奇人変人③
「霊山さん!出発しますよ!」
「ふぁ…?」
どばぁーん!と派手に扉を開いたハカセに、休日のため遅めの起床をしたばかりの悠はあくびをしたまま首を傾げる。寝癖の付いた頭をかきながら予定は夕方からじゃなかった…?と目をしょぼつかせる悠のTシャツを引っ付かんで、ハカセはどたどたと部屋を出る。
「霊山さんパーティー用のスーツとか持ってませんよね?それ含め今から支度に行きます!」
「えぇ!?ちょ、とりあえず引き摺るのやめて…!?」
なんとか廊下をずるずると引き摺られていた体勢から立ち上がった悠は、びろんと伸びてしまった寝巻のTシャツの襟をちょこっとだけ直す。……だめだ…完全に伸び切ってる…。
そのわずかな間にスマホでどこかへ連絡を入れたハカセは、今から行きますので、と言って通話を切った。
「身一つあれば事足りますので、霊山さんは何も考えずついてきてください」
では行ってきまーす!と腕を引いて玄関を出るハカセに急かされなんとか靴だけを引っ掛けた悠は、戸惑いながらも行ってらっしゃい…?と見送りに出てくれた治の声を聞きながら、やたらぴかぴかに磨かれた黒塗りの車に押し込まれた。
………え、これ無事に帰って来られる…?
―――――――
「しんどい……」
ぽそりと漏れた声は誰にも拾ってもらえず、悠はただ自身の周りでせかせか動くスーツ姿の従業員たちをぼーっと見ていた。
ハカセに連れて来られたのは、都内某所にある如何にも高級そうな洋服店(洋服屋?むしろスーツ屋?悠には細かい分類はよくわからなかった)で、何やら個室に通されてからはジャケットにシャツにベストを次々と宛がわれて着せ替え人形のようになっていた。
やがて、ダークグレーのスリーピーススーツに白いボタンダウンシャツ、臙脂色のネクタイとチーフを合わせて満足そうに頷いた女性スタッフに、もしかして終わり…?解放される…?と少し顔をあげた悠の背後でがちゃりと扉が開き、ハカセがひょこりと顔を出した。
「可那子さま、こちらの一式をご用意いたしました。いかがでしょうか?」
「素敵です!さすが田辺さん!」
田辺と呼ばれた従業員は、ハカセへ向けてありがとうございますと一礼する。どこからか黒色のカードを出して田辺へ手渡したハカセは、悠の目の前に立つと上から下まで見まわしてうんと大きく頷いた。
「霊山さん、素敵な紳士に仕上がりましたね!……その寝ぐせがなければ」
「えっ、それ最初に言ってくれる!?」
「大丈夫ですよ。このまま美容院に行ってヘアセットもお願いするので」
「どこが大丈夫なの!?」
そもそも俺、こんな高そうなスーツ買えないけど…!?と自分の姿を見下ろす悠に、ハカセはきょとんと首を傾げた。
「これは私の必要経費ですので、私がお支払いするのが当然では…?」
「へっ?」
「一応、無理を聞いてもらっているので、霊山さんにマイナス事案が発生しないよう配慮はしますよ」
そう言ったハカセの元へタイミングよく田辺が戻ってきて、先ほどの黒いカードをハカセへ手渡す。さっきは見えなかったそのカードの正体はクレジットカードであって、えっ、これもう支払い済まされてる感じ!?と遅れて察した悠は、出口へと促される合間にハカセと着ているスーツを見比べながら顔を青ざめさせた。
「ハカセ…俺、今のところご飯作るくらいしかお返しできることないんだけど…良いの…?」
「霊山さんのご飯は美味しいので大歓迎ですが…?」
きょとんと見上げてくるハカセに、いったい何度ご馳走をふるまえばいいのだろうかと、悠は頭を抱えた。
―――――――
「誰!?」
「何言ってるんですか?私ですけど」
「え、もしかしてハカセ…?変わりすぎじゃない!?」
「お化粧なんてそのためにするんですよ?」
毎日気を使ってたら疲れるので、こうゆう時だけのオシャレです。と言いながら赤く縁どられた口角を上げ右耳のピアスを揺らす女性は、瑠璃色のカクテルドレスに身を包み、黒いエナメルのパンプスに同素材のバッグ、まとめ上げられた髪はパールの飾りで彩られ、ヘアセットを終えて振り返った悠の目を惹き付けた。
けれど、その正体は先ほどまで白衣に分厚い眼鏡をしていたハカセで、あまりの変身ぶりに驚いた悠は、セットされた髪が少々乱れたところをすかさず直された。…あ、お手数おかけしてすみません…。
それぞれ身支度を済ませ会場へと向かえば、そろそろパーティーのはじまる時間になっていて悠は目を回す。急に襲ってきた緊張にドギマギしながらも船内のパーティーフロアへ足を踏み入れれば、シャンデリアの吊り下げられた煌びやかな室内に真っ白いクロスのかけられたテーブルが並び、集まった人々は各々その周りで談笑しているようだった。
「可那子さま、お待ちしておりました」
「お招きいただきありがとうございます」
フロアに足を踏み入れるなり声をかけてきたスーツ姿の男に、ハカセは丁寧にお辞儀を返す。慌てて頭を下げた悠も、こちらへどうぞ。との案内に2人で男の後に着いて行けば、フロアの最奥の主催者席付近まで通された。
「渡おじさま、お招きいただきありがとうございます」
「おぉ、可那子ちゃん。来てくれてありがとう」
白髪交じりの短髪を整えてグレーのスーツを着こなしている男性に、ハカセが駆け寄りぺこりとお辞儀する。
にこやかに笑顔を返すこの男性がどうやら本日の主役のようで、悠はハカセがするりと悠の名前と経歴を紹介するのに合わせてぎこちなく頭を下げた。
「…あれ、そういえばなんでハカセ俺の名前知ってんの?」
「霊剣さんのパソコンに接続して名簿を拝借しました」
「……個人情報ファイルはロックかけてるって霊剣さん言ってたけど…」
「解除しました」
「えっ、」
「あの程度のセキュリティ、私にかかれば朝飯前です」
「えっ、」
「あ、今のところ悪用の予定はありませんのでご安心くださいな」
「今のところ!?」
「あ、そんなことより、ここではあまりハカセと呼ばないでくださいね」
「そんなこと…!?」
「名字ではパパと被るので、可那子と呼んでいただければ。敬称はお任せします」
「………………」
指紋認証とナンバーロックで厳重保管していると言っていた個人情報ファイルを気軽に拝借とは…?
顔を引きつらせる悠は、出会って三日目で変わった一面ばかり見えてくるハカセとのかかわり方を、帰り次第先輩に相談しようと心に決めた。……助けて霊剣さん…。
「…可那子」
「あ!パパ!」
悠が治へ心の中で救難信号を送っていると、背後からの呼びかけに振り返ったハカセが、一直線に声の主の元へ駆けて行く。高めのヒールの靴でもよろけることなく辿り着きそのまま飛びついたハカセを、その男性は難なく受け止める。………というか、今、パパって、
「嵜本さん!私のパパです!」
「えっ、あ、どうも、はじめまして…!」
いきなりパパさんに紹介しないで…!!??
ただの同僚と言えど、異性の父親と顔を合わせるというのはなんだか緊張感がある。どっきりと盛大に跳ねた鼓動を静めながらなんとか挨拶をすると、くすくすと苦笑交じりに顔をあげるようにと告げられた。
「そう固くならないでくれるかな?いつも可那子が世話になっているんだろう?」
「えっ、あ、いえ、自分はまだまだ新人ですし、お世話になってるのはむしろ自分の方と言いますか…」
おずおずと顔をあげた悠に握手を求める男性は、昨日パソコンで見た人物と同じ人だろうかと疑うくらいににこやかで、そっとその手を握り返した悠は、ほっと緊張していた肩の力を抜いた。
「なかなかお転婆な娘だけれど、どうかよろしく頼むよ」
「は、はい、こちらこそ…」
―――ぞわり…
「…!?」
「どうかしました?」
「いや、なんでもない…多分」
ハカセの父とぎこちないながらも握手を交わした悠は、直後に背中を這う寒気のようなものを感じて息を飲んだ。それは一瞬のものですぐに過ぎ去っていったけれど、臓器の一部を掴まれていたようなざわざわとした不快感はなかなか消えてはくれなかった。この感覚は、なんだか…
「大丈夫かい?体調が優れないようなら救護室に…」
「あ、い、いえそんな、大丈夫です…!自分、こうゆう場に来ることがないので、ちょっと緊張してるみたいで…」
ははは…と空笑いする悠は、本当のことを言えるわけもなく適当に誤魔化す。
だってまさか、こんな賑やかなお誕生日を祝う席で、誰かの悪意を感じましたなんて言えるわけがない。だけど、この感覚はミサを救出に行ったあの時に感じたものとそっくりで、悠はさり気なく周囲に視線を向けた。
「………霊山さん、ちょっとお願いがあるのですが…」
「えっ、何?」
こっそりと耳打ちしてきたハカセに、悠は素早く耳を貸す。そっか、ハカセもさっきの悪意感じたんだ一緒に何とかしなくちゃ…!意気込む悠を真剣な目で見返すハカセは、こくりと息を飲んで悠の手をぎゅっと握った。
「実は、霊山さんを連れてきたものこのためでして、ある重要なミッションをこなしていただきたいと思っています…!」
「う、うん…!なんでも言って!俺絶対協力するから…!!」
「そう言っていただけると助かります!私一人では、とても太刀打ちできない相手でして…!」
「えっ、そうなの!?」
一体どれだけ強い悪意が相手なのか。けれど、今ここで悪意を感じ取れるのも対処できるのも自分たちだけ。やるしかない!と気合を入れ直した悠はハカセに導かれるままについて行って…
……今現在、少々途方に暮れている。
「へぇ~嵜本くんって言うのね」
「可那子ちゃんと同い年?若い~」
「職場が一緒ってことは、何か研究してることがあるの?」
「ねぇ、嵜本くんは理系女子に偏見とかないタイプ?」
カラフルなドレス、キラキラのメイク、弾丸のような言葉の嵐。自分を取り囲む女性陣の圧に気圧されて、悠は先ほどからあの…としか言葉を返せていなかった。
ハカセに連れて来られたのは、パーティー会場の一角の食事スペースで、すでに豪華なメニューが並ぶテーブルの隣で談笑する女性陣に、ハカセはにこやかに声をかけた。
「先輩方、お久しぶりです」
「あら可那子ちゃん!」
「久しぶり~」
わあっと盛り上がる面々を一歩引いて見ている悠は、彼女が先輩と呼んだ人たちから甚く可愛がられているんだなと観察する。ひとしきり会話が弾んだ後振り向いたハカセに、自分が協力すべきことと先輩方と何か関係があるのだろうかと聞こうとして、その後ろの圧の強い視線にヒッと息を飲んだ。
「(霊山さん、先輩たちのお話はとっっっっっっっても長いです。私はパパともっとお話していたいのでお相手をお願いします!)」
「(えっ、ちょ、そんなの聞いてない…!!!)」
あっという間に囲まれた悠は、自己紹介もそこそこに賑やかなおしゃべりの一員に巻き込まれてしまい、助けを求めたハカセはきりりとした表情で親指を立てて見せると、そそくさとその場を立ち去ってしまった。
「あ、去年来てた店長さんは元気?今年も会えると思ってたから寂しいわ…」
「あ、れい…っ先輩は、今日はちょっと別の仕事が入ってて…。…って、」
去年来てた…?ってことは、去年霊剣さんも同じように囲まれてたんだろうか…!?
そう思い至った悠は、ハカセははじめからこの役割をさせるために誰かを連れて来たかったのだと理解した。
悪意も何も関係ない頼み事に遠い目をした悠は、とりあえず彼女たちが満足するまで話し相手に徹することにした。…そうだよな…スーツの代金分の働きはしないとな…。
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