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交流屋  作者: キミヤ
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勧善懲悪④






ふっと目を開けて起き上がると、あたりは霧がかかったようにぼんやりとしていた。薄暗いトンネルの中のような森の中のような、静かでひんやりとした空間はどこまでも広がっていて、けれど先の風景はどれだけ足を進めようとちっとも見通すことが出来なくて、不可思議なその景色に治は首を傾げる。

現実味のない空間をしばらく観察したけれど何も変化はなく、治はこの空間をあてもなく歩いてみることにした。真っ直ぐ進めているのかもわからなくなるほどに見通しも悪く景色も変わらないここはどう考えても現実のものとは思えなくて……じゃあここは夢か?ずいぶん殺風景な夢だな。いやでもさっきまで仕事をしていたような気が…とようやく意識を失う前のことを思いだした治は、咄嗟に腹部に手を当ててそこに開いていたはずの穴も痛みも綺麗に消えていることに気が付いてぽつりと呟いた。


「これもしかして…しんじゃった感じ…?」


たしか意識を失う前に最後に見た光景は、何やら楽しそうに自分に話しかける安達の逆さまの笑顔だった。そうか、あれだけ痛かったし血もたくさん出てたみたいだし、やっぱり死んじゃったか。口にしてみるとこの現状にも納得できてしまって、治は霧深いこの空間があの世であると見当をつける。


………そうか、死んだらこうゆうところに来るんだ


何もなくて誰も居ないほぼ無音の空間。けれど以前あの世の従業員に聞いた話では、あの世はあの世で現世の街のように整備されたエリアがあると言っていた気がする。それ以上はルール上教えられないとも言われたためわからないけれど……だとしたらここは街の外れなのか、あの世への通り道なのか、それとも...。店で手続きができていればちゃんと案内してくれる人が居たはずだが、あの紋様もあってかやはりちょっと特殊な殺され方をしたらしい。……なるほど、それで案内人もなくよくわからない所に放り出された可能性は大いにある。一人納得した治はそのまま進行方向へ足を進めた。きっとこのまま進めば、いつかどこかには辿り着くから。……でも、


「……どこにも、誰のとこにも着かなかったりして」


真っ当に死ねなかった人間も、ちゃんと(ことわり)に沿っていつか生まれ変われるのだろうか。よくあるフィクションでは、人に恨まれて死んだ人間は地獄で処罰を受けないと天国に行けないだとか生まれ変われないなんて言うけれど、安達に恨まれていた自分もそうなのだろうか。


「……いやでも、恨まれてる感じではなかったんだよな…刺される瞬間も悪意なんて感じなかったし、ほんとに挨拶だけしに来たみたいな…」


あの時の安達から黒い靄は立ち上っていなかったし、恨み辛み怒りなど攻撃性のある感情も感じられなかった。だからこそ治は以前のように安達を店に引き入れたし、本当に刺されるあの瞬間まで攻撃されるなんて思っても見なかったのだ。

………ほんとうに安達が悪意を抱いていなかったとして、1ミリも負の感情を持たずに人を殺そうとしたという事実が浮き彫りになって、治は今更ながら安達の倫理観や人間性が少し心配になった。いや、人の血で嬉々として得体のしれない紋様を描きはじめる時点でもうどうしようもなかったかもしれない。


「………そう言えば、あの血みどろの部屋ってそのままなのかな。霊山くんもレンくんもハカセも、帰ってきてボクの血みどろ死体があったら驚くだろうな…」


おそらく映画だったら年齢制限がつくくらいのスプラッタな光景が広がっているだろう客間を思い出して申し訳なくなる。きっと畳の目に入り込んだ汚れは取れないし、壁紙も襖も障子も新しくしないと使い物にならないはずだ。あちゃ~と頭を抱えた治は、けれど彼らになんとかしてもらうしかないかと全てを諦めたように大きく息を吐いた。


「もうボクには何もできないから…………ごめんね」








―――――――







「そうだね!彼には一度死んでもらおうか」


「……は?」


その場の空気を壊すようにぱちんと手を叩いた死神は、ちょっとおつかいを頼むくらいの軽いノリでとんでもないことを口にした。それを聞いて即座に詰め寄ったレンは胸倉を掴んで抗議するが、死神は涼しい顔で両手をひらりと振っている。


「わぁ、怖い顔すんなよ少年」


「うるさい。お前が変なこと言うからだろ」


「べつに変じゃないでしょ。魂を探し出すためにあの世に行くんなら、彼もオレたちみたいに魂だけになんないと」


「それが変だって言ってんの。探しに行くならオレが行けば良い」


「一人で?何処に行ったかも知れない店長くんの魂を?ひろいひろいあの世で見つけられる?たった一人で?」


「っ、だとしても、あの世の人間(オレたち)でなんとかするべきだろ!コイツが死ぬ必要なんてないじゃんか!」


「あるよ。彼なら確実に、店長くんの魂に辿り着ける」


直前までへらへらとしていた死神が、急に長い前髪の隙間からまっすぐと射抜くような視線を向けてきたから、レンは思わず息を止めて言葉を飲み込んでしまった。死神の発言には根拠も信憑性もないのに、反論の一言すら許さない圧がある。それでも、このまま死神の意見を通したくないレンはなんとか言葉を探そうとして……幽かに震えるその肩に、そっと悠の手が乗せられた。


「レンくん、心配してくれてありがとう。でも、きっと大丈夫じゃないかな?」


「はぁ!?アンタ、なに呑気なこと言って、」


「多分、俺が一回死んで霊剣さんを探しに行くって話だよね?それなら、結果的に俺が死ななくて済む方法がひとつだけあるなって思って…」


「は?」


「ご名答!生きている人間がちょっとだけあの世に行けるお手軽な方法があるんです!」


ぱっとレンに掴まれていた胸倉を解放させた死神は、ふふんと胸を張って得意気な顔をした。その仕草と表情が少し社長に似ている気がして、困惑の中にほんの少し腹立たしさを感じたレンは、勿体ぶらずにその方法とやらを教えろと死神を一睨みする。それに大袈裟にごほんと咳払いしてみせた死神は、ちょいちょいと店の奥…可那子の研究室を指差した。


「なんと、いわゆる幽体離脱?ができる薬をハカセちゃんが開発したらしいんだよね」


「幽体離脱…って、」


「あ、そうそう幽体離脱の薬!この間実験台にされてめちゃくちゃ大変だったんだけど、薬の効果自体は本物だったんだよね」


「なにそれ!?」


「あはは…ちょっとレンくんが帰った後にね……いろいろあったんだ…」


はじめて聞く可那子の発明品の話と現状に都合の良すぎる効能に思わず悠を振り返るが、乾いた笑い声で遠くを見つめる悠にその日の詳細を聞くのはなんだか可哀想に思えて、レンはまたあのマッドサイエンティストの暴走に巻き込まれたんだご愁傷様。と思うくらいに留めておいた。薬を摂取した(させられた)悠曰く、薬を飲んで24時間以内に魂が身体に戻れば実害はほとんどないらしく、副作用も少しの倦怠感程度らしい。死神の言っていた"一度死ぬ"とはこのことかとこっそり安堵の息を吐いたレンは、それを目聡く見ていた死神にくすくすと笑われて思わず拳を握った。


「少年、お友達が死んじゃうと思って焦った?かわいいとこあるね」


「アンタが悪いんだろ、本職が死ぬとか言いだしたら洒落になんないって!」


「オレ死神って呼ばれてるだけで別に本職じゃないんだけど」


「うるさい」


言い争うレンと死神を後目にさっさと可那子の研究室に向かった悠は、壁に設置されている薬品棚の中から比較的新しい薬瓶を取り出して中から毒々しいターコイズブルーの錠剤をつまみ出す。何度見ても毒物にしか見えないそれを口にするのに少しだけ勇気が必要だけれど、今は躊躇なくそれを飲み込むことが出来た。


「行こう。霊剣さんを助けなきゃ」


どさりと倒れた自分の身体はひとまず置いておいて、ふよりと戸惑うほどに軽い身体を慣らすように少しだけストレッチした悠は、いつものお守りだけを握り締めてレンとともにあの世へ向かって駆け出した。








―――――――







昨晩雨が降った影響か、あたりは木々に囲まれているとはいえ湿気の多いじっとりとした空気が漂っていた。普段は人の立ち入らない田舎町の山中はしんと静かで厳かで、けれどどこか不気味な雰囲気も感じられる。そんな山間にポツンと佇む一つの社はもうずいぶん人の手が入らぬまま、かろうじて建物の形を保っている程度に朽ちていて、今では時折小さな動物が雨風をしのぐだけの廃墟となっていた。


「…………つめた」


ぽつり、と針葉樹から落ちた水滴が額にぶつかって、安達は滲んだ汗とともにそれを拭う。社の前で何やらごそごそと作業をしていた安達は、ふうと一息ついて手元の古い資料の束をぺらりとめくる。そこには、かつてここに祀られていた白い烏のこと、災いを喰らい続けていくつかの村を救った伝説、果ては烏に願いを叶えてもらう方法や呼び出すための儀式など、その地域に伝わる伝奇から当時の村人の日記を翻訳したらしいメモまでがびっしりとまとめられていた。


「……カラスの魂は身体から切り離した。あとは、出生地であるここにあの世への出入口を開ければきっと…」


「へぇ、あのカラスくんはここで生まれたんだ。それは知らなかったなぁ」


突然背後から聞こえた声に安達は驚いて振り返る。足音も気配も感じないほど静かにそこに立っていたのは、かつて安達が就職を熱望していた企業の社長だった。きょろきょろと興味深そうに周囲を見渡してからサングラス越しに安達と目が合うと、やぁと気安く手を挙げて挨拶をする。


「あれ、社長さん?どうしてあなたがここに?」


「いやぁ、忙しかったんだけど一昨日やっと帰国できてね。せっかくだからキミに会いに来てみたんだよ」


「……そうですか。でも、もう面接は結構ですよ。俺、他にやりたいことが見つかったんです」


「あらま、それは良かったねぇ」


「はい。これからヒーローになるんです、俺」


「ヒーロー?」


「悪い奴らをこの世から根こそぎ消してやろうと思って。人の悪意も負の感情も全部ひっくるめて」


治の能力なら、正確に言えば治に憑依している白い烏を使えばこれが可能であると、安達は嬉々として語る。安達が調べたところ、あの白い烏は大昔このあたりの地域に突如現れ、村に蔓延していた悪意を根こそぎ食い尽くして去って行ったらしい。おかげで村で起きていた犯罪はすっかりなくなり、それに感謝した当時の村人たちから崇め奉られた烏はここでは神様に等しい存在だという。


「神様に等しい能力ですよ?これは正しく使わなきゃもったいない。あの人ができないなら、俺が代わりにやらなきゃ」


「……ふふ、無理だと思うけどなぁ」


「は?」


「だってキミは、カラスくんと友達じゃないでしょ?」


「…友達?動物や幽霊と友達になんてなれるわけないでしょう」


「ほらね。だから、キミとカラスくんの縁は繋がることがないんだ」


すっと空中に指を這わせた社長は、何かをなぞるように視線を滑らせて再び安達に目を向ける。見えないはずの視線に突き刺されたような気がして身構えた安達は、ついで社長がピースサインを見せつけるように右手を前に突き出したのを見て首をかしげた。


「まぁ、キミのご縁がどうなろうとボクは気にしないけど……霊剣くんとの縁だけは、ここで切らせてもらおうかな」


言うと同時に、社長はちょきんとハサミを扱うようにピースサインを閉じる。すると、安達の耳元でぷつんと何かが切れた音が聞こえて、けれどそれを疑問に思うよりも早くミシミシと木が軋むような音がして、驚いて背後を振り返った安達の頭上から、老朽化した社の屋根ががらがらと落ちてきた。



「……正義だろうが復讐だろうが、キミがやりたいなら好きにすればいいと思うけど……ボクの大事な一人息子に害が及ぶなら、ボクは全力でそれを邪魔しちゃうよ」


ガタンと最後の柱が倒れて砂埃が舞い、社だったものがただの廃材になるまでを見届けた社長は、そのまま静かに去って行った。







―――――――







「………みず…?」


前も後ろもわからない空間を歩きはじめてどのくらい経っただろうか。ふと耳に入ったせせらぎの音は近くに小川があると知らせていて、治は進路をそちらに変更する。あの世で川の音と言えばまぁ三途の川だろうなと思った治は、川の近くまたは川沿いを歩いて行けば街か人が居るところに辿り着けるはずだと当たりをつけた。

街に行ってあの世の交流屋に連絡してもらって、そうすればきちんと死亡してあの世の人間になったと登録できるだろう。正規の手続きなしにあの世に来てしまったことは不可抗力なので咎めないでもらえると助かるが、現世で起こった一部始終を説明すれば問題ないだろうか。迷惑をかけてしまうお詫びに少しでも仕事の手伝いくらいできればいいが…。淡々とこれからするべきことを頭の中に羅列していく感覚は、普段の仕事中とあまり変わらなかった。慣れた作業を頭の中で繰り返していると、ふと現世に居る悠や可那子たちのことが頭を過る。すると、今までさくさくと歩みを進めていた治の足は途端にどしりと重くなった。


――死んでもまた、現世のみんなに会うことはできるのだろうか


手続きを踏んであの世の住人になった場合、通行証(パス)がなければ基本的に現世へ行くことはできない。その通行証(パス)も交流屋職員か現世の人間への面会許可が下りたものにしか発行されないため、自分の意志で気軽に現世の人間に会いに行くことは非常に困難である。もう一度あの世の交流屋で働くか、悠たちに会いたいと交流屋に依頼すればあるいは……とは思うが、もしも悠たちに面会を拒否されたら、二度と会うことは叶わなくなってしまう。そんな悪い想像が一度頭に過ってしまったら、治は胸の奥のあたりがぎゅっと痛くなってどうして良いかわからなくなった。



「だいじょうぶだよ」


「えっ」


「だいじょうぶ。みんなキミのことがだいすきだから、ぜったいまたあえるよ」


自分しかいないと思っていた空間に幼い少年の声が響いて、治は思わず顔を上げた。すると、いつの間にか治の右肩に白い鳥がとまっていて、驚いた治が大声を上げたのにくすくすと笑った声は、どう聞いてもその鳥から発せられているようだった。


「ひさしぶりだね。あのよだと、こうやってキミとおはなしできるみたいだ」


「え……か、カラスくん?」


「そうだよ。たいめんするのは、はじめましてのときいらいだね」


ばさりと羽ばたいた烏は、治の正面にすとんと着地する。真っ白い羽と目とくちばしをもつその姿は、治の幼い記憶の奥底にある姿と一致した。


「え、あの、喋れるように…なったの?」


「ことばはキミといっしょにたくさんおぼえたけど、こえにできたのはあのよにきたからだとおもう」


「そ、そっか…」


いきなり喋り出したカラスに少々戸惑ったが、本人(烏?)が言うのだからそうゆう理屈なのだろう。カラスの目線に合わせるようにその場に腰を下ろした治は、片手ですっぽり覆ってしまえそうなカラスの頭を指先でそっと撫でた。


「キミとこうしてまた会えるなら、死んじゃうのも悪いことばかりじゃないね」


「あ、そうだ!ボクはそれをつたえにきたんだよ!」


「え、なに?何の話?」


「ねぇ、キミはこのまましんじゃっていいの?あいたいひとがいるんでしょう?」


「会いたい...ひと」


ついさっき少しだけ脳裏に過ったことが、今度は治の思考を埋めていく。会いたい…というか、明日も明後日もその先も、会えるのが、一緒に仕事をしたり何でもない話をしながらご飯を食べたりするのが、当たり前だと思っていたから、いざそれを取り上げられると抵抗してしまうのは当然のことなんじゃないだろうか。だから交流屋狭間支店にはいつだって一定数のお客がいるし需要があるのだ。……だからこれは、人間なら誰だって抱く一時的な感情で、きっと時間が経てば忘れられる気持ちで、特別なことでもなくて、ぼくなんかが抱いて良い感情じゃなくて、だって、ぼくを必要としている人なんて、きっと、


「ねぇ、もういっかいきくよ?」


「……うん?」


「このまましんじゃって、あいたいひとにあえないままで、ほんとうにいいの?」


「……良いも何も、死んじゃったらもうどうしようもないでしょう?」


「ううん。まだなんとかなるんだよ」


「え?」


「だって、キミはまだいきてるから」


カラスの発言に治が目を見開いたと同時に、あたりはぶわりと強風に包まれた。身体を吹き飛ばしそうな勢いのそれは、じりじりと治を後退させるように吹き付けている。それはまるで、あの世の奥底へ進もうとしている治の足を止めるような、戻れ戻れと訴えているような、強くて優しい風のように感じて、生きて良いっていうのか、いつ死んだって良いと思っていたはずなのに、ぼくはいらないこだから、ははをころしたぼくが、誰がそれを許してくれるんだ、許されて良いのか、こんなぼくがいきていたって、でも、だれかがそれを望んでくれるなら、でも、ぼくは、ぼくは……ぐるぐると思考がまとまらなくなってしまった治は、つきりと重くなった頭を抱えてその場に膝をついた。



「ねぇ、ボクはしってるよ、キミにあいたいひとがいること」

「キミがいま、はじめてしにたくないっておもったこと」

「キミがいきたいっておもったように、キミにいきていてほしいっておもってるひとが、いまキミをむかえにきてる」


「ボクもね、キミにはボクのぶんまで、しあわせにいきてほしいっておもうよ」








―――――――







ごうごうと急に強風が吹きはじめたのは、悠があの世の街外れの川辺に行こうとするのをレンが引き留めている最中だった。あの世の従業員曰く、三途の川の下流域にあたるそこは何故かいつも増水していて流れが早いし、年中霧が立ち込めていて視界も悪いため人も動物も寄り付かない危険地帯らしい。

あの世に到着してすぐに、今日はなんだかそのあたりの天候がおかしい…という情報を得た悠はすぐさまそこへ行こうとしたのだけれど、あの世の住人も迂闊近付かないそこは危険すぎるとレンは一歩も譲らなかった。


「っだから、ここは整備されてないエリアで、」


「そんなのわかってるよ!でも、いつもと様子が違うって聞いたら確認しといた方が良いに決まってる!」


「あんな視界の悪いとこ行って何を見るんだよ!それにこんな風も吹き始めて、万が一足を滑らせて川に落ちたりしたら二度と帰って来られないかもしれないんだよ!?」


「だけど!そこにもし霊剣さんが居たら、オレは後悔してもしきれないよ!」


レンの制止を振り切った悠は一目散に駆けて行く。そこは川の下流の風が強く吹いている場所で、いつの間にか竜巻のように渦を巻いているその中にきっと治が居ると、悠は確信していた。

ごうごうと唸る強風は悠の身体を押し戻すくらいに強く、踏ん張っていないと気を抜いた途端に吹き飛ばされそうだった。目を開けているのが辛いほどに砂埃が舞う中必死に前を見据える悠の視界にふと、小さな身体をさらに小さく縮こまらせて泣いている子供の姿が映る。どこか見覚えがあるような気がするその子供の名前を、悠は目一杯叫んだ。


「霊剣さん!霊剣さんでしょ!?返事してください!」


いつも店で呼んでいる名前をどれだけ叫んでも、子供は何も反応しなかった。人違いだと言われたらそうなのかもしれないけれど、悠には何故かあの子供が治だという絶対の自信があった。じゃあ、あの子供が呼びかけに答えてくれるには何をすればいい?また一段と強くなった風によろめきながら、悠は治から一度だけ教えてもらったことを思いだした。


「篠山治!迎えに来たぞ!」


強風の中でもしっかりと声は届いたらしい。呼びかけに顔を上げた子供がこちらを振り返ると、その姿はぐんと成長した大人の姿になっていた。ほら、やっぱりそうだと安心した悠は、迷子の子供のような顔をしている治の腕を捕まえる。はっと見開いた治の瞳から一つだけこぼれた涙がぽたりと落ちてしまう前に、悠はにこりと笑みを浮かべて言った。


「ほら、さっさと帰りますよ」


優しい言葉と裏腹に、治の右腕は痛いほどがしりと掴まれていた。







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