第六十二話 先手
レグが言うには、屍の勇者アリアは小さな領邦の貴族令嬢だったらしい。しかし彼女はどうやら、領主である実の親を殺害、さらには多数の領民をも手にかけ、その場所は汚れた廃墟と化してしまったという。
それが事実とすれば、なぜ〈審判者〉は彼女を放置しているのだろうか。こそ泥のダミアーノも野放しであるし、北の聖女を裁くにも結構な時間差があった。いささか、手ぬるいのではないだろうか。神の使いといえど、所詮は外部の者だ。やはりこの地の勇者である自分が制裁を加えなければいけないと、ドミニクはやんわりと決意した。
「そこもとがドミニク・フリードマンであるか?」
街道沿いの旅籠で、ドミニクはオークに声をかけられた。その男はフェイチェスターの黒犬マウザーと同じく灰色の肌と鋭い牙、そして長身のレグと比べても一回り大きな、まさに巨人というべき体躯をしていた。
「拙者はヒレイと申す、我が主の命によりずっとそこもとを探し求めていたのだ。不死者を浄化し、生者に戻すその力を借りたくな」
ドミニクはなぜそれを知っているのかと尋ねた。ヒレイは、フェイチェスターで蘇生した二名の死者――ヘザー・ガントレットとイヴンゲイルの名を挙げた。ドミニクとしてはその両名が浄化されたのは、意図しない結果だった。このことをどれくらいの人々が知っているのだろうか。あの都市の貧民街の元締め、ヤ=テ=ベオはそう口が軽いほうでないと良いが。
ヒレイの主は巨額の富を築いた強力な冒険者で、しかし娘がアリア・ミルの手にかかり生ける屍と化してしまったらしい。もちろん勇者の力に対し、あらゆる浄化は通じず、ダグローラ教会はせめて安らかに眠れるよう介錯を、と薦めるだけであった。ドミニクもどちらかと言えばそう思っていた。死んだり、それからアンデッドとして蘇ったりしたら、それがその者の定めだ。自分が勇者であるのと同じく。生き返らせるなどと画策せずに、あとはさっさと荼毘に付して葬式でみんな悲しそうな顔をして、埋葬すべきだ。
しかしその冒険者が莫大な金を謝礼として支払うということで、ドミニクは二つ返事で頷いた。
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ヒレイは、彼の巨躯を運ぶのにふさわしい、怪物じみた大きさのグリフィン――黒豹の脚を持つ漆黒の個体――にドミニクを乗せて主の元へ飛んだ。レグには自前の羽で追従させている。
「あの従者さんは」風生まれの男が銃を手にして、空飛ぶ魔物を警戒しながら話しかける。「飛んでるけど人間なのか? それから女性なのかい?」
「そんなことはどうでもよいではありませんか」ドミニクは答えるのが面倒だったので適当にあしらった。
冒険者は乾いた荒れ地に住んでいた――しかし、彼の邸宅の周囲のみが草木に覆われ、澄んだ湖までが湧いていた。異様に繁茂した植物は、本来ならもっと南方に生息する熱帯のそれだ。眼下の木々の葉陰には、獣たちの姿がちらついた。
この森林は魔術的に形成されたものだとヒレイは説明する。獣たちは主を守るために、不用意に近づいた者を捕食する。おまけに周囲の瘴気を浄化する結界も張られている。この環境を生み出している魔法具は、恐ろしく高価なものだろう。
かつてその冒険者、ドリアン・ペイジは未発見の迷宮を攻略し、いくつもの魔法具を発見した。その一部を売り払った金でこの屋敷を建造し、めでたく引退、森が作り出す食料でのんびりと暮らしているらしい。だが、地下牢にはアンデッドになった娘が幽閉されたままだ。
ある意味、彼は自分と同じ立場にあるのだろう、とドミニクは思った。〈宿り木〉が生む果物があれば、それだけで生きていけるのだから。しかし、食料があればそれでいいというわけではない。ドミニクには娯楽が、ペイジ氏には家族が必要というわけだ。
ペイジ氏は初老の、ヒレイほどではないが鍛えられた肉体を持つ人物だった。疲れ果てた顔をしており、陰鬱な表情で地下へ案内した。ドミニクの力を信じているならば、既に令嬢の蘇生は確約されており、むしろ喜びと安堵を浮かべるはずだ。恐らく未だに半信半疑なのだろう。ドミニクは内心いささか苛立ちながら、鉄格子ごしにうなり声を上げる青白い顔の娘を樹に変え、即座に戻した。振り返り、ペイジ氏に対して頷く。ヒレイが鍵を開け、令嬢の様子を改める。彼が、脈と体温が正常に戻っていると告げると、ペイジ氏は声を上げて泣いた。
ドミニクはさっさと金をよこしてほしかったので催促すると、娘を抱いたペイジ氏が、風生まれの従者に命じて宝石と金貨を手渡してくれた。その額は、ドミニクが思うままに好き勝手遊んで暮らしても、数十年は余裕だという程だった。しかし、娘の価値が有限ということがあろうはずもなく、今後ペイジ氏は永続的にドミニクを支援してくれるだろう。
ここでドミニクの目的は達成されたはずだが、彼はあることに気づいた。
支援者にも生活があるし、付いてこられても足手まといなので、どこかドミニクから離れた場所で生活を送ってしかるべきだ。
もし彼が無限に金を供給してくれるにしても、一度に持ち運べる資産の量は限られているので、定期的にもらいに赴かなければならない。
つまり、単独の支援者しかいないなら、ドミニクは決して自由に世界を動き回ることができないのだ。
ペイジ氏のような支援者・信奉者を、世界中に作り上げなければいけない。
無論本来ならば、あまねくすべての人民がドミニクを支援し、その範囲に限りはないはずだが、邪神の攻撃によって荒廃した人心ではそれも望めない。
そのことをレグに話すと、
「そのような野心的な計画を抱くとは、さすがでございます、ドミニク様。ならばなおのこと屍の勇者を討ち、その勝利を大々的に喧伝する必要がありましょう。さしあたって――」
と、いきなりレグが沈黙し、どこかあらぬ方角を一瞥した。そしてドミニクに向き直り、
「我が主、たった今、〈審判者〉が降臨した模様です」
「ということは……もしやアリア・ミルは」
「討たれたのではないでしょうか。確認が必要ではありますが」
もしそうならば――すべてレグにやらせるつもりではあったが――とんだ腰砕けだ。
「レグ、あなたが気を利かせてもっと早急に屍の勇者討伐を提案していれば、違った結果もあったのではないですか」
人のせいにすることは、ドミニク・フリードマンにとって呼吸をするようなものだ。
「かも知れません、柔軟な発想が必要でした。まことに我ながら遺憾でございます」
レグは別段悪びれた様子でもなく、いかにも形だけの謝罪を口走る。ドミニクは失望し、ふて寝をすることにした。




