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第1章 No.24 またこの屋根の下

 「おはよう.....」


 古い建物。もう何年も住んでいる見慣れた家だ。

 かつて朝から金属を叩くカン、カンという音がうるさくて、毎朝6時には目を覚ましていた時期が懐かしい。

 それが何年も続いたせいで、どこであろうと6時にはカン、カンと空耳が聞こえてきて目が覚める。最早病気だ、と半ば諦め、最近ではいい目覚ましだと思って生活している。


 「.....」


 たまに夢に見る。

 カン、カンと、小気味のいい音を聞いて目が覚め、自室を出ると、まるで打ち合わせでもしたかのように、ほとんど誤差なく弟と廊下でバッティングする。もう毎日のことで、逆にバッティングしない方が心配になったりもしていた。


 (──帰ってくる訳無いのにね.....)


 向かい側の扉を開け、中に誰もいないことを確認する。

 ここ最近は、そんな毎日が続いている。


 (──あんなことが現実に起きるのね.....)


 ──できるならば悪夢であって欲しかった。

 何かに狂い始めた弟の攻撃をかわした直後だった。

 家に異形の気味の悪い、それでいてやけに凶暴な人間──人ならざる何かが現れ、家を滅茶苦茶にして、自分に牙を剥く。

 その瞬間、後ろにいた弟──人ならざる何かが、自分を庇うように前に出てきて、死闘を繰り広げる。

 やっとの思いでかつて弟だった何かが勝利し、それを喜ぶように弟に後ろから抱きついた時だった。


 (──智樹──)


 忘れられない。

 かつて家族だったはずの誰かは、その存在すら忘れ、怯え、怒り、攻撃を仕掛けてくるのだ。

 ナイフによる切りつけだろうか。どんな攻撃を受けたかもイマイチ覚えていないが、気づけば腹が熱くなり、ゆっくりと体から力が抜けていき、やがて地面に横倒しに倒れる。

 人ならざるものは、それに怯えたかのように家を飛び出す。


 (──帰ってきてよ、戻ってきてよ.....)


 ──心の奥底では分かっている。きっと、明るくて、無邪気で、優しい、かつての智樹はもう戻ってこないのだと。

 だが、どこかでひょっこり帰ってくるのではないか、そんな甘い考えをどうしても拭いきることができない。



 ──ガタッと、玄関の窓ガラスが揺れる音が聞こえる度、急いで走っていっては、そこに誰もいないこと、智樹が帰ってこないことを思い知らされるのだ。

 そんな空虚な日々が何日も続いた時だった。


 (──あれ、誰かしら──)


 いつもと違って人の気配がする。

 まさかとは思ったが、心臓の五月蝿さが鳴り止むことを知らない為、心に従うように軽い足取りで玄関へと向かった。


ー‐ー‐ー


 ──7月14日、15時半を少し過ぎた。

 なるべく華美でない私服を選び、一般人に紛れ、泉大津から南海電車の空港急行に揺られること6分、電車はつい先程、羽衣駅を発車したところである。


 「──っ.....!」


 急に隣にいた結愛から手を握られ、颯太は周りも軽くドン引くほどにびくっと全身を震わせる。


 「なっ、何.....?滅茶苦茶ビックリしたんだけど.....」


 「そんな驚くことか.....?」


 別に驚かせるつもりは無かったと前置きしつつ、結愛がその理由を話す。


 「さっきから思ってたけど手がすっごい震えてるで。今触ったら分かるくらい冷たいし、とんでもなく緊張してんの丸わかりやで。」


 「──仕方ねぇだろ.....」


 突然決まった内容だったが、どの道颯太が直々に希望し、成り行きでこうなったのだから仕方が無い。

 とは言え正直、家出した家に、その家族に会いに行くとなると、緊張というよりも不安の方がとても大きい。


 「まあなるべくリラックスしぃや。ピンチヒッターの尚樹くんもおるし、いざってなったら私もおるんや。自分ばっかりで抱え込むこともないと思うで。」


 その尚樹は今、隣で報告書のようなものを作っている。

 2050年代にもなるとパソコンも便利で、泉大津では体に備え付けて使える持ち運び可能なタッチパネル式のものを基本的に使っている。颯太からすれば見慣れないものばかりだ。


 「──もうちょっとで着くんだ。もうちょっとで会えるんだな、瑞穂姉ちゃんに.....」


 「──そうやな──」


 ただただ事実を再確認しているだけなのに、颯太の表情は一点の晴れ間のない曇り空のような暗い顔だった。



 ──泉大津から10分、堺駅に到着する。ちなみに間違いがちだが、堺市駅は南海ではなくJRの阪和線であり、その一方で和歌山市駅はJR阪和線ではなく南海である。紛らわしい。

 ここから少し内陸方面に歩いていくと、大道筋の中央に路面電車、阪堺電気軌道が通っている。近くには大小路という駅もあるが、最近は20分に1本しか電車が来ない。


 「俺の家、高縄家はこっから一駅向こう(大阪市方面)の花田口の駅の近くにある。んで、智樹たちのいた宮原家はこの大小路の駅から歩いてちょっと行ったところにある。」


 正確には高縄家は花田口から北東方向へ徒歩5分、妙国寺前駅ともさほど離れていないが、大道筋沿いでは無く、一本山側の小さな道沿いにある。この通りをそのまま南西へ抜けると、徒歩10分もせずに宮原家がある。


 「──しかし──話には聞いてたけど、やっぱり廃れたものだね.....かつてここが刃物産業で賑わっていたなんて、まるで遠い世界の話のように感じてしまうよ.....」


 尚樹の言う通り、2054年まで、堺包丁は大道筋やその周辺に多数存在し、賑わいを見せていた。

 だが、例の政策の弊害により国によって強制的に失業させられた職人たちは、再就職もままならず、自殺者だけで全体の8割を占めるというとてつもない被害を被った。

 結果、かつて工房だったであろう建物は、最近まで誰かが使っていた形跡はあれど、人影すら見えぬ、ゴーストタウンのような状態になってしまっていた。


 「──そんでここが宮原家だ。父さんたちからすれば、憎き夜逃げの盗人の分際だけど、俺にとっちゃ良い思い出しかない。まあ、あんまり自発的にここに来た思い出はないけど、それでも昔はちょっとだけ住んでたし、忘れてなかったな.....」


 何だかんだ颯太が心配していたのは、大小路の駅からここまでの経路を覚えているかどうかだったが、流石に本能が覚えていたようで、迷うことも無くすぐに着いた。


 「──今どきインターホンも無いんやな.....」


 「まあ客商売だし、昼間は常に前に人がいて、夜はシャッターを閉めてたりしたし、普通っちゃ普通だけどな。」


 流石に工房の息子、そういう裏事情には詳しい。


 「──姉ちゃんいるかな.....」



 既に建付けが若干悪くなっている扉をノックすると、奥の方から誰かの足音がした。


 (──居たんだ.....本当は留守にしてくれてた方が気が楽だったけど、仕方ない。俺がやるって決めたんだ.....!)


 深呼吸し、拳を握り、颯太は覚悟を決める。

 それと同時に、工房と居間を仕切る暖簾を潜り、誰かが出てきた。



 「──どちら様ですか──ぁ──」


 ──時が止まった。

 二人の目が合い、そのまま表情が固まる。だが、覚悟を決め、颯太から話しかけてみる。


 「──ただ今、瑞穂姉ちゃん。俺だよ──分かるかな.....?」


 ──後ろにいた尚樹と結愛にも緊張が走る。

 いきなり暴れ出すことはまあ無いだろうが、万が一を考慮し、何が起きても良いように臨戦態勢を整えておく。


 「──颯太くんなの.....?」


 「──うん。久しぶり。元気にしてたかな──」


 「──颯太くん.....!」


 瑞穂は一気に距離を詰め、腰を持って颯太を抱えあげる。その反動が意外とあったのか、そのまま後ろへと倒れ込むが、それでも構わず颯太を抱きしめる。

 ここだけ見ると感動の姉弟の再会だが、今回の訪問の理由を忘れてはならない。それを考えると、余計に心が重たくなってくるので、後ろの二人は雰囲気に似合わずに目を逸らす。


 「──急に出ていっちゃうし、ずっと連絡も取れなくて、心配してたんだよ!でも元気で良かった.....」


 「分かった、分かったから。起き上がって。髪の毛も背中も汚れちゃうから.....」


 それを合図に瑞穂は颯太を抱えあげると、まるで負荷など何も無いかのようにムクっと起き上がり、そのまま立ち上がる。

 先程あまりきっちりと見えていなかったが、身長も180センチに迫ろうかというような大柄、それでいてモデル体型というよりは、少しだけレスラーのようなガッチリとした体をしている。小脇に颯太を抱えられるあたり、彼女も相当なパワーを持っているのだろう。


 「──それにしてもどうしたの。お友達まで連れてきて。ずっと見てなかったから、お姉ちゃん何が何だか.....」


 瑞穂は後ろの見慣れない2人に困惑する。


 「──まあ、その辺も話したいし、色々話さないといけないことがあるんだ。お邪魔しちゃっていい?」


 「うん。ちょっと待ってね、お片付けするから。」


 そう言うと、瑞穂は軽い足取りで暖簾の奥へ戻っていった。



 「──なんと言うか、凄いお姉さんだね.....」


 瑞穂が去った直後、思わず尚樹は苦笑いした。

 そりゃ、玄関でいきなり弟を抱き上げて後ろに転び、それを気にも止めず愛情表現するなど、ブラコンにしても度が過ぎている。


 「──まあ、あれでもまだマシになった方ですよ。8年前はもっと酷かったんですから.....」

 「一体8年前に何があったのさ──」


 尚樹の困惑に、颯太もまた苦笑いを返す。


 「──でも、余計に話しづらくなってしもたな.....」


 結愛の言葉で、またしても現実に引き戻される。

 家庭崩壊した高縄家もさることながら、宮原家も両親が心中をはかって自殺。智樹も巻き込まれるところだったが、瑞穂が救助して事なきを得た。

 それだけに、瑞穂の小さな変化を颯太も見逃さなかった。


 「姉ちゃん、ちょっと痩せた気がするな.....」


 「その口ぶりだと、良い意味とは言えなさそうだね.....」


 「──多分、姉ちゃんも姉ちゃんでしんどいんだと思います。それに重なるように俺も智樹も出ていって──ホント、悪いことしちまったな.....」


 「.....」


 瑞穂も相当辛かったのだろう。

 両親が心中し、高縄家の家庭崩壊を目の当たりにしたと思えば、そこで不幸は終わらず、弟2人も消えて、しばらくの間一人で過ごしてきたのだ。

 それだけに、颯太が帰ってきたことでの歓喜が大きく、またこの後"上げて落とされる"ことで瑞穂がさらに傷付くことは、誰しもが容易に想像がついた。


 「怪力っ娘、もしもの時は任せたぞ。」


 「──分かってる.....」


 ──信頼していない訳では無いが、なんとも言えない不安感が襲ってきて、意味もない確認を何度もしてしまう。

 それだけ颯太の心の中も、とてつもない不安に支配されていた。


 「どうぞ。上がってください。」


 その時、5分も経たずに帰ってきた瑞穂が呼びに来たので、3人はぞろぞろと中へ入っていった。


ー‐ー‐ー


 「──何から話したらいいかな.....」


 小さなコタツのようなテーブルを囲み、4人で話をする。颯太は瑞穂の向かいに座り、間には左側に尚樹、右側に結愛を座らせた。万が一の時の対処と安全を考慮した結果である。


 「そりゃ、最初に聞きたいのは、颯太くんが今まで何をしてたかってところだよ。」


 「まあ、そりゃそうだよね──」


 ──話をする前に、目線を感じて左斜め前を見ると、結愛が"本当に大丈夫か"と目で訴えてきていた。

 だが、颯太が"大丈夫"とアイコンタクトで返すと、結愛はもう一度瑞穂の方を向いた。


 「──その前にさ、姉ちゃん──俺がやったことは犯罪だ。だから、別に庇う必要は無いし、追い出したくなったら、追い出してくれたって構わない。だけど、できれば最後まで聞いて欲しいんだ。お願いしてもいいかな.....?」


 「──うん。犯罪者だろうと、私の弟であることに変わりはないわ。正直に話して欲しい。」


 ──その正直に話すという行為が、颯太にとってはかなりのプレッシャーであった。

 とは言え、瑞穂に見捨てられたくは無かったが、それでも、もう隠し事をして苦しい思いをするのも懲り懲りだということもあり、颯太は包み隠さずに話し始めた。


 「──ニュースでやってた、堺市役所職員の殺人事件、聞いた事ある?」


 「あるよ。」


 「──あれ、さ──俺なんだよね。犯人──」


 ──颯太は何も言い訳せず、結論だけを話した。

 ここで見捨てられるならそれまで、悪人のフリをし、その他諸々を自分の責任にして去ろうと考えていたからだ。


 「──そっか、そりゃそうだよね、憎いよね.....」


 ──先程まで朗らかだった瑞穂も、流石に声が低くなる。


 「.....あの日、トモと姉ちゃんを置いて家を出て、ストライカーになって、それを上手く活用すればよかったものを、俺は復讐の為だけに、ただ人を殺すためだけに使った。やってはいけない禁忌を侵したんだ──」


 ──しばらく沈黙が続いた。

 その後に返ってきた瑞穂の返事は、意外なものだった。


 「──私にそれを許す、許さないなんて判断はできないよ。今目の前にいるのは颯太くんであることに変わりないし、それ以上でもそれ以下でも無いよ。」


 ──優しい笑顔だったが、次の瞬間、瑞穂から危ない匂いがした。



 ──だって、私だって──



 ──重い空気が流れる。

 その後に続く言葉は、ストライカーなら誰しもが一度は抱いた感情であり、だが、基本的に誰もが思いとどまっていた。

 それを思い止まれなかったのは、颯太の憎悪の強さであり、また心を壊された証拠でもあった。


 「──俺には償えない罪がたんまりある。だから、俺はストライカーになって、この世界に蔓延る怪物、狂信者たちを倒すこの人たちに協力することにしたんだ。」


 「なるほど、それでこの人たちが──」


 瑞穂は改めて横の2人を見る。


 「瑞穂さんにしてみれば、勝手なことかもしれません。ですが、ストライカーとして生きていくにあたり、私たちは颯太くんの身柄を引き受け、仲間として共に戦うことを決めました。ストライカー達も颯太くんに向ける目は良くないので、ある意味、庇護の意味もあるかもしれません。」


 結愛の言葉に、瑞穂はほっとしたように笑う。


 「まさか、颯太くんがもう殺されているんじゃないかとか、そんな嫌なことばっかり考えてたけど、保護して貰っていたなら安心だわ。手のかかる子だけど、よろしくね。」


 「ええ。この戦いが終わるまで、颯太くんをお借りする形となりますが、ご理解頂きますよう、お願いします。」


 尚樹が頭を下げると、少し慌てるように、頭を上げるようにいう。


 「──私は戦えるような力も無いし、またしばらく会えない日が続くのね.....でも、颯太くんが役立ってくれているならいいわ。今日はありがとうね、久々に顔を見せてくれて──」



 「待って姉ちゃん、まだ話は終わってないんだ.....」


 まるで話を終わらせようとしているような気がしたので、颯太は慌てて次の話をする。

 瑞穂は困惑するが、次の瞬間、颯太のカバンから取り出された二本の包丁を見て目の色を変えた。


 「──これって.....」


 「姉ちゃん.....ごめん、本当にごめん──だけど──」


 颯太の声が言葉にならない。その様子を見て、尚樹も結愛も颯太の方を見て、瑞穂から目を逸らしてしまった。

 その隙を見た訳では無いのだが、瑞穂が颯太のすぐ近くに迫るまで、瑞穂への警戒を解いてしまった。


 ──瑞穂は颯太のもとに駆け寄り、すぐ傍に座ると、俯き声も出せなくなった颯太を殴る訳でもなく、懐に抱き寄せた。



 ──そう──倒してくれたのね──智樹を──



 ──その返事は、誰しもが予想外だっただろう。

 確かに智樹の安否をまだ言っていないが、颯太の様子、そしてこの場に武器だった包丁2本だけが帰ってきた時点で、9割以上の確率で死んでいることを察せられる。

 それでもなお、颯太を責めるでも無く、ただ一人の優しい姉としての立場を全うしているのだろうか。


 「──姉ちゃん、トモ──トモは死んじゃったんだよ、もう二度と帰ってこないんだよ──ごめん、俺のせいだよ、戦って、倒すことが出来たはずなのに、最後の最後で──」


 ──そこまで言って、颯太はそれ以降の言葉が出てこなくなった。

 智樹の死を伝えることも勿論だが、やはりあれだけ平然としていたつもりでも、心の中ではまだ大きな傷が残り、溜め込んでいた苦しみが溢れだしてきたのだろう。

 その様子を見て瑞穂は颯太を抱き寄せて(なだ)めつつ、尚樹の方を見て、颯太の口から聞けない詳細を聞き出そうとした。


 「──教えてください。最後智樹は、どうなったのか──」


 「ええ。説明する義務がありますので。」


 そういいつつ、尚樹の口調もかなり重かった。


 「我々も狂信者の生体について、詳しいことはまだまだ分からないことが多いです。智樹さんが狂信者として何を思ったのか、あるいは何を考えたのかは分かりませんが、それをご理解頂けますか?」


 「──きょう──しんしゃ──えと、はい──」


 聞き慣れない言葉に困惑しつつも、一応はよく分からない存在であることは納得してくれたようだ。


 「僕は現地に立ち合った訳ではないのですが、報告によると、最後は颯太くんの目の前で自害したと聞きます。こんな例は、長らく狂信者の討伐を行ってきた我々でも初めてで、正直、どういう理由で彼が自害したのかは分かりません。」


 ──智樹の死は、実際グループAでも話題となった。

 何せ、狂信者が自害するなんて事態に、グループAでは誰一人遭遇したことは無いし、そもそも日本全国あらゆるストライカーグループやタイキプロ支部を調査しても、そんな報告は今まで一件たりとも寄せられていない。

 この件はタイキプロ関西支部から本部へと報告され、その特異性故に集中調査案件となり、颯太を初めとした当事者にもある程度聞き込みが行われることになった。


 「──颯太くんと戦うのを避けたってことかしら.....」


 「──いえ、そういう訳でも無く、どうやらしばらくは他の狂信者同様、颯太くんを初めとしたメンバーに攻撃を仕掛けていたとのことですが、体力が削られ、もうまもなく狂信者を倒せるというところで──ということになります.....」


 「最後の最後で、か──」


 無論、智樹は初期、あるいは前期の狂信者である。通常の手順で颯太たち、当時のリザーブ組によって攻撃を行い、仮にあんなことがなければそのまま討伐、救助できただろう。

 だからこそ、最後の最後で自害を選んだ理由が分からない。そもそも狂信者は、ある程度の物事を取捨選択できるような論理的思考を持ち合わせていないはずだと言うのに。


 「──私の意見は、根拠の無い無駄話くらいで聞いて欲しいんですけど──仮に颯太くんが傷付いているのを目撃していた場合、どこかに残っていた智樹の心が、自分がやってしまったことを理解して──なんて、憶測に過ぎないですけど.....」


 「いえ、貴重なご意見です。ありがとうございます。」


 「そんな──ただ、智樹は、何よりも颯太くんが傷付くのを嫌ってましたから、そんなところがあるのかもしれないな、なんて、そう思っただけです。」


 ──そういいつつ、瑞穂は颯太を膝に乗せると、服を捲り、腹部を二人に見せた。


 「──刺傷──」

 「──それって──」


 二人は同時に驚く。

 あまりにも見ていられないほどに痛そうな刺傷。割と深く刺さっていそうに見えるのに、それでもまだ瑞穂がピンピンしているのが不思議な程だ。


 「あれから──もう3週間も前になるのかしら、うちにも怪物が襲いに来てね、どうしようかって思ってたら、後ろから来た智樹が怪物を倒して──でも、その頃にはもう"智樹では無くて"、私を警戒してたんでしょうか──私の腹を刺したんです。ただ、追撃する様子は無く、そのまま家を出ていって、程なく救急車で運ばれたんですけど──」


 「──既にここでも被害が出ていたのか──」


 智樹の事案については、討伐される──というより、自害という形で決着がつくまで、一切認知されていなかった。

 もう少し早く手を打っていれば、救える命だったかもしれないという後悔がまた、尚樹の胸糞を悪くする。


 「──今回の智樹くんの犠牲は、我々の管理体制の甘さ、そして、狂信者として颯太くんと出会ってしまった、そんな不運と不祥事が重なった上の出来事です──もう少し我々がしっかりしていれば、こんなことにはならなかったと考えると──本当に、申し訳ございませんでした。」


 「そんな、頭を上げてください.....」


 ──何が悲しいかと言うと、そんな謝罪もまた不毛だと言うことである。

 何をしたとて結果は変わらない。智樹が仮に狂信者として一切の被害を出していなかったとすれば、タイキプロやストライカー達に感知されないのは仕方の無いことである。それに運命は変わらない。智樹はもう帰ってこない。


 「──それにしても、堺から岬町自然ひろばまで移動し、潜伏していたと、何から何まで腑に落ちひんもんですね.....」



 「えっと、岬町自然ひろばって言いました.....?」


 ──結愛が零した愚痴の中のある場所に引っかかった。


 「はい.....えっと、それがどうかしましたか.....?」


 「そこに智樹が居たってことですか?」


 「──ええ、まあ──」


 ──瑞穂は恐る恐る話し始めた。


 「──今後に役立ってくれればいいんですが、岬町自然ひろばは、智樹が好きで、こんなことになる前は家族でよく遊びに行ってたんです。もしかして、深層心理にあったその時の記憶で智樹がそこに向かったんだとしたら、狂信者──でしたっけ?その怪物にも、そんな習性があるのかも.....」


 「貴重なご意見、ありがとうございます。かなり役立つと思います。ご協力感謝します。」


 「いえ、役立てて貰えるなら嬉しいです。」


 ──もしもそれが本当だとすれば、タイキプロにとっても狂信者の生態解明に近づく大きな一歩だ。

 尚樹は何らかの謝礼を送ると言ったが、瑞穂が断った。


 「.....謝礼を頂く立場でワガママかもしれませんが、その代わりと言ってはなんですが、少し颯太くんと二人で話させて貰えませんか?危害を加えたりはしないと約束します。」


 「勿論。我々は席を外し、お先に失礼します。お話ありがとうございました。」


 「いえ。こちらもわざわざ来ていただいて、ご報告頂いて、ありがとうございました。」


 それを合図に、尚樹と結愛は席を外した。



 「──これで、終わりなんでしょうか──」


 外に出た二人、結愛のそんな言葉から会話が始まる。


 「──智樹くんの件かい?」


 「はい。」


 尚樹は少し悩んだものの、すぐに答えを返した。


 「──僕らにとっても、まだ智樹くんの遺骨や遺留品のこと、問題はいくつか残ってるけど、山場は超えたと言っても良いだろうね──ただ、颯太くんにとっては、そんな簡単に終わるような事じゃない。」


 「.....」


 「何せ、親友が目の前で自害したんだ。その傷は永遠に残り続けるし、場合によっては颯太くんにも大きなトラウマとして永遠に心に突き刺さるだろう。そうなれば最悪、ストライカーを引退するとか、そういう事態になるかもしれない。」


 「──そんな──」


 結愛は受け入れられないような反応をするが、颯太の意思も鋼では無い。人であれば、心が折れることだって必ずある。


 「──まあ、今後はある意味、二人きりの対談によって左右されると言っても過言では無いかもしれないね。」


 後ろを見ても、奥の方にいる颯太と瑞穂の姿は見えないし、耳をすませても会話の内容も一切聞こえない。

 ここで敢えて二人きりを許可したのは、尚樹なりの情けという部分も勿論あるが、颯太の今後の身の振り方を決める機会であるということでもある。


 「もしも仮に颯太くんがストライカー稼業を引退し、ここに留まるなんてことがあれば、僕らは颯太くんを置いて帰る。その覚悟を持っておくべきだよ。」


 「.....」


 結愛は黙って拳を握りしめた。

 無論、それは怒りでは無かったが、様々な感情が渦巻いて、結愛も内心ぐちゃぐちゃであった。


ー‐ー‐ー


 ──瑞穂の膝に頭を起き、寝転ぶ颯太。

 まるでここだけ見ればかつての仲良し姉弟なのに、二人の間に流れる空気はどことなく重い。


 「──二人だけになったから、本当に聞きたいことを聞いていいかな.....?」


 「──うん、隠し事はしないよ──」


 颯太の頭を撫でつつ、瑞穂は核心に迫っていく。


 「1ヶ月半前、突然家を出ていったのはどうしてなの?」


 「.....」


 ──聞かれるとは思っていたが、正直答え辛い。

 あの頃の自分が何を考えていたかなど、正直に言えば颯太の方が誰よりも聞きたいくらいだ。もしもあの時に間違えていなければ、もしかすると智樹が狂信者になることも無かったかもしれないし、死ぬことも無かったかもしれないというのに。


 「──なんの事か分からないかもしれないけど──正直さ、あの時"師匠"に言われたままストライカーになって、何がしたかったのかなんて、俺も分からないよ。だけど、しばらくして、怪物──狂信者に会った瞬間、ストライカーってのが何たるかを理解した。それをもっと早く理解して、ここに戻ってきていれば、また未来は違ったかもしれないな.....」


 「──」


 「でも、あの時ここを出ていったのは、別にここに居るのが嫌になったとか、智樹や、瑞穂姉ちゃんが嫌いになった訳では無いよ。」


 ──だが、次の言葉を聞いて、瑞穂は固まった。


 「後が無いって思った。それくらい俺は、国の人間を、俺たちから何もかもを奪った人間たちを殺したかった。ただそれだけかもしれない。」


 「──」


 可愛い弟から溢れ出す殺意が、瑞穂の背中を濡らしていく。


 「──ダメなことだって分かってる──分かってるのに──どうしてだろう、私には止められない。颯太くんの気持ちが分かってしまう。私が颯太くんなら、多分同じことをしてる。それだけに──私にはどうしようも無いんだよ。ごめんね.....」


 姉失格だ、と思った。

 どんな理由があれど、人殺しは間違いであり、咎められるべきで、瑞穂は今、颯太を叱らねばならない立場にいる。なのに、叱責の言葉など一言たりとも出てこない。

 正当化は出来ないが、颯太を責められない。そんなモヤモヤが、瑞穂の心を雁字搦めにしていたのだろう。


 「──姉ちゃん、泣いてるの.....?」


 「──っ──あはは、みっともないなぁ──」


 ──気付けば涙が流れていた。

 颯太が遠くへ行ったこと、智樹はもう二度と帰ってこないこと、そして颯太の罪を叱れない自分への失望。


 「──私、寂しいんだ──きっと、誰も失いたくなくて、これ以上誰にも傷付いて欲しくなくて、颯太くんに離れて欲しくなくて、そんな感情を優先するから、身勝手でも颯太くんのことを責められないし、許してしまうんだ──最低だね──」


 「.....」


 そんな瑞穂を見て、颯太が一言。


 「姉ちゃん、俺のとこについてきてくれないかな.....?」


 「──え──」


 ──その涙を見ていて、颯太も辛くなってきたのだ。


 「──俺だって、離れたところで智樹がそんなことになって、俺の前に現れて、死んでしまって──もしかしたら姉ちゃんもそんなんになるんじゃないかなって考えたら、どうしても怖いんだよ──だから、姉ちゃんについてきてほしい。」


 それはつまり、瑞穂を泉大津へと連れていくということ。

 颯太にとってすれば、失いたくない存在をいつでも近くで見ていられるということもあり、不安が減るということで、是が非でも瑞穂を連れていきたかった。


 「──その誘いには乗りたい、乗りたいけど──」


 だが、瑞穂には葛藤があった。

 心のどこかで、正直になれない自分が居て、そして心のどこかでは、自分の感情と矛盾する何かが生まれていた。


 「──ごめんね、颯太くん──さっきの颯太くんへの思いは本当なんだけど──颯太くんを悪く言いたくないんだけど──颯太くんの目を見てると辛くなってしまう。もう智樹が帰ってこないって、分かってるはずなのに──颯太くんと居たら、ひょっこり帰ってくるんじゃないかって希望が生まれては、現実を思い知らされて絶望するの。もう、そんなの、私には耐えられそうにない。今の私に、そんな強さは無い.....」


 ──颯太の目を見れば思い出す。

 あの頃、ヘトヘトになるまで遊び続けた三人の思い出。でもそこには、もう埋まらないパズルの空洞があって、それを思い出すだけで辛くなって、しんどくなってしまう。


 「私はここに残る。ここで整理をする。昨日みたいに、ここで一人、誰も帰ってこない工房を守り続けることにするわ。」


 ──もうどうにもならないのだと確信し、颯太は言葉を出すことすらできなくなってしまった。

 瑞穂の意思は尊重したい。だが、どうしても離れたくないような気持ちは否定できない。


 「──まるで引き裂かれるみたいだね──やっとまた会えたのに、もうこんな日は来ないかもしれないって思うと、とてつもなく不安になる──」


 「──そうだね──」


 同じく孤独感に押しつぶされそうな瑞穂は、颯太に一つ提案した。


 「──じゃあこうしよ。颯太くんがストライカーでしっかり戦って、戦いが終わったら、ここに戻ってきてよ。そしたら、今度からふた──三人で、ここでゆっくり暮らそう?今度は何も気負わず、ゆっくり、三人で暮らしたい。」


 「──そっか──そうだね。そうしよう。俺もそれを支えになら、もう少し戦えるよ。」


 ──この約束は叶わないかもしれない。

 瑞穂が狂信者に襲われて亡くなる可能性もあれば、颯太もまた、戦いの中で命を落とす可能性も捨てきれない。

 寧ろ、この約束は叶う可能性はとても低い。


 ──それでも、そんな日がやってくれば幸せだ。


 「ありがとう姉ちゃん。俺、もうちょっと頑張ってくるよ。戦って、勝って、全部終わったら、ここに帰ってきて、今度は三人でゆっくり暮らそう。約束だよ?」


 「うん。約束。」


 指切りげんまん、そんなものではない。

 二人は互いに両手を握り、拳に力を込める。そして、それを確かめ合うように抱き合う。

 ──かつて、智樹とした約束の誓いと同じように。


 「──じゃあね姉ちゃん。もうしばらくお別れだけど、待っててね。俺が帰ってくる日を。」


 「うん──きっと。」


 誓いをかわし、颯太はその場を去る。



 「待って、颯太くん。」


 瑞穂に呼び止められ、颯太はまた振り返る。


 「これは、颯太くんが持ってて。それで、多分そっちで預かってる智樹の身柄も、颯太くんに任せるわ。颯太くんの近くで眠らせてあげて。」


 ──そういいつつ、瑞穂が颯太に渡したのは、颯太が持ってきた、かつて狂信者となった智樹が武器として使っていた二つの堺包丁だった。


 「この二本はね、智樹が初めて作った包丁で、国の没収の時、父さんたちが何とかして守り抜いたモノなの。二本にはそれぞれ意味があってね。」



 ──ねぇ颯太、もし颯太が一人前になったら、二人で一丁ずつの包丁を作って、双剣にしようよ。

 ──俺が左手のを作るから、颯太が右手の奴作ってさ──



 「こっちの包丁は、いつか颯太くんがいい包丁を作った時に、この包丁と交換するつもりだったらしいよ。どういう意味なのか、イマイチわかんないんだけどね.....」


 「──ありがとう、貰っていくよ.....」


 颯太の目元はもう雫を落としていたが、その表情を悟られないように目線を下げ、その包丁を受け取る。


 「智樹の遺体はこっちで供養するよ。俺は素人だけど、向こうにはプロもいるから心配しなくてもいいよ。骨は骨壷に入れて、俺が帰ってくる時には持って帰ってくるよ。」


 「うん。なるべく颯太くんの近くに置いてあげてね。」


 「じゃあ、今度こそお別れだよ。またね、姉ちゃん。」


 「うん。待ってるね。」


ー‐ー‐ー


 ──尚樹たちが待つこと10分弱、颯太が出てきた。

 瑞穂はどうやら見送りには来ていないようだ。


 「──颯太くん──大丈──」

 「用は済んだ。帰ろう。」


 結愛の言葉を遮るように、颯太は即答する。

 てっきりここに残るのでは、などと考えていた二人は、少し拍子抜けしたかのような態度を取る。


 「──聞くのは野暮かもしれないけど──君は引き続きこちら側で、ストライカーとして戦うんだね?」


 「はい。寧ろ、ここに来て、余計にその気持ちが強くなった気がします。同行してもらってありがとうございました。」


 「──そうか──」


 尚樹は帰り道の方だけ見て、颯太とは目を合わせなかった。

 そんな尚樹と対照的に、颯太は少し名残惜しそうに、宮原家の方を見ている。


 (──智樹がいるような気がする。まあ、気の所為だが.....)


 光の加減では説明できない何かの影を感じ取っていた颯太は、頭の中でそんなことを考えていた。


 「──ここに居らんでええんか.....?」


 そんな颯太を見て、思わず結愛は声を掛けた。

 颯太は、約束の通り、強い決意を返事として返した。


 「しばらくは帰らない。俺が帰るとしたら、戦いが終わって、罪を償いきって、その後だ。それまでここには来ないことにするよ。」


 「──そう──か──」


 結愛にはどことなく不安定に映ったが、颯太の決意を無碍にする訳にはいかないと、結愛はそれ以上何も語らなかった。


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