奇人変人②
レンの気合いも裏腹に、私は出張業務の報告書を仕上げますので部屋に籠ります!と宣言したハカセは、終業時間の現在まで姿を表すことはなかった。今日は来客も少なく、余裕をもって業務を終えることができた悠とレンはそろってふぅと安堵の息を吐き、初めて治が不在の一日を乗りきった悠は、レンに何度もお礼を告げてあの世へ帰るのを見送った。
『もしもし?ごめん、今日中に店に帰れないかも…』
「えっ」
日報を書き上げてふと時計を見上げた悠は、治の帰りが遅いなと首を傾げた。そういえばはっきりとした帰宅時間は告げられていなかったけれど、今日の夕飯は治の当番だったし代わってくれとも言われなかったし、それまでには帰るのだろうと思っていた。なので、スマホの画面に表示された霊剣の名前と電話口の治の申し訳なさそうな声に、一気に不安が押し寄せた。
『一応仕事終わってそっちに帰ってるところなんだけど、どうもこの先で事故ったらしくて全然進まないんだ…』
高速に乗って暫し走ったところで渋滞が始まり、とりあえずサービスエリアに避難して連絡したらしい治の声は、少々疲れの色がにじんでいた。一先ず今から下道に降りて渋滞を避けつつ帰宅するつもりであるらしいが、慣れない土地の夜道を通るため、一体いつ頃帰宅出来るか検討もつかない。
『あ、それでね、そろそろハカセがお腹空いたって騒ぎ出す頃だと思うんだけど、今日の帰りに買い出しする予定だったから冷蔵庫ほとんど空っぽでさ…。外食でも出前でも良いから2人で夕飯済ませてくれる?』
あ、領収書は僕の名前で切ってくれたら大丈夫だから…。と話す治の声の途中で、ドタドタと廊下を走る音の直後にすぱぁん!と扉が開き、お腹がすきました!!と何故かドヤ顔のハカセが仁王立ちしていた。
「えぇ!?今日の夕ご飯はどうなるんですか!?」
「ハカセ、まずは霊剣さんの心配しようよ…」
治との通話を終えてハカセに一通りの説明をすると、第一声が夕飯の心配だった。
へろへろとしゃがみ込むハカセの不満の声とともに腹の虫が鳴くので、そんなに腹ペコなの…?お昼に俺の分のサンドイッチも食べたのに…?と口元を引きつらせながらも、悠はスマホで近所の飲食店やデリバリー可能な店舗を検索する。ピザやハンバーガー、丼物各種、ラーメン…寿司はさすがに治に申し訳ない…少し歩けばファミレスはあるし…と悩む悠がハカセに意見を求めようと顔をあげると、さっきまでしゃがみ込んでいたはずのハカセが畳の上に突っ伏してぴくりとも動かなくなっていた。
「えぇ!!?ちょ、ハカセ!!?」
「霊山さん…私はもうダメです…お腹がすいてここから一歩も動けません…」
「そんな大袈裟な…。動けないなら何かデリバリー頼むからさ、何が良い?」
「今から頼んだって…この時間じゃあ届くのは一時間以上後ですよ…。夕飯時を舐めちゃいけません…きっとその間に私は餓死します…!」
ぅおおぉぉ…と鳴き声のようなうめき声のような発声をするハカセは畳の上にうにょーんと身体を伸ばし脱力する。外食もデリバリーも無理ってこと…?わがままだなぁ…とため息を吐いた悠は、ダメ元でキッチンにある食材を確認することにした。
キッチンの使用頻度が一番高い治が空だと言っていたし、あまり期待せずに開いた冷蔵庫は案の定スカスカだった。社長の土産物らしい和菓子の箱と調味料の類が隅にぽつぽつとあるだけで、食卓に並びそうなものはな……あ、卵が3つある。その下の野菜室にはもやしが一袋と大き目のキャベツが半玉。一番下の冷凍室に小分けにされた豚肉が少々残っている所まで確認して、悠は戸棚へ振り返った。
「小麦粉…鰹節…あ、即席めんもある…」
これだけあれば自分の得意料理ができるかもしれない。お腹もいっぱいになるし調理も慣れているし、瀕死のハカセには食卓で少しだけ待っていてもらおう。客間にとんぼ返りした悠は、ぴくりとも動かなくなったハカセをおそるおそるつついた。
「あのーハカセ?お好み焼きなら作れそうだけど、それでも良い?」
「お好み焼き…!私、キャベツたっぷりの広島焼きが良いです!」
がばりと勢い良く起き上がったハカセは、先程まで一歩も動けないと言っていた発言は何処へやら。きらきらと目を輝かせて悠にリクエストまで告げる始末である。
ぐっと拳を握って自身を見上げるハカセに、じゃあすぐ調理するねと踵を返した悠が、あ、そうそうとゆっくり振り返るので、ハカセはきょとんと首を傾げた。
「ハカセ、"広島焼き"じゃなくて"お好み焼き"だよ。間違えないでね?」
「えっ、あ、す、すみません…?」
笑顔なのに、顔はとてつもなく素敵なスマイルなのに何故か背後にとんでもないオーラを纏って見える悠のプレッシャーに、ハカセはどもりながらも素直に了承の返事をする。それを聞いてすたすたとキッチンへ去っていく悠の背中を見ながら、ハカセは友人に聞いたとある噂話を思い出していた。
広島県民に広島風お好み焼きの事を広島焼きと言うととてもお怒りになるという噂、まさかこの身に体験することになろうとは…!
はわわわと戦慄するハカセは脳内に、霊山さんは広島県民。広島焼きはNGワード。…もしかしたら赤色の野球チームについても発言に注意が必要かもしれない…。と書き出した。
※噂については諸説あります(by一広島県民)
―――――――
「……えーっと、おめでとう?」
「あ、りがとうございます…?」
翌日、結局一晩ホテルに滞在して翌日の帰宅となった治は、始業後の客入りのないタイミングで悠に昨日の様子を訪ねた。特に問題なく過ごせましたけど…と前置きした悠は、業務中はレンのサポートを受けつつ自室にハカセが籠っていたために平和であったこと、夕食時に駄々っ子から屍へと変身したハカセの対応はどうしたものかと思ったが、自信作のお好み焼きを作ったところご機嫌になってくれたこと。何故か懐かれたらしく昨晩も今朝も些か高いテンションで挨拶され少々戸惑ってしまったというところまで報告したところ、疑問符付きの祝辞を述べられ同じく首を傾げながらお礼を告げた。
「まぁ、ほいほいモルモットにされなくなったみたいだし良かったよ…」
あの子の胃袋を掴んでたらとりあえず危害は加えられないから大丈夫だと思うよ…と遥か遠くを見つめながら苦笑する治に、もしやこの人も胃袋掴むまでは被害者だったってこと…?今まで一体どんな目に遭ってきたの…!?と思いながらも怖くて全容を聞くことができなかった悠は、すっと手元の書類に視線をうつした。…世の中には、知らないほうが幸せなこともある。
扉を開け放った縁側から風が吹き抜け、穏やかな時間が流れる。基本的に明確な繁忙期閑散期のないこの店であるが、時折ふっと仕事が落ち着く時があると治は言う。今日はその一日なんだろうなと思いながら書類を仕上げた悠は、それをまとめて治へ手渡す。ありがとうとそれを受け取った治は、時計の針が午後を回って暫く経過しているのを見てふむ、と顎に手を添えた。
「今日はお客さんもほとんど居ないみたいだし、事務仕事も捗ったから、レンくんたちが外回りから帰ってきたら仕事終わろうか」
「え!マジですか!?」
ぱぁっと表情を明るくした悠は、手元に残っている仕事の処理スピードを一段階あげる。明日は店休日であるし、久しぶりに出かけるのもいいかもしれないとワクワクしている悠をみてこっそり笑った治は、自分も明日はのんびり起床して仕事に触れなくて良い一日にしようとキーボードを叩いた。
―――すぱぁん―!!
――――がたがたどたん!!
「霊剣くん明日暇!?」
「霊剣さん明日暇ですか!?」
「………………一応これと言った急用はないですけど…僕の身体は一つしかありませんよ…?」
平和な時間をぶち壊すように、客間と廊下を隔てる襖と玄関の立て付けの悪い扉が同時に開き、ハカセと社長が同じセリフを言いながらやって来た。…さよなら僕の休日…。と遠い目をしながら答えた治を見ておろおろする悠へ、大丈夫こんなことしょっちゅうだからと力のないサムズアップをする治を他所に、指名する人物が被ったハカセと社長は何やらもめている。
「社長さん!先に声をかけたのは私ですからね!霊剣さんは私に譲ってください!」
「いやいやハカセくん、ボクのほうが少し早かったでしょう?明日の霊剣くんはボクが借りて行くよ☆」
「霊剣さんの意思は…?」
「この二人が聞いてくれると思う…?」
「…………ご愁傷様です…」
…悠にはそう言うしかなかった。
せめて今日の内に休める時間を作れればと、残った仕事に手をのばす。未だどちらの用事に治を突き合わせるか議論しているハカセと社長。治の目元のクマは、こうして休日がつぶれることも原因なのではないかと頭の片隅で考えていると、急に霊山さん!と呼ばれ書類を握り締める。あぁっ、シワがついた…!
振り返ると、話し合いに決着がついたのか悠に詰め寄る形のハカセと、その後ろでドヤ顔でピースサインを作る相変わらずサングラスに黒ずくめの社長がいた。……あの人ほんとに四六時中あの格好なのかな…。
「霊山さんも明日お暇ですよね!」
「ねぇせめて疑問形で言ってくれる?」
「社長さんの御用は取引先さんとの会食だそうなので、お仕事であれば私は手を引こうと思います!」
「聞いて?」
「ちょっと社長、そうゆう予定は前もって伝えてくださいとあれほど…」
「だから今日伝えに来たのさ!明日の16時にここへ迎えを寄越すから支度しててね!」
「電話と言う文明の利器を使ってもらえます…?」
「それで、霊剣さんからは手を引いたので、私は霊山さんで手を打ちます!」
「………………は?」
いろいろツッコミどころが多すぎて一音しか声に出なかった。
話を聞かないし暇と決めつけるし(実際急用はないのだけれど…)手を打つって仕方ないみたいな言い方をされても…。何から言い返せばいいのやら…と悠が頭を抱えている間に、ハカセはぴらりと悠の眼前に一枚の紙を差し出した。
「………なにこれ」
「パーティーの案内状です。これに一緒に来てください!」
「は!?」
「あ、特に気負わなくても平気ですよ?一緒に会場に行って適当にご飯食べてにこにこしていれば大丈夫なので」
「それどんなパーティー…?」
「私のパパのお友達のお誕生日パーティーです」
「…………ねぇ、お誕生日パーティーの会場にクルーズ船一隻貸切るってどんなお友達…?」
拒否権はなさそうだとざっと案内状に目を通した悠は、口端を引き攣らせながら問いかけた。
それに有名企業の社長の名を告げたハカセと、ハカセのお父様はこの方だよとノートパソコンの画面を見せて来た治に、悠は目を見開いて固まった。
『敏腕外科医 羽田義仁!彼に救えぬ患者はいないのか!?』
何かの記事だろうか、ドラマのような見出しの下に写る写真の人物は、きりりとした顔つきと黒縁のボストン眼鏡の奥でも鋭いとわかる眼差しをしている。悠もテレビで見かけたことのある有名な医師を示しながらおそるおそるハカセを振り返ると、あ、それです私のパパ~とにっこりと笑みを返されて、悠はとても場違いな場所に連れていかれようとしていると察した。
「拒否権を…!ください…!!」
テーブルに項垂れて発した悠の叫びは、笑顔のハカセに一蹴された。
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