お茶
「はぁ…!はぁっ…!」
何とか地下から逃げ出す事に成功した俺は何処かの廊下で座り込む。俺の前を通る生徒達は怪訝な顔をしながら横目で俺を見るが無視して先へ進む。
「助かったよ、アルム」
(お礼なんて言われる筋合いは無いですよ。同じ身体を共有している以上死なれたら僕も困ります)
彼の名はアルム・クロッキー。彼はバルヴァルが旅の途中に知り合った少年で、わずか五歳という若さで勇者と共に魔王を倒した英雄である。バルヴァルとは違って礼儀正しく、たまにしか問題を起こさない常識人だ。
(あと分かっていると思いますが絶対に自分が魔獣に変身出来る事は言わないで下さい。絶対ですよ!?良いですね!?)
「あぁ、分かってるって」
彼は人獣族の為、魔獣に変身する事が出来る。人獣族は獣人族とは違い、本当は魔獣にも関わらず人間の姿になる事が出来るという生物だ。獣人族の様に人間体は動物の特徴を受け継いでいるというのは無い。
そしてここまで人獣なのを隠そうとしているのは彼らの境遇にある。人獣族は魔王の手先だと考えられているからだ。人間の姿に化けれても魔獣は魔獣。仲間の振りをして裏切るという可能性も相まって最も危険視されている魔獣なのだ。実際魔王側に付くかどうかは個体によるのだが。
「あの……どうされました?」
「…うん?」
目の前を通る全ての人が無視する中、眼鏡を掛けた桃髪ボブカットの女子生徒に話しかけられる。廊下に座り込んでいる俺を見て心配してくれたのか。優しい子だ。
「あぁ、何でもないよ。少し疲れちゃってね」
「そうですか……疲れたのでしたら私と一緒に来ます?丁度お茶しようと思ってたんです」
流石に初対面の人とお茶するのは図々しい気がする。それに急いで教室に戻らなきゃならないし、ここは丁重に断ろう。
(ねぇ、フレートさん。彼女について行こうよ)
(え?いや断るつもりだが…)
(彼女から美味しそうな匂いがするんです。もう我慢出来ない!)
(うあっ!?)
抵抗する間も無く身体を乗っ取られる。アルムは普段は大人しい癖に食べ物関係の事になると急に問題児になる。彼は生粋のグルメであり、同時に一流と言える程料理も得意だ。バルヴァルとの魔王を倒す旅でも料理を担当していたようだ。
「あ…初対面の方に失礼でしたね。すみません…」
「いえ、行きます。是非行かせて下さい」
「え、は、はい!」
アルムの圧に彼女は少し首を傾げた後、廊下を再び歩き始める。当然アルムもスキップしながらついて行く。そして彼女は三階に上がり、階段から六番目の扉を開ける。
「ここは家庭科室。私は入学前から事前に許可をとっているのでここを自由に使う事が許されてるんです」
「家庭科室、つまり料理を作ったりするのかぁ。道理で美味しそうな匂いが…」
「え?」
「いえ、何でもないです。そんな事より早く!さぁ!」
「わ、分かりました!」
必死に急かすアルムを見て彼女は少し困惑している。急いでティーセットと様々な動物の顔が描かれたクッキーをお盆に乗せて持ってくる。
アルムはかなり興奮した様子で彼女がお盆をテーブルに置くのを待っている。呼吸は荒くなり、その目は狂気に満ちていた。
(ってアルム!?お前興奮し過ぎて腕が魔獣に!)
(…はっ!?)
狐のようになった右腕を急いでテーブルの下に引っ込める。どうやら女子生徒はこの事に気が付いて居ないようだが、かなり危なかった。
「お待たせしました」
「あ、ありがとうございます。それじゃあ頂きます」
アルムは平常心を取り戻す為に深呼吸をする。いや、お菓子を万全の状態で食べる準備かもしれない。それ程までに食べ物を好いているのだ。
アルムは震える手でクッキーを掴むと、ゆっくり口に運ぶ。一口クッキーを噛むと彼は急に動かなくなる。ここは急に背後から殴りかかってくるような奴が居る学校、まさかこのクッキーに毒でも入ってたのか?
「あの…お口に合いませんでしたか?」
女子生徒は恐る恐るこちらの顔を覗き込む。そして驚愕した。なんと泣いていたのだ。
アルムはお茶を一口飲むと彼女の両手を掴む。
「貴女は天才だ!」
「え?」
「控えめな甘さだけどしっかりと味の主張があり、サクサクとした食感が堪らなく美味しい!材料も薬品が入っていない完全オーガニックの物を使用しているし薬草も入っているから身体にも良い。しかもこのお茶はクッキーに合うように調整された奇跡の味!」
急な長文とアルムの迫力に女子生徒は目を点にしている。そしてどうやら材料やお茶の事は図星らしく感心したような表情も見せていた。
「このクッキー、貴女の作った物ですよね?」
「は、はい」
「こんな美味しい物を毎日食べていたい……僕と結婚して下さい!」
「へぇっ!?けっけけけ結婚!?」
急な告白に彼女は目を回しながら顔を真っ赤にしている。アルムは今興奮のあまり思考能力が著しく低下しているからこんな事を言い出したのだろうが、俺の身体で告白している事だけは忘れないで欲しかった。
混乱する女子生徒と興奮するアルムと絶望する俺の三人がそれぞれ何も出来ずに呆然としているとこの教室の扉が開く。そして背後から何となく感じる殺気の主を俺はすぐに理解した。
(アルム!早く正気になれ!死ぬぞ!)
「フ レ ー ト く ん ?」
間に合わなかった。流石にアルムも気が付いたようで恐る恐る振り返るとそこにはアイスが立っていた。しかし明らかにいつもと雰囲気が違う。
何というか……悪魔や魔王といった言葉では物足りないぐらいおぞましいオーラを纏っている。少しでも触れれば死ぬかもという錯覚までしてしまう。彼女の顔は前髪で良く見えないが、鬼の形相だと言う事は分かる。
「フレート君……その子に告白してたのって私の空耳だよね…?」
「こ、これには深い訳があるんです。僕は…その…」
アイスの圧でアルムは上手く言葉が絞り出せない。他の人格だったら「後は知らん!」と言って俺に丸投げしていただろうが何とかアルムは頑張ろうとしてくれている。俺もどうすれば良いか分からない、だから頑張ってくれアルム!
「今日初めて会った女の子に結婚を申し込むなんておかしいよね?しかもその理由が食べ物が美味しいからってね」
「あ…あ……」
駄目だ、アルムの思考は完全に止まっている。まるで逃げ場の無い閉所で蛇に睨まれたカエルのようだ。しかしそんな俺達に救世主が現れた。
「ち、違うんです!私が頼んだんです!」
「…え?」
桃髪の女子生徒が突然おかしな事を言う。この状況を一体どうやって切り抜けるんだ?
「じ、実は私に好きな人が居て……その…イメージトレーニングとして付き合って貰ったんです」
「そ、そうなんです!決して食べ物に釣られて言った訳では…!」
「ふーむ。なるほど、事情は分かったよ」
どうやら納得してくれたようだ。俺とアルムは心からホッとし、ただひたすら女子生徒に感謝していた。そしてアルムは俺に謝りながら身体を返してくれる。
「あ、そうだそうだ。フレート君を探してたんだよ。どうせ抜け出したんだから言う必要無いかも知れないけど今日の授業は終わりだって」
「ん?どうしてだ?初日とはいえ明らかに早すぎるだろ」
「魔獣の軍勢がこの街に攻めてきたから防衛に行くんだって」
そういえば三年前にもそんな事があったな。少しでも人手が欲しいから仕事中だろうがお構い無しに大人達は集められて魔獣と戦わされるんだった。子供である俺達はいつも家や学校内から出るなと命令されていた為現場は見た事が無い。
「それなら三人で一緒にお茶しませんか?二人より三人の方が楽しいですよ!」
「良いの?ならお言葉に甘えようかな。えーと…」
「私の名前はミレア・ロッドです。二年生なので皆さんとは一歳違いですね」
「俺も自己紹介がまだだったな。俺はフレート・ラスム。そしてこっちがアイス・フォントだ」
「よろしくね!ミレアさん!」
「はい!」
登場人物3
アルム・クロッキー(5)
勇者と共に魔王を倒した英雄。彼は人獣族であり、正体は狐の魔獣。彼が魔獣でありながら魔王討伐を志した理由は知られていない。
彼はとても真面目で礼儀正しく、年に合わずとても賢い。しかし料理関係でしょっちゅう暴走するのが玉に瑕だ。ミレアさんに告白してたのも暴走した結果で、決して女たらしでは無いので安心して欲しい。
好きな物は料理