勧善懲悪③
※一部流血描写・表現が含まれます。苦手な方はご注意ください
「それじゃあ、行ってきますね」
「うん。二人とも気をつけていってらっしゃい」
「……いってきます」
ちょっとしたおつかいと出先の可那子のお迎えを頼んだ悠とレンを玄関先まで見送りに出た治は、無意識なのか少しだけ周囲をちらと窺ってから店内に戻る。レンくんお守り持った?忘れ物ない?いや心配したいのオレの方なんだけど。なんてやり取りをしながらしっかりと背後で店の扉が閉まったことを確認した二人は、そろって小さくため息を吐いた。
「やっぱ、霊剣さん結構気にしてるよなぁ…」
「勝手に懐いて勝手に幻滅して離れていった勝手な奴のことでしょ?ホントお人好しなんだからあの人…」
「…でもさ、なんか暗い顔して別れてそれっきりだと…心配にはなるよね」
「うーわ、ここにも居たよお人好し」
「え、」
「アンタも店長もそんなだから、ああゆうやつが付け上がるんだよ」
ふん、と鼻を鳴らすレンがついとそっぽを向いて腕を組むから、悠は苦笑して口を噤んだ。そう言えばレンは安達のことをあまり好ましく思っていなくて、出来るだけ顔を合わせなくて済むようにと積極的に外回りに行っていた気がする。
その安達が店に来なくなって、もう10日は過ぎただろうか。仕事中に気にしなければいけない事項が減って負担も軽くなったはずなのに、治はよく浮かない表情をしている。最後のやり取りが少々後味の悪いものであったことは悠もレンも聞いているけれど、意見が対立することくらい別にあってもおかしくないんじゃないだろうか。議題が少々特殊ではあるが、治は自分の考えや意志を安達に伝えただけで別に悪いことはしてないし、もしどっちの意見も間違っていないのなら、現状で選択の権利…という名の能力を持っている治の思うままにしておくのが一番平和だったりするのでは?なんて考えながら、悠は乗り込んだ車のエンジンをかけた。
―――――――
チクタクと古い時計が時間を進める音と治がパソコンのキーボードを叩く音が重なって、客間には静かで不思議なテンポのリズムが刻まれている。やがて打ち込みを終えた治が最後にエンターキーを押して、手首から指をぐいーとほぐしながら誤字や不備がないかチェックしていると、正午を知らせる時計の鐘の音に重なって玄関のチャイムが鳴った。
「あ、お客さまかな?」
今日は事前に予約などは入っていないけれど、突発的な来客も珍しいことではない。さっと机の上のパソコンを閉じた治は、少し急ぎ足で玄関に向かいがたりと建て付けの悪い玄関扉を開けた。……これ、いい加減修理しないとなぁ…。
「すみません、お待たせし、ま…した」
「………こんにちは」
開いた玄関扉の向こうには、少々やつれた様子の安達がやけに穏やかな笑みを浮かべて立っていた。そのちぐはぐさを少しだけ不気味にも思ったが、治は安達が元気そうにしている安堵の方が上回って彼を店内に招き入れる。良かった。また来てくれるなんて。彼の中で気持ちの整理がついたのだろうか。もしまだ話し合いが必要なら、今度はもう少し慎重に言葉を選んでちゃんと向き合わないと。そんなことを考えながら淹れたお茶はいつもよりちょっぴり熱くなったけれど、おしゃべりしながら飲んでいたら丁度良いかもしれないなと治は安達に差し出した。
「どうぞ。お茶菓子は何が良い?安達くん和菓子と洋菓子どっちが好きだったっけ」
「いえ、おかまいなく。今日はあまり長居できないので」
「……そっか」
「お話だけ手短にさせてください。まず、先日は失礼いたしました」
「そんな、僕の方こそ、」
「いいえ。あなたの都合も考えないで、俺はたくさんご迷惑もかけて…本当にすみませんでした」
テーブルに額をぶつけそうなほどに頭を下げた安達は、治に名前を呼ばれゆっくりと顔をあげる。神妙な面持ちの安達と目を合わせた治は、僕もごめんねと切り出した。
「安達くんのことも…もっと気に掛けるっていうか、慮れたはずなのに、きみを傷つける言い方をしちゃったと思う」
「いいえ、でも、あれがあなたの考え方であって、俺がどうこう言うことじゃなかったですよね」
「安達くん…」
「あ、あともう一つ。実は俺、ちょっとやりたいことを見つけたので採用試験のお話をお断りさせていただきたくて……」
「そうなんだ!いいね、素敵だねぇ。あ、うちのことは全然気にしなくて良いから頑張ってね、僕も応援するよ!」
「……ありがとうございます」
しんみりとしたその場に降って沸いた前向きな話題に、治はぱちんと手を打って安達を祝福する。笑顔を見せる治に安堵したように目尻を細めた安達は、ずるりとテーブルの横ににじり寄ると障害物なく治と対面できる位置に座り直した。
「目標が出来たのもあなたのおかげです。ありがとうございます」
「そんな、大袈裟だよ」
「いいえ。あなたに出会わなかったら、俺はこんなこと考えもしなかったから」
にこりと笑みを浮かべた安達は、そのままずずいと治との距離を詰める。張り付けたような安達の笑顔の中で、瞳が血走ったように濁った色をしていることにようやく気付いた治は、けれど肩をがしりと掴まれたことと腹部に燃えるような痛みを感じたことで動けなくなった。
「ぁ、あだち...くん…?」
「うわ、人って刺したらこんな感触なんだ…すご」
ずくりずくりと不規則な鼓動とともに激痛の走る腹部を見下ろすと、鈍色に光る刃物が深々と突き刺さっていた。その柄をしっかりと握り締めているのは間違いなく安達の手で、状況を理解しきれない治が顔を上げるより早く、突き立てられた刃物が勢いよく抜かれ後を追うように大量の鮮血が流れ出した。
「っ、......ぁ、」
「あ!良かった上手くできた!これが必要だったんですよ」
流れ出る血液とともに急激に体温が下がっていくように感じて、治は遠のく意識に抗えずふらりと血だまりに横たわる。目の前の人間が虫の息で居るにも関わらず、安達は嬉々として治の血液で床に何かを描きはじめた。鼻歌を歌いながら狂気じみた行為をする安達が信じられなくて、治は鉛のように重くなった手を安達に伸ばした。
「ど...して、ぁだ…、く、」
「俺、あれからいろいろ考えたんですけど、あなたって結構意志が強いって言うか自分で決めたこと曲げないタイプみたいだから、どうあがいても俺のやりたいことに賛同も協力もしてくれないだろうなって思ったんです。でも俺、あいつらに復讐すんのも諦めたくないし、あわよくば同じような世の中のクズを消してあげたら、それってもうヒーローじゃないですか。あの時、俺を助けてくれたあなたみたいな」
言いながら伸ばされた治の手を手首ごとぐっと掴んだ安達は、それを強引に引っ張って治を仰向けに転がす。引きつった身体と腹部に加算された痛みに呻いた治がぼんやりとあたりを見回すと、自分を中心とした魔法陣のようなものが、いつの間にか部屋の中心に大きく描かれていた。複雑な円形と星型...おそらく六芒星をいくつか組み合わせた複雑な模様は初めて見るもので、けれどこんな大掛かりな紋様の呪いの中心部に自分が据え置かれているのはもしかしなくとも良くない事態であることがわかって、治は必死に動かない身体で藻掻いた。
「あぁ、動かないでくださいよ。俺はただ、あなたからその能力をもらえたらそれで良いんで」
「―っ、あ"…!」
藻掻く治の腹部に、安達はもう一度刃物を突き立てた。感覚が鈍くなっているのか一度目より痛みは少なかったけれど、急激に意識が暗闇に引っ張られていく感覚がする。このまま意識を失ってしまったら、もしかすると二度と目覚めることはないかもしれない。悪い予感に必死に歯を食いしばって意識を保っていると、治の頭上から安達が逆さまに顔を覗き込んで来た。
「あれ、我慢しないで寝ちゃえば良いのに。そうしたら、もう痛くもなんとも感じなくなるんですよ?その間に俺があなたから能力をもらって、ちゃんと世の中を良くしておきますから!」
「俺ね、人を呪うだとか自由を奪うだとか霊を呼ぶだとか、そうゆうお呪いたくさん知ってるんですよ。一人で本読んだり勉強する時間なんていくらでもあったから、いつかあいつらに復讐してやろうと思ってたくさん調べてて…力で敵わなくてもオカルトの能力なら、見えもしないあいつらには対抗しようがないですから」
「まさか、この知識をあなたに最初に使うことになるとは思わなかったけど…でも、初めての人があなたって、なんか特別っぽくて良いか」
ね?と無邪気に微笑んだ安達は、ぼんやりと虚空を見つめる治の目元に手を被せる。もうほとんど力の入らない瞼は簡単に閉じることが出来て、そのままふっと力の抜けた治の身体からぼんやりと白い靄が立ち上った。
―――――――
良く晴れた長閑な昼下がり、街中をフラフラと散策していた死神は通りすがった交流屋狭間支店の付近でふと足を止めた。今日も大した仕事はないし暇だな~ちょっと遊びに行ってやるか、なんてこの辺りまで足を伸ばしてみたが、今日はやけに街が静かすぎる気がして落ち着かない。いや、人の気配や生活音はするんだけども、空気が張りつめているというかピリピリしている感じで……そんな違和感の正体に首を傾げている死神の目の前に、ウキウキと軽い足取りで歩く一人の青年が通りかかった。
少しだけ見覚えのあるその青年は、確か最近狭間支店に入り浸っている少々変わり者…というか面倒くさ……物好きな青年じゃなかったか?と彼の背を見送った直後、急にどろりと濃く肌触りの悪い"死"の気配を感じ取って、死神は慌てて振り返った。
(…っこれ、店の方から…!?)
老衰や病死、事故死の物悲しい気配とは違うそれは、どろどろりと店の方から流れて来る。あの店は常に死と…死後の世界の近くにあるとはいえこんな禍々しい気配が流れてくるのは異常だと駆け付けた死神は、赤黒い血液で真っ赤に染まった客間とその中央に力なく倒れている治を見てはっと息を飲んだ。
「んだよこれ…!!」
四肢を投げ出すように部屋の中央に仰向けになっている治の腹には2カ所も穴が開いていて、そこからまだ血液が滲みだしているらしくどんどん客間の畳を汚していく。治を中心に広がっている血の跡は、よく見れば意図的に何かの図形を模して描かれているように見えて、これは…何かの紋様?儀式か?と勘付いた死神は、ふと顔を上げた先に白い靄がふよふよと流れていくのを見つけて咄嗟に両手で引っ掴んだ。
白い靄の行き先はこの部屋の縁側のようで、あの世の客や従業員が利用する出入口になっているそこは文字通りあの世への最短ルートである。そちらへ流されていく白い靄…引っ掴んで理解したがこれは治の魂で、このままこれを見逃していたら治はそのままあの世の人間になっていたのでは…?と気付いた死神は、この紋様は人の魂をあの世に送る呪いだったはずと昔どこかで見た資料を思い出した。そして同時に、この呪いを仕掛けた犯人にも見当がついてしまった。
「これ絶対さっきのガキの仕業じゃんか…!ふざけんなよクソ!!」
するりするりと自分の手からすり抜けそうになる魂を必死に捕まえながら死神は舌を打った。呪いの効力はまだ力を発揮していて、治の魂をあの世へと誘い続けている。その力は魂を捕まえている死神の身体ごとあの世に引っ張り込もうとするほどで、これをどうにかするには呪いをかけた張本人の意識を奪うか、治の身体を紋様の効果範囲から外してしまうしかない。魂を捕まえているだけで精一杯の死神にそんなことはできなくて、このままずるずると治があの世に連れて行かれるのを見ているしかないのか…!と絶望しかけた死神の耳に、玄関の扉ががたがたと開く音が届いた。
「ただいま帰りました~」
「霊剣さんお腹空きました~!」
「ちょ、ハカセお客さん居たらどうするの…!」
「大丈夫ですよ!ちょうどお昼時ですし!」
「そうゆう問題かなぁ」
「はぁ…疲れた」
とたとたと足音とともに近付いて来る話し声は、死神が一方的に知っている現世の従業員のものだった。ついでに顔見知りのあの世の少年の声もぽつりと聞こえたし、なんとか最悪の事態からは脱出できそうだと算段をつけた死神は、客間の扉が開くと同時に叫んだ。
「少年!急いで店長くんの身体ここから動かして!はやく!!」
「っえ、はあ!!?」
目の前に広がる真っ赤な客間に驚くよりも、そこで横たわるのが治だと理解するよりもさらに早く飛んできた指示にレンは混乱した。けれど、いつも自分の前では飄々とした態度を崩さない死神の必死の形相に少しだけ冷静になれて、顔を青くする悠と可那子を急かして治の身体をなんとか客間の隅の血に濡れていない場所に寝かせることが出来た。
―――――――
「………ほんとうに、アダチくんの仕業なんだね?」
「…って、死神は言ってます」
「……そんな、」
鉄の臭いが充満する客間は、いつも笑顔で自分を迎え入れてくれる治が居ないことも相俟って酷く寒気を感じる。連絡を受けて駆け付けた社長は思ったよりも冷静で、だけど、いつもの陽気なテンションをすっかりしまい込んでレンの説明を淡々と聞く姿は、怒りに震えているようにも涙を耐えているようにも見えて、悠は言葉少なに狼狽えてきゅっと唇を噛み締めた。
「……わかった。じゃあちょっとボクは出かけて来るよ」
「え!?」
「霊剣くんの身体は、ハカセくんのお父さんが処置をしてくれてるんでしょう?」
「は、はい。ハカセが急いで連絡してくれて……救急車も手配してもらったので彼女は一緒に病院に、」
「じゃあ、そっちは任せてもきっと大丈夫だから、ボクはボクにできることをするよ」
「な、なにを……?」
「うん?ちょっと、霊剣くんについてる悪いご縁をちょん切って来ようと思って」
ちょきり、と手をハサミの形にして切る仕草をした社長は、悠たちが何か言葉を発する隙も無くさっさと店を後にした。残されたレンと悠は顔を見合わせて、ついでにレンは腕を組んで何かを考えているらしい死神にもちらりと視線を投げて、酸化して固まりはじめた治の血液にそっと視線を落とした。
「……霊剣さん、助かるよね」
「……当たり前じゃん」
「……身体はプロに任せりゃなんとかなるでしょ。問題は魂の方だよ」
「は?アンタ捕まえて身体に戻したんじゃないの?」
「バカお前あんなのほんの一部だよ。ほとんどはオレが来た時にはあの世に行ってたし」
やれやれと言いたげにため息を吐く死神に、レンはそんな話は聞いていないと詰め寄る。一方しか聞き取れない会話でも良くない事態であることを察してしまった悠は、姿の見えない死神にじっと目を向けてレンが通訳してくれるのを待った。
死神曰く、あの時辛うじて捕まえられた治の魂はほんの一握りで、それはギリギリ生命活動を維持できる程度のわずかなものだった。急ぎ残りの魂を戻さなければ治の命も危ういというのに、その治の魂は無理矢理あの世へ導かれたために現在の行方が分かっておらず連れ戻すことが難しい状況にあるらしい。
「でも……それって魂が見つかりさえすれば大丈夫ってこと?」
「……そんな簡単な問題なの?」
「簡単な問題にするために、いま社長サンが動いてんじゃないの?呪いの根源を断ち切って呪いを解いて、身体はお医者さん方に治してもらえれば、後は魂を身体に戻しちゃえば元通りでしょ」
「……なるほど」
「あの、レンくん。もし魂を見つければ良いって話なら、俺、霊剣さんの魂探しに行こうと思うんだけど」
「はぁ!?アンタ、自分の言ってることわかってる!?」
魂を見つけて身体に戻せばいいと言うのは簡単だが、あの世のどこにあるかわからない魂をどうやって見つけ出すかが一番の問題だった。あの世の従業員を総動員するべきか、けれどもあの世には整備されていない地域だってごまんとあって、そんな危険な地域に軽率に社員を派遣することも悩ましいところだというのに、生者である悠が捜索に行くというのは尚更無茶な話である。
「生きてるアンタがどうやってあの世のもん探すんだよ!死ぬ覚悟で霊体にでもなるっての!?」
「なるよ」
「…………は?」
「必要なら幽霊にだってなるよ。俺も霊剣さんを助けたいから、俺にできることをやりたいんだ」
決意のこもった瞳で訴えかける悠に、レンは返す言葉を選びかねて頭を抱えてしゃがみ込み、二人のやり取りを黙って見ていた死神は、何か妙案を思い付いたのかにまりと口角をあげた。
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