第五十一話 陽動作戦
薄暗く不衛生だが安い食堂。遺物の影響で、肉体がもろに変化している人物の隣で朝食を取った。味の薄いスープと固いパン。その男の左顔面は爬虫類のような鱗に覆われ、目もまた縦長の瞳孔を有している。イヴンゲイルなどのベンシックに近いような気もした。
「おい、お前さん、俺のツラをじろじろ見やがって、ぶしつけな野郎だぜ。飯がうまくなるっていうのか、少年?」
「ご両親のどちらかがベンシックであったのですか?」
その男はパンにバターを塗りたくりながら顔を顰めて、
「もちろん違う、遺物のせいさ。人間をトカゲに変えちまうやつが発動した。俺はこの程度で済んだがね、ベンシックどころかまんまデカいトカゲになっちまった奴も何人かいたぜ……お前は確か勇者僭称者あるいは、たかり鬼と呼ばれる奴だな、教会の文書で見た」
いつものように、ドミニクはダグローラ教会の虚偽であると説明し彼らの腐敗を揶揄した。男はそれを聞き流して食事を続ける。彼はキール、地元の探索者の一人だった。
「で、ドミニク、なんでこんなヤバい地に足を踏み入れた? 勇者としての義務か? 救済をもたらすためにか」
なぜそんな徒労に手を染めねばならないのか。
「勇者ってのが本当かどうか知らんが、正直なところお前らがどれほど信用できるか分からねえな。どれほどまともかも怪しいもんだ。北の聖女って奴についても聞いたぜ。無茶苦茶する女だろ? それからスコップを持った、ネクロマンサーの勇者ってのもいるらしいが、他の勇者もそうなのかね? お前さんもどうにも、正しい心って奴を持ち合わせてねえように思える」
聞きかじっただけの話で、人様を決めつけるとは、このキールという男も愚民の一人だ。
「つまりは物語に出てくるような英雄様じゃなく、普通の奴ってことだろ、少なくとも精神は。普通の奴が分不相応な力を持つとどうなる? ろくでもねえことが起こるに決まってる。神々の救済も片手落ちってわけだ。お前らを誰が止めるんだ」
ドミニクは〈審判者〉なる存在と、それらが北の聖女を滅したらしいことを説明しなかった。面倒だったからだ。
「まあそんなことはどうでもいい、今日も迷宮で事故があったばっかだからな、目玉をかじり取る蟲が後から後から湧き出てくる壺だとか……この場所はマジでイカれてんぞ。お前さんもひでえ目に合うまえに出てくこったな、たかり鬼」
「ならばなぜ、あなたはそうしないのですか? そのような被害を受け、なおも危険な探索者稼業を続ける理由とは?」
「他の生き方ってのを知らねえだけだよ。ここの連中はみんなそうだ」
それは彼らだけではなくここで発掘される遺物についてもそうで、この地を離れたものは本来の機能を失うか非常に弱体化してしまうのだそうだ。それが、将軍府がこの地を大して危険視していない理由らしいが、かなり怪しい話に聞こえた。それは例外なく、そうなのか? 密かにどこかの悪党が、その法則を破る方法を見つけ出したら? いや、既に発見されて、密輸されているのではないか。そのうちブライドワースじゅうの住人が、トカゲと化しているなんてことがなければいいが。
ドミニクはさりげなくキールに食事を奢らせたかったが、彼は抜け目なく、素早く退散しそれは果たせなかった。
キールが店を出て行ってから、別の、なんとなく胡散臭い感じの老人が話しかけてきた。
「さっきキールと話してたのはおめえか、坊や」
「そうかも知れません、何か御用ですか、ご老人」
「大した用事じゃねえんだが、その、あそこにでっかい野郎がいるよな」
老人が指差した方向に、確かに巨体の男がいた。さすがにオークのマウザーには劣るが、四肢も首も胴体も太い。
「あいつに、〈甘露坂のレッドフィールド〉が店の外で待ってるって言ってくれねえか」
ドミニクは、なぜ自分で言わないのかと疑問視したが、この小柄な老人は、あの大男と話すのが恐ろしいのだろう、と思い、巨漢に近づいていく。
「〈甘露坂のレッドフィールド〉が店の外で待っているそうですよ」
「ああっ?」
大男はだみ声を発した。ドミニクはもう一度、
「〈甘露坂のレッドフィールド〉が店の外で――」
「誰だよそいつぁ? そんな奴は知らないぞ」
「そこにいた老人が」
ドミニクは先ほど老人がいた辺りを見たが、既にいなかった。いったいあの人は何がしたかったのか、と考えていると、悲鳴が聞こえた。
見ると、老人がぶちのめされている。その手にはコインが何枚か握られていた。巨漢がテーブルに置いていたものだった。
つまり、あの老人は巨漢の注意を引くためにドミニクを利用したのだった。その後、いくらぶちのめされてもコインを手放さなかったので、担ぎ上げられてこの悪辣な老人は連れて行かれた。どこぞで指を切断して、取り戻すつもりなのだろうか。あるいは、どこかで買い物をしたとき、あの老人ごと支払うつもりなのだろうか。ドミニクはそんなことを考えながら食事を再開し、あまりうまくないという感想を抱き、そのことを店主に向かって堂々とのたまうのだった。




