第六話 説得
ドミニクはその日念願のただ飯にありつき、礼の一つも言わずに平らげ、翌日は昼過ぎまで起きることはなかった。オーマやスタンが、奴は最低のクソガキ、神をも恐れぬ無礼者、ごくつぶしを絵に描いたような野郎、と散々な風評を騎士団内に振りまいたがために、騎士たちはいったいどんなひどい荒くれなのかと半ば興味本位で目覚めたドミニクを見に来たが、歳若く、中性的で物静かだったので、言うほどひどくもないじゃないか、とむしろ好印象を抱くに至った。
「さてドミニク、これから貴様がなにをすべきか分かっているだろうな」
昼食後、オーマが機嫌の悪い顔でそう言った。最初に出会ったという理由で、騎士団長ダルトンよりドミニクとの交渉役に指名されたからだ。
「無論です、日々、己を高めるために過ごしていきたいと思います。今日は街にいい感じの階段を探しに行こうかと」
「これよりお頭と会って、これからの方針について話し合ってもらう」オーマはドミニクの回答を無視して続ける。「まず、公式に勇者がヘイゼルウィックにいると流す前に、貴様に手柄を立てさせ、箔をつける。手っ取りばやく偉業を成し遂げたことにしてしまうのだ」
「オーマさん、何か誤解をされているようですが」ドミニクはできの悪い生徒を諭す教師のように言った。「僕は協力するなどと一言も申し上げていませんよ。そもそも僕に労働をさせようなどという暴挙……誉れある騎士が、否、大の大人がするべきことではありませんよね」
「貴様は指を咥えてボーっと突っ立っていればいいんだ、得意分野だろうが。それだけで貴様が望むただ飯が手に入る。名声もついでにな」
「いいですか、僕は確かにボーっと突っ立っているのは好きですが、それを他者にお膳立てしてもらったり、利用されたりするのはご免なのですよ。例えて言うなら、食事が好きという人物が勝手にメニューを決められ、それを無理やり口に押し込められたらどうですか? それを望むとでも? その辺りをきちんと弁えないと、社会では通用しないのでないかと老婆心ながら忠告させていただく次第です」
「おいいいか、こちらが下手に出ているからといって、でかい口を――」
「叩けばどうだというのです、僕を力ずくで働かせてみますか? 武力で脅す、魔術・薬物で操る、大金を積む、色々と手段はありますが、どれも無理ということを早々に理解していただきたいですね。では、階段が僕を呼んでいるので失礼」
そう言ってデザートとばかりに金の林檎を齧りながら、ドミニクは出て行く。
オーマは苦々しい顔になったが、確かにドミニクの言うとおり、彼を無理やり動かすのは極めて困難に思えた。腕ずくで従わせようとすれば、誰かが樹になるだろうし、あまり尋常の人間らしい感情を持っていないように思えるこの少年は、家族を人質に取ったとしても「大人なのだから自分で解決できるはずです」とでも口走るはずだろうし、薬物や魔術で洗脳するのはそもそも違法だし、それにあの魔剣の力がそれらをも無効化するかもしれない。金に関してはいくら与えても、当然のことだと言って感謝や負い目を感じそうにはない。
「さっそく出し抜かれたみてえだな、オーマ」
声に顔を上げると、壮年の偉丈夫が部屋の入り口に立っていた。忌々しげな顔付きだったオーマは居住まいを正し、
「これはお頭。お恥ずかしいところを――いや、恥ずべきはあの小僧なのですが」
「あの少年は一筋縄じゃあいかねえだろうさ。まあ見てろ、俺に考えがある」
「どうすると言うのですか? このまま我が領邦の金で奴にただ飯を食わせ続けるのですか」
その言葉に対し自信ありげに団長は笑い、
「理解者を与える。友情で奴を転ばすのだ。優秀な冒険者の助けを借りてな……」
■
城下へと降りてきたドミニクではあったが、前日スタンのした忠告にもかかわらず、何名か絡んでくる冒険者がいた。彼らは、ドミニクが拾った魔剣の力に守られて偉そうにしているという点を指摘したのだが、これに対し彼は、
「何の努力もなしに力を得ることの何が悪いというのでしょうか。あなた方だって、先人の作り出した戦術・技術・道具に頼って生きているわけであり、それに日ごろ感謝をしているのですか? そうした謙虚な姿勢で生きていかねば、人族といえど獣と何一つ違いないのです」
と、逆に説教をする始末である。手を出そうにも、ジャニスが樹にされかけるのを見ているだけに躊躇いを覚える。なんともストレスのたまる少年である。
手癖の悪い冒険者が、ドミニクから剣を盗もうとするが、触れた瞬間に全身を枝葉に覆われ、無残な立ち木と化してしまった。反省を促すためにドミニクは、「わたしは盗人です」という貼り紙をその樹に貼り付け、しばし放置したが、一時間ほどで元に戻すという寛大さだった。もちろんその際、人の道を説く小言を忘れなかった。
市場の少し上の階層、住宅街のはずれに、水路が引き込まれた洗濯場があった。そこへ降りる石段を、地べたに腰掛けてドミニクが見ていると、一人の冒険者が訪れた。
オーマとともに彼をこの街へ導いた、フィリップだった。
「よう、ドミニク。うまいこといったようじゃねえかい? 勇者としてのもてなし。さらにうまいことすりゃお前さんは英雄だ」
ドミニクは一瞥すらせずに階段を見つめている。
「そのままでいいからオレの話を聞いてくれ。でかい声じゃあ言えねえ話だが、現在ミラベリアは危機に瀕している。穢れ石と魔物の増加もだが、聖女様によってペンブライド将軍府の支配が揺らぐかも知れねえ。聖女という存在は、その奇跡の力を抜きにしも馬鹿でかい権威がある。
尊主様がおわすキャスリングが聖女を擁立すればどうなる? 間違いなく、将軍府より実権を奪うだろう。あるいはどこぞの領邦が聖女を味方につければ、それだけで王を名乗り、一国として独立する裏づけになる。下手をすればまた、戦乱の世が舞い戻ってくるだろう。そしてお前さんもいずれ、聖女と同じく権力を手にするカードとして扱われることだろうな。こいつはお前の意思とは関係なく、世がそうするんだ」
「そうはいきませんね」視線は動かさずに、ドミニクは静かに言った。「いつであっても僕の意思、それが第一です。聖女だろうと上様だろうと、尊主様であろうとそれは動かせない。権力で太陽を西から昇らせることができないのと同じで」
「いいや、できるのさ。権力ってやつがあれば、西から昇る太陽や白いカラスだって思いのままだ。兵隊で囲んで、東を西、黒を白と呼ばせればいいだけの話さ」
「裸の王様の童話そのものの滑稽な話ですね。そんな権力者がいれば、僕が『そちらは東ですが、酔っ払ってらっしゃるのですか』と指摘して差し上げなくては」
フィリップは深呼吸し、説得を続ける。
「ドミニク、お前さんの目的も金なんだろ? この領邦に協力してくれりゃ、そいつが手に入る。いやもう、本当にただ突っ立っていればいいだけの話で……」
「僕を利用すること自体はしていただいて構いませんが、こちらが何か行動するのを――それがただそこにいるだけでも――指示したり強要しないでいただきたい、僕から言えるのはそれだけですね」
頑なな少年を相手に、フィリップは声の調子をより穏やかに変えて説く。
「お前さんとオレは似た者同士だ、風景を眺めるのも好きだし何より自由を尊んでいる」
「ええ、それに関しては同意です。あなたが何の後ろ盾もなく、誰の命令も受けていないのならばの話ですが」
フィリップは頭をかいて、その場から立ち去った。
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フィリップはダルトン団長に、自分では説得するのは無理そうだと報告した。彼自身も団長も、ドミニクの偏屈さ、頑なさを再認し、なかなか難しそうだな、と考え始めていた。そんな折、街道の監視兵たちから、魔物が出現したとの報告が入る。
領邦の居住区どうしを結ぶ街道は、聖石沿いの比較的安全な場所を通ってはいるが、すべてを結界が保護しているわけではないので、周囲の魔物が増えれば通行が妨げられる恐れも当然ある。スタンとジャニスを筆頭に、討伐隊が結成され、ドミニクにも声がかけられた。彼は戦闘に参加せず、見学ならばいいでしょう、と告げ、同行することになった。
ミラベリアには魔導機械で駆動する自動車や列車も存在しているが、それらは居住区外の入り組んだ、高低差の多い地形では役には立たず、大抵は移動に騎獣を用いることになる。大狼や大トカゲ、場合によってはロック鳥やグリフィンなどが使われるが、もっとも普及しているのは高い機動性を持つキマイラ――〈鱗馬〉だ。ヘイゼルウィックの騎士たちはこの魔獣に乗って、正門から駆け出した。
「すいませんがビリーさん、もう少し速度を落としたりできませんか?」ドミニクは後ろでたずなを握る騎兵にそう要求した。
「ああ? 一刻も早く魔物をやっつけなければいけないんだぞ、お前は何を言っているんだ」
「風景を少しばかり楽しんでいきたいのですが」
「だめだだめだ、終わってからにしろ。噂どおり我侭な少年だな」
「そう来ると思いました、では僕の動体視力でどうにかするとしましょう。ところで、被害と魔物の種類はどういった感じです?」
「出発前に説明があったろうが。ハイドラだ、二つ首のな。隊商が襲われて、護衛が迎撃しどうにか撃退したが、手負いの魔物はやっかいだ、成長する前に始末しなければならん」
「毒などにも警戒が必要ですね。フィリップは連れてこなくて良かったのですか? 彼は聖職のはず」
「解毒ならあいつよりギョームが得意だ、ほらあの、黒髪のおやじさ」
「あの方も聖職なのですか。強面なので殺し屋か何かと思いました」
「あまり顔について触れてやるな、本人も気にしてるから」