一期一会②
最近、レンの様子がおかしい。
と、治は何となく感じている。出勤の挨拶の声がいつもよりちょっとだけ低かったり、俯き加減で何かを考えていたり、治や悠をぼーっと見つめたかと思えば、声をかけた途端にはっとして逃げるように仕事に打ち込む姿勢を見せたり、極めつけは……
「っ、レンくん!危ない!」
「―!」
とある廃墟での仕事中、物陰から突然出現した悪意からレンを背後に庇った治の身体に、黒い靄が纏わりついた。翳したお守りの効果かすぐにそれは霧散したけれど、体勢を崩した治はその場に膝をつく。すぐに駆け寄って来た悠に大事ないことを伝えると、呆然と目を見開いたままのレンを振り返った。
「今日の仕事はここまでにしよう。レンくん、帰ったらちょっと時間くれる?」
「…はい、すみません」
しゅん…と叱られた子供のように俯いて返事をしたレンの隣に、悠がそっと並び立つ。大丈夫?とこっそりかけられた声に少し間をおいて頷いて、レンは悠とともに先を行く治の背中を追った。
現場から帰宅したその足で、レンは治の部屋に連行されていた。治に言われるがままに腕を上げて下げて、くるりんとその場で一回転して、顔色が悪くないか、身体に悪意が付いていないかのチェックをされながらなんとなく見回した室内は、シンプルなベッドとチェストに折り畳み式のデスクしかなくて、殺風景でやけに広くて生活感がないなぁとレンはぼんやり思った。
「良かった。怪我…とか、特に身体のどこかが悪いわけじゃないみたいだね」
「…はい」
「そうなると、最近キミがぼーっとしがちだったり、仕事に集中できてないように見えるのは…気持ちの方の問題ってことなのかな」
首を傾げながら顔を覗き込まれたけれど、治の言い方は問いかけではなく確信だった。このまま目線を合わせているとぽろりと口を滑らせてしまう気がして、レンはそっと俯いて目を逸らす。しばらくその様子を観察していた治は、レンが口を開く気がないことを察すると、ふむと考える素振りを見せてベッドの淵に腰かけた。
「別にね、言いたくないことを無理に吐き出させようって思ってるわけじゃないんだよ。でも、めずらしくキミがわかりやすいくらいに悩んでる…っていうか思い詰めてるみたいだから、ちょっとでも力になれることがないかなって思っただけなんだ」
僕らじゃ頼りにならないかな?と言う治の言葉を、レンは首を振って否定する。けれどそれ以上の反応を見せなくなったレンをじっと待っていた治は、ふと扉の方へ目を向けて立ち上がった。
「もしかして、僕より霊山くんのほうが相談しやすいことかな?」
「いえ…その、」
「っていうか、気になって気になって仕方ないみたいだから、部屋に入れてあげてもいい?」
「えっ」
治がそう言って扉を指差すと、その向こうからガンっと何かをぶつけたような音がする。今この店に居て部屋に居ない人間なんて一人しか当てはまらなくて、何やってんだアイツ…と思いながら、レンはこくりと頷いた。
「盗み聞きしてすみませんでした…!!」
「いや、別に大した話はしてないし…」
「まぁ、一人だけ放って置かれたら気になっちゃうよね…ごめんね」
扉を開けた先で、悠は綺麗な土下座を披露していた。そんな悠の姿勢に合わせるようにしゃがんだレンは、つんつくと悠のつむじをつつく。3人で話をするのであれば場所を移動しようと客間でテーブルを囲んだ治たちは、改めてレンに悩み事とやらを聞いてみた。
「その…悩み事とは、ちょっと違うかもっていうか……結果はどうあっても変わらないことなんだけど、それをすんなりと受け入れるのは嫌で、どうしよう…って思ってる、感じ…?」
「うん…?」
「なるほど…?」
「……あー……えっと…」
どうしようこれどうやって…なんて言えば良いんだ…。なんてぶつぶつと小さく呟きながら、レンは俯いて顔を覆ってしまった。抽象的に告げられた"悩み事"に見当もつかない悠は顔が真横になるほどに首を傾げている。
できれば"悩みの種"の本質は告げずに、まぁ時間が解決してくれるからと早めにこの話題を終わらせたいな…と言葉を選別しているレンが言葉を見つけるよりも先に、はっと息を飲んだ治は何かに気付いてしまったようだった。
「ねぇレンくん、もしかして……もうすぐ転生する?」
「え!?」
驚いてレンを振り返った悠は、顔を覆ったまま微動だにしないレンを凝視する。二人分の突き刺さる視線を感じ沈黙に耐えられなくなったレンは、顔を覆った手から目元だけをそろりとのぞかせた。不安そうにゆれる二つの瞳は、悠には迷子の子供のように見えた。
「そう…なんだね?」
「待って、もうすぐっていつ?そんな急に!?」
「……別に、今日明日の話じゃないよ。あと一週間は猶予あるし、」
「一週間!?すぐじゃん!」
どうしてもっと早く教えてくれなかったの!?と飛び出しそうになった言葉を、悠はぎりぎりのところで飲み込む。そっぽを向いたレンが何かを耐えるようにぎゅっと唇を噛んでいたからだった。転生…生まれ変わることは新たな命が生まれる喜ばしい出来事。だけれどそれは今ここに居るレンとの別れと同義で、それを悲しんで、惜しんで、受け入れがたいと思っているのはレンも同じなのだと感じ取って、悠は一度冷静になるべきだとゆっくり息を吐いた。
「……今まで同僚を何人か見送ったけどさ、だいたいみんな生まれ変わるのを楽しみにしてて、嬉しそうで、晴れやかな顔で転生して行ったんだ。オレもそうだったら、そうなれたら良かったんだけど、最近生きてた時のことをはっきり思い出しちゃったから、どうにもそんなポジティブな気持ちになれなくて…」
レンを突き落とした犯人、レン自身に無関心だった両親、人を蹴落とすことや自分の利益ばかり考えているクラスメイト、無駄に鈍感な教師たち…。思い出した近しい記憶に居る人たちは、もう一度関わり合いたいかと言われたら、はっきり否と主張したい。
けれど、だからと言って生まれ変わることそのものが嫌だとか恐怖を感じているわけでもなかった。前は散々だった人生をまっさらな状態でやり直せるチャンスでもあるのだから。
でも、もしも生まれ変わってまた前と同じような人生を送るなら、死んだままの今の方がずっとずっと楽しくて充実した日々を過ごせるし、願わくばそうであってほしいと思う。自分が生まれ変わることを、きっとめでたいことだと祝福してくれるだろう二人の気持ちを、そんなうじうじと湿った心境では受け止めきれないと思って、レンはいっそのことギリギリまで二人には秘密にしておいて、そのまま黙って居なくなった方が良いのではとすらも考えていた。
「それに……らしくないこと言っちゃうけど、二人と離れるのが寂しいってのもちょっとある。今のままが良い、今が楽しいって、ここで二人と出会わなかったら、きっと思いもしなかったから」
ぽつりとレンが呟くと、誰かが息を飲んだ音を最後に室内がしんと静かになる。先程までとは質の違う沈黙に照れくさくなったレンは顔を上げてなんとかはぐらかす言葉をひねり出そうとしたけれど、それは自身に突撃してきた何かによって遮られた。
「レ"ン"ぐん"…!!俺もざびじい"よ……!!」
「うっわ顔汚っ…!」
目を離したわずかな間にべしょべしょに泣いていたらしい悠は、涙やその他もろもろの液体でぐしょぐしょになった顔面のままレンに飛びついてきた。思わずレンが避けてしまったため床に顔面から着地した悠は、そのままえぐえぐと嗚咽を漏らしながら何かを呟いている。えぇ…?なんでそんなに泣いてんの…?と戸惑うレンが助けを求めて治に視線を向けると、目が合って瞬きをした治は嬉しそうに目を細めた。
「レンくんが僕らのこと、簡単には離れ難いくらい大事に思ってくれてるみたいでさ、僕も嬉しいよ」
「……そんなこと一言も言ってないですけど」
「そうかな?少なくとも僕らはそう捉えちゃったよ。霊山くんも嬉しくて泣いてるし」
床に伏したまますんすんと鼻を鳴らしていた悠がそのままこくこくと頷いたのを見て、レンはなんだかむず痒くなって目の前の平らな背中を叩いた。
―――――――
「貸し切り遊園地!?ホント!?そんな贅沢して良いんですか!?」
「はしゃぎすぎじゃない?」
「今日の主役のはずのレンくんよりはしゃいでますね」
レンと可那子からしらっとした目を向けられていても、うきうきわくわくと興奮を抑えきれていない悠に治はこっそり苦笑する。4人が訪れたのは交流屋のレジャー部門が運営しているとある遊園地だった。レンからもうすぐ転生してしまうことを聞いた治と悠は、残り僅かの期間でレンのために何が出来るかと考えた結果、今まで一生懸命に仕事をしてきた労いと、来世へ不安を抱くレンへの励まし、そして、願わくばどこかで生れ落ちたレンと再び会えるように、たくさん縁を、絆を繋いで、思い出を作っておこうと、レンが生前一度も訪れたことのないという遊園地へとやって来た。別れは悲しいけれど、どうかレン本人には少しの憂いもなく旅立ってほしいから。
…………ちなみに遊園地丸ごとの貸し切りになったのは、社長の粋な計らいの結果である。遊園地?わかった任せて貸し切りにしておくね!と清々しいほどの笑顔とサムズアップで告げた社長を思い出して、治は少し気が遠くなった。
「はい、ではレンくん、入園前に最終チェックしますね」
「うん、お願いします」
気をつけの姿勢で直立したレンにとある機械をかざして、可那子はレンの身体を念入りにチェックする。ぽんぽんと時折触れる背中や腕の感触は紛れもなく生身の人間のもので、それに満足したらしい可那子はにんまりと笑みを浮かべた。
「よし、問題なく効果を発揮していますね!私の"霊体実体化パウダーver2"!」
「ありがとうねハカセ、改良間に合わせてくれて」
「いいえ!お安い御用ですよ!」
へへんと得意気に胸を張る可那子。今、レンの姿は可那子の発明品によって生前の姿とほぼ同じになっている。以前は使用時に身体の一部がかけてしまう欠点があったが、改良に取り掛かっていた可那子は今日までにそれを完璧に仕上げて見せた。
「それではお三方、私の分まで目一杯楽しんできてくださいね!」
お土産とご褒美と思い出写真期待してます!留守番は任せてください…!!とだんだん悔しそうな表情を見せた可那子は、次の瞬間にはくるりと軽快に振り返り、今日はやりたい実験があったんですよね~とスキップしながら店へ帰って行った。
「遊園地より仕事なんだ…」
「俺、声かけて断られたときほんとに?って3回聞き返したよ」
「あの子が遊園地より好奇心をくすぐられる実験って何…?怖いんだけど」
まだ見ぬ彼女の発明品に少しだけ恐怖を感じつつ、けれど、今日はそんなことも忘れて思い切り楽しむぞと入園したレンの足取りは、治が今までに見たことがないほどに軽快でうきうきしていた。
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