第六十五話 帝都キャスリング
巨大なる剣の上に築かれた世界、ミラベリア。邪神の悪意と侵攻に晒されている地。
慈悲深き〈那由多の神々〉は、強力なる勇者によってこの世界を守護しようとしている。
それは人間かも知れないし、エルフかも知れない。あるいはドヴェル、オーク、獣人、魔人、風生まれ、はたまた恐ろしき魔物か――吸血鬼、亡霊、竜。身分も様々だ。貴族令嬢。行商人。帝都の護民官。辺境地の騎士。盗人。主なき黒騎士。剣客。死刑囚。皇族。暗殺者。
反逆者を裁く〈黒犬組〉の精鋭。吸血鬼を狩る〈竜の仔〉。グリミルの悪魔退治〈昏き血の狩人〉。水底の民の精鋭〈血鱗〉……そのいずれかの内部に勇者が現れるかも知れない。
彼は定められた人物像を持ち、その過去を雄弁に語る。例えば――ブライドワースの貴族家フリードマン家。その子息、ドミニク。〈宿り木〉の勇者。
その目的は怠惰なる寄生生活だ。だが、人々は彼を支援したり賛美したりはしない。社会は怠惰者に厳しいものだ。
彼の最大の敵は邪神やその手先ではなく、ミラベリア社会そのものだった――あまりに強大。その勇者の力をもってしても、戦いはまだまだ始まったばかりだ。
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真炎の時代元年、彼は帝都にいた。神器の力を持って生み出した恐るべき〈審判者〉レギンレイヴはその姿を消している――融通の利かぬ同伴者がいては、やはり気楽ではないとドミニクが命じたためだ。聖女ナナと同じく〈石頭〉レグもまた、今は現世ではない地よりこの勇者を見守るのみだ。
帝都キャスリング、最古の、そして最大の都。〈迷宮大戦〉以前のテクノロジーすらわずかに残すこの地は、これまでにドミニクが踏破したすべての地がすっぽりと収まるほどの馬鹿げたサイズだ。あの巨大なフェイチェスターですら、この場所から見れば一区画にも満たない。
この街は現在、混乱の真っただ中だ。にわかに勢力を増してきた反将軍府結社――〈撃攘派〉の志士と〈黒犬〉たちが過酷な抗争を繰り広げているからだ。密告によって隠れ潜む反乱軍が明らかにされ、その真偽は別として、処刑され、あるいはひとつの区画が焼き討ちされた。
キャスリング守護官パヴェージ公は、自らの配下である黒犬たちにこうした示威に当たらせることで、反乱軍のみならず、勇者フィリップを擁する皇帝を威圧する意図があった。もちろん表向きは皇帝を守るためという名目で、苛烈にキャスリングを戦火に巻き込んだ。
ドミニクが来訪したころも、どこぞの宿で潜伏していた撃攘派と黒犬組が激突し、修羅の巷と化した。のみならず黒犬組内部にも、反将軍府勢力の内通者が潜んでいるとのかどで、隊士同士の殺し合いすら巻き起こった。
しかし、ドミニク・フリードマンにとって世界のすべてと同じく、彼らの騒乱もまた些事であり、横目に眺める風景でしかなかった。帝都は巨大だ。整備された区画に、整然と壮大な建造物が並んでいる。しかし、もちろん古代に作られた建造物の数々は完全ではなく、半ば風化しているのだが、住民たちはそれもお構いなしに改築・補強し住んでいる。
上下の移動は昇降機、平面上は列車によって網の目のように経路は走っている。どこにだろうと容易にたどり着くことができる。のみならず、広い道路を自動車が大量に走っているのにドミニクは驚いた。世界で最も広大な結界に守られたこの地では、車を所持するということが一般的なのだ。
都市のあちこちに神々の巨大な像や、それを上回るサイズの巨木が点在していた。あの樹のうちいくつかは、アウルス・アンバーメインが剣の力で変えた敵対者に違いないだろう。
しばし風景を楽しんでいたドミニクは、自分を支援してくれそうな有力者を探すという目的のために動き始めた。どうすればいいか。万民は自分を支援するために、配慮してくれるはずだ。その考えを根拠に、そこらの人に話しかける。
太陽神ダグローラの巫女らしき女性だ。キャスリングには古くからの寺院が多く、その関係者たる聖職もよく見られた。
「あの、すみません」
「なんでしょうか」
「僕は勇者ドミニク・フリードマン。僕を支援してくれる方をご存じではないですか。というか、あなたがそうではないのですか」
相手の表情が固まり、しばらくドミニクをじっと見た。そして、
「ええ、あなたを支援する用意があります……ドミニクさん。こちらにどうぞ」
あまりにあっさりと事が運んだ。これはここまでの冒険からすると、とうてい考えられないことだった。しかし、当然のことかもしれない。なぜならここは勇者アウルスの仲間たちによって築かれた都。歴史的事実を鑑みれば、勇者を信奉するのは息をするように当たり前。もっと早くここに来ればよかったと気を良くしながら、ドミニクは巫女に続いて歩いた。
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都市の一角に存在する森林。その中に入って行くとダグローラの聖堂があった。厳かな雰囲気に似つかわしくない叫びが突如響く。
聖堂の前に、薄汚れた格好の人物がいて獣じみた絶叫を発しているのだ。ドミニクは説明を求めて巫女を見る。
「彼は自分が勇者だと思い込んでいる近所の方です。どうにかしていただけないでしょうか」
巫女はドミニクを心から崇拝しているのではなく、厄介事を押し付けようとしているだけであった。ドミニクはやや失望してその場を後にしようと思ったが、ただでさえ勇者はろくでもない者が多く、偉大な勇者たる自分の評価をも毀損しつつある現状だ。その上偽勇者までもが悪評をばらまくのはたまったものではない。あの男を断罪しよう。そうすればこの無礼な巫女も、支援を約束してくれるだろう。




