第七十三話 船
城塞の入り口は悲惨な有様だった。血痕、肉片、骨片などが散乱している。どうやら何かの化け物が今まさに暴れたかのような模様で、しかし、周囲の人々は騒ぎ立てることもなくごく静かだった。もしかすると、この迷宮が作られた時よりこうだったのかも知れない。
ガラシャはもろに髪と目の色が変色しており、見るからに騎士だったが、衛兵は何も言わなかった。面倒だったのか、黒騎士ではなく正規の騎士と誤認したか、いずれにしろ彼がガラシャを咎めても〈暴食者〉によって身体の自由を奪われるのが落ちだろう。
迷宮の内部にも、豪胆にも取得物を売る冒険者が多く、リヤカーにガラクタ・生ごみを満載して売り歩いている人々もいた。きちんと武器を帯びているので、非戦闘員の商人ではなくれっきとした冒険者だ。彼らもドミニクとガラシャに対しては無関心だった。
迷宮は地下深くに続いているようで、最深部までもドミニクたちにかかればあっという間に到達可能であろうが、そこまでするほど暇ではないので、ここらを一周したら帰ろうとドミニクは思った。さっそく、重傷を負った冒険者が、獣じみた絶叫を発しながら、担架で運ばれていった。右腕は損なわれ、わき腹からも血が溢れ出ている。命が助かっただけで儲けものだろう。
その後も、頭部が蛙に変化したもの、全身が石化したものなどが運ばれていった。ガラシャによれば、あらかじめ代金を支払っておくことで、重篤なダメージや障害を負った場合、救助してくれる部隊が存在するということだった。ここの城塞の裏手に、迷宮被害者専門の病院があるらしい。負傷者は山ほどいるが、そこは大抵空いている。腕の良い治療者が、強烈な魔術で治癒してくれるそうだが、莫大な借金を抱える羽目になり、またしても彼らは迷宮に潜って行かざるを得ない。なんとも笑える話だとドミニクは思った。
この世界で、持たざる者は滑稽な玩具に過ぎない。
お捻りの一つも貰えず、職業道化以下の単なる笑いものとして、ドブネズミよろしく汚らわしく這いずり回るだけなのだ。
彼らには世界の救済はおろか、その補助すら叶わない。なんとも無力なことだ。
ドミニクはそんなことを考えてはいたが、ふと、ガラシャの顔を見ると、迷宮探索が楽しいのか、へらへらと笑っている。この人物は、鍛錬によって得たのではない力で良い気になり、安全と優越感を楽しんでいるのだろう。
その後、ふらりと悪魔狩りのエルフが階下より姿を現した。ドミニクが声をかけるが、彼は無視して立ち去った。
彼の頭には、次なる悪魔を喰らうことしかないのだろう。
ドミニクは迷宮内を一通り見て、無言のまま外へ抜け出た。ガラシャは静かだったが、フェイチェスターで遭遇したベンシックの剣客イヴンゲイル、彼を連れてきたほうが良かったのではないかという考えが浮かんだ。ガラシャを屍の勇者に頼んで、アンデッドに変えてもらおうかとも思ったが、稀代のネクロマンサー、アリア・ミルはもういない。
再び帝都の街へ戻ろうと歩いていくと、いきなり眼前に、大きな影が立ちはだかった。
漆黒の鎧を纏った、有角の偉丈夫だ。
この魔人はトリンキュロー、ナローレーンにてドミニクに予言を与えた不可解な人物だ。
周囲の人々もガラシャも、彼を見てすらいない。ドミニクにのみ認識できているかのようだ。
「勇者ドミニク。もうじき〈船〉が来る。我が予見よりも早かったが」
「何の話でしょうか」
「時代が変わるのだ」
「時代ならこの前、変わったばかりではありませんか」
「名前を新しく付けたところで、何ひとつ変わりはせぬ」
それについては同意するところだった。
「この世界そのものが、大きく形を変えようとしているのだ」
「良い方向にですか、悪い方向に?」
「どちらにもだ、もっとも貴様にはあまり関わりなきことだが。この機に、勇者たちは立ち上がるだろう。皇帝と彼女の勇者のもと、多くの勇者が集い重い腰を上げるであろう。西の地で邪神の手先が待ち受けている。貴様はどうする?」
「別にどうもしませんが、彼らにはせいぜい頑張ってほしいものです」
「勇者たちは、その大半がこの先の戦いで滅ぶであろう」
彼らは不滅の存在のはずだ、いや、やはり真の勇者は自分一人ということなのだろう。
「しかし邪神はその力を大きく削がれ、二度と取り戻すことは叶わぬ。剣の修復にはまた一歩近づいた。我らはこの先も定めを全うする。勇者たちも、その他の民もだ。西の地で眠る貴様の前任者すらも、那由他の神々の掌中から抜け出せぬことを悟り果てたのだ。
貴様だけが、この世界では自由だ。神々の定めという軛より、生まれついて解き放たれているのだ」
「知っていますよ」
ドミニクが生返事を返すと、魔人は頷き、姿を消した。
■
それから一週間後、将軍府の首都ブライドワース近郊に、巨大な四つの影が現れた。
雲間に浮く島のように巨大なそれは、黒い船だった。
邪神の侵攻が開始してからも、太平の世を当然のように享受していたミラベリアの民は、ただそれを呆然と見上げるのみだった。




