魚心あれば水心 悪心あれば徹底抗戦
交流屋狭間支店から車で2時間ほど、郊外の山中にぽつんとある古ぼけた邸宅は、ここ最近心霊スポットとして有名となった場所であるが、れっきとした交流屋所有の事業所の一つである。とはいっても、ここは狭間支店の客や従業員があの世と現世を行き来するための出入り口が設置されているだけの表立って営業されていない店舗で、手入れも十分とは言えない建物にそんな噂が立つのは致し方ないことだった。
「うわぁ…実物みるとやっぱり雰囲気ありますねぇ…」
「本来なら、あんまり人が寄り付かないようにこうしてるつもりだったんだけどねぇ…」
生い茂る木々の間から薄く差し込む陽光に目を細めながら、悠はたった今降りた車に凭れかかって言った。運転席から降りて来た治はそれに苦笑しつつ答えて、少し先に建つ蔦に囲まれた白く大きな邸宅を見上げる。近づくなと言われれば近づきたくなってしまうのも人間の厄介な性質なのか…とぼんやりと視界に映る黒い靄に目を細めた治は、後部座席からするりと出てきたレンに向き合った。
「さてレンくん、お守りはちゃんと持った?」
「持ちましたよ。今朝から何回確認すれば気が済むんですか」
「やむを得ないとはいえ、悪意があるってわかってるところに一緒に来てもらわなくちゃいけないんだから、心配しすぎるくらいが丁度良いんだよ」
「はいはい」
おざなりな返事をするレンの首には、いつも身に着けている通行証に加えて、悠が持っているものによく似た紫紺色のお守りがぶら下がっている。今回それが必須となったのも、それを身に着けてでもレンの同行が必要になったのも、ひとえに数日前のとある報告が原因だった。
「え?悪意が発生してる?」
「ええ。おかげであの出入り口、今誰も近づけないみたいですよ」
そんな報告と共にレンが差し出した書類をぺらぺらと確認した治は、眉間に深いシワを刻んで細く息を吐いた。そんな治の手からひょいと書類を奪ったのはめずらしく客間に出て仕事をしていた可那子で、ぱらりと簡単にそれを見て何かを考えるように天井を見上げた可那子は、ややあって手元のタブレット端末を操作して治に差し出した。
「これが原因かもしれませんね」
「………そうだねぇ」
「え、どうしたんですか?」
一連の流れを何となく見ていた悠は、彼らに揃って困った顔をさせる事案が気になってひょこりと治の手元を覗き込む。そのタブレットには、とあるネット記事のまとめサイトが表示されていた。
「心霊スポット特集…?」
「…そう。なぜかここにウチの店舗の一つが取り上げられてるらしくて…多分、それで悪意の溜まり場になってるんだ」
するりとタブレットを操作した治は、一つの邸宅を写した画像を悠に見せる。同時に自分のノートパソコンからも会社所有施設の画像をひとつ出してくると、それをわかりやすいように並べて見せた。そうして見ればやはり、写る角度は違うがふたつは同じ建物のようだった。
「でも…おかしいな」
「え?なにがです?」
「ウチは他にも似たような施設を持ってて、全部ちゃんと交流屋の所有地だって申請もしてあるし看板もわかりやすく立ててるから、こうやって勝手に記事にされるってことは今までなかったんだ」
「なるほど?」
「勝手にそんな噂を広めた誰かさんが居るんでしょうね~。……あ、やっぱり」
「え、ハカセもう見つけたの?」
「はい。多分この人です」
可那子が見せたタブレットは、とある動画投稿サイトのチャンネルを表示していた。登録者数1000人ちょっとのそれは、日本各地の心霊スポットを探し歩いて本当に心霊現象が起きるのか調査するという名目らしく、ここ一、二年ほどの間にいくつかそんな動画が投稿されている。最近のものをチェックしてみるとどうやら例の邸宅が取り上げられているようで……なるほどここが噂の発信源と見て間違いないらしいと、昨日の日付で投稿された動画を再生しながら治はまた眉間にシワをよせた。
「霊剣さん、一応聞きますけど、交流屋からの許可は出てますか?」
「出てるわけないでしょ…」
「じゃあ不法侵入じゃん」
「警察に通報しましょう。証拠の動画もご丁寧に本人が残してくださってますし」
「そうしたいのは山々なんだけど…う~ん…」
「…なんか不味いんですか?」
「噂の元はこの人だけど…この動画だけじゃ、悪意の根本までそうだとは確定できないんだよね」
そう言って顎に手を添えるようにしながら画面を覗き込んだ治は、動画を再生しながら画面のあちこちに視線を走らせる。悠の目には暗い室内をライト一つでおそるおそる進む男の姿しか見えていないが、治の視界にはうっすらとでもあの黒い靄が写っているのだろうか。険しい目つきの治を窺うように見ていた悠は、ややあってあっと顔を上げた治とばちりと目が合った。
「よし、ちょっとここに乗り込んでみようか霊山くん?」
「え、俺ですか!?」
「今ちょうど目が合ったし」
「エッ」
「っていうのは冗談で、悪意に対処する訓練ができるかなと思って。こんな人が来ない所の方が、周りのこと気にしないでできるでしょう?」
問いかけの形を取っているが、治の中ではすでに決定事項らしい。そのまま、そこへ乗り込んで動画の配信者を捕まえることと、悪意に巻き込まれたヒトが居ないかの確認も必要であると話は進んで行き、翌々日の朝には3人で現場へ向かうこととなったのだった。
「あ、看板こんなところにありましたよ」
「……これ、どう見ても無理矢理引っこ抜いたでしょ」
「あーあ、悪いことする人だねぇ」
敷地入り口の門から少し逸れた草むらの中、不自然に草が萎れたそこから立て看板と規制用のロープを発見した悠は、治とレンにそれを報告する。あまり劣化の見られない看板の根元と足跡らしき土がついた箇所から意図的に看板を無視したと思われる侵入者に、治はため息を吐きながら背後を振り返る。見上げた邸宅の窓に、ちらりと人影が見えた。
「どうやら、ご本人は中に居るね」
「これ、下手したら住み着いてるんじゃないですか?」
「かもしれないねぇ…しょうがないお客さんだよホント」
やれやれとため息を吐いた治は、ざりざりと砂利の敷かれた敷地に大雑把に進み入ると大き目のウォードキーを取り出した。ぎりりと錆び付いた音を発しながらも解錠した扉がゆっくり開くと、埃っぽいが小奇麗な洋風の内装にグレーの絨毯が敷き詰められていた。
「よし、まずは出入り口の確認に行って、その道中で悪意を消せるだけ消す。霊山くんは訓練のつもりで、いつ悪意が出ても平気なように気合入れておいてね」
「は、はい…!」
「で、悪意が目の前に出たら?」
「なんか、バリア…!みたいなイメージで跳ね返します!」
「うん、その意気で頑張ろう」
「……なんか、小学生の遊びみたいな感じだけど大丈夫なの…?」
「こればっかりは感覚の問題だから……霊山くんが"跳ね返す"ってイメージしやすいならなんでも良いんだよ」
「がんばります…!!」
「あとは、途中であの人が出てきてくれたらお話合いができるんだけど…どうなるかな」
「ちゃんとお話合いができる人間はそもそも不法侵入しないと思うんですけど」
「ううん、否定できない…」
レンの言葉に苦笑した治は、室内に向き直り短く息を吐いて気合を入れると、いつも自身の右目を隠している黒い眼帯をするりと外して足を進める。なるべく離れぬようにと言い含められたレンと悠もその後に続き、まずは一階一番奥の書斎にあるというあの世への出入り口へ向かった。
「そう言えば霊剣さん、その目って怪我とかしてるわけじゃなかったんですね」
「え?あぁ、そうだね」
「なんで隠してるんですか?片目だと不便なことも多そうですけど…」
「僕の右目は、普通の人とはちょっと違うからね。悪意のあるなしや気配を見るのには良いけど、人前に晒すと驚かれちゃう見た目だから…」
そう言ってちらりと振り返った治の右目は、本来色があるはずの虹彩と瞳孔まで真っ白だった。驚きにはっと息を飲んだ悠の反応に少しだけ収縮した瞳孔はすぐに黒い前髪の向こうに隠れてしまって、もしや治の触れられたくない部分に踏み込んでしまったかと咄嗟に謝ろうとした口は、急に悠の腕を引いた治とぱしゃりと何かが飛び散る音によって止められてしまった。
「……これは、」
「え!?な、なに!?」
「なんか飛んできたんだけど……水風船?」
「は?なんでそんなものが…?」
腕を引かれた悠の背後の壁にぶつかって割れたのは、水がたっぷり入っていたであろうカラフルな風船だった。その出どころを確認すると、足元に設置された細いテグスに引っ掛かると風船が射出される仕組みになっていたらしく、薄暗い廊下の死角になる天井付近に手作りと思われる装置が取り付けられている。子供の悪戯のようなそれはずいぶん新しいもののようで、もちろんそんなものを設置した覚えも報告も受けていない治は、侵入者がここで行った"悪戯"が他にもあるのではと予測して頭を抱えたくなった。
「これ…あれかな、ここがあんまりにも心霊現象と無縁だから、自分でそれっぽいことを起こそうとしたとかそうゆう話…?」
「え、あの動画全部ヤラセってこと…?」
「わかんないけど…でも少なくともここはさ、お客さんたちが単なる通り道にしてるだけの場所だから、迷い込んじゃった人が居たとしても、怖い目にあったとか、怪奇現象に遭遇したって話は早々出ないはずなんだ」
社長が交流屋狭間支店の前身となる店を経営し始めたのは、まだ治も生まれていない30年ほど前のことで、当時は今のシステムなんて全然出来上がっていないのだから、地縛霊や浮遊霊、迷子の霊たちがあちこちにうようよ居たという。けれど、日本全国を回り彼らを回収、あの世へ誘導する仕組みを作り上げた現在は、以前のように現世の人間にちょっかいをかける幽霊たちへの取り締まりができるようになったし、あの世と現世の関わりが管理されるようになったため、昔ほどオカルトな現象に巻き込まれることはなくなったはずである。
そのため、現在ネットで散見される心霊現象の類は自作自演であったり、誰かの悪戯であったり、ごく稀に、その場に集まってしまった人々の好奇心や悪戯心が悪意となり害を及ぼす…という事例ばかりだった。今回も、動画を見る限り迷子の幽霊の姿は一切確認できなかったためそうなのだろうと予測はしていたが、こんな子供騙しの仕掛けまで勝手に設置されているとは……。
「これも解除できるだけしとかないとね…」
「迂闊に引っ掛かって怪我とかしないようにね」
「え、俺そんなに鈍臭そうに見える?」
「まぁ…視界は悪いんだから気を付けようね」
にやにやと意地悪そうな笑みを浮かべるレンと落ち込む悠を促して先へ進む治。その後も、勝手にばたん!と扉が閉まる仕掛けがあったり、クローゼットから女性が泣く音声が流れて来たり、廊下がわざと水浸しにされていたり、キッチンの壁が真っ赤に塗られていたり、上の階から花瓶が降って来たり……定番すぎる仕掛けの数々に遭遇しつつ進んだ3人は心なしかげっそりしていて、目的の部屋に到着した悠はへろへろとしゃがみ込んでしまった。
「なんですかここ絡繰り屋敷ですか!?」
「よくもここまで人の家を好き勝手改造したね…」
「住居侵入に器物損壊も追加で逮捕してもらいましょう ゼ ッ タ イ に 」
「レンくん、お顔が怖いよ」
苦笑しつつレンをなだめた治は、改めてレンに向き直って彼の全身をチェックする。ここに来る道中の悪意は彼に触れる前にしっかり消してはいたけれど、如何せん妨害が多かったため落ち着いて確認がしたかった。気疲れした以外は特に問題なさそうなレンに安堵した治は未だしゃがみ込んだままの悠に向き直り………その背中にどよんと浮かぶ黒い靄に思わず乾いた笑みをこぼしてしまった。
「霊山くんは…あとでもうちょっと練習しよっか」
「え!?俺そんなにダメでした!?」
「自分の背後見てみなよ」
「え、うわぁ!?いつの間に!?」
「はいはい動かないでね」
悠が驚いて身動きした拍子に揺らめいた靄へすっと右手を伸ばした治は、それを引っ掴んでずるりと引きずり出す。うぞうぞと蠢いたそれはやがて治の手に吸い込まれるように消えて行った。
「う~ん…"跳ね返す"が出来てないわけじゃないんだよ?ただ、きみの吸引体質の方がちょっと強いなぁってだけで、」
「どうやったら吸引力は弱くなりますか…!?」
「ごめん、ちょっと僕にはわかんないかも…」
「体質なんだからそう簡単に変わるわけないでしょ」
「特訓あるのみかぁ...」
「見たところセンスがないってことはないみたいだから、コツが掴めればすぐできるんじゃない?」
「がんばります…!」
悠が気合を入れ直したところで、治とレンは出入り口のチェックに取り掛かる。今しがた入ってきた扉の対面にある、部屋の壁ほぼ一面を占めるほどの大きな窓がその役割を果たしているらしく、細かい装飾がされた窓枠を治が内側から、レンがするりと抜け出して外側から何やら点検している様子を、悠はそわそわと観察していた。
「霊山くんも、もう少し仕事に慣れてきたらこうゆうのお願いすると思うから」
「あ、はい!」
「退屈かもしれないけど、ちょっと待っててね」
「あ、いや全然!俺は大丈夫なんで!」
敬礼でもするようにびしりと姿勢を正した悠にくすりと笑ってから、治は作業を再開した。後々教えてもらえる仕事ならそれを見ていたい気もするし、けれどあまり近くでじっと見ていては邪魔になるだろう。少し悩んだ悠は二人から少し距離を取って、けれど彼らの様子がよくわかる部屋の壁際へそろそろと移動した。
ぴたりと壁に背を預けてしまおうかと思ったけれど、背の高い古い本棚が壁を覆うように配置してあったのでやめておく。見上げた本棚の半分ほどは分厚い本で埋まっていて、重くて古そうだし前の住人が置いて行ったのかな…なんて呑気に考えていた悠の視界の隅で、何故かそのうちの一冊がずるりと滑って落ちて来た。
「え」
「ー!!霊山くん!!」
がたがたがたごとん!!なんて、到底本一冊が落ちた程度ではありえない音が部屋に響いて、悠は驚いて閉じていた目をそっと開く。情けなく尻もちをついた身体は誰かに覆いかぶさられていて、そんな自分たちの回りにバラけて散らばった本棚が転がっていて、まさか、本ごとこれが倒れて降ってきたのかと理解すると同時に、上に居た誰かから小さなうめき声が聞こえて来た。……誰か、なんて、この部屋には自分以外一人しか……
「は、…霊剣さん…?」
「…っ、」
「店長!!」
びゅんと文字通り飛んできたレンの声でやっと身体が動き出した悠は、ふらりと倒れそうになった治の身体を支える。赤く腫れあがった左手の甲と、その手が添えられた額からぽたぽたと赤い血が流れ落ちるのを見てひゅっと息を飲んだが、落ち着きなくふわふわおろおろと浮いているレンを見てすっと冷静になれた。今、俺がしっかりしなくてどうする…!
「レンくん!一旦ここを出て病院に行こう。ちゃんとついて来てね」
「わ、かった」
「霊剣さん、ゆっくりで良いんで歩けますか?」
「…大丈夫だよ、ちょっとぶつけたくらいだし、」
「それは霊剣さんじゃなくて医者が判断するんです!」
「…霊山くんは?怪我してない?」
「多分してないっすね一滴も出血してませんし!?助けてもらってありがたいっすけど出来れば俺より自分の心配してくださいよ!!」
「……怒ってる?」
「怒るっつーか心配してんです!レンくんだってこんなにびっくりしておどおどしちゃって…」
「は、はぁ?おどおどなんてしてないけど!」
「大人が子供に心配かけてどうすんですか全く」
「心配はしたけどおどおどはしてないから!」
「ほら、したんですって」
「……ふふ、心配かけて…ごめんね」
「…店長は悪くないですよ。こいつがどんくさいのがそもそも悪いわけで、」
「ハイそうですスミマセンでした!!!」
ぎゃーぎゃーとレンと悠が言い争っているうちに、あっという間に建物の外に出たらしい。傾いた日射しが目に刺さってつきんと頭が痛んだけれど、治は車までもう少しだと砂利道を踏みしめる。ちらりと振り返った邸宅の窓に見えた人影をぎろりと睨みつけた治は、悠の運転で近くの病院へ搬送された。
―――――――
俺の名はフィクサー。日本各地の心霊スポットを渡り歩いて、退屈な日常にぞくぞくする刺激を与える活動をしている動画配信者だ。怖いもの見たさに俺を支持する人間は多く居るが、俺の人気を妬んでか邪魔をする人間もそれなりに居る。そんな愚か者どもを成敗してやるべくせかせか作り上げた作品たちは今日も大活躍してくれたらしく、ふらふらと屋敷を出て行く二人組を見下ろしながら、俺はにまりと口角をあげた。
「よぉ見たかお前ら!今日も俺の大勝利~!!」
屋敷中に仕掛けた小型カメラで、アイツらの動向は俺にもリスナーにも筒抜けだった。全てを一緒に見ていた同志に向かってそう高らかに宣言すると、途端にコメント欄が沸き上がる。いえ~い!!さすが~!!とノッてくれる奴らに混じってやりすぎだとか犯罪だとか余計なことを書き込む奴らをサクッとブロックしながらパソコンの前に座る。今回のやつらはなかなか手ごわかったが、まぁあれだけ痛い目を見ればもう戻ってくることはないだろう。作品と一緒に演出用の仕掛けもいくつか解除されてしまったようだが、あれくらい俺にかかればすぐに作り直せる。明日はその作業をして、明後日はまだ足を踏み入れていない地下室にでも行ってみようか。いかにも怪しげなその場所を提示するとまたコメントが賑わって、俺は得も言われぬ優越感に浸りながら配信を終了した。
―――――――
ブーブーとテーブルの上で短くスマホが鳴った。手に取るとどうやら外に設置したセンサーが侵入者を感知したらしく、そろりと窓の外を窺うと昨日の二人組がこちらにやって来るところだった。……しつこい奴らだな全く。
俺はすぐさまパソコンを起動すると、配信をスタートして小型カメラの映像を流す。突発的な配信にもかかわらずすぐにリスナーが集まったことに笑みをこぼした俺は、そいつらに呼び掛けた。
「お前ら聞いてくれ!昨日のやつらが凝りもせず今日も来やがった!どうやら昨日の制裁じゃ生温かったらしい!」
―マジか
―馬鹿じゃん
―やってやれフィクサー!
「もちろん徹底的にやってやるよ!アイツら、今度は怪我だけじゃすまねぇかもな!」
「わぁ…」
「うーわ…」
「あーあ…」
小型カメラの死角となる廊下の隅でスマホを囲むように覗き込みながら、悠とレンと治はそれぞれ呆気に取られて呟いた。彼はこれ以上自分の罪状を増やしてどうしたいのだろうか。そのまま配信を見ていると、彼はご丁寧に今から向かう先に仕掛けた作品の出来がいかに素晴らしいかとこんこんと語り出したため、治はありがたくそれをメモしていく。扉を開くと飛び出してくるペイント弾だとか、階段の下から3段目が落ちる仕掛けだとか、バスルームの大きなマットを踏むと改造した爆竹が弾けるだとか、大広間の扉を開けると画鋲や釘が降ってくるだとか、2階のとある部屋に入ると床が抜けて下に落下するだとか……ホームアロ…となにか言いかけた悠の口を塞いだ治は、手始めに一番近くに設置してあった小型カメラのレンズを塞いだ。
「まぁでも、この人さえ捕まえちゃえば問題はないんですよね?」
「そうだね。昨日見た限りここの悪意はこの人から出てるものばかりだったし…あとは、この人のマネをする人が出なければいいんだけど…」
「そのための作戦なんでしょう?早くはじめましょうよ」
「…レンくん早く帰りたい?」
「当たり前じゃん。コイツが余計なことしなければ昨日で仕事は終わってたんだよ」
「はは…じゃあ、早いこと反撃して終わらせちゃおうか」
役目を果たせなくなった小型カメラを回収した治は、足元に設置されているワイヤートラップをひょいと跨いだ。
「な、なんでだ…!?なんで上手くいかない!?」
昨日はあんなに簡単に引っ掛かったのに、アイツら作品が全部見えてるみたいにひょいひょい避けてどんどんこっちに近付いて来る…!!
焦る俺を他所に、リスナーたちはひとつひとつ確実につぶされていくカメラ映像と作品を見てガチホラーじゃん!やば!なんて呑気に楽しそうにしてやがるし、イラついて語気が荒くなる俺にまたコメント欄が賑わう。ああ畜生ふざけんな!!我慢の限界に達して叫びながらテーブルを思い切り叩いたら、途端にライトがばつんと消えて、真夜中でもないのに部屋は真っ暗になった。
「…あぁ、こんなところに居たんですね」
「っひ、」
一瞬の暗闇のあと、明かりがついた室内で、いつの間にか俺の後ろに男が立っていた。ぴしりと着込んだYシャツにベストにスラックス、こんな山の中のボロ家にピカピカの革靴で乗り込んでくる変わった姿は昨日の二人組の片方そのままで、やけに目立つ白いガーゼと包帯を付けた額と左手が、昨日俺の制裁を受けた本人だと物語っていた。
「ダメじゃないですか、勝手に人の家に入ってモノを壊しちゃ」
「な、んだと…?」
「この家と周辺の土地は我々交流屋所有のものであると、いくつか看板だって立てていたはずなんですが…気が付きませんでした?」
あ、あんなもん邪魔だし引っこ抜いて捨てたに決まってんだろ…!なんて、今言うのは不味いと思って口を噤んだのに、目の前の男はそれもお見通しと言うようににこりと機械的な笑みを浮かべて一歩俺に近付いた。
「まぁどちらにせよ、あなたが行ったことは変わりません」
「住居侵入、器物損壊、ついでに僕たちに対する傷害の容疑で、あなたを警察に通報しました」
「至急こちらに来てくださるそうで…もう間もなく到着するでしょうね」
言うごとに一歩一歩近づいて来る男。反対に俺は、じりじりと壁際に追い詰められて、きっと青い顔をしているのだろう。今からでもどこかに逃げ道は…と思うより早く、遠くの方からサイレンが聞こえて来て、そんなものどこにもないのだと悟った。
「警察に逮捕される、なんて、思ってもなかったんでしょうか?」
「良かったですね貴重な体験ができて。こんな珍しい動画、結構バズるかもしれませんよ」
「まぁ、証拠としての役割を果たした後は削除させていただきますので、あなたが見ることはないでしょうけど」
へたり込んだ俺と目を合わせるように腰を折った男はくすりと笑っているのに、細められた左目の奥はギラギラと怒りに燃えているように見えた。
――僕の大切なものを傷付けようとしたあなたを、絶対に許さない――
―おわった
―あの人顔見えないかな~
―あーあ
―人生終了のお知らせw
―草
―フィクサー終わっちゃった
―面白かったのにな~
「あぁそうだ、今この映像を他人事のように見ている方々にも忠告しておきましょうか」
「故意にだれかへ向けた悪意は、相応の形を持って自身に返って来ると」
「……くれぐれも、お気をつけて」
ぷつんと映像が消えた真っ暗な画面には、怯えた目をした人間の顔が写っていた。
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