前途多難②
ひ、人が死んでるなんて、そんな、まだ決まったわけじゃ、ないし…!
パニックになる頭をなんとかなだめて、悠は部屋の中央に横たわる人物に駆け寄った。黒くさらりとした長めの髪にパッと見て女性かと思ったけれど、近付いて骨格を見れば意外と体格の良い男性とわかる。大きなちゃぶ台の下に潜り込んでいた半身を引っ張り出しごろりと仰向けに身体を転がせば、長い髪の隙間から青白くてクマが濃いながらも整った顔が上を向いた。年齢は悠より少し上だろうか。
「あの、大丈夫ですか!?聞こえますか!?」
肩付近をぱしぱしと叩きながら耳元で呼び掛ける。じっと観察した胸元と触れた手首の脈拍はゆっくりと、けれど確実に動いていたので、ひとまず息はあることに安堵するが、意識がないことに変わりはない。
こうゆう時どうするんだっけ車の免許取る時救命措置とか習っただろ思い出せ!…あ!とりあえず救急車!?
ポケットのスマホを取り出して手間取りながらも119をタップする。通話ボタンに触れようとしたところで、不意に手からスマホがぱしりと弾き落とされた。
「!!?」
「ちょっと、そんなの呼ばなくても大丈夫だよ」
耳元で聞こえた声にぎょっとしたのは、それが先程玄関で聞こえたものと同じだったから。物静かで落ち着いたトーンのその声は、救急車なんて大袈裟な、とため息まで吐いた。いよいよ空耳では済まない程に耳に入る声の方へ振り向けば、そこにはなんだか白いモヤのような物が浮かんでいる。
「店長、新入りさんが困ってますよ。いい加減起きて」
ふよりふよりと倒れている人物のまわりを漂う白いモヤ。おーい店長ー。もしもーし。という少々やる気のない声は明らかにそこから発せられている。驚愕に目を見開き言葉を紡げないで居ると、その白いモヤがこちらを振り返った。……ように見えた。
「ねぇ、ちょっと固まってないで手伝ってよ。別に幽霊くらい見たことあるでしょ?」
ゆうれい…?ゆうれい……幽霊…!?そんなよくご存知でしょうみたいに言われても…!
白いモヤは自身を幽霊だと言うのか。フォルム悠が状況を把握出来ないで居ると、それは、呆れたように腰に手を当てるポーズをとる。……いや、何故モヤの動きまでわかるのか。そういえば、さっきよりも徐々にモヤの形がハッキリしてはいないか。見開いたままだった目をゆっくり閉じてもう一度開くと、目の前にはこちらを覗き込んでくる少年の真っ白い顔があった。
「……………………マジか」
ぽそりとそれだけ呟いた後、視界が一気に暗転した。
――――――
「ねぇ悠ちゃん、お話しましょう?」
「………ばぁちゃん、」
田舎の祖母の家の縁側で、ぼーっと何かを見つめていた悠は、のんびりと自身を呼ぶ声に振り返る。和室のちゃぶ台に湯呑みを置いた祖母は指先でちょいちょいと手招きするので、その光景に懐かしさを感じて口元がゆるむ。
……そうか、ばぁちゃんが死んでから、田舎には帰らなくなったもんな…
悠が10歳の頃に他界した祖母は、よく悠を呼びつけては隣に座らせ、頭を優しく撫でながらいろんな話をしてくれた。その多くは、記憶の奥底に眠ってしまってなかなか出てこないけれど、シワの多く少し体温の低い手が、悠は心地よくてお気に入りだった。
「悠ちゃん、大きくなったねぇ」
なんて穏やかな夢だろうか。大人になった悠の頭を、あの頃と同じ祖母の手が優しく撫でてくれる。昔は見上げていた祖母の顔を、今は頭を差し出すようにしながら見下ろしているのが少し切ない。
「もう、ばぁちゃんがいなくても大丈夫かね?大きくなったもんねぇ」
「……え、」
途端に、今まで目の前に居た祖母が姿を消し、真っ白になった空間の遥か遠くにぽつねんと現れた。慌ててその姿を追いかけるも、その距離は一切縮むことはない。
「あら悠ちゃん、こっちには来たらだめよ」
「え、なんだよ、待ってよばぁちゃん!」
走れども走れども、祖母のもとへは辿り着かない。それどころかどんどん遠くへ行ってしまう祖母へ、せめてもと必死に手をのばす。けれどその手は何も掴むことはなく、何故か泣きそうになりながら、悠は精一杯叫んだ。
――――――
「―――ばぁちゃん…!」
悠がかばりと起き上がったのは、古い革張りのソファの上だった。身体にかけられたブランケットがずるりと落ちるのをぼーっと眺めてから辺りを見回すと、何かのファイルでびっしりと埋められた本棚が、出入口の扉を除く全ての壁を覆っている。部屋中を見回す視線が一周したところで、ふいにローテーブルを挟んで対面に位置するソファに目をやると、先程倒れていた男が、身形を整えた姿でひらひらと手を振りながら苦笑していた。
「っ、うおぉ!?」
「え!あ、ごめんびっくりした!?」
まさか人が居るとは思わなかった悠は、驚きに飛び上がった拍子にソファから転がり落ちた。強かに打ち付けた背中に悶絶していると、対面に座っていた男は慌てて駆け寄り背中をそっと撫でる。
「大丈夫?そんなに驚くと思わなくて…ごめんね?」
「いえ、あの…あなたこそ大丈夫なんですか?」
「ん?」
「さっき……俺が来たとき倒れてました、よね?」
そう問いかけると、背中を撫でていた手で上体を起こす悠の手助けをしながら、男は気まずそうに頬をかく。体勢を整えた悠に向き合ったところで、男はまた謝罪から口にした。
「その…ごめんね、実は今日三徹明けで仮眠とってたんだ。キミがくる前には起きるつもりだったんだけど、あまりの眠気にスマホのアラーム解除して寝たみたいで…」
男の目元にこびりついた濃いめのクマは、もしかすると日常的に徹夜をする影響なのかも知れない。先程はなかった右目の眼帯や、後頭部でまとめられた長髪に二房ほど白い束が見えるのも、身体的精神的にダメージを受けた結果なのか…?
……と、そこまで思い至ったところで悠はさっと顔を青ざめる。
―――仕事してる人がこんなボロボロになるって、ここものすごいブラック企業なのでは…!?
「いや違うよ!?いつもは徹夜とかしてないからね!?」
ちゃんと労働基準法に則って仕事してるよ!?
悠の顔色で考えていることを察したのか、労働環境の良さや福利厚生の充実さ、徹夜の原因は別件であること等を必死に伝えてくる男に若干引きながらもとりあえず納得した悠は、仕切り直してソファに座る男に習って対面へ腰かける。
「さて、なんか今更だけど自己紹介から始めようか」
「あ、はい」
「僕は篠山治。交流屋狭間支店の店長をしています」
「(はざま…?)えっと、嵜本悠です。フリーターしてました。……あの、すみません、履歴書後で持って来ても良いですか…?」
「あ、大丈夫大丈夫!社長から話は聞いてるし、昨日の今日じゃ無理ないよ。仕事もお家も大変だったね」
苦笑しながら気づかってくれる治に、悠はうっと言葉につまる。昨日からやたらと心やさしい対応を受けて涙腺が緩んだのかもしれない。それ以前に、ここ最近向けられていた疑心や嫌悪の目の反動もあるだろうけれど。
「とりあえずウチの店は従業員一人につき一部屋与えられるから、後で案内するね。あと、契約書とか諸々の書類はこっちの封筒で……あ、社員雇用で良いんだっけ?アルバイトの方が良い?」
「え!?そんないきなり社員とか、良いんですか…!?」
「もちろんだよ。キミ結構素質あるし、僕は是非一緒に仕事したいな」
失職直後のフリーターから一気に有名企業の社員へ。そんなおいしい話があるのだろうかと喜ぶ思考の片隅で、気になるワードが存在感を増す。社長にはハッキリと聞くことはできなかったけれど、今なら答えてもらえるだろうか。
「あの、社長さんも言ってたんですけど、素質って、……ちょっと自分ではよくわからなくて…」
「あれ、あの人ちゃんと説明しなかった…?」
「なんか、素質がないと半日も仕事できないとかは聞いたんですけど、」
「うーん…まぁそうなんだけど…。とりあえず見せた方が早いかな?ついでに店の中も案内するよ」
そう言って立ち上がった治に続いて扉へ向かう。正面の背中を見て、この人背高いなぁ…なんて考えていた悠は、何かを思い出したかのように振り向いた治に危うくぶつかりそうになった。
「ごめん、ひとつ言い忘れてた」
「なんですか…?」
「一歩でもこの部屋を出たら、基本的に名前で呼び合うの禁止だからね」
「はい?」
名前を、呼ぶなと…?それはどうゆう意味で…?しかもコミュニケーションはどうとれば…?複数の疑問符をそのまま声に出してみれば、治は左目で鋭く悠を見据えて告げた。
「もし仮に名前を呼んで、それが誰かに知られた場合、命を落とす原因になるから」
「………え、」
「名前ってね、その人を形成する大事なパーツで、魂の一部なんだ。それを知られるということは、魂の端を捕えられた事と同義なんだよ」
「魂って……命とかそう言う…?ちょっと大袈裟じゃ、」
「『嵜本悠』」
「!!?」
名前を呼ばれた途端、悠の身体はびきりと硬直した。目の前の治はただ悠を見据えているだけなのに、まるで蛇に睨まれたように動けない。やがて米神に冷や汗がつたうのを感じたところで治の左目がゆっくりと閉じられる。再びその目が穏やかな光を灯したところで、悠の身体はゆっくりと動き始めた。
「怖がらせたらごめんね。……でも、こんなことが出来る人、この仕事してたらわりと身近に居たりするから気をつけてね」
「……はい、」
申し訳なさそうに眉を下げる治に、悠は一呼吸置いて返事を絞り出した。鋭い視線を向けられていた時の恐怖心が不思議としゅるしゅると萎んでゆくのを、悠はすとんと受け入れた。危害を加えられかねないそのオカルト染みた能力を、この人は悪用することはないのだろうと、この短いコミュニケーションのやり取りで判断するのは早計であるはずなのに。
「ということで、この扉を出たら僕の事は『霊剣』って呼んで。難しければ店長でも良いよ」
「れい、けん…?」
「霊を守る剣となれ。っていう意味でね、この店の代々の店長はみんなその名前を名乗ってるんだ。ちなみにキミのここでの名前は『霊山』」
「りょうざん…」
「すべての霊の社=山代となれ。まぁ僕の剣とは逆で、みんなを広く受け入れて守ってねっていう意味かな」
『悠ちゃんのお名前はね、ばぁちゃんも一緒に考えたんよ?おおらかで広い心を持った、みんなに優しい子になりますように、って』
霊山の名前の由来を聞くと同時に、幼少期の祖母の言葉をひとつ思い出した。なんだか似たような意味を持つ名前に親近感を持った悠は、受け取ったもうひとつ分の名前の重みを噛み締めた。
「ちなみにこの部屋のセキュリティは僕が責任持って管理してるから、今日みたいな面接とか、身元がわかるものの保管とかに使ってるよ。霊山くんも使いたい時は僕に一言伝えてね」
「はい、ありがとうございます」
はじめての呼び名にスムーズに返ってきた返答を受けた治は、今度こそ重めの扉を引いた。そこそこに広い店内を全て案内するには時間がかかる。最短ルートをざっと割り出す治の一歩後ろで、悠の足取りは店に来たときよりも軽かった。
――――――
「(広くない…!?)」
セキュリティ万全という資料室を出て暫く、悠にあてがわれた6畳程の部屋に腰を落ち着けたところで、悠はたった今見てきた店内の見取り図を頭のなかで整理していた。
外観のボロい平屋建て日本家屋で甘く見ていたかもしれない。資料室を出て直ぐに長くのびる廊下に怯んだ悠は、さくさくと案内していく治に出遅れるところだった。
資料室から出て右手には客間の和室8畳間。ここは治が倒れていた部屋であり、来客の対応は全てここで行うらしい。和室と長い廊下を隔てる扉からこちら側、資料室や住居のスペースは全てリフォームされており、外観のようなボロい印象はひとつもない。資料室の次の扉は食事スペースであろうダイニング。12畳程のフローリングの奥には対面式のキッチンもあり、社長の提示した3食の食事というのはここで治が用意するらしい。
「アレルギーとか好き嫌いも後で教えてくれる?リクエストはなるべく聞くけど、僕のレパートリーに無いものはあんまり期待しないでね」
「店長ってそんなこともするんですか…?大変そう…」
「いや、単純に僕以外にまともに料理出来る人居なかったから…」
少し遠い目をする治に、独り暮らしで困らないレベルの料理で良ければ、と当番制を提案した悠は、涙目の治に両手をとられぶんぶんと振り回された。……週に二日程の食事当番が決まった。
冷蔵庫等も自由に使えるそうだが、自分のものに名前を書くことは必須。とくに記入の無いものは共用のものとして好きに飲食して良いらしい。時々社長から届くという差し入れは誰の名前も書かれていないので、高級そうな羊羹だとか桐箱に入った分厚いハムなんかもご自由にどうぞと言われ、悠の喉はごくりと唾を飲んだ。
ダイニングキッチンから廊下を挟んで対面にはトイレ、脱衣所には洗面台と洗濯機がありその奥にお風呂、更に廊下を進むとぽつぽつと扉が並んでいる。それぞれ鍵が取り付けられていてプライバシーはちゃんと守られているようだ。
一番手前が治の部屋、斜め向かいに物置部屋、その更に向かい、治の隣室が悠に与えられた部屋で、ひとつの空き部屋をはさんで奥の二部屋は他の従業員が使っているという。
「危ないから、無闇に奥の二部屋には近付かない方が良いよ」
「えっ、」
不穏な情報をはさみながらも、全部で8DKの間取りは一通り案内してもらった。契約書等々の書類を書き終えて部屋に戻った悠は、部屋を見渡して必要な物をざっとリストアップする。シングルベッドと机に椅子、腰の高さ程の本棚とチェストは、以前の従業員が少しだけ使っていた物らしく、綺麗な状態のそれらは好きに使って良いと言われた。ならばベッドの上の布団一式と数日分の着替え、スマホの充電器、歯ブラシ等のアメニティグッズをひとまず揃えれば良いだろうか。少ない貯蓄からなるべく安く揃えたいので、近所にホームセンターや古着屋がないか調べていた悠は、コンコンと控えめなノックにスマホから顔をあげた。
「霊山くん、ちょっと良いかな?」
治からの呼び掛けにがちゃりと扉を開けば、次から次へとごめんね、と苦笑する治の背後に一人の少年が立っていた。
「いろいろ必要なもの買いに行くよね?お客さん居ないから今のうちに行ってもらっても良いんだけど…どう?」
「良いんですか?助かります」
願ってもない申し出に直ぐ様頷く。その返事を予想していたのか、社用車の鍵と共に店の裏にある軽自動車の情報を得た悠は、治の背後の少年と目があったところでパチリと瞳を瞬いた。なんだか彼の顔に見覚えがあるような…?
「あと、まだこの辺詳しくないでしょう?レンくんに案内をお願いしたから、ついでに一通り見ておいでよ」
治に背を押されたレンと呼ばれた少年は、悠の前に進むとぶすっとした顔で見上げてくる。
「えっと、レンくん…?よろしくお願いします…」
「ふぅん、さっきは気絶する程ビビってたのに、もう平気なんだ」
「へ?」
顔を覗き込みながら呟かれた言葉に疑問符を浮かべる。
さっき?気絶?思い当たるのはここに来て直ぐに遭遇した自称幽霊の白いモヤくらいで……。そこまで考えたところで、息を吐きながら腰に手を当てたレンに既視感を覚える。あの時、ぐいと遠慮なしにこちらを覗き込んできた白い顔は、こんな表情をしていた気がする…!
「――幽霊!?」
「やっと気付いた?おにーさんスカウトされた割に大したことないなぁ」
呆れたようにため息を吐くレンを、治はコラと嗜める。その際に治が触れた額も、腕を組んで治を見上げる姿も、生身の人間と同じように見えるのに、彼は幽霊だと肯定するように答えた。
「霊山くん、大丈夫?狭間支店はレンくんみたいな従業員が多いから、早めに慣れてもらおうと思ってつれてきたんだけど…」
「レンくん、みたいな…?」
「うん。ウチはお客さんも幽霊が多いから、あの世の人手も借りてるんだ。僕らみたいにミえる人間は貴重だからね。」
ミエル、人間?…幽霊が、見える、人間?
「俺今幽霊見えてんの!?」
「はぁ!?今さら何言ってんの!?」
咄嗟に縋り付こうとしたレンの身体は、するりと悠の手をすり抜けた。驚き固まる悠に、治も目をぱちくりとさせながら説明する。
「あの、ウチの店は、あの世の人とこの世の人の交流を管理するのが主な仕事で……霊山くんは見える人だから、コミュニケーションとれるのもすぐだろうと思って素質あるって話をしてたんだけど…」
もしや見える事すら自覚ないタイプだった…?なら申し訳ないことしたかなぁ?なんて頬をかく治を見ながら、悠はこの店舗の名前を思い出していた。
はざまって……狭間って………あの世とこの世の狭間って意味かよ…!!?
――――――