ベーリング海より愛をこめて
「ほ、本当に親父なのかよ」
ありえるのか、そんな事。
「そうだ俺が、いや」
「ん?」
「I am your father」
「いや、なんでイコライザーかけて言い換えてんだよ」
「いやいや、このセリフ人生で一度は言ってみたたくなるだろ、スター◯ォーズだぞ、わかってんのか!」
「ふざけんなよって、そ、そうだ『星空ヒカリ』ちゃんは!」
「だから彼女は、俺だ」
「はい???? ちょっと待ってくれ」
混乱してきた、つまりはどういう事だ。
俺の最推しであるVtuber 『星空ヒカリ』ちゃんは、12年前に蒸発した俺の親父だったって事か、意味不明のパワーワード過ぎて、脳が理解を拒否してる。
「ほ、本当に親父なのか、嘘偽りなく」
「ああ、お前の左の二の腕に星形の痣があり、12年前に消えた父親がいて、お前の名前の下の名前が電気が光るの光るで、依代の代と書いて、光代であり、実家の玄関にガネーシャの木彫りの像が飾ってあれば、正真正銘俺の息子だ」
「ガネーシャあるうううううううう」
「おお、やっぱり母さんまだ飾ってくるのか嬉しいなぁ!」
「あの大きすぎて、初めての友達を家に呼んだ時『あれ? もしかして細川くんの家宗教やってる?』って疑われて、初見で微妙な空気になる置物のあるううううう」
「いいだろう、ガネーシャ!」
「小学生の時はそれが嫌で嫌でしたかなくて、母さんにしまってくれって頼んだのに、絶対にしまってくれなかったのはお前のせいかあああああああああああ」
「あれは父さんと母さんの出会いの象徴だからな」
「両親の馴れ初めがガネーシャの木彫りの像とか意味不明すぎて、どう反応したらいいか困るわ!」
ほ、本当に親父なのか、本当にあの消えた親父だってのかよ。クソが。
「ふっざけんなよ、お前! なにが今更親父だよ、ふざけやがって、俺と母さんとひまりが、どんな思いでこの十二年過ごしてきたと思ってんだよ!ふざけんなよ」
「お前と母さんとひまりには寂しい思いをさせた、すまないと思ってる」
「『すまない』ってなんだよ、『すまない』ってよぉお、俺は、俺はなぁ」
感情が高ぶり机を強くたたきつける。
授業参観だって、運動会だって、親が父親が居ないのが、居ないのがどんなに惨めな思いを
「でも毎年、年賀状は送っていただろう」
「はぁ?」
え?、いまなんて。
「なんだ母さんから聞いてないのか、ちゃんと毎年毎年、年賀状は送ってたじゃないか」
「はぁ? だって、そんなの見たことないし、おい、どう言うことだよ。それに離婚だって」
「まあ、確かに向こうには年賀状は売ってなかったからな、ポストカードだったか」
ポストカードォ? そういえば毎年毎年年始のシーズンに送られてきて、母さんが神棚に飾ってるあれかああああああああ。
「それにお母さんからは、毎年年賀状届いたぞ」
「はぁああああああああ?」
「去年はひまりから届いたから、てっきり知ってるもんだと」
「どう言うことだよえ? え? 知らないの俺だけ、え?」
「離婚については、俺から申し出たんだ。母さんに迷惑はかけたくなかったからな」
「はぁ? はぁ? どう言うことだよ、迷惑って」
「お父さんなぁ、外国に居たんだ」
「はぁ?」
なんだよ、なんだよ、情報量が無量大数すぎて意味不明だよ。
「正直日本に無事に戻れるか、わからない仕事だったし、結婚したままだとお母さんにも迷惑がかかるかと思って、お母さんにも人生があるからな、離婚したんだ」
「なんだよ、そんな理由聞いてねぇよ」
「まあ、お前も小さかったからな、もう会えないかと思うと、最初から居なかった方がいいかと思ってな」
「な、なんだよそれ、俺は十二年間も親父は、家族を残して蒸発したもんだと」
「それにお前の学費、今まで誰が払ってきたと思ったんだ」
「――え?」
「だってそうだろ、お母さん仕事してるか?」
「そりゃ……」
今はもう実家から離れて少し経ったが、小さい頃からの家を思い返して見る。そういえば母さんはいつも家にいた気がする。
「……してない?」
「そうだろ、お父さんが毎年、生活費とお前たちの学費は払っていたからな、なんだ本当にお前は何も聞いてないのか?」
「聞いてないよ、小さな頃に聞いたら、お父さんはどこか遠くの国……って」
「ほら、母さんは言ってるじゃないか、だからいったろ遠い国に居たんだって」
「くそがよおおおおおおおお!! そんなの比喩表現だと思うじゃねぇかよ。子供ながらにして俺は察したんだよ、ふざけんなああああああ、ばかがあああああ」
幼い時、あの寂しさを我慢したあの日々を返せよバカ野郎おおおおおおおおおお。
「そんな勝手に切れるんじゃない。どうせその後は聞いてないんだろお母さんには。しかし、幼いお前とお母さんを残して一人海外にいったのは俺が選んだことだ。許してくれとは言わない。ただ仕方なかった、お前たちを養って行くには海外に行くしかなったんだ」
「はぁ、はぁ…………か、海外って、なにしてたんだよ親父」
「親父、いい響きだ。もう一回行ってくれ」
「うっせぇ、しね変態」
「カニ漁に行ってたんだ」
「カニ漁ってあれか、あの北のほうで、めちゃくちゃきついって噂の」
「そうだ、太平洋最北端の海、ベーリング海で毎年40日間だけ行われるあれだ。あまりに危険な仕事であるが、メリットも大きい、お父さんが大金を稼ぐにはそれしかなかったんだ」
俺たち家族が生活できるために、そんな危険なことを……
「――って、いい話に流されるところだったわ」
「いや、確実にいい話だろ。父ちゃんこれでも何回か死にかけてるんだぞ」
「そんなことより!」
「そんなことはなんだ! なんだ俺とジェームズとベン達の熱い海の話でもしてやろうかぁ?」
「おい! 『星空ヒカリ』ちゃんを何処にやった!!」
「お父さんの十八番、アイザックとベンリーの涙なくては語れない、伝説の親子二十回目の航海でもいいんだぞ」
「頼む、糞親父教えてくれ。『星空ヒカリ』ちゃんは何処にいるんだ、な。本当は居るんだろ、代わってくれよ」
――頼む、神様、俺後生の願いだ。せ、せめて俺の親父が『星空ヒカリ』ちゃんの魂であることだけは嘘であってくれ。
「もー、さっきから私は居たじゃないですか、はんなりさん。ぷんぷん」
一拍置いて、通話からは俺がいつも配信で聞いているVtuber『星空ヒカリ』の声が聞こえてくる。
ああ、耳が幸せだ、やっぱり糞親父ともう一人、本物の魂の『星空ヒカリ』ちゃんがいるんだぁ。
「もー、はんなりさんの分からずやさん! さっきからぁ、そう俺は話しているだろう」
俺はVtuber『星空ヒカリ』の声が途中で、中年男性の声に代わる奇跡の瞬間を聞いてしまった。
知ってた。
「やっぱり、親父なのか」
ああ、さようなら俺の青春。
「だから最初に言っただろ、『星空ヒカリ』は俺なんだんだ」
「くっそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
届け俺の叫び、天まで届け、この世界の終わりだ。
「そんなのって。俺のヒカリちゃんがぁ! 俺のヒカリちゃんがぁ!」
「あ、あとぉ、はんなりくん?」
「な、なんじゃい、ヒカリちゃん!」
くそ噛んだ、この癒しボイスの正体が糞親父と分かっていても、姿が見えないから反応してしまう。
「お前正直キモいぞ、今回のDMだってよくなこんな気持ち悪い文章書けたな、正直気持ち悪すぎて鳥肌立ったわ、あとハンドルネームも毎回キモすぎるコメントするから覚えただけだ」
「くそがああああああああああああああああああああああああああああああ」
ああ、殺せ、さぁさぁ殺せよ、ああ、殺せ。 細川光大 心の一句
「返せよ、俺の純情、足だろうが腕だろうが心臓だろうがくれてやる。だから返せよ、俺のヒカリちゃんおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
「お前が勝手に勘違いをしたんだろ、ガチ恋勢っていうんだろ、お前見たいやつ」
「星空ヒカリちゃんはなぁ、星空ヒカリちゃんはなぁ、自分の星空高校生が廃校になりそうで、それを何とかしようと一人でコツコツと、広報部長として、放送してだなぁ!、帰国子女で! 誰よりも負けず嫌いで! リスナーの事は絶対大切にして! 熱血で! ちょっと歌は古いけどいっつもみんなのために新しい曲を勉強してきて! おちょっこちょいで、放送時間を1時間早めに始めちゃったり! 料理放送なんかは毎回丸焼きで! ちょっと家庭力がないのがまたそれが可愛くって! それで!、それでぇ!」
「うわぁ、お前。よくそんな設定まで覚えているな」
「はんなりくん。きっもーい」
「ぐはああああああああああああああああああああああああああああああああ」
一年間毎夜毎夜、夢見た彼女が、俺をキモいと罵っている。この世に神はいないのか。
「――ん? ちょっと待てよってことは、【安眠ASMR】放送は?」
「ああ、放送でも言ったと思うが、全部俺が考えたセリフだ。あれが意外と難しいんだわ」
「ふざけんまなあああああああああああああああああああああああああああ」
「はぁ、はぁ、はぁ。ん。じゃあ、じゃあ、あれか? 俺は毎晩毎晩加工された糞親父のボイスを聞きながら、安眠をしてたってことかよ」
「ま、まあ、ちょっとは父さんらしいことが出来たかな。覚えているかお前が小さいころ良く昔眠れないときにも、よくおはなししてあげたなぁ」
「きもちわることいってんじゃなえええええええよおおおおおおおおおおおお」
「そんな気持ち悪いとはひどいな息子よ」
「はんなりくん怖ーい」
「あ、あとそのちょくちょく、ヒカリちゃんボイスでしゃべるのやめろ」
いまだに糞親父が『星空ヒカリ』ってことが認識したくなくて、本人に感じる。いや本人なんだけど。
「なんだ、お前のリアクションが面白かったから、もう少し遊んでいたかったんだけどな」
「はぁ、はぁ……十二年来の息子をおもちゃにしようとか、どんな神経してるんだ、この糞親父は」
「父さんは怖いよ、お前がちゃんと恋愛してるか、お前? ま、まさか、未だに童貞じゃないだろうな」
「そ、そんなのは親父に関係ないだろ」
うるせぇ!俺は『星空ヒカリ』ちゃん一筋だったんだよ。
「いいか、お前みたいな奴をネットではユニコーンっていうらしいぞ、お互い処女と童貞で初夜を迎えようみたいな考え方のやつをな」
「やめろ、やめろ、やめてくれ」
「普通に考えてみろって、たとえ『星空ヒカリ』ちゃんが現実にいたとしても高校生だぞ。そんな経験1つや2つ」
「うああああああああああ、やめろおおおおおおおおおおお」
「だいぶ、拗らせてるなお前」
「はぁ、はぁ、はぁ。ああ、でもお前よりはイカれてんねぇよ、糞親父」
「まあ『星空ヒカリ』ちゃんは処女だから安心しろ!」
「――え? それはどういう」
「お父さんもまだ『処女』だからな! あの男しかいない空間で十二年間守り通したぜ!」
「しねかすがあああああああああああああああああああああああああああああ」
「汚い言葉を使うな、光代。まずは言葉遣いをだな……」
ああ、神様祈ります。本当に神様がいるなら、どうかここ男を殺す力を俺にお与え下さい。それもダメというのなら、ほんの30分前でいいんです。あの写真を送信する前の俺を止めてください。
「って聞いてるか光代?」
「誰がテメェの説教なんか聞くか、それでぇ、いつ日本に帰ってきたんだよテメェ」
「あーと、2年前くらいかなぁー、たぶんそこらだ」
「じゃあ、なんで帰ってきてくれ無かったんだよ」
そうだよ、お前が帰ってこないせいでな
「ん? どうした」
「知ってるかよぉ、教えてやるよ、糞親父。母さん来月に再婚するんだぜ。知ってたかよ、お前が十二年も俺らの事をほったらかすからだああ、ロシア帰りのイケメンと結婚するって言って」
「ああ、それは父さんだ」
「だあああああああああああ?」
「なんだ母さんちゃんと言ってるじゃないか。そうだもう一度式もあげるんだぞ、いいだろぉ」
「――はぁ? だってロシア帰りの……」
「ベーリング海がどこにあるか知ってるのかお前は、ロシアとアメリカの間だぞ」
「イケメンって……」
「母さん、まだこの俺をイケメンって言ってくれるのか、嬉しい限りだ」
はぁ、もう疲れた。だめ、だ。なんか俺悪いことしたか?
「はいはい、わかりましたよ。俺の推しているVtuber『星空ヒカリ』は12年間に蒸発した俺の糞親父ってことであってるかい?」
もうどうとでもなれだ。しらん。でも家族がこれで揃うのか……
「だから最初からそう言ってるだろう。それに俺はお前には嘘をつく様な事はしない」
「嘘? そうだよ糞親父、昔蒸発するときに時にお前『アイドルになる……と……かぁ』、いみふ」
あー、途中で気づいた俺が悲しくなくる。
「ああ、男と男の約束をした。俺は今アイドルVtuber『星空ヒカリ』だ」
あああああああ、あああああああああああああああ脳がバグりそうだ。
「つっ、な、なんで親父はアイドルなんて、そんな意味不明な約束をしたんだよ。だれだよそいつ」
「誰って、お前だよ光代」
「――はぁ? 俺?」
「そうだ、当時お前はアイドルって単語にはまってたらしくてな、俺が出ていくときに駄々こねてだな。仕方なく『アイドルになるから』って言ったらな、お前が『約束ね』って言ってきたんだろう」
「はぁ!?、じゃ、じゃあまとめると、糞親父は俺と母さんとひまりを養うためにベーリング海へカニ漁へ、日本の帰国後は、俺との約束を守るために、アイドルVtuberになったと」
「ああ、そうだ! だがなどんな荒れ狂う波よりも、アイドルになるのが一番大変だった。最初はな地下アイドルってやつから始めたな!」
「リアルの!?」
「仕方ないじゃないか十年も日本に居なかったんだぞ。地下アイドルだってかなり一番低いハードルを選んだんんだ」
やめてくれ、十年間ベーリング海に居た海の男がフリフリのレースの服装を付けて踊らないでくれ、それはグロ画像だ。
「半年頑張ったんがな」
「半年もやったのかよ!? やめろよ一日で! 気づけよ」
「その時の知り合いにな、男と男の約束でアイドルにならないと妻と子供に合えないって相談したらな」
ごめんなさい、その時相談された人、すいません、本当にすいません。
「いやー、驚いたよ。今は姿と声を変えてアイドル目指せるって言うんだもんなぁ」
ああ、そうだね。つまりは、ヒカリちゃんは俺が生み出したモンスターだったってことかー、くそっ。
「だがなぁ、なってからも大変だったんだよ。金はあったからなーパソコンとか設定はその人が用意してくれたんだがなぁ、いかんせん女のしゃべり方が出来なくてなぁ、最初は男ってバレないように英語で話してたんだよぉ」
ああ、知ってるよ。ヒカリちゃんは登録者1000人弱までは、帰国子女って設定があったもんなぁ。
「でもな、調べれば調べるほど天井が青天井でなぁ、どこまで行けばアイドルなんだってなってな、チャンネル登録者数増やすために、いろいろやったよぉ」
そして糞親父は自分の武勇伝を語り始めた。
「ぐるぐるバットした後に、寿限無を読んで、噛んだらまずいグミ食べるとか」
ああ、【1500人記念】罰ゲームありぐるぐるばっとで寿限無【個人Vtuber】 だね
「同じ歌を100回歌う放送とかなぁ!」
ああ、【めざせ!5000人!!】歌いまくれ!!同じ曲を!!【星空ヒカリ】だね
「あとは、リン◯フィットとかいう運動ゲームもやったなぁ!あれは非常に伸びたんだ」
ああ、初めてのリン◯フィットアドベンチャー放送で、負荷100をたたき出して、そのまま16時間以上変わらないペースでやったから、中の人はアスリートか、複数人疑惑が出た【リン◯フィットアドベンチャー】はじめての運動です!【星空ヒカリ】だね。まさか中身は十年間ベーリング海で鍛えた海の男とはだれも予想がつかないよ。
ああ、俺の輝かしい1年間の『星空ヒカリ』ちゃんとの思い出が、自動的に糞親父との思い出にすり替わっていく。
「それでな、光代」
「んなんだよ。もういい、好きにして。殺して」
「お母さんに会う前に、一度会わないか」
「あ? まあ別にいいけどさ。なんぞ?」
「んーあんまり、通話ではなぁ。直にあって話したい。どうだ時間取れないか」
「まあ、いいけどさ」
なんだ、母さん絡みの悩み事か。まあそうか、結局まだ十二年あっては居ないんだもんな。
「場所はどこでもいい、ファミレスでもレストランでも、お金が必要なら父さんが出す」
「場所はどこでもいいって、糞親父時間はどうなんだよ」
俺にだって大学があるんだ。
「あー、えーっと時間だな。明日は、二十二時から【ASMR】お休みねむねむ配信の放送の予定があって、明後日は十三時から【異色のコラボ】青島&星空のブルースカイ実況【最終回】の予定が。
「があああああああああああああああああああああああああああああ」
「なんだよ、俺はちゃんと明日からの配信予定をだなぁ」
「ぅそがああああああああああああああああそうだ、親父は星空ああひかあああああ虫唾が走る」
「お、明日の午後三時はどうだ、それだとちょうどいいんだが」
「あ、ああ三時? じゃあそれでいいよ、場所は……めんどくさいから俺の家でいいか?」
「おお、そうか自宅でいいか、ありがたい。ありがたい。」
なにがありがてぇんだ。お金がかからないってことか?
「糞親父ちゃんとお土産は持って来いよ! ちゃんと十二年分のな!」
「おうよ、任せてくれよ」
「お土産はお父さんとか言い始めたら、もう知らないぞ」
「そんなケチなことはせんよ、じゃあ明日3時に向かうな」
「あ、ああ」
そう言って、十二年越しの親子の会話が終わった。
細川光代は普通の大学二年生である。
幼いころに父親が蒸発をしたという事実を除けば、何不自由ない生活を送ってきた。
彼は自身の通う大学の階段教室で大きなあくびをしていた。
「ふぁぁぁー、まじ一限つらみがふかい」
階段教室の中段の程の最も左の列の壁側、それがこの講義では俺達の定位置となっていた。
「んんだよ眠そうじゃん、光代」
そう言って悪友の一人、三ヶ島歩夢が隣の席に腰を下ろす。
「ああ、歩夢かどうした」
「昨日どうしてあの後、入ってこなかったんだよ、結局野良入れてやることになったじゃねぇかよ」
ああ、確かに昨日はそんなことを言って解散した気がする。
昨日はあの後、絶望と、喪失と、悲しみと、少しの喜びという複雑な感情にまみれたのでそのまま寝たんだ。翌朝伸びに伸びたペヤングを発見した時の糞さと言ったら、それはそれは。
「ああ、昨日はいろいろあってな……」
あまりにも遠い目をする俺に、三ヶ島歩夢は逆の意味で邪推をする。
「ああ、あれか? 昨日の配信で名前でも呼ばれたりしたか!? それともなんかいいことあったか?」
昔だったら余裕で脳内再生された『星空ヒカリ』にまだ見ぬ、筋骨隆々の中年男性のビジュアルが追加される。
「おえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」
俺の体が昨日の絶望に拒絶反応を起こして、えづく。
「おい、おい、どしたんだよ。昨日の飲み過ぎたかぁ?」
「い、いや、今は『星空ヒカリ』の話は、しないでくれ……」
「んん? っそうだ、これ見ろよ!やっぱり昨日の『大黒天』だったぜほら!」
俺の目の前に差し出された三ヶ島歩夢のスマートフォンには、昨日配信したであろう『大黒天』の切り抜き動画が再生されていた。
「うぇいーす」
そこに悪友の最後の一人畔上琢磨が合流してくる。
「お、なになに?」
「昨日のあれよ、あれ!」
「あーあれな」
確かに再生されている切り抜き動画には、昨日の俺たちが惨敗した試合が、彼女達『大黒天』の神プレイとしてまとめられていた。
「あー、マジ最高だぜマリーちゃんのスナイパーライフルに殺されたんだからなぁ」
「ああ、至高だぜ、かりんちゃんにノックされたんだもんな俺」
いいなー、ただゲーム内で殺されただけなのに、なんでコイツらは幸せなんだろう。
俺なんて1年半推したVtuberが、親父にジョ◯レス進化したというのに。ア◯モンがオメ◯モンになった時より衝撃的だったわ。
「…………はぁ」
俺は思わず机に突っ伏す。
「お、おい見ろよ光代」
あーん、もういいだろ、自分たちがぶっ殺されてるだけだぜ。そんなの見ても。
「ほら、女王様のお通りだ」
流石に聞き捨てならないワードに、顔を上げて教室の中を見渡す。
四百人が悠々と入る大学の階段教室で、未だ講義も開始前で人がうっそうとしている中でも一目でわかった。
すれ違えば目で追わない人はいない、ぬばたまの黒髪ロング、入学してたった一年で、この大学ほとんどの男子学生の心をわしづかみにした、大学内でも一二を争う美貌の持ち主。彼女名前は西園七海。
男子学生の中では女王か女王様というあだ名で通っている。理由はいたって単純で大学内での撃破率の高さだ。その美貌に踊らされた男子学生はついぞ知らず。昨年行われた学園祭のミスターコンテストの優勝者と準優勝者がそのインタビューで告白をしたが、その二人ともが撃沈したのは有名な事件だ。
俺はそんな彼女に見とれている二人を見て。
「おいおい、お前達。さっきまではしゃいでたマリーちゃんとカリンちゃんはどこに行ったんだよ」
「それはそれ」
「これはこれ」
おい、おいダブルスタンダードかよ。
「別にいいだろ、お前だって星空ヒカリちゃんのコスプレイヤー者で抜いたりするだろ」
「おろろろろろろろろろろろろろ」
だ、だめだ。頭の中で、ベーリング海の屈強な海の男が星空高校の制服をぱっつぱつ出来ているイメージが浮かんできた。
「おいおい、今日は本当にどうしたんだよ。マジで調子悪そうだな」
「大丈かよ。今日は代返しとくか?」
くっくそぉ。もう俺の頭の中が昨日糞親父のために予習した、カニ漁を特集したディ〇カバリーチャンネルの動画が俺のヒカリちゃん像を侵食し続けている。
「…………くそぉがぁ」
机に突っ伏し、絞り出すような声で。まだ見ぬ糞親父と罪のない海の男達に憎しみをぶつける。
「おいおい、マジで大丈夫か」
「ああ、大丈夫だ」
「ほんとかよ、あっ、じゃあこの後いつもみたいに、お前の家行っても良いか? この前の漫画の続きが気になる」
大学では一限受けて五限なんてことが稀にあり得る。俺は月曜日は1限だけだが、三ヶ島は5限にも講義をとっている。
俺は大学の近くにアパートを借りているので、そう言った時はオレ達は、大学で暇をつぶすか、俺の家でゲームや漫画を読むやらをするのが最近の流行りだ。
「あー、悪い今日はパスだ」
「じゃあ、今日は食堂でなんかすっか?」
「いや、今日は真っ直ぐ家に帰らなきゃならねぇ」
「じゃあ、いいじゃねぇかよ。部屋の片づけでもすんなら手伝うぜ」
「いや今日は、マジで無理」
俺の家には帰るけど、お前たちは来るなといういつもとは違う態度に彼ら二人は邪推を始める。
「なんだぁ、女か? 女なのか?」
「ちげぇよ」
昨日女じゃなくて男になったんだよ。
「そんなんじゃねぇよ」
本物の『星空ヒカリ』ちゃんが自宅に来るんだったらどんなによかったか。いや本物ではあるのだけど。
「怪しい」
「怪しいぞな」
「そんな、怪しくねぇって」
「あれか、デリヘルか」
突然公共の場で、おかしなことを言い始める右隣の友人の口を急いで塞ぐ。
「ばっか、声でけぇよ」
「なんだ、それなら最初から言えよ、俺達だってお前の邪魔はしねぇよ」
「ちげぇけよ、ちげぇ」
「じゃあ」
「親父に会うんだよ」
「親父ってお前さんの?」
「そう十二年ぶりに、海外から帰ってくるんだ、で家に来るんだ」
「なんだ、俺はてっきり女かと」
ああ、女性だったんだ、昨日までは。
「うちに三時で待ち合わせだからよ、これから帰って片付けとかしなきゃいけないし、すまんな」
「おけー」「おkー」
俺達はその後一限を受けてから大学で別れた。
「あーつっかれた」
俺はいくらバ美肉声をしてVtuberを一年半以上している、変態糞親父でも最低限の礼儀は守ろうと部屋の大掃除をした。
一年以上実家を離れての大学生の一人暮らし。汚れているもの、散らかっているもの、隠さなきゃいけないものはごまんとあった。
まあ親父は同性だしバレたところでなんだけどな。
片付けの最後に、シンクのヘドロを自分にぶっかけなければ順調に終わったはずなんだ。
最後の最後に未だにシンクから異臭を放つ物体Xとペヤングの集合体をビニール袋に入れたまではよかったんだが、足を滑らて頭からかぶってしまった、それで現在シャワー中というわけなのだが。
「なんだかんだ、言ってちょっと緊張するな」
どんな人なのだろうか、やっぱり筋肉ムキムキの海の男なのだろうか。
ピンポーン!
「やべっ」
来訪を知らせるチャイムが響く。
「くっそ、どうする」
とりあえずはシャワーを止めて風呂間場から出て、腰にタオルを巻く。ワンルームの小さい間取り、風呂場から玄関は目と鼻の先にある。
この扉の向こうに、親父が居るのか。
ピンポーン!
再びチャイムが鳴る。
「ちょっと、待ってなーって」
パンツ、パンツどこだ、あれ昨日ここに洗濯したのを閉まった気がする。流石に腰巻一枚で出るのも失礼ってもん。
ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!
うるせぇよ、わかってんだよ。
あれ、パンツはー
ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!
あれー、って
ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!
「うるせぇぞ!! 糞親父、常識ってもんがねぇえのかよ!!近所めいわ……く……」
流石の呼び鈴の連打に、俺は腰巻のまま玄関を開け放った。
「あなたが細川くん?」
「え」
「え」
開け放った扉の向こうには、我らが大学の女王様 西園七海が立っていた。
はらっ
そして俺の腰に巻いたタオルがずり落ちた。