第六十三話 黄昏
翌日、朝食を食べてからドミニクは屋敷の主ドリアン・ペイジへ立ち去る旨を伝え、料理はあまりうまくなかったと言い残して敷地を出た。
しばしのんびりと徒歩での旅をするということで、レグにもあまりおしゃべりをするなと言っておいた。荒野の街道を進みながら、弱い魔物とたまに遭遇し、それはレグが一瞬で倒した。ゴブリン、巨大昆虫、魔物化した狼などで、どれも物の数ではなかった。
屍の勇者が倒されたというのは確かなようで、悪しき勇者を裁く審判者の存在も知られつつあった。時折出くわす隊商などがそれを口にし、これで変な勇者が現れても安心だと皆感じているようだった。確かにそれについては、ドミニクも同意するところではあった。少々処理が遅いのが気にはなるが。
ある時、ドミニクが勇者だということを頑なに信じないおじさんがいた。レグはもちろん、ただ黙って見ているだけだ。ドミニクがこの従者をけしかけようとしたところで、突然聖女ナナの声が聞こえた。
『ドミニク君。突然だけど危機が迫っている。邪神が魔手を伸ばしている』
「ええ、この人が僕が勇者だということを信じようとしない。これもまた邪神の企て」
『そんなのはどうでもいいから、ついに邪神が本腰を入れてミラベリアを侵略しようとしている。自らの肉体の一部から作られた強力な魔獣・通称〈黄昏〉が顕現するところ』
「それは本当なのですか、レグ」
「ええ、我が主。しかもすぐ近くに出現する模様。恐らく、邪神があなた様をまさに狙っているということでしょう」
『〈黄昏〉は邪神が専心して作った侵略兵器。穢れ岩をばらまきつつ、あらゆる生命を脅かす獣。勇者すらも下手をすれば殺せる』
しかし勇者は不滅の存在ということだ。もちろん生き返れるはずだ。
『そう。だけど数時間は死んだまま。勇者が世界に存在していないということは、邪神にとって無防備になるということ。勇者を降臨させ、その神器を維持している力が一時的に消え失せるということだから』
生き返れるとしても邪神のしもべに斃されるのはむろんいい気分ではない。
「レグはその邪神を殺せないのですか? あなたはすべての問題に対処するために顕現させた存在なのですが」
「もちろん打ち倒せましょう、我が主。しかしわたしは勇者を討つための〈審判者〉。対邪神向きの討伐者ではないので、容易ではありませんが」
「では誰が対邪神向きの討伐者なのですか」
『勇者がそれだよ、ドミニク君』
つまりレグとナナは、自分と今から現れる魔獣〈黄昏〉を戦わせようとしているらしい。ドミニクは面倒になり、目の前で怪訝な顔をしている隊商のおじさんに救いを求めた。
「あなたは未だ信じていないようですが、さっきから申し上げているように僕は勇者なのです。そして僕の役目は邪神とそのしもべを討つことなのですが、今まさにここにその敵が現れるとなると急に戦いが面倒になってきました。あなたが僕を勇者として信じるというなら戦いますが、信じていないのですよね?」
そのおじさんをはじめとする商人の一団は否定も肯定もせず、お互いに顔を見合わせるだけだった。なんと煮え切らない態度だろうか。自分の世界の命運がかかっているというのに。これはもう、救う価値がないのではないだろうか。
「いや、おめえさんが本当に勇者だっつうならよ」おじさんの隣にいた護衛らしき若い男が言った。「誰になんと思われようと戦うべきじゃねえのか、しかるべき相手ってやつとよ。その邪神のしもべとさ」
「そうはおっしゃいますが、民衆が僕を賛美・肯定した場合と、嘲笑・否定した場合で同じ恩恵がもたらされるのはおかしいのではないでしょうか。否定したとて英雄が無私の労働者として悪を討ち滅ぼすならば、誰も賛美などしないはずです。あなたがたはその、ただで得られる報酬を目当てに、色々と理由をつけて先ほどから義務をやりすごそうとしているではありませんか」
人々は再び、お互いに顔を見合わせた。この少年は、いささかイカれてるのではないだろうかと疑ったためだった。
『ドミニク君。無駄話していないで備えたほうがいい。西から魔獣が来る』
ナナの声がしたと同時に、これまで感じたことのない嫌な気配がした。醜悪で巨大な何かが急激に接近している。
最初からそこにいたかのように、そいつは立っていた。瘴気を、塔のごとく聳える体そのものから放つ、剣を手にした巨人の戦士だ。しかし大雑把に人の姿はしているものの、それは得体の知れない黒い線が絡み合ってできた異形であった。
怪物との距離は、まだかなり離れている。だが、その瘴気が隊商の人々を冒すかも知れないので、ドミニクは彼らをまず一斉に木立ちに変えた。レグに自分を抱えさせて、そいつに向かうように指示した。
まずは奴の強度を確かめる必要がある。〈宿り木〉はどの程度通用するのかも。
魔獣はゆっくりと、ドミニクに向かって歩き始めた。その足元では早くも、無数の穢れ岩が形成し始めている。




