インパクトだが、ギリシャの1200万人、アメリカの1億6000万人、ドイツの1860万人、中国の2億人、そして韓国は日本人や親日家、虐殺を合わせて1450万人──アイソレータ革命が起こった6ヶ国だけで4億6500万人弱が犠牲となった、日本でも語り継がれている、アイソレータが危険思想たる所以だろう。」
「──二つの世界大戦ですら9000万人、しかもアイソレータ革命の犠牲者は軍人や信徒では無く、9割以上が民間人とまで言われていますし、異常性がよく分かるものです.....」
ちなみにこの中でも特筆されたように、アイソレータ革命が最も深刻なダメージを与えたのは、2049年に起きたフランスでのアイソレータ革命である。
詳細は後日またしっかり説明するが、前知識として、環境問題を重く見たアイソレータ信徒が馬鹿みたいな政策をとって、結果的に自国民を虐殺した、と覚えてくれていればいい。
──ちなみに、フランスは5900万人としたが、この数字は"あくまで国連軍が現地で確認した人数"である。
「──この話をすると言うことは、総理はアイソレータ革命を未然に防ぐこともまた、この法案の中に含んでいると言うことでしょうか?」
「──ははは──」
──意味深に笑った市川は、肯定するどころか、とんでもないことを言い始めた。
「──まさか、出来るはずがないだろう。」
「──はい──?」
──出来るはずがない。そう言った。
元からこの危険思想への対抗手段を持っていなかった。
「そもそも我々のような民主主義国家には、国民にあらゆる自由が"制限はあるとはいえ"基本認められている。その中には当然のように信仰の自由だって認められている。日本は代々仏教国家だったというのに、その基盤も崩れ始めているでは無いか。」
──現に、多様化を元に代々の文化を破壊するのが3、40年前の日本の流行り病でもあった。
別に、中の人も昔の風習が何から何までいいものだとは思わない。だが、多様性という言葉を免罪符に古き良きものを破壊するのは、ただの文化的侵略であり破壊活動である。
2024年には差別主義的な文化破壊活動家の一部が、共○党やオ○ム真○教などと同じく破壊活動防止法により公安の監視対象に置かれているが、30年以上経つ今も隙あらば革命を狙っているというのは定説である。
「危険思想に陥るかどうかは信徒の行動次第だ。私は今のところ処罰等を考えていくつもりは無い。どうなるかは成り行き次第だ。全ては"真の平和"のために。」
「──総理の求める"真の平和"を達成できると判断した場合、アイソレータをも利用すると?」
「面白い考えだ。だが、アイデアが少し足りない。」
──そして市川は、さらにとんでもないことを言う。
「──村川、君はどう思うだろうか。」
──私がアイソレータの信徒だったとしたら──
「──総理、まさか.....」
「そうとも。私もまた、アイソレータ教の信者、信徒で、先の6人のように権力を持った"悪い信徒"なのだよ。」
──予想だにしていなかった人物からの予想だにしていなかったカミングアウトに、村川は唖然とする。
「──そ、それは──日本国における108年、303回もの国会の中でも受け継がれていた、政教分離に反するのでは──?」
「──過去に創明会議だの最高の科学だの、そもそも政教分離を認識しているか怪しい奴らだっていた訳だ。それに何かの宗教団体の回し者では無く、あくまで"私個人の信仰"だ。政教分離の原則には反しないだろう。」
「──しかし──」
──ここまで前置きしておいて絶望を突きつけてくるのだ。
アイソレータ信者が権力を持てば、アイソレータ革命が発生し、前の6ヶ国のように多数の犠牲者が出てしまう。それをわざわざ前置きしておいてからのカミングアウトだ。
「安心しろ。私に限って言えば同じ国民を虐殺したりはしないさ。彼らが私たちを選んでくれたのだからね。」
「──120年前、民主主義を悪用した彼の第三帝国のように、あなたは日本国民を騙すということですか.....?」
「何を言う。そんなつもりは毛頭ないさ。」
──市川はそう言いつつ、近くの窓にあったカーテンを開き、街を見下ろす。
流石に渋谷の超高層ビルの25階にあるだけに眺めは良い。無論この日が晴れならば、の話ではあるが。
「──今もまだ、"傲慢の野党"たちは60余の議席を持っているが、そんなものは要らない。戦後110年、彼らのやり方が間違っていたからこそ、戦争は繰り返されてきたのだ。」
「──だからなんだと言うのです──?」
市川はニヤリと笑った。
それが市川が、彼が率いる民共党が、"平和を後ろ盾にしてこっそり隠してきた真の目的"でもあった。
──少しくらい"溜まった膿を潰してもいいだろう?"
ー‐ー‐ー
──後に準備期間と呼ばれた2055年3月、連合与党となった民共党系列の人間があらゆる悪事を働くことになる。
ある時は対立する家系の末裔の家に火をつけたり、またある時は予めスパイで送り込んでいた警察官をトップに据えたことで警察庁を掌握し、対立与党である"自由党"のリーダーをでっち上げの罪状で起訴したり、またある時には野党である"日本刷新会議"の党本部に爆破テロを起こしたりしたようだ。
あくまでこれらに民共党の人間が絡んでいたというのは噂の域を出ないが、事件前後の不明瞭な資金の動き、さらに事件現場の半径30キロに必ず市川が居たという噂もあり、中には"ほぼ確定"という事件もあったようで、民共党に対する主に野党からの風当たりが強くなっていた。
──そして、何より物議を醸したのが"武器の徴収"である。
これはその名の通り、殺人事件や傷害事件で使われることが危険視される武器、あるいはそれになりうる物を国民から全て徴収すると言うものであった。
これには一般的に携帯が既に禁止されている銃やボウガンをはじめ、直接的に武器となる弓や刀、包丁、スタンガン等は勿論のこと、野球で使用されるバットを含め、道具を使うスポーツのほぼ全てを実質的に禁じた他、ライターなどの火起こし、ガソリンや灯油などの一般販売、過度に重い錘などの一般販売も禁止された。
但し、スポーツ等は国から許可を得たプロ団体や、そのプロ団体が直接的に監視、取締役を行う養成施設などで、厳しい制限の基での使用は認められたり、ガソリンはまだ2割以上残っているガソリン車の為に、危険物取扱者の資格を持った人間がいるガソリンスタンド等での使用は可能とされた。なお灯油はこの時代にはほぼ不要とされていたので消えた。
その他、直接的に武器にならないものは、"国の監視のもとで許可を得た公共施設"での使用は認められたが、国民一人一人が個人所有することは禁じられた。
そして、料理を趣味とする者達に最も痛手なのは包丁の使用禁止であった。
無論、モノを切る為に殺傷能力が高めに設定された包丁、ナイフ等は、殺人事件でトップクラスに用いられる代物ではあった。その面だけを鑑みて規制したのだろう。
──ちなみに、火に関しては既にIHヒーターが一家に一台以上はあるような時代なので、大した痛手にはならなかった。
──そして、この手の規制を提案する人間は大体そうなのだが、"それを生業としている人間たちの事は都合が悪いので無視する"のが定番である。
つまりは、包丁の全没収は、各地にある刃物工房の実質的な踏み倒しであった。
──そして、悲劇はすぐに起こる。
「ただいま──」
学校帰りの少年は、木造の古びた工房、自宅へと帰宅して、いつもの様に家族に声をかける。
──だが、まるでもぬけの殻と言うように返事が無い。
(──出かけてる?参ったな──携帯電話も無いし──)
──取り敢えず工房の様子を確認してみる。
そもそも工房は少し前に生産を終えた為に使っていないはずなので、そこに人がいることはまずない。だとするならばリビングか自室に居るはずだ。
だが、リビングはおろか、色々部屋を見回しても誰もいる気配が無い。
(──やっぱり出かけてるのかな.....)
自室に学校の荷物を置いて、部屋着に着替える。
ここ最近は刃物の禁止に伴い無職となったことで、その補填も無いために両親がハローワークの常連となっている事を考えれば、別にこのタイミングで両親が居なくても納得出来る。
──ならば祖父はどうだろうか。
先程祖父の部屋を見たが誰もいなかった。それを考えれば祖父も外出している可能性はないことも無い。
──どんな理由で──?
「──おじいちゃん.....?」
──出かけていないなら、最後に見ていない部屋は、かつて職人である父や祖父が刃物を焼いていた工房のみ。
工房の扉の奥に祖父がいるのだろうか。
「──おじい──」
──だが、工房の先には──
「──うわあああぁぁぁっ!!!!」
──工房の釣具に紐をくくり、首を吊って変わり果てた父と、その足元に寝転び血を流した母親がいたのだった。
何がなんだか分からない。自分が学校に行っている間に何が起きたのだろうか。
「──ああ.....あああ──」
駆け寄ろうにも足に力が入らなかった。
手遅れであることを察したのだろうか。あるいは、それを確かめるのが怖かったのだろうか。
──そんなもの、彼にだって分からない。
「──克明、様子見に来たぞー」
そんな声を上げて工房に続く正面の入口を開けたのは、隣に住んでいた職人仲間の金谷のおじさんだ。
──だが、そんな金谷が隣の工房を覗いて一発目に目にしたのは、膝から崩れ落ちて座り込む跡取りの少年と、既に首を吊って変わり果てた姿となった"克明"、そしてその足元で血を流して倒れている、克明の嫁の姿だった。
「──克明──貴様.....!!」
克明の死体を強引に紐から降ろし、彼の死を確認する。
恐らくそんな金谷の叫びを聞きつけたのか、近所にいた職人仲間も正面玄関から入ってきた。
「──本当にいきなり死によったな.....」
見覚えがある程度の職人たちも含め、近所の元職人たちが総出で集まってきた。
克明はもう死んでいることは確認されたが、その死体の足元で血を流して倒れていた妻の蓮は一命を取り留めていたようで、先程どこかに運ばれていた。
その最中も、両親の心中の現場を目の当たりにしてしまった少年は、立ち上がることも動くことも出来なかった。
「──もうこれで何人目や.....?」
「さあなぁ.....分家の宮原もついこないだ父親が失踪したばっか、町田と小森も一家心中して──もう数え切れへんな.....」
──何より異常なのは、元職人たちがこの惨状に"慣れてしまっている"ことである。
目の前で起きていることは、少年一人を再起不能にまで追い込めるほどの衝撃的な光景であるはずだ。だが、誰一人叫ぶでもなく、一応最初は驚く者もいたが、後は失望するような雰囲気を漂わせていた。
第二発見者であり、かつ身内以外では第一発見者である金谷も、第一声に叫ぶでもなく、まるで首を吊った克明を怒鳴るような言い方であった。
──まあ、人の親なら、子供一人残して心中を図るような親を叱責したくなる気持ちは分からなくもないのかもしれないが、こればかりは叱責と驚嘆の順番がおかしい。
「──しかし、颯太くん一人置いて自殺とは全く──何を考えてるんじゃ、この高縄の馬鹿当主め──」
「金谷さん──死人に鞭打つのはどうかと──」
「──まあ、そうやな.....できるなら叩き起して説教を食らわしてやりたいところやが、そうもいかんからなぁ──」
金谷の無念が職人仲間全員に伝わる。
──そう、この日に颯太の父は死んだのだ。
刃物の個人所有、個人の使用が禁止され、刃物工房は国が選定した関東の腕利きを除き実質的な業務停止命令を喰らい、堺包丁の職人たちは漏れなく失職、倒産となったのだ。
この動きは別に高縄家に限った話では無い。父親の生前、颯太も風の噂で何処どこの誰々が死んだ、とはよく聞いていた。
「──なんの騒ぎですか.....!?」
と、その後ろから若い女性の声が聞こえてくる。
だが、その声の緊迫度合いが、騒ぎを聞き付けた野次馬では無いことを物語っている。
「──君は確か、宮原のところの──」
「──!?颯太くん──そんな.....!!」
ギャラリーのようになっていた大男たちをかき分けるように進み、脇に一人で膝から崩れ落ち、座り込んでいた少年のもとへと駆け寄る。
少年は何も言葉を発さなかったが、どうやらその女性のことは知っているようで、甘えるように懐に潜り込んだ。
「金谷のおじさん、何があったの──」
「──高縄の26代が自殺した、母親も何か刃物で切りつけられている。心中と見ていいだろう。後は25代の行方は──今のところ分からないままだが──」
「──そんな──」
──宮原家、高縄家の非正規の分家であり、14代の弟が技術を盗み出して半ば駆け落ちし、少し離れたところに作った刃物工房で、高縄家とは犬猿の仲であった。
ただ、人格に問題があった高縄家24代のせいで虐待を受けていたこと、さらに運命なのか偶然なのか、おつかいの最中に颯太が宮原家の息子と出会ってしまった為に、今は親友ながら近づけない存在という奇妙な関係に落ち着いている。
一応宮原家の偏見は無く、金谷初め周囲の人間はこのことを知っている。
「──しばらく颯太くんの身柄を頼めるか?恐らくだが25代もここには居ないのだろう。あの爺さんは基本ずっと家に居るから、息子(克明)達が自殺しようもんなら気付いているし、最悪この心中に巻き込まれていただろう。」
「──は、はい。金谷のおじさんは.....?」
「爺さんを探す。外出嫌いなあの爺さんのことだ、数日後にはふらっと帰ってくるかもしれないからな.....」
──どうやら本心では思っていなさそうだが、取り敢えず宮原家の娘を安心させる為に方便を使った可能性があった。
「──分かりました。お爺さんが見つかるまで、颯太くんは宮原で預かろうと思います。」
「──いや、お母さんが回復してからだな。お母さんの方も心中に巻き込まれそうになってたが、一命は取り留めた。ただ、心中まで追い込まれてたんだ、万一颯太くんへ危害が及ぶことも考えて慎重に検討する。」
──心中を受け入れたのか、あるいは夫にいきなり切り付けられたのかは分からないが、母親の精神面も問題だ。
最悪前者の場合、巻き込まれていない祖父や颯太を巻き込んだ二次被害が起こる可能性も考慮しなければならない。
「──何れにせよ、宮原も両親があんなんになっちまって大変なところ、食い扶持を増やしちまって申し訳ないな。子供二人しか居ないんだ、俺達もできる限りは協力するから、なんかあったら呼んでくれ。頑張るんだぞ、瑞穂。」
「ありがとうございます。それではしばらく、よろしくお願いします。」
瑞穂と呼ばれた女性は、お礼だけしてから颯太を連れていこうとするが、されるがままに脱力し茫然自失となった颯太を見て、そのまま肩に担ぐように持ち上げてその場を後にした。
その最中も、颯太の目線が能動的に動くことは無かった。
──だが、そんな生活はすぐに終わりを迎えた。
「──颯太くん.....!?」
瑞穂が颯太に貸していた自室、あるいは弟の部屋や工房などを慌ただしく探し回っているが、颯太は居ない。
──というのも、この日、颯太は一枚の書き置きを残し、なんの前触れも無く宮原家を去ってしまったのだ。
「──私がちょっと目を離した隙に.....!!」
──5月22日、時間は午前3時過ぎだった。
忽然と姿を消した颯太の書置きには、こんな文字が刻まれていたのだった。
ー‐ー‐ー
親友のトモ、そして瑞穂姉ちゃん。
二人に助けて貰ってばかりで申し訳なかったです。
もう二人が苦しい生活だと知っています。
そんなトモを見てると苦しくなります。
もう俺に飯をあげる必要なんてない。
俺は二人の為にもここを去ります。
そして必ず、"この日本"に別れを告げます。
それまでどうか、俺を探さないで下さい。
俺はもう"あの頃のような"弱い人間じゃないです。
一人で大丈夫だから。
トモ、出会ってくれてありがとう。
あの日、助けてくれてありがとう。
姉ちゃんも父さんを説得してくれてありがとう。
二人のお陰で今日まで生きてこられました。
この借りはいつか、必ず。
ー‐ー‐ー
(──まさか、自殺なんてしないわよね.....!?)
この書き置きを見た時、真っ先に瑞穂の脳裏に、自殺の可能性が浮かんだ。
無論、見方によっては遺言か遺書にも見える。無論、そうでは無いと否定する根拠も無ければ、その逆も然りだが。
(──お願い颯太くん.....あなたまで失ってしまったら、あの子も私もどうなってしまうか.....!)
──嘆願する瑞穂の願いは、今のところ叶っていない。
颯太はその後1ヶ月以上もの間行方知れずである。
また、颯太の祖父名義の銀行口座から、颯太の口座に300万円近い振込があったこと、祖父の部屋に失踪を伺わせる書置きが発見されたのを踏まえ、24代の失踪がほぼ確定した。
また、母親は5日後に目を覚ましたが、颯太の名前を聞かせると狂ったように笑ったり、2時間に1回のペースで狂言や奇行に走る程に正気を失った為、結果的に颯太への面会も無期限で取り止められた直後だった。
そして今回の颯太の突然の失踪。無論、母親の狂乱を知っていたり、父親に目の前で自殺され、祖父も失踪するなど、家庭崩壊と言っても差し支えなかった現状、颯太には宮原家で家族となるか、それが嫌なら夜逃げし新たな人生を考えるくらいしか選択肢が無かった。
政府を憎んだだろう。少し前まで、健全とは言えなくても、それなりに楽しい日々を家族と送っていた筈なのに、収入の無くなった家族を無理心中や失踪で失い、最早颯太に残されているものは宮原の二人くらいだった。
だが、向こうも同じく稼ぎが無いことがほぼ確定している現状、ずっと瑞穂に甘えてばかりというのは申し訳無かった。
「──だから俺は、この日本を変えたい。貴方の指導が欲しい。全てを変える為の力が欲しい。」
──宮原家を出た颯太が、一人の人間と対峙する。
颯太よりも余程背が小さく、少し丸っこい体つき。それでもなお堂々とした立ち姿と、手に持っている長傘が、その人間にオーラのような風格を漂わせている。
「──ようやく来たか。不快だった湿気た面も、引き締まったらいい顔をするものじゃナ。貴様はワシの訓練に全てを注ぎ込む覚悟はあるのか?」
「元よりそのつもりが無ければここに来てない。」
「──それもそうだナ。」
──颯太の訓練が始まった。
きっと颯太を突き動かす理由が、この国を良くするとか、そんな綺麗事で無かったとしても、ここまで颯太を突き動かす気持ちは、きっと本物なのだろう。
──この訓練の後、後に彼は異名で呼ばれることになる。
ー‐ー‐ー
「──マイカはさ、何のために戦うの?」
「──え?」
二人で大した情報量のないテレビを見ていた最中、ふと気になったかのように、颯太がマイカに問い掛けた。
「分かんない。でも、確かに人間を傷つける怪物を許せない。ただそれだけかも。」
「──そうか──」
颯太はそれだけ返して会話を終えた。
先日も落ち込んでいた颯太の顔を横目に見たマイカだが、何を言う訳でも無く小さくため息をついて、再び目線をテレビに向けるのだった。
けたたましいサイレンが鳴り響き、異常事態を知らせる。
颯太たちは再び武器を取り、この世に蔓延る怪物たちを狩るために戦う。それがストライカーとしての責務であり日常。
──何が為、颯太たちは戦うのだろうか。
その理由は未だ、怪物の存在と同様、謎のままだ。




