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第1章 No.13 まだ早い

 7月5日の昼間には終了した怪物絡みの事件、その日の夜に泉大津のリザーブ組によってゾンビが居ないことが確認されたことから、翌6日の朝をもってホテルをチェックアウトし、全員が泉大津に帰ることになった。

 同じく監視任務にあたっていた岸和田の面々も、結局メンバー交代を行わずにそのまま仮拠点の撤去を行う運びとなり、そちらには主力グループの予備部隊が撤去補助に回るそうだ。

 いずれにせよ、貝塚駅を異界たらしめるには十二分だった、あの不気味なゾンビ事件は、これをもって収束したのだ。


 ──が、バス車内の雰囲気は重かった。

 突然行われた暴露大会に続いて、リザーブ組の中でも起きていた隠し事が、まるでせき止めていたダムを壊されたかの如く一気に明るみになり、リザーブ組の面々の間にも気まずさのような何かが流れ、全体的に重い空気が流れていたのだ。


 (──いずれこうなる事は分かっていたのに.....)


 運転中ながら、沙梨からはもう堪えきれないというようなため息があふれ出した。

 無論、この場にいる面々で"何も知らない側"だったのは颯太のみ。リザーブ組の面々は勿論のことながら、更には颯太を傘下に入れた穂波、彼女に近しい人物である沙梨や和花なら当然のように知っていることである。

 そんな彼女たちなら分かっていた。この事を隠し通すことができないことも、いずれこの隠し事がバレた時には、こんな感じでメンバー間に亀裂のように不信感が蔓延ることになることなど、火を見るよりも明らかだった。


 (なぜ穂波さんはこうなる事をわかっていながら──)


 ──ずっと疑問だった。

 穂波が代償を引き換えにしてでも、颯太に対して真実を意地でも隠そうとするのはなぜなのか。

 だが、どれだけ長年の付き合いがあろうとも、穂波の考えを読み取ろうことなど不可能であった。



 「──恵理の件もそうですが、今回の人選もやり方も、到底理解できるものではありませんね。」


 そんな同様の疑問を抱いていたのは、主力グループのリーダー、そして泉大津の団長である中村尚樹だ。

 泉大津のストライカーの面々を束ねる立場にいる尚樹も、また当然のように颯太の件を知っていた。そして、妹であり副団長でもある恵理が、颯太に対しての強硬派筆頭であることも勿論知っていた。

 だからこそ、尚のこと颯太はじめリザーブ組との対面イベントが確定演出であった貝塚駅に、自分はまだしも恵理を派遣する理由がわからなかった。


 「無論、主力組の幹部の面々も、颯太君に対してあまりいい印象を持っていないことは把握していますが、だからと言ってわざわざなぜ恵理を派遣したのか──畑違いかもしれませんが、予備部隊の隊長、上原でもよかったのではないかと.....」


 「上原──ああ、七奈ちゃんね.....」


 だが、そんな言葉に対して穂波は意味深な前置きをする。


 「七奈ちゃんは確かに、颯太くんへの差別感情もないし、結愛ちゃんとも未だに好意的に接しているわ。"あの場"は、少なくとも恵理ちゃんよりは平和的に解決できたでしょうね。」


 「だったらどうして──」

 「私は"あの場は"、としか言ってないわよ。」


 「どういう意味でしょうか。」


 そう聞く尚樹の声も若干掠れて震えている。


 「──あのね、颯太くんたちとはあの場だけの付き合いじゃないのよ。つまり一度接見させておいた方が、後々に平和的に収まるってわけ。」


 ──聞いた瞬間の尚樹にはあまり理解できなかった。

 今までも恵理や過激派に、隠し通すとまでは言わないが、同じグループのはずなのに完全に隔離して主力組とリザーブ組を分けて運用していた。それがなぜそういう話になるのか。


 「生憎、上原さんが颯太くんたちに好意的なのは恵理ちゃんの知るところじゃないわ。でも、あの場に七奈ちゃんを行かせたとして、排除なんかの動きが何もないことを恵理ちゃんが知ったらどうなると思う?」


 「.....恵理の不信感がグループAにも向いてしまう、ってことですか?」


 「そうよ。あくまで彼女が不信感を持つのは私たちだけで十分なのよ。仮にそれがグループAにも向いてしまえば、彼女の心の支えが一切無くなってしまうのよ。」


 そう言われた尚樹はぐうの音も出せなかった。恵理のことは自分が、恵理の兄である自分がよく分かっていたからだ。

穂波の考え方は、あくまでグループとしての合理性のみを考えた曲解とも言える。だが、間違いなく最適解である。

 颯太にあのような態度を取っても、本人の言う通り中村恵理は泉大津の主力組ナンバー2、泉大津全体でも副団長である。そんな彼女が泉大津に不信感を抱こうものなら、何が起こるかなど容易に想像出来る。

 ──あくまで穂波はそれを防いだと言いたいらしい。


 (──取ってつけただけの適当を言っているようにも聞こえるが、そういう訳でも無い。確かに颯太くんを匿っていることを前々から知っていたからともかく、恵理が仮に"このタイミングで"それを知っていたら──)


 ──やはり、穂波の意見に納得させられてしまった。


 「.....あなたには不気味さすら感じますよ、ホント──」


 「あら、褒め言葉として受け取っておくわね。」


 穂波侑紀はあくまで泉大津の管理人だ。彼女の行動心理は常にグループの平穏の維持であり、常に選択肢はグループを長期的に見た時の最善手を取り続けるのが彼女だ。

 ──だからこそ、高縄颯太を自らの傘下に置いたことに、どうしても理解できない人間が一定数居るのは事実だった。


 「──いずれ、恵理ちゃんも普通に颯太くんたちと話せるようになればいいわね。今のままは少し問題があるわ。」


 「──」


 穂波の言葉に、尚樹は少し沈黙する。


 「──何かご不満でも?」


 「.....ああ、いえ──」


 ──尚樹としても、泉大津の今後のために、強硬派筆頭である恵理を放置しておくのはなんとも気分が悪かった。それは当然、強力な怪物を相手に連携が取れないと不便だと言うのも理由の筆頭にはあった。

 だが、それよりも根深い問題があるのも事実だった。


 「──恵理も頭のいい人間だ。恐らくその件については大した問題にはならないとは思うのですが──」


 「.....結愛ちゃんのことかしら。」


 ──尚樹は静かに首肯した。


 「──かつては最高のパートナー、あれ程仲のいい友人を持ったことは無かっただけに──確執は大きいものだと思います。恐らく、そう簡単に解決する問題ではないでしょう.....」


 「──そうねぇ.....」


 ──つい先日、顔を合わせれば嫌な顔をしながら言葉で殴りあっていた間柄では、そんな過去をまるで想像できない。

 まあ、この話はまた別の話である。


ー‐ー‐ー


 ──許されない問題だとは思っていた。

 正直に言って、颯太にとっても隠したいことではあったし、罪と向き合うことからも逃げていた。

 でも、颯太にとっては別に意味も無くやったことでは無い。

 だからこそ、穂波もそれを理解して黙っているものだと思っていた。いや、きっとそうだと勝手な期待を抱いていた。


 「──颯太くん──」


 ──だからこそ、それを知られていたという事実を突きつけられ、はっきり言って動揺が抑えられなかった。

 無論、知られていたとは言え、その事実を颯太は知らなかった訳で、やはり接し方から全て変わってしまうだろう。きっと、誰が相手であろうと。


 「──マイカか──」


 「こんなこと、言わない方がいいかもしれないけど、やっぱり私は信じられないよ──颯太くんが人を殺したことがあるって──意外って言うか、なんて言うか──」


 「──本物の犯罪者なんて、ぱっと見て分かるようなもんじゃないんだよ──」


 ──犯罪者を見るだけで判別出来れば、今頃犯罪など起きていないだろう。


 「もうちょっと詳しいことを聞いていいかな?別に、無闇に責めるつもりはないから──ダメかな.....?」


 「──別にいいよ。もう知られてたことだし。」


 ──颯太は今の相棒である傘を傍らに取り出す。


 「──俺のAO(武器)、今は500円で買った安物の傘を使ってる。これはあくまで仮のAOだったけど、何だかんだ今は気に入ってる。昔持ってたAO(ヤツ)よりはまだ扱いやすい。」


 「じゃあ、前はまた別のを使ってたの?」


 「ああ──まあ、アイツらを殺したのはコイツだけどな.....」


 ──颯太が殺人に及んだ時に使っていたAOは、間違いなく今も使っている傘であった。

 そもそも傘を刃にするというのもおかしな話だが、彼らはストライカー、神心武装の使い手である。どんな道具でも武器となり、殺傷能力を付与することもできる。


 「──勿論、人を殺したってことに変わりはない。初犯で15人、次に8人、計23人だ。凶悪殺人鬼であることに全くもって間違いはないけど──こんなんでも、まだ抑えられた方だとは思う。」


 「抑えられた.....?」


 「──きっと、"師匠"の言う通りにしていれば──多分だけど、桁が1、2個は変わってたと思う。」


 ──桁が1、2個。簡単に言ってくれるが、要するに何百人や何千人、これが颯太にとって最悪の道を選んだ場合の、恐らくは出ていただろう死人の数だ。


 「そして、仮に相棒が傘でも無ければ──今この場に俺が居ることも、あるいは"アイツ"が生きていることも、無かったんだろうなって──考えれば身震いが止まらねぇけどな。」


 「──"アイツ".....?」


 ──颯太が名前を出さなかった"アイツ"というのは、高縄颯太のストライカーグループへの所属、あるいは殺人鬼の道からの脱却に、重要な役割を持っている人物である。


 「──家を壊され、"師匠"の教えを貰って、それでも中学生だ、バイトもろくにできないまま公園で生活し、そこに来る"敵ども"を排除する生活だった。そんな荒れ果ててた俺に、無謀にも手を差し伸べた馬鹿(ヤツ)が居たんだよ──」


ー‐ー‐ー


 「──ざっとこれで20人強か──」


 高縄颯太の足元には、既にどこかしらを斬られ、既に命の灯火を失った、かつて人間だったモノが転がっている。

 よく見ると後方には大穴が開けられており、その中には今にも腐敗し溶け出しそうになっている、同じくかつては人間だったモノたちが無造作に捨てられていた。


 (──ここまで殺してしまうと、誰に何を見られたところで、何も感じなくなってしまうんだな──)


 自分の思考が怖くなった。

 普通の人間ならそもそも同族のヒト属ヒト科の生物に、殺意は持ったとしても、誤っても手を掛けるなんてことは有り得ないはずだ。一方、そんな過ちを冒した人間がまず行うのは、恐怖の感情から生み出される奇行、隠蔽である。

 だが、初犯で15人に手を掛けてしまった颯太に、隠蔽なんて言葉は何一つ浮かぶことなく、適当に掘った穴に捨てるのみで、注意書きの看板など何一つ置かず、死体の近くで路上生活を行うような、狂った日常が続いていた。

 今日はそんな亡骸の貯め池に、新たに8体が仲間入りしようとしていた。


 (.....一般人には手を掛けたくないが、仮にバレるようなことがあれば殺してしまおう──なんて、思っていた時期もあったんだが、こうも誰も来ないもんだな──)


 そもそもが埋立地の半島、さらには工場群が立ち並ぶような地域の公園だ。住宅も近くにそれ程無ければ、数週間前から不審な路上生活者──颯太のことだが、そんな人間がいるような公園に、わざわざ近寄る意味は無い。


 (やっとこさ今日の仕事は終わりか──20人ちょいで済んでるからまだしも、総力を上げてとんでもない人数で来られたら、流石に供養できる墓も建てられないもんな──)


 ──再犯となる今回で手に掛けた8体の亡骸を穴にぶち込み、仕事も終わったとトイレにでも向かおうとしていた時だった。


 (──っ.....!?)


 ──急に殺気を感じた気がして、颯太は思わず振り返る。

 そもそもここには誰も立ち寄ることが無いのだが、もしかすると余程の物好きなのだろうか。

 ──いや、そもそもそんな物好きならば、こちらに対して殺意を向けたり、ましてや肝を冷やすような殺気を振り撒くことも、まず有り得ないはずだ。


 (──ってことは、ついに敵襲か──)


 ──となれば、残る可能性は、敵陣営に颯太の殺人行為が伝わってしまった可能性だ。

 今日来た8人、あるいはその前に手を掛けた15人とも、颯太の情報は何一つ知らずにいた。せいぜいどこぞの不審者が住み着いている程度の前情報しか知らなかっただろう。


 (──そうなれば、敵になるのは"自衛隊"か──)


 ──ぶっ飛びすぎて居るようだが、2055年の例の政策に伴い、警察の拳銃携帯が廃止されたことで、今現在の颯太にとって脅威となりうる"人間"は自衛隊のみだ。

 とは言え、こちらも2055年にある影響を受けたことで、それ以前の自衛隊とはまた別組織となっている。数が少なければこちらにもまだ勝機はあるだろう。


 ──辺りを見回すが、まだ敵影は見えない。

 余程手馴れているのだろうか、23人を手に掛けて、危ない方の"カン"が冴え渡っている颯太ですら、その襲撃者の正体に気付けない。それ程の強力な相手ということだろうか。


 (──隠れて様子を見よう──)


 トイレの裏に隠れて様子を見る。

 いや、最悪の場合、殺し屋でも雇われていれば、この浅はかなハイド自体も命取りになりかねないのだが、今の颯太にそれを気にしている余裕はなかった。


 (──?)


 ふと違和感を感じた颯太だが、トイレの天井の方を覗いても何もいなかった。

 そして振り返り左右、下を見ても、まだ誰も居ない。


 (──気付かれてないのか.....?いや、そんな訳──)


 そんな想像にふける颯太だが、次の瞬間に壁越しに見た光景に、思考が完全にフリーズする。



 「──シャウゥゥ.....」


 ──猫だ。

 いや、あれは猫では無い。


 (──更なる不審者とは、頭の整理が追いつかないが──)


 ──いや、はっきり言って、この光景を見ても尚、今颯太の目の前にいる不審者が何かしらのごっこ遊びをしていると考えるのは無理がある。

 なぜなら、颯太の方に尻を向けながら、周りを警戒するために頭を下げて周囲を警戒する女、四つん這いで、しかも裸足で公園の土や砂粒を踏みつけながら歩いている。


 (──変態.....?いや、それなら周りに誰かいるんじゃ──)


 ──生憎、颯太はそういう方面にはあまり詳しくない。

 だが、初めて見たその姿は、今後は別の意味で深く心に刻まれそうな見た目であった。


 身長ははっきりと伺い知れないが、恐らく颯太と同じくらいかそれより少し小さい程度、足周りはかなり太く、そして普通の人体よりは少し短く圧迫されているように見える。

 なぜか膝立ちでも無いのに背中は水平に保たれ、着ている服は鋭い爪か何かで引っかかれ、服の下の肌にまで赤い痕がついている。そしてチラッと見える横顔もまた、自傷行為なのだろうか、引っかき傷で溢れていた。

 そして何よりも、人の理性を完全に捨て去り、破れた服から痛々しい素肌を露出させながら、四足で地を這う姿。明らかに人間のものとは思えない、"野生の警戒心"。


 (──あれは、猫なのか.....?あるいは──)


 ──噂程度に聞いたことがある。

 いや、思い返せば"師匠"も前に言っていた、人間の姿をしながらも人ならざる存在。


 (──怪物──あれが──)


 ──人の心を、理性を捨て去り、なんの羞恥も無く醜い姿を晒す、人形をした四足の肉食獣。

 人間の姿ながら人の敵である、それが怪物だ。


 (──倒すべきなのか──戦うべきなのか──?)


 ──俯瞰すればただの変態だが、しっかりとそれを認識した颯太にとって、目の前の怪物は脅威であった。その恐怖を示すかのように、先程から傘を握る手が震えている。



 「──ジュルルルルル.....」


 喉を不気味に震わせる音に、颯太はハッとする。

 目を合わせた訳では無いのに、なぜか怪物に自分の居場所がバレているような気がした。

 そしてそれが気のせいではないと証明するかのように、怪物がこちらを向いてゆっくりと歩いてくる。


 (──なんでバレてる.....!?)


 撤退しようにも、部が悪いところへ逃げ込んでしまった。

 そうなれば、出会い頭に切り付けるくらいしか方法は無い。だが、果たして怪物に、普通の斬撃が通用するだろうか。


 (──悪いけど、首を狙って出会い頭、これしか方法は無いだろう。自分を呪うんだな、悪く思うなよ──)


 颯太はゆっくりしゃがみこみ、神心武装を発動させ、全神経を張り巡らせて機会を伺う。

 幸い、対峙する怪物はまだ颯太を認識していない。もしかしたら誰かいるかも、と言う確認のために辺りを見回しているのだろう。なので殺気が薄く、颯太の心拍数もある程度落ち着いており、こうして反撃の機を伺える。

 ──全く、こういう展開の時は大抵誰かがドジをやらかして気付かれるまでがテンプレートなのに、今回はそうはいかないようだ。展開が予測できない。


 ──怪物が曲がり角を曲がり、壁の裏を確認しようとした瞬間、颯太は地面を蹴り、低い姿勢のまま、その首めがけて水平に、正確な斬撃を撃ち込んだ。

 怪物も直前で気付いたようだが、反応する頃には斬撃がその首をはねるコンマ数秒前、不可避だった。


 (──決まった.....!!)


 完璧すぎる程に見事に決まった斬撃に颯太は自己満足。

 後ろを振り返る頃には、崩れ落ち俯せで倒れた怪物の死骸がそこにあるはずだ──


 (──何──?)


 ──違和感があった。

 確かに首を跳ねたはず。だが怪物は崩れ落ちることも無くその四足をしっかりと踏ん張って立っている。

 それに、そもそも跳ねたはずの首はどこだ。


 (──まさか──)


 「──グゥゥムゥワアァァァァオォォ.....!!」


 まるで可視のオーラなのではと思わせる程の濃厚な殺気を放ちながら、恨めしそうな唸り声をあげ、颯太の方へとゆっくりと振り向いた怪物の女。

 傷まみれの顔に浮かび上がった憤怒の表情が、颯太に深い恐怖と絶望を与えた。


 (──確かに殺ったはずなのに.....!!)


 手応えはあった。首の細胞を割いていく確かな感覚と、確かに首を切断した感触はあったはずなのだ。

 だが、目の前の怪物の首には傷が無かった。死んだような痕跡も無く、まるで何事も無かったかのようにこちらを見て、その体からは余りある殺意を滲ませている。


 「──グウゥゥゥウウオオオォォオオオッ!!!!」


 圧倒的に耳障りな咆哮。思わず颯太は耳を塞ぐ。

 だが、そんな悠長な隙を逃す怪物ではない。


 (──ヤバい.....!!)


 咆哮が終わって一秒足らず、怪物が颯太の方へと飛びかかってきたのだ。

 人体は直立二足歩行を手に入れたことで、不便な四足歩行を捨てたはずなのだが、まるで怪物にとっては四足歩行が当たり前かのような身のこなし。無駄の無い跳躍は、人体に出せるそれを遥かに超えていた。


 (──早すぎる.....!!)


 なんとか颯太の反応は間に合い、刃と化した傘で怪物の突撃をいなすことに成功する。

 だが、怪物は颯太から距離を取ったかと思えば、まるで本物の猫を彷彿とさせるような身のこなしで自由に這い回り、颯太を撹乱していく。


 (──これが怪物──)


 まるで隙が無い。

 今まで颯太が手を掛けてきたのは、ほぼ無抵抗のままに命を失った人間たちだけだった。

 だが、今回の相手は、逆に颯太を仕留めようと、本来の人体にはまるで出せないようなスピードで、まるで野生の肉食獣がサバンナで行う狩りのようなことを仕掛けてきている。


 (──っ!!)


 撹乱に飽きた怪物が突撃を仕掛けてくる。

 反応こそ出来たが、颯太にできるのはせいぜい突撃してくる怪物に刃を向けるのみで、まるで防戦一方だった。

 そして、仮に刃が反応できたとしても──


 (──重すぎるだろ──何だこの攻撃.....!!)


 怪物の左前足のみで、颯太の全力はいとも容易く弾かれる。

 スピードだけでは無い。颯太の全力の数倍はある圧倒的なパワーに加え、首を斬られても死なない生命力──というよりは、圧倒的に早い治癒能力を持っている。


 (──勝てる訳が無い、こんなの相手に──)


 颯太が逃げ道を探すが、生憎と外界との接触を避けるために、こんな人の少ない目につき辛い公園を選んでしまったのだ、当然逃げ道も少ない。

 それに、このスピードを持つ怪物だ。撤退の動きを悟られれば、先回りされ防がれるのは目に見えている。


 (──これは──)


 ──詰みである。

 現状の颯太には、何かしらの急所を探し出し、この怪物を殺す以外に、生き残る手段は残されていなかった。

 無論、文字に起こすのは簡単だが、それが如何に不可能に近いかなど、火を見るより明らかだった。


 「──グウゥゥゥウウオオオォォオオオッ!!!!」


 さらに無慈悲と言わんばかりの怪物の追撃。

 爪の斬撃を避けた一方、颯太の身柄は完全に捉えられ、押し倒されるように上を取られてしまった。



 (──これは終わった──いよいよ天罰か──)


 上をとっているのは小柄な女の体、だが押さえつける力は人間が体感出来るようなものでは無い。

 身動きはおろか、血液の循環すら難しそうな程に押さえつけられた颯太は、いよいよ最期を悟らざるを得なかった。

 目の前の怪物も、ちょこまかと逃げ回っていた(えもの)をようやく押さえつけ、どうやって食おうかと考えているようにも見えた。


 「──フウゥゥッ.....!!」


 怪物がいよいよ審判を下す準備をした。

 どこから貪られるだろうか。手始めにトドメを優先して首から噛みちぎって貰えた方が、まだ痛みは少なくて済むのだが、これが天罰だとして、そんな甘い展開が待ち構えているとは到底思えないのは事実だった。

 痛みを覚悟しながら、全身を脱力させ、来る最期を受け入れる準備を整えた。


 ──怪物が颯太の首に噛み付く、まさにその時。


 「──グブッ.....!?」


 怪物の体が剥がされると共に、とんでもない風圧が颯太を襲い、そのせいなのか怪物が軽々と飛ばされていく。

 何が起きたか理解に苦しむが、取り敢えずは助かったということで良いのだろうか。


 「大丈夫か!?起きれるか!?」


 あの怪物を軽々と吹き飛ばすパワーだ、とんでもないゴリゴリのマッチョだと勝手に予想していたが、帰ってきたのはこの時代には珍しい関西訛りの若い少女の声だった。


 「──うん、ありがとう、助けてくれて.....」


 半ば強引に手を引かれて引き起こされる時も、その体を引っ張る力で、何も力を入れなくても簡単に体が持ち上がってしまったが、そこに居るのはやはり小柄な少女だった。

 身長は颯太より圧倒的に小さく、150センチあるかないかと言ったところ。少し丸みのある体だが、やはり気になるのはあの圧倒的なパワーだった。

 ──だが、その正体を聞く前に、まだやり終えていないことがあるのは流石に忘れていなかった。


 「──グゥゥムゥワアァァァアアッ.....!!」


 威嚇のような不気味な唸り声が、今度は颯太だけでは無く、突如現れたその少女にも向けられた。

 まあ、完全に不意をつかれ吹き飛ばされたのだ。怪物にとっても警戒しなければならない相手だということくらいは流石に分かっていた。


 「──あんた、ストライカーやんな?」


 「え?う、うん.....まあ──」


 まるでこっちの正体に気付いているかのような口ぶり。そしてそう言った彼女もまた、ストライカーであろうことは目に見えていた。

 見た目はただの少女。だが、片手に軽々と振り回すのは、1メートルを超えるような木材。これだけで明らかに不審者だが、これをAOとして使うストライカーなら説明がつく。


 「ならちょっと手伝って欲しいねん。ここいらで最近悪さを働いとる怪物言うのが、今目の前におる猫型モンスター、外見の本名は椙野陽菜や。」


 「唐突の個人情報バラしはやめない!?」


 ──いきなりの本名バレは別に求めていなかった。

 だが、怪物、改め椙野は、どうやらこの辺りで頻繁に出てきては、恐らく人間を襲っているのだろう。

 仮にそうだとすれば、いきなりここに現れた不審な少女に、ここがこの怪物の巣であったと誤解させることもできるだろう。まあ、話を合わせるのは少々面倒ではあるが。


 「あのさ、椙野(アイツ)、さっき出会い頭に襲ってきたから、首を斬ってみたけど死ななかった。攻略できるのか?」


 「──取り敢えずトドメ刺そうって考えが恐ろしいけど.....」


 怪物が痺れを切らして突撃してきたが、話の傍らにスマホを弄るかの如く、簡単にAOを振りかぶり、よそ見でホームランレベルの安打をかましていく。

 手馴れた感じを見るに、恐らくかなり実力も経験もあるようだ。まあ、いくら颯太(えもの)に夢中になっていたとしても、こっそり近付いてドライブショットを撃ち込むことができるような実力だ。


 「多分まだ初心者さんっぽいからパニックになってるんやろうけど、冷静になり。怪物相手の基本、体についているコアの位置を見極めて、コアになるべく攻撃を与えていくで。」


 「──お、おう.....」


 ──正確に言うと、颯太は学び方の問題で、怪物をどう攻略するか、コアと言うものが何かというのも知らない。まるでそれを考慮しているような少女の口ぶりが怖いが、まあ恐らくそれは気のせいだろう。


 「それか、ビビって動けへんか?可愛いやっちゃな。」


 「──逆に今の発言で苛立ちがテンアゲぶち上がりなんだが?」


 ──使い方が違う。

 しかし、人付き合いすらあまりまともにした事は無い颯太だが、初っ端の第一村人ガチャに大外れしたと悔やむ。

 それでも、怪物にとってカモレベルでしかない命を助けて貰った手前、文句を言えるような人でなしでは無い。


 「取り敢えず、文句はこの怪物ぶっ倒したらゆっくり聞いてあげるから、黙って協力してや。」


 「あーはいはい、分かったよ.....」


 少女はAOとして木材を構える。

 1メートル近くはありそうな、横幅も大きいヒノキの木材である。普通に使えば、怪物の攻撃を受けようものなら簡単に割れてしまうだろうが、耐久性はどうなのだろうか。

 それを見て颯太も傘を構えた。


 「せや、どうせなら戦ってる最中に名前の方が呼びやすいやろうから、名前だけは教えとくな。私は穂見結愛、ちょいと遠いところのストライカーグループに入ってる。」


 「.....高縄颯太、今はフリーだ。取り敢えずよろしく。」


 ──こうして、ストライカーグループにいる実力派の少女と、身寄りの無いフリーの少年による異色の協力が始まることになったのだ。

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