愛縁奇縁③
その日、一人の人間の訃報が世界中に衝撃を与えた。世の誰もが一度は姿を見たことがあるのに、誰も正体を知らない男の死に、各報道機関やSNSでは驚きや悲しみの声が広がり、交流屋利用者からは動揺と戸惑いの声が上がり、社員たちは自身の狼狽する心を抑え込みながらもそれらの対応に目を回し、世間の混乱を楽しむ愉快犯たちは、突然すぎるその死に陰謀論を唱えてはしゃぎまわっている。
そんな一連の騒ぎの情報をタブレットでざっと眺めていた治は、黒いシルクのネクタイをきゅっと締め直すと、電源を切った端末を鞄にしまって席を立つ。慣れない真っ黒のスーツはそわそわと緊張感を掻き立てるけれど、"あの人"を象徴する色だと思えば、なんだか特別なエールをもらっているような気がした。
――"交流屋社長の急逝の知らせを受け、世界では混乱の声が広がっています"
―――"世界的大企業の創設者にして、誰にも素性を知らせない謎の人物は、ついにその秘密を隠し通したままこの世を去りました"
――――"本日、交流屋関係者が緊急会見を開くと言うことです"
交流屋本社の大会議室。普段は株主総会や決算報告など大人数での会合でしか使われないその部屋には、今は多くの報道陣が詰めかけていた。控室からゆっくりと歩いてやって来た治は扉の前に立つと、大きく深呼吸して扉を開く。大勢の記者の視線と無機質なカメラレンズが一斉に治の方を向いて、入室したその場で深くお辞儀をし、顔を上げてゆっくりと演台に向かうまで、バシバシと眩いフラッシュが治の視界を明滅させる。眩暈を起こしそうなほどの眩しさを、ぐっと瞼を閉じて遮断して、次に目を開けた治の瞳には、フラッシュに負けぬほどの強い光が宿っていた。
「みなさま、この度はお騒がせしてしまい大変申し訳ありません。突然の知らせでさぞ驚かれた方も大勢いらっしゃると思います。一連の経緯と交流屋の今後について、簡潔にではありますが社長の息子である私からご説明いたします」
自ら息子であると名乗った治に、報道陣がざわりとどよめく。公には知らされていなかった情報に戸惑う彼らに畳み掛けるように、治は口を開いた。
「父は、数年前から病魔に侵されていたそうです。私を含め会社の者は何も知らされておらず寝耳に水でございました。本人曰く、心配をかけたくなかったとのことなのですが……父が懇意にしていた医療従事者とともに励んでいた治療の甲斐なく、病状が悪化した父が旅立つのを、私は静かに見送りました」
「葬儀などは父の希望で、近親者のみですでに執り行っております。献花などをご希望されるお客様からのお問い合わせをいただいておりますので、ただいま献花台の設置とお別れの会などの場を設けられるよう準備を進めております」
「交流屋の今後につきましては、みなさまに変わらぬサービスとご縁を提供できるよう、交流屋一同全力で邁進してまいりますので、どうか今後ともご愛顧のほどよろしくお願いいたします」
背筋を伸ばして頭を下げた治の姿を、パシャパシャとカメラのフラッシュが照らしている。数秒そのままで静止していた治がゆっくりと顔をあげると、質疑応答の時間がはじまり報道陣が我先にと手を上げた。
――社長さんの病名は何だったんでしょうか?
「申し訳ありません。そちらは本人の希望によりお答えできません」
――遺言状などは残されていたんでしょうか?
「はい。事前に親しい弁護士の方に預けられていたものを、昨日受け取りました」
――息子さんが居るというのは、世間の方々は初耳だと思うのですが、何故今まで隠していたんですか?
「父も私も、意図的に隠していたわけではありませんよ。社員や取引先の方々にはご挨拶に伺わせていただきましたし、私がこうしてみなさまの前に姿をお見せする機会がなかっただけの事です」
――社長が居なくなって、廃止せざるを得なくなる事業もあるのでは?
「それはあり得ません。今後、より良いサービスを追求するうえで業態が変化することならばあり得ますが、社長が居なくなったことで存続が危うくなるような仕事は、我々しておりませんので。現在我が社をご利用いただいているみなさまも、そこはご安心ください」
――社長さんの死があまりに突然すぎて、世間では陰謀論を唱える声も上がっていますがご存じですか?
「ええ、もちろん。サスペンスドラマの脚本を書くのがお上手な方が大勢いらっしゃいましたね。どんな憶測をされようとかまいませんが、どうかその根も葉もない妄想たちが、社長の死を悼んでくださる方の目につかぬようご配慮いただければと思います」
――"次期社長の座を狙う人間が殺害したんだ"との声が多くみられるんですが、息子であるあなたはその筆頭ですよね?
「…………おや?先ほどの私の回答を聞き逃していた方がいらっしゃいますね」
次々と飛んで来る質問に粛々と答えていた治の声が、ここに来てぐっと低くなる。にやにやと加虐的な笑みを浮かべていた記者はひくりと口角を引きつらせ、まっすぐ自分を見つめる治の視線に冷や汗が背中をつたうのを感じた。
「重ねて申し上げますが、社長の死を悼んでくださる方々に、余計な憂いをもたらさないでいただきたい。……ですが、そうですね。一部の方が懸念されていることについては、きちんとお答えさせていただいた方が良さそうです」
「まずは、はじめの前提からすでに間違っているんですよね。私はこれからもその先も、交流屋社長になるつもりはありません。もともと私は父に養子として拾われた身ですし、ここまで立派に育ててもらっておいて会社も譲り受けるだなんて、そんな強欲な人間に育ったつもりもないです。ちなみに、これはすでに役員たちにも通達済みですし、新たな役員人事についても後日正式に発表する予定です」
「社長の病状についても、お医者様よりしっかり診断書をいただいております。先に申し上げました通り故人の希望により詳しい病名は明かせませんが、社長が数年間病と闘っていた記録はしっかりと残されています」
「そして現在、みなさまやお取引先様に動揺も混乱も広がっている状況ですので、そちらの対応のため私も全力でサポートできるよう本社に籍を置くことになりますが……それが落ち着きましたら、私はまた、元居た小さな一店舗の店長に戻りたいと考えています。あの店は、父と私が家族になった家で、父に託された大切な場所なので」
淡々と淀みなく言葉を並べて行く治は、最後に胸に手を添えてゆっくり息を吐くと、会釈程度に頭を下げて再び前を見据えた。記者席を見渡すような真っ直ぐな視線に、数人の記者は気まずそうに目を背け、我先にと上がっていた質問の手は急に勢いをなくしたように見える。些か静かになった会場を見てこっそり安堵した治は、会場後方でずっと真っ直ぐに伸びていた手の主を示した。
「さて…それでは次で、最後の質問にいたしましょうか」
――顧客に対して、今後どのようなサービスを展開する予定ですか?
「そうですね、基本方針は今までと変わりません。人と人、人と物、物と物、すべての交流が円滑に滞りなく流れるよう管理し、みなさまの交流を、ご縁を、繋ぐお手伝いをしていけたらと思っています。
ひとりぼっちだった私は父に、この会社でたくさんの縁をつないでもらいました。なので今度は私が、みなさまの縁をつなぐサポートができれば、その一端を担うことができましたら、至極光栄でございます」
ほんのりと口角をあげて微笑んで見せた治が深々と頭を下げたところで、この記者会見は終幕となった。
―――――――
「…ボクはぁ"っ…!ボグは、うれじい"よぉ"…!!」
「…………ホラー映画はじまった…?」
ネクタイをゆるめジャケットを腕に引っ掛けた治が店に帰って来ると、サングラスの向こうを涙と鼻水でぐっちゃぐちゃにした社長から熱烈な出迎えを受けた。近寄りがたい社長の顔面の圧と、さっきまでの緊張感との温度差に気が抜けた治が遠い目をしていると、苦笑いした悠と可那子も玄関先まで治を出迎える。
「社長さん、きちんと手続きしてあの世で一晩過ごしたら、魂はちゃんと元の形に戻れたみたいで…」
「テレビで私たちと一緒に会見の様子を見てたんです。そうしたら、終わってから今までずっとこの調子で…」
えぐえぐずびずびと液体を垂れ流しながら、社長はびしばしと治の肩を叩いて立派になったねぇ…こんなに大きくなって...!と感激している。つい昨日、自身としても並々ならぬ覚悟と決意を胸に涙をこらえながら見送ったのに、いつも通りの親バカを発揮している社長にほんのり怒りと呆れを抱いて……いつも通りすぎる親バカっぷりに、ちょっぴり肩の力が抜けた。
「……社長、とりあえず部屋に入って顔拭きましょう」
「やだ!さっきまでお父さんって呼んでくれてたのに!!」
「呼んでませんけど!?息子を名乗った手前"父"とは言いましたけど、」
「言ってるじゃん!ほら!ついでに"お父さん"って呼ばない?」
「遠慮します」
「なぁんでよ!ボクここに来られるの今日が最後なのにぃ!」
「…………は?」
ぐいぐいと社長の背を押して部屋に押し込んでいた治は、目を見開いてその手を止めた。二人の後を歩いていた悠と可那子も驚きと戸惑いの表情を浮かべているが、そんなことも気にしないとばかりにふふんと小さく笑った社長は、呆然としたままの治の頭をぐりぐりと撫でまわした。
「まぁ、呼ぶ呼ばないの話は置いといて......最後に、立派に育ってくれたキミの姿が見られて良かったよ」
「…………ほんとに、最後、なんですか」
「うん。生まれ変わって、また会えたらいいね」
「……会いに、来てくださいよ。あなたいっつも突然僕のところに来るんだから」
「ふふ、そうだったっけ」
くすりと笑った社長は、治の頭をわしゃわしゃとかき混ぜて手を離す。ぼさぼさになった髪で遮られた視界にあくせくしていると、温度のない腕にがっしりと抱きしめられた。
「またね、治くん。キミが歩むこの先の道に、たくさんの幸福が訪れることを願っているよ」
「……はい。あなたも、どうか、幸多き旅路を」
ぎゅっと腕に力を込めて一呼吸。ぽんぽんと背を叩かれて治が腕をほどくと、最後にエールを送るように肩を叩かれる。悠と可那子にも一言ずつ声をかけた社長は客間から縁側に降り立って、見慣れた庭の景色を名残惜しそうに眺めた。一歩でも足を進めれば、もうきっとここに戻ってくることはないだろうから。
「…………またね、父さん」
ふいに、小さく聞こえた声をしっかり拾った社長は驚き振り返る。困ったような悲しそうな、けれど優しく眉尻を下げて口元に笑みを浮かべた治がひらりと手を振ったから、社長は満足そうに笑って大きく手を振りながら一歩足を踏み出した。
「さて...見送りはすんだけど、大変なのはここからかな」
目尻を指先で拭った治が振り返って言うと、悠と可那子は同意するように頷いた。会社のトップが急に居なくなると言うことは、やはり大なり小なり関係各所に混乱を招く。会社には社長自らが優秀で信頼できる人間を見定めて集めているとはいっても、彼らもきっと混乱の最中に居るのだから手助けできる"誰か"が必要になるだろう。だから治は、その"誰か"になることを志願した。
「俺たちは今までよりちょっと忙しくなるくらいですけど、本社勤務ってめちゃくちゃ大変そうじゃないですか…?」
「本社勤務って言ってもね、向こうの仕事の手伝いって言うよりは、今まで社長がやってた営業とか挨拶回りがメインなんだ。社長に連れ出されて顔だけは広くなったから、橋渡しの役割はできるかなって思って」
「なるほど、社長さんがされてたお仕事をそのまま霊剣さんが請け負う感じですね」
「そうだね。それでゆくゆくは、その仕事も本社の人たちで対応できるようになったら良いなってところなんだけど…」
言い淀んで困ったように頬をかく治に、悠と可那子は眉尻を下げる。社長が担っていた仕事は、治が代役となればとりあえずの穴埋めはできるが、さらにその引継ぎとなると人材が育つのにどのくらいかかるのだろうか。少なくとも数年はかかりそうだなと思ったのは3人とも同じだったようで、そろって顔を見合わせると、治がおずおずと切り出した。
「その……そうゆうわけだからさ、僕はしばらくこっちには帰ってこられなくなると思うんだ。だから、僕が留守の間、二人にこの店を...僕の帰る場所を守ってもらえてたら、すごく嬉しいんだけど」
言いながらそろっと目を逸らした治に、悠と可那子はくすりと笑う。そんなこと、言われなくともそのつもりだったと胸を張った二人は、嬉しそうに笑みを浮かべてぐっと拳を突き出した。
「そんなのお安い御用ですよ!」
「あなたの帰りを、ちゃんとここで待ってますから!」
二人に差し出された拳をきょとんと見ていた治は、やがて気恥ずかしそうに拳を突き合せた。
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