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交流屋  作者: キミヤ
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奇人変人⑤




「可那子、学校はどう?楽しい?」


「う~ん…楽しいこともあるけど、退屈なこともあるよ」


「まぁ、そうなの?」


「だってね、理科のおじいちゃん先生ってば、授業はただ教科書読むだけなんだよ?私もう全部覚えちゃったもん」


「あらあら、」


羽田家のリビングは広々と開放的な空間で、その一角の黒いダイニングテーブルが、可那子の勉強スペースだった。そこで一人もくもくとシャーペンを動かす可那子は、時折くるりとペンを回して頬杖をつきながら母と無邪気におしゃべりしていて、けれど、リビングにハウスキーパーの女性が入室すると、その会話はぴたりと止まる。


「可那子ちゃん、私はそろそろ失礼しますけど、何か御用はないかしら?」


「大丈夫です。渡辺さん、いつもありがとうございます」


ぺこりと頭を下げる可那子に、渡辺と呼ばれた女性もこちらこそと頭を下げる。ではまた明日来ますねと荷物を肩にかけた渡辺は、そのまま部屋を出ていった。





「…………危なかった。まだ渡辺さん居たの忘れてた…」


「ほんとね、ごめんなさい可那子」


「ううん、大丈夫だよママ」


ごく普通の親子の会話。なのに、他人に聞かれないようにこそこそしなければいけないのは、ひとえに母の姿が可那子以外の人間に視認できないからだった。


数ヵ月前、病によりこの世を去ったはずの可那子の母は、未だに魂だけの姿で可那子のそばに佇んでいる。早すぎる母との別れに悲しんでいた可那子は、再び目の前に現れた母に驚きつつも喜び、しかし直後に、自分以外の誰にも母の姿が見えていないことを知り、母はやはりもうこの世の人間ではないのだと理解して少しだけ泣いた。何故自分だけ母の姿が見えているのかその時はわからなかったけれど、母と一緒に居られる時間がもう少しあるというのならそれだけで十分だと、可那子は母と二人だけの時間を大事に過ごそうと思っていた。その空間に父がいないことは、寂しくともどうしようもなかった。







「可那子、パパのことよろしくね。あの人お仕事以外はホントダメな人だから」


母はいつも、可那子との会話がふと途切れたタイミングでそう言っていた。呆れたような口調なのにその声はどこまでも優しく、どこまでも慈愛に満ちていた。母は父の事をずっと愛していたのだろう。それはきっと、これからもずっと。


「大丈夫だよママ。パパは私が守るから」


大好きな母の大好きな父。もちろん、可那子も父の事は大好きで尊敬している。胸を張って母にそう返事をする可那子を頼もしいわね、とくすくす笑って見ていた母は、いつからだろうか、可那子の前からも姿を消していた。






―――――――






うっすらと意識が浮上した。硬い木の感触を肩や頬に感じて、可那子は自分が床に寝かせられていることを理解する。近くにそわそわと落ち着かない人の気配がするし、きっとここに自分を拉致した人間なのだろうと、可那子はまだ目を閉じていることにした。


拉致してきた相手はおそらく一人。可那子がお手洗いに行って一人になったところを背後から襲われたので、きっと自分の近くでずっとタイミングをうかがっていたのかもしれない。…いや、むしろ可那子は、そうであることを推測して一人になるタイミングをつくったのだが、こうも簡単に引っ掛かるとは……


「っは、はは…アイツ早く来ないかなぁ…アイツさえ消してしまえば、俺は、可那子ちゃんと二人で…」


ふは、ふへへへ…とぞっとするほど気味の悪い笑い声をあげる男の声は、完全に覚醒してしまった可那子の耳にはっきりと届いてしまった。嫌だ気持ち悪い今鳥肌たった…!反射的にシワを寄せそうになった眉間は何とか気合いで動かさずに済んだが、全身の毛穴まではとてもコントロールできなかった。近くで見られたら起きていることがバレる可能性がある早く治まれ…!と思っていた可那子の耳に、床を通じて誰かが駆け寄ってくる足音が届き、それは徐々に大きくなるとこの部屋の前まで到達し、間髪入れずにばぁんと大きく扉が開け放たれる音がした。


「ハカセ!無事!?」


「は、な、なんだお前は…!!」


なんとなくそんな気はしていたけど、予測した通りの人物が想像通りの勢いでこの薄暗くて怪しさ満点な部屋に飛び込んできて、可那子はちょっと笑いそうになったし、危険であろう場所に呼び出されたのは自分の方なのに、可那子の身しか気にしていない勢いに呆れもした。多分扉を開けた瞬間に刃物が飛んでくる仕掛けでもあれば、彼はあっさり引っ掛かって死んでしまうのかもしれない。……なんだかそれは嫌だな、防弾防刃チョッキのようなものを開発して送り付けてやりたくなったが大袈裟だろうか。そんなことを考えながらうっすらと目を開けてみれば、廊下からの明かりを背負ったまま扉の前に立っている悠と、腰が引けたまま懐から取り出した何かを悠に向ける男が居た。……確かあの男は、父の病院の研修医だったはず…?


「お、オレは羽田義仁を呼び出したんだ!アイツを何処へやった!」


「は、え?彼女を無事に返して欲しければって、俺に連絡来ましたけど、」


「なんだと!?」


驚愕の声をあげた男と悠の視線が向けられて、可那子はゆっくりと身を起こす。背後で縛られていた腕は、今の間にもぞもぞと動かしていれば幾分か拘束がゆるんで右腕を引っこ抜くことができたし、口を塞ぐガムテープもちょっぴり痛かったけれどさっさと剥がすことができた。まだ状況を把握できないのか狼狽える男と目を合わせてふぅーと深く深呼吸した可那子は、少し凝り固まった肩をくるりと回しながらけろりと告げた。


「パパと彼の登録名を入れ替えてたに決まってるじゃないですか。あなたが今日何かを企んでることはわかってましたし、パパは絶対に巻き込みたくなかったので」


「くっ…」


「これナチュラルに俺は巻き込んでも平気って言われてない…?」


「霊山さんはなんか…しぶとそうだったので」


ぐっと可那子が親指を立てるのを見て、悠ははぁ…と諦めたような遠い目をした。なんか、この数日でどうも便利な駒認定をされたような気がする。まぁ別に、命の危機でも起きなければ良いと悠は思うのだけれど。


「なんでだよ可那子ちゃん…!俺はただ、アイツから可那子ちゃんを解放してあげようと…!」


「解放…?何のことでしょう?」


「あぁ、良いんだ、おれは、俺だけはわかってる。可那子ちゃん、小さい頃にお母さんを亡くして辛かったよね、なのにアイツはキミも、キミのお母さんのことも放っておいていつも仕事ばかりしてたらしいじゃないか。そのくせこうゆう場ではキミを呼びつけて仲の良い親子アピール、キミは優しいから…あぁいや、きっとアイツに脅されてたんだろう?初めて見た時は本当に仲が良いんだと俺も思ってしまったんだ…。でもね、俺がキミと仲良くなろうと思って近づくと、アイツはいつも邪魔をするんだ。はは、キミを俺に取られてしまうと思ってるのかな?でもその方が良いと思わない?だって、今までつらい思いをしてきた可那子ちゃんは、俺が幸せにしてあげるから」


恍惚とした表情を浮かべた男に、悠と可那子は目を見開いたまま動きを止めていた。支離滅裂な言い分だったが、男が妄想癖の激しいストーカーらしいことは察せられた。何せ可那子は、父の仕事場で男の姿を見た覚えこそあったものの、名前を教えた覚えも会話をした記憶もないのだから。思ったよりも厄介でぶっ飛んだ相手であったことに身震いすると、それを見て何を勘違いしたのか、男はつい数分前までおどおどしていた姿を微塵も感じさせない不気味な仕草で、手に持ったナイフを悠に向けた。


「あぁ可那子ちゃん、怖がらなくて良いよ。こんなやつすぐに始末するから。そうしたら次はアイツの番だ。アイツはオレが殺す。そうしたら、俺と可那子ちゃん二人で、ふふふ…」


ゆるりと目を細めた男は、ナイフを振りかぶって悠に突っ込んで来た。その身体から、わずかに黒いモヤが立ち上っているのを見付けた悠は目を見開く。この人も、悪意に呑まれて…!?


「霊山さん!!」


「っう、わ…!」


可那子の声にはっと我に返った悠は、寸でのところでぎらりと光るナイフを避けた。危なかった…!とうるさく鳴る鼓動を落ち着ける間もなくまた男は突っ込んできて、だけど今度は、悠の背後に可那子が居る。このまま避けては今度は可那子が危ないと気付いた悠は、男を制圧せねばと身構えた。大丈夫、ナイフにだけ気を付ければ、別に多少殴られるくらい我慢できる!…ハズ!

振りかぶったナイフの刃先を避けてその手首を掴んだ悠は、刑事ドラマで犯人を確保する刑事役の俳優の姿を思い出しながら、掴んだ手首を起点に男の身体を背負い投げた。


「っう、ぐ、」


「うっわできちゃった…!」


「霊山さんどいて!」


「っえ、え!?」


背中を打ち付けて痛みに蹲る男からナイフを回収した悠は、可那子の声に振り返るとその手にあるものに驚き身を固める。そんな悠に見向きもしないで呻く男を見据える可那子は、両手の中に納まるほどの大きさのハンドガンをまっすぐと男へ向け、悠が何か口を挟む隙も無く躊躇なく撃ち抜いた。


「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あああああ…!!!!」


「!!??」


銃弾に身体を貫かれ悲鳴をあげたのは、倒れている男ではなく黒いモヤだった。人の形になりかけていたそれのど真ん中に開けられた穴は徐々に大きくなり、やがてモヤはその中心部に吸い込まれるようにして消えて行く。呆然とそれを見ていた悠がおそるおそる振り返ると、煙も出ていない銃口へふっと息を吹きかけて格好つける可那子が居て、悠はただただぽかんとその姿を見つめる。何が起きた?いやそもそもその銃はなに?っていうかあの悪意、消えたの…?どこへ…?そんな悠の疑問を察知したのかにこりと笑みを浮かべた可那子は、手にしたハンドガンを掲げるように持つと、ばばーん!と自分の口で効果音を発してから言った。


「転送小型ハンドガン~!」


「て、てんそう…?」


「霊魂や悪意を電気信号に変換して、お店に置いてあるケージに転送してくれる装置なんです!なので実弾が出てくる重火器とは違いますよ?」


「でんきしんごう…?」


「あ、そこ気になります?でもそうすると霊体を構成する物質の解明と置き換えっていう広辞苑みたいな文字数の論文の説明からしないといけないんですけど聞きたいですか?」


「あ、いや、結構です…」


なんだかよくわからんが、霊体と悪意をワープ?させることができるらしいことはわかった。ほかにも威力重視の試作品とか、すでに社員に支給しているものもあってそれぞれ性能がうんたらかんたら…。つらつらと説明してくれているが、詳しいメカニズムなんて多分聞いても理解できない気がする。というか、なぜそんな一見物騒なものを持ち込んでいるのか。その疑問にも、可那子はすぐに答えてくれた。



「パパはホントにすごいお医者さんで、今までにたくさんの人の命を救って来たんです。私の自慢のパパです。だけど、いつだって全部を救えるわけじゃない。時にはパパの手から零れてしまう命だって、あるんです」


それでも、最善を尽くしてくれた医者に、遺族は感謝しているし、死んだ人間は父ではなく可那子に礼を告げてくることもある。けれど、どうしても納得ができない者もいるわけで、まだ生きたかった、どうして生かしてくれなかったのかという恨みつらみは、医者である父に集まることが多いという。そんな父に集る霊たちを、大きな悪意を抱く前に回収するために、こうして定期的に父に会いに来ているのだと、可那子は言う。


「まぁ、今回みたいに大きな悪意になっちゃってることはなかなかないので、びっくりしましたけど」


「そうなの?」


「はい。多分、この人の影響だと思います」


二人の足元で、いつの間にか男は気を失っていた。取り憑いていた悪意の元凶、可那子の父の元患者の霊が無理矢理引き剥がされた影響だろう。

彼自身も可那子の父について良く思っていなかったことが二人を結びつけて悪意を増幅させた原因だと思われるが、可那子もまさか顔しか知らない人物にストーカー行為をされているとは思い当たらなかったらしい。遅れてやって来た恐怖にまたふるりと身を震わせた可那子は、男に奪われていたスマホを回収して警察に通報した。
















「ハカセ、霊山くん、おかえり」


「あ、え?霊剣さん!?」


「ただいまです~!」


船が到着した港には警察が待ち構えていて、男はすぐに連行されていった。可那子の誘拐に銃刀法違反、少し調べればストーカー行為の証拠も出てくるだろう。可那子の父には大変感謝され何度も頭を下げられ、警察には簡単に事情聴取をされ、へろへろになった悠となぜかけろりとしている可那子の元へ、黒のスリーピーススーツを少しだけ着崩した治が、ひらりと手を振りながらやって来た。



「二人とも大変だったね。怪我はない?」


「はい!大丈夫です!」


「まぁ、身体的には何もないです…」


「ふふ、やっぱり疲れてるね。迎えに来て正解だったよ」


手に持つ車のキーをくるりと回して見せた治に、可那子はわ~い!と飛び付き、悠はありがとうございます…と言いながら拝んで治に苦笑された。

近くに止めてあった車に乗り込んだ途端にくたりとシートに沈んだ悠は、着くまで寝てて良いよという治の言葉に甘えてふと目を閉じる。けれど、ひとつだけ忘れぬうちに聞いておきたいことがあって、悠は重たい目蓋を抉じ開けた。


「ねぇハカセ?」


「なんでしょう?」


「ハカセのお父さんとお母さん、ウチの店で会わせてあげることってできないのかな?ほら、意志疎通が難しくても、ハカセは間に入れるわけだし…」


「………残念ながら、それはできません」


「……どうして?」


「ママの魂は、今はあの世に居ないからです」


「……え?」


それは、俗に輪廻転生と呼ばれる。死したものの魂はあの世へ渡り、また新たな身体を得て現世で産声をあげる。可那子の母もその輪に乗って、今は現世のどこかで、見知らぬ誰かの子供として、可那子の母であった記憶もなく平和に暮らしているのだろう。


「私がそれを知ったのは、ある日急にママの姿が見えなくなって、その数年後、社長さんに連れられてこの店に来たときでした」


従業員のみが閲覧できる資料の中に、死亡してあの世へ渡った人のリストと、生まれ変わって現世で再び生を受けた人のリストがある。そのリストの中に母の名前を見つけたとき、可那子は悲しみと寂しさと、ほんの少しの嬉しさを抱いて少しだけ泣いた。


「ママと、本当にもう二度と会えなくなったのは悲しかったです。だけど、またこの世に生まれて、幸せで、前より長生きしてくれるなら、もうそれで良いかなぁって思うんです。ママとの思い出話なら、私はパパといつでもできますしね」


思い出の中のママは、ずっと私だけのママだから。


穏やかに、胸にしまった思い出を大切に眺めるように目を閉じた可那子に、余計なことを言ったかなぁと眉を下げた悠は、そっか…とだけ小さく返事をして、それからいつの間にか眠っていた。







「霊山さん、お人好しすぎてちょっと心配になります」


「まぁ、そうだね。そこが彼の良いところでもあるんだけど」


信号待ちの合間に隣に目をやった治は、くうくうと気持ち良さそうに寝息をたてる悠を見てくすりと笑った。









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奇人変人 完

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