前途多難
交流屋
これはとある企業の名前であり、くそダサい名前のこの企業は、文字通り『交流』する人や物、とにかく全てのものを管理したり運営したり仕切ったり、まぁ、手広くやっているところで、日本どころか世界的にもわりと有名な会社だったりする。
宅配業引っ越し業運送業等の物流からはじまり、旅行と言えば国内旅行から世界一周まで多種多様なプランを提供し業界人気NO.1。数年前から始めた留学・異文化交流の事業なんて、立ち上がる前からネットニュースのトップページに並んでいた。
そんな大企業を一代で作り上げた社長さんは、自らCMにも出演しては話題をさらっていく有名人で、しかし、その姿はいつ見ても全身黒ずくめのスーツ帽子サングラス姿で、彼の素顔を見たものは誰一人いないという変わり者。
「けど、まぁ、すごい人なんだよなぁ…」
ぼそりと呟きながら、手元の冊子をぺらりと捲る。それは交流屋の会社概要というもので、簡潔に各事業の説明が乗っているだけのものなのにそこそこの厚みがある。それのはじめの見開きに写っている人物について考えていたところで、目的地らしい一軒の家の前についた。
―交流屋 ――支店―
「お化け屋敷かよ…」
平屋建ての大きめの日本家屋は、築百年は経っていそうな古い外観でお世辞にも綺麗とは言い難い。その上玄関横に立て掛けてある看板は、雨風に晒されすぎたのか支店名のところが掠れて読めなくなっている。本当にここが目的地か?と思いもらった地図を確かめるも、古き良き日本家屋が特徴だよ☆という腹立つイラスト付きのメッセージで同じ場所が示されているので、ここで間違いないようだ。
……そもそも、交流屋って書いてあるし。
気は進まないけれど、今の自分には引き返すという選択肢は残されていない。大きく一つ深呼吸して、建て付けの悪い引戸をがたりと開けた。
――――――
肺の中身を全て吐き出す勢いでため息が出た。とぼとぼと肩を落として街中を歩く青年を、仕事中らしいサラリーマンや買い物帰りの主婦達がチラリと見ては視線をそらす。青年、嵜本悠は、そんな視線に気まずさを感じて足を早める。少し先の細い路地に入り、自販機で炭酸飲料を買い隣のベンチに腰掛けたところで、もう一度大きくため息を吐いた。
「………クビかぁ…」
ぷし、と蓋をあけて一口。しゅわしゅわの炭酸が爽やかに喉を通ってゆくけれど、気分は一向に晴れない。悠はつい数時間程前、アルバイトとして雇われていたコンビニから突然クビを宣告され、次の働き口を探す気にもなれずに項垂れていた。勤務態度は真面目だったし、人員の少ない曜日や夜間も頼まれれば積極的にシフトを入れた。店長は人の良いおじさんで、息子と同い年という自分を気にかけてくれていたのに…。
――疑いたくないんだけど、嵜本くん、店のもの盗ったりしてないよね?
何を言われているのかはじめは理解出来なかった。しどろもどろになりながらも、そんなことはしていないとキッパリ否定したところで、でもねぇ…最近君のシフトの時だけやたらと在庫と売り上げの計算が合わないんだよ、なんて大袈裟な困った仕草とともに言われてしまえば、あぁ、この人の中では自分が犯人なのか、と悲しくなる。
証拠もないし、けれどこれ以上商品が消えても困る。追及しない代わりに、お互いのために辞めてくれないかと言われれば、お世話になりましたとその場を去るしかなかった。
つい先週も家庭教師のアルバイトを、成績が一向に上がらないからとクビになったばかりだ。生徒の女の子は熱心に質問しては一生懸命に勉強してくれていたので、こちらも精一杯答えたつもりなのだけれど、結果がついて来なかったらしく母親にひどく文句を言われてしまった。
収入源を断たれてしまった今、貯蓄も心許ないしすぐにでも次なる仕事を探したいのだけれど、こうも立て続けに仕事を失ってはモチベーションを保つことすら難しい。スマホでチラリと求人情報を見たけれど、どこかに連絡する元気も湧かなかったので、今日は家でゆっくり休むことに決めて立ち上がった。
「…………………」
家でゆっくり休む、つもりだったのに。
木造二階建て築数十年の単身者向けぼろアパート。最近階段の軋みがひどくなっていたので近々補修工事が入る予定だったそれは、数本の煤けた柱を残して消えていた。
「不審火ですって」
「木造だったからあっという間に火がまわって、」
「幸い、死傷者は確認されていません」
「火の手は2階から回ったようで、」
呆然と立ち尽くす背後で聞こえる会話を拾っていくと、家がおそらく放火により消失したことを知る。お隣のお兄さんや一階に住む大家さん達がどうやら無事らしい情報も耳にしてとりあえず一安心。
……いや、でも、
「……マジか」
こうも悪い事は続くものなのだろうかと内心頭を抱える。職を失った直後に家まで無くなった。幸いスマホ、財布はポケットの中、カード類も財布に入ってるからすぐにお金に困る事はない。大丈夫、まだ生きてはいける。命があるだけありがたい。ポジティブに考えて行こう。
……そう考えていないと、意識がどこか遠くへ行ってしまいそうだった。なんだかさっきから鳥肌が止まらないし足も何かが纏わりついたように動かない気がする。震える手をぐっと握りこんだところで、背後からやけに陽気な声がかかった。
「やぁ青年、とてもお困りのようだね☆」
「――!?」
がしりと掴まれた両肩に、先程まで動かなかった身体がわりと大袈裟に跳ねた。振り返って一歩後ずさった視線の先では、肩を掴んだであろう人物が行き場の無くなった両手をひらひらと振りながら笑みを浮かべている。なんだかこの人、どこかで見たことがある……?
「あらま、驚かせてごめんね。なんだか君の背中がとても困ってます!って訴えてる気がして声をかけちゃった」
「はぁ…?」
確かに困っている。困っているけれど、見ず知らずの人にさらりと相談できる事柄でもないし、何より全身黒ずくめの上サングラスで表情を隠している胡散臭い人にあんまり関わりたくないというのが本音である。警戒心剥き出しで相対していると、それを見た黒ずくめの人物は胸ポケットから一枚のカードを差し出した。
「自己紹介が遅れたね。ボクはこうゆうものです」
「ど、どうも、」
差し出された黒いカードには、『交流屋 社長』という肩書きと共に黒い帽子にサングラスのデフォルメされたキャラクターが描かれている。おそらく名刺であるそれには、どこにもこの人の名前は書かれていない。少し不審には思うけれど、交流屋の名前と黒い人なら、テレビで毎日のように見ている。
「えっと、あの交流屋の社長さん…?本物?」
「そう!ボクが社長サンだよ☆」
あ、本物だ。
胡散臭い口元の笑みと少々腹の立つキメポーズはいつもCMで見るものだった。だとすれば、そんな有名企業の社長さんが、ごく普通の……今はちょっと不幸に見舞われた人間に、なんの用だろうか。
「キミ、仕事と家を同時に失くしちゃったんでしょ?」
「!?」
「はっは。ちょっと風の噂?で聞いたんだよ、そんなに驚かないで」
驚かないで?無理だろ!?クビになったのだって数時間前だし、家を失くしたのなんてたった今だぞ!?風の噂とかふざけたこと言ってるけど、この人俺のこと監視でもしてたのか!?
言いたいことは全て表情にしか出なかった。恐怖に震える足で黒い人から距離をとる。警戒度が急上昇したことを察知したのか、黒い人は腕を掴んで慌てた様子で引き留めてきた。
「え、あ、大丈夫だよ!ストーカーみたいな、ちょっとヤバイことボクはやらないし…!」
「イヤあんた既に見た目がヤバそうだから!」
「見た目が大人しそうな人ほど実は危険だったりするだろう?ボクはその逆をついているのさ!」
「逆って何が!?ストレートに危険そうだけど!?」
ヒートアップしていくやりとりに注目が集まってゆく。火災現場の野次馬たちは何事かと視線をやりながらヒソヒソとささやくも当人達は気づかない。ついには腕を引っ張りあうまでに発展したところで、遠慮がちにかけられた声がそれを制止した。
「あの~…お兄さん?嵜本さんで合ってます?201号室の、」
「え、あぁ、そうですけど、」
スーツ姿の中年男性は、にこりと笑みを浮かべて警察手帳を取り出した。ちょっとお話良いですか。と問いかける表情は先程と同じハズなのに、薄く開いた瞳に疑いの色が混じる。つい数時間前にも見たような視線に、腹の奥がざわりとする感じと背中に冷たい汗が流れた。
「火災発生時の今日の正午頃、どちらにいらっしゃいましたかね?」
「え、と、一人で、ちょっと街を歩いてました」
正午頃と言えば、クビ宣告されて間もない頃か。ショックで少し放心しながら歩いていたので正確な時間はわからないけれど、昼からのシフトで出勤した直後の通達だったのでだいたいそのくらいだろう。
「あら、ずっとお一人で?じゃあ、それを証明出来る方はいないんですね?」
「いません、けど、」
「あらら、そうなんですね」
もうちょっと詳しく聞きたいんですけど、一度署までご同行願えますか。という男の瞳は、ネズミを追い詰めた猫のようにぎらりと光った。背中を這うぞわりとした不快感に一瞬言葉に詰まったところで、男がずいっと距離を縮めて良いですよね?と問いかけてくる。問いかけなんて形だけのもので、その目はお前逃がさねぇぞと存分に物語っていた。
「どうもね、火元は2階のお部屋だそうで、玄関扉付近が良く燃えてるんですよ。火災発生時に不審人物の目撃情報もなくてですね、」
なんだろう、俺が自分で火をつけたとでも言いたいのか、
……なんだよ、また、俺が悪いと決めつけて…
「それって強制ではないですよね?でしたらまた日を改めてください」
背後から顔を出した黒い影に、ぎらつく視線は逸らされた。無意識に止まっていた呼吸をゆっくり再開する横で、スーツの男からの怪訝そうな視線も気にしないでのんびりと名刺を取り出した黒い人は、またもや胡散臭い笑みとポーズで自己紹介する。おぉアンタあれの社長さんかい。そうなんです!なんて会話の合間に、顔色が悪いね。大丈夫かい?と小声で訪ねる黒い人は、どうやら庇ってくれている、ようだ。
「そう、彼のことなんですがね、今日は仕事をクビになるわ家が燃えるわでかなりお疲れのようなんです。昼間も随分落ち込んだ様子で街を何時間もうろちょろしていて、」
「は!?ちょっと、なんでアンタが知ってんだよ!?」
「ランチに入ったお店の窓から見えたんだよ。同じところをぐるぐるして怪しさ満点だったから、しばらく観察しちゃったよね☆」
「アンタに怪しいって言われるとか……つらい、」
「ちょっと社長さん、それ何処の店?時間は?」
突然ぐっと黒い人に詰めよった男は、店の場所とその時間、ついでに付近に監視カメラを設置している店舗をいくつか聞き出すと、それをさっとメモして踵を返す。数歩進んで立ち止まったと思えば、くるりと振り返って笑みを浮かべながら帰ってきた。
「嵜本さん、調書とりたいので後日署に来ていただけますか。また連絡しますので」
「は、はい」
にこりともう一度笑った男は、近くにいた部下らしき人物を引き連れそそくさと去って行った。疑いの眼差しから一転、にこにこと人の良い笑みにそれを呆然と見送っていると、ひらひらと手を振っていた黒い人がくるりと顔を覗き込んで来たので、反射的に一歩後ずさる。
「お、顔色ちょっとマシになったかな?」
「え、あ、ありがとうございます。その…庇っていただいたみたいで、」
「ノンノン。スカウトしようと思った優秀な人材を、勝手に連れて行かれたくなかっただけさ!」
……スカウト?
お礼のために下げた頭を少しあげて黒い人をぽかんと見上げる。疑問符だらけの視線を無視して、上着の内ポケットから冊子や書類、簡素な地図らしき紙を取り出した黒い人は、それを手渡しながら続ける。
………差し出されたものと内ポケットの容量が明らかに釣り合っていなかったのは、呆けていてつっこめなかった。
「実は、ウチの店で人員不足な店舗があってね。そこの店長に以前から従業員を増やして欲しいって頼まれてたんだよ。でも、そこはちょっと特殊な店舗でね、素質のある子じゃないと多分半日だって仕事ができない」
「え、なんですかそのヤバそうな仕事…」
「え?大丈夫大丈夫!危ないお薬とか銃火器とか、犯罪みたいな仕事じゃないよ?ほら、運転免許持ってない人にドライバーの仕事は任せられないでしょう?そんな感じ!」
「はぁ…」
「でね、今日キミのこと見かけて少し観察させてもらったんだけど、これは素質があるなと見込んで声をかけたんだ!」
「それは、どうも…?」
曖昧に返事をしながらも考える。仕事も家もなくなった今、目の前に転がってきたスカウトの話は願ってもない事で、けれど特殊な店だなんて仕事の怪しさは満載だし、ただ、手元の冊子を見るに給与は申し分ないし上司や先輩のサポートも手厚いらしい……
「ちなみにその店舗は住み込みで働いてもらう事になるんだけど、従業員からは家賃貰わないことにしてるんだ。6畳のお部屋に共用のお風呂トイレと3食の食事付き」
「是非よろしくお願いします!」
頭の中でぐるぐる廻っていたメリットデメリットを吹っ飛ばして、ほぼ反射でOKの返事をしていた。十分な給与に食住も保証されているとはなんと良すぎる条件か。家なしで切羽詰まって我武者羅に職探しをするより、少々のリスクはあってもこれに飛び付く方が賢明だと悠は思った。
それからは近くの宿泊施設に案内され、交流屋の系列だから料金はタダで良いよなんて部屋に押し込まれ、一晩ゆっくり休んで都合の良い時間に地図の場所へ向かうよう言われた。
どん底から天国へ。新手の詐欺にあっているのではないかと何度も頭を過ったけれど、宿の従業員には部署は違うけれどこれからよろしくね。なんて挨拶され、会社の資料だから、ゆっくりで良いから目を通しておいてね。なんて偽装しようのないものを手渡されれば、信憑性は高まってホントにスカウトされたのか…と、漸く実感できた。
翌日、笑顔で宿から送り出され少し緊張しながら地図の場所へ向かったけれど、オンボロの外観を見てちょっと騙されたかも知れない…。という後悔はごくりと飲み込んだ。
――――――
―――がたがた、がた、がたん
これ、修理しないと商売に差し支えるんじゃ…。というほど立て付けの悪い扉を開いた先には、石畳の玄関と薄暗い廊下の奥に薄明かりの漏れる襖があった。
リノベーションされているのか、外観ほどの古さを感じない内装に少しほっとしつつ襖の向こうへすみませーんと声をかける。しかし、しーん…とした沈黙が帰ってくるばかりで従業員らしき人物は現れない。もう一度声をかけようと口を開いたところで、耳元で囁く声がした。
「中に入っちゃいなよ。その方が早いよ」
ばっと声のした方を振りかえるも、そこには誰も居なかった。きょろきょろと辺りを見回してみても人気はなく、玄関扉だってさっき自分で閉めたままの状態だ。空耳にしてははっきりとした声に、けれどその声の言う通りかと思い直し、恐る恐る靴を脱ぐ。小さく軋む廊下の先の襖をゆっくりと開いたところで、室内の光景に息を飲んだ。
「(ひ、人が、死んでる――!?)」
――――――