笑ったカドに死神が来る。
やった…!上手くいった…!!あいつらあっさり捕まりやがってホンッと馬鹿な奴ら…!!
息を乱しながら路地裏を駆ける男は、大通りでパトカーがサイレンを鳴らしているのを聞きつけ壁際に身を潜める。全身真っ黒な服装のおかげで暗闇に紛れやすく、走り去る警察車両たちは男に気付くこともなかった。にたりと笑みを浮かべた男は抱えたボストンバックを持ち直すと、さらに路地の奥へと駆けて行く。数センチほど開いたバックの口からはちらりと大量の紙幣が顔を覗かせていて、走りながらもそれに気づいた男は乱雑にそれを閉じた。
男は銀行強盗だった。綿密な計画を立てて都内の大手銀行を閉店間際に襲撃。客を人質に取りバックに詰められるだけの紙幣を回収したまでは良かったが、仲間の一人が目を離した隙に銀行員の一人に防犯ブザーを押されてしまった。苛立ちのままに仲間をぶん殴り、持っていたナイフで銀行員の腹を刺す。それを見てきゃあきゃあわめく客が目障り耳障りでこいつらも殺してやろうとナイフを振り上げたが、その前にパトカーが到着して完全に囲まれてしまう。くそ…やっぱり金で適当に雇った他人なんて信用ならねぇ…。ぎりりと歯ぎしりした男は狼狽える仲間の肩を組み逃げ伸びるための作戦を告げる。けれどそれは、彼らを囮に自分だけ逃げ伸びるための急ごしらえの策で、予想以上にうまくいったそれにほくそ笑む男は、どんどんと遠ざかるサイレンの音を背後に、にたにたと浮かぶ笑みを片手で隠していた。あとは海の向こうか、どこか田舎にでも逃げられれば、これからずうっと楽して生きていけるはず…!
ははっとついに零れた笑い声と上がった息を整えるためにまた路地裏へ身を隠した男は、深く呼吸して壁に背を預ける。もう少し…もう少し走れば海岸沿いに出る。そこで船でも盗んでもっと遠くへ…。そう考えながらふっと視線をあげた男は、背を預けた壁に胡坐をかいて座り込み、退屈そうに自分を見下ろす黒服の男を見つけてひっと短く悲鳴をあげた。
「なっ、ん、何だお前…!!!」
「アララ、オレが見えてる?じゃあアンタ、そろそろ死ぬんじゃない?」
にっと口角をあげて白い歯をのぞかせた黒服の男は、怯えて後ずさる男の前に音もなく着地すると、必死に逃げようとするその顔を長い前髪に隠れた瞳で覗き込んでケタケタと笑う。骸骨のように長く瘦せ細った体躯はただただ不気味で、壁に背中がついてもなお後ずさろうとする男を楽しそうに追い詰めたかと思うと、そのままずんっと大きく足を踏み出した。足の下には男のゆるんだ腹があって、思い切り踏みつけられる痛みを覚悟した男はぐっと息を詰めたが、いつまで経っても痛みはやってこなかった。
「んふふふ。何?アンタ、オレに殺されるとでも思った?でも残念。見ての通りオレは今、アンタに指一本触れられないんだよねぇ…」
先の鋭い革靴を履いた黒服の足は男の腹に埋まるようにしてそこにあるのに、ぬるりと引き抜かれたそこには穴なんて一つも開いていなくて、男は自分の腹部に触れてそれを確かめると、ぎょっとして再び男を見上げた。
「な、なん、っだ、お前…!ば、バケモノ…!!」
「えー?バケモノは酷いなぁ?オレだって昔はアンタと同じ人間だったんだよ?…だけど、まぁ、今は半分当たりかもしれないね。なんせオレは”死神”なんて呼ばれてるわけだし?」
「っな…!」
「あ、だから、アンタももうすぐ死ぬよ。だって俺の姿が見えるのは、死人か死に近い人間だけだから」
ニヤリと口角をあげた死神に、男は悲鳴をあげながら後ずさる。死にたくない…死にたくないと呟きながら、けれど紙幣の入ったバックだけはしっかりと抱きしめて離さないその姿が滑稽で、死神はげらげらと笑った後、良いことを教えてあげる。と人差し指をたてて、尖った革靴のつま先をコツコツと鳴らした。
「オレの知ってる中で一人だけ、オレの姿が見えてるのに20年は生き延びてるツワモノが居るよ?」
死に近い場所に在りながら……おそらく、自身も自らの死を望んでいた子供を思い出して、死神は目を細める。けれど彼は、誰より死に近い場所に居たけれど、それを打ち消してさらに現世に留めて置けるほど、誰かに生を望まれていたから、今日まで生き延びて来たのだろう。
幸せなような、不幸なような、哀れな青年を想った死神は、目の前で無様に転がる男を見下ろして言った。
「万が一…あるいは億が一。ひょっとしたら、アンタも生き延びることができるかもね?」
死神がこてんと首を傾げたのを合図に背を向けて走り出した男は、大通りに飛び出した直後にトラックに撥ねられた。ぐしゃりと何かがつぶれた音と衝撃音を聞いた死神はひょこりと路地から顔を出して、その先を見ておどけたように両手を広げて見せた。
「…アララ、残念でした」
もわりと男の身体から浮き出て来た魂は、呆然と自身の亡骸を見下ろしていたかと思うと、やがて頭を抱えて発狂する。叫び出した衝動のままに駆け出した男の背に向かって、死神は懐から取り出したハンドガンをゆっくりと向けると、躊躇なく引き金を引いた。
ぱぁんと乾いた音と同時に雷に打たれたように身体を強張らせた男は、次の瞬間この場から消えていた。
「お疲れ様です。死神さん」
「アラ、なんだか久しぶりだね店長くん」
路地裏をふらりふらりと歩いていた死神は、不意に通りの影から声をかけられた。声だけでその人物を特定した死神は、にこやかに手を振って挨拶をする。それに答えるように影から姿を見せたのは白髪交じりの髪をハーフアップにまとめた青年で、ふぅとため息を吐いた彼は、死神が手に持つハンドガンを指さして言った。
「仕事をこなしてもらうのはありがたいんですけど…その転送装置、まだハカセも試作段階だって言ってるんで、勝手に持ち出さないでもらえます?」
「ふふ、ごめんごめん。だけど、もう実際に使っても問題ないレベルだと思ってさ。現にさっきオレが撃った彼は、ちゃんとお店に着いたでしょ?」
「まぁ、そうですけど…」
「じゃあ良いじゃん。固いこと言わないでさ。ハカセちゃんにも実用化可能って言っておいてあげてよ」
「……わかりました。でも、今お持ちのそれはちゃんと返してください」
「アララ………バレた?」
ちゃっかり持ち帰ろうとしていたそれをぴしゃりと指摘されて、死神はちろりと舌を出す。じとりと見つめてくる青年にしぶしぶハンドガンを差し出すと、右手でしっかりとそれを受け取った青年はぺこりとお辞儀をした。
「ありがとうございます。実用化にこぎつけましたらきちんとアナタにも配布しますので、それまでしばしお待ちください」
「はいはーい」
返事を聞いて立ち去ろうとした青年を、そういえばさ、と死神は呼び止める。律義に振り返った青年にくすりと笑みをこぼした死神は、口元だけで笑みを作って青年に尋ねた。
「最近はどう?生きてて楽しい?」
「……………さぁ、どうでしょうか…。でもまぁ…何故か、最近は前ほど苦痛だとは感じなくなった気はします」
「……そう、それは良い傾向なんじゃない?楽しまなきゃ勿体無いよ。せっかくキミは生きているんだから」
死神の言葉をどう受け取ったのか、静かにもう一度お辞儀をした青年は今度こそ暗闇に消えて、それを見送った死神は、眩い街灯やネオンの灯る街の方へ一歩踏み出し、光の中へ溶けるように消えて行った。
出会った当時は、仄暗く死んだ目をしていた少年。
死に一番近くに居た彼を、生に繋ぎ止めたのは―――――――……
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米津玄師さんの「死神」を聞きながら書きました。そんなイメージの死神さんです。




