第五十話 大暴れ
シーカーズベイ領主のせがれ、出来の悪い次男坊ことクレセントを樹から人間に戻し、ドミニクは、気が変わったので話を聞かせて欲しい、もしかすると解決策を提示できるかもしれない、と伝えた。しかしこの男、おろおろとするばかりで何も言わない。
彼自身はずっとこの状況を望んでいたはずだ。誰かにどうにかして欲しいから、酒場でいきなり己の悩みを吐露するという異様な行動に手を染めていたのだ。だのに、せっかくその好機が訪れたのにもかかわらず、この心優しき勇者が相談に乗るという僥倖を棒に振ろうとしている。まごうことなき愚鈍者。
だが、ドミニクは底なしの慈悲でもって、彼が何か言うまで待った。
「お、おれはどうしようもない奴だ」クレセントが言った。「兄貴にゃ勝てやしねえし、それどころか何一つまともにできねえって始末さ。どうすりゃいいんだ」
「答えは簡単、そのまま一生涯、部屋住みを全うすればよいではありませんか」
「馬鹿言ってんじゃねえや、そんな情けねえことができるかよ、何も知らねえくせに」
初対面だから何も知らないのは当然だ。この男の方こそ、社会の真理を何も知らない。部屋住みとは勝利者の証であるということも。だが、ドミニクは彼を非難するのではなく、ある推察を確かめようとした。
「あなたのお兄さん、領主様の第一子は優秀なのですか? あなたと比較して、ではなく」
「ああ、兄貴はしっかりしてるよ、領民もみんな、あんなお世継ぎがいるなら安心だって――」
「一方あなたは、すこぶる冴えない有様だ。能力だけではなく、精神性も。なぜこれほどまでに差があるのか、考えたことはおありですか」
「おう、おれだって考えたさ、なんで兄貴とこう、できが違うのかって」
「答えは一つ、あなたとは母親が違うからです。すなわちあなたは、私生児なのですよ」
予期せぬことを断言するドミニクに、クレセントは呆然とする。
「そ、そんなことがあるはずねえだろ、何を言ってんだよお前は」
「なぜ、ないと言い切れるのですか。恐らく双子というのは嘘で、同時期に生まれたがためにそう言いくるめられているのでしょう。もしかすると、お兄さんはそれをご存じで、知らぬはあなたばかりかも知れません」
ドミニクは何となく、そう言っただけであり、別段根拠というものもなかった。それでも彼の口調は落ち着き払い、ゆっくりと、はっきりしたものだった。この少年の声によって、クレセントの内部に何事かが喚起された。
あるいは、彼もまた、その疑いを持っていたのかもしれない。時折、その根拠となりそうな事柄を、彼の家族から感じていたのかもしれない。もちろん、それらは否定し続けてきた。だが、ここにきて単なる少年の一言が、それを何故だか確信させてしまったのだ。
突如としてこの男は地面に這いつくばり、嘔吐した。ドミニクは一歩下がり、続ける。
「しかし、逆転の一歩がないこともありません。すなわち、あなたが領主となるのです。どうにかして、お父上とあなたの腹違いのお兄さんを排することができれば、あなたは領主となり、領民にも、神々にも、あなた自身にも、証明ができるのではありませんか――正当さを」
するとクレセントは獣じみた叫び声を上げ、四つん這いのままで道を、恐るべき速度で疾駆し始めた。まさか、入念な準備などもせず、今すぐ兄と父を物理的に攻撃するつもりなのだろうか。ドミニクはそんなことを思い、彼の後姿を眺めていた――間もなく、大通りを安全を確かめずに横断しようとして、クレセントは馬に跳ねられ、宙を舞った。どこぞの建物の壁面に勢いよく叩きつけられ、四肢が妙な具合に曲がってはいたが、彼はまだ生きていた。フェイチェスターで野ざらしの死体をいくつも見てきたドミニクとしては、あまり驚くような光景ではなかった。そのまま今日の宿を探して、ちょいとした騒ぎになっている通りから脇道へ入って行った。
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翌日、路地裏で〈宿り木〉によって生やした草木に包まれて寝ていたドミニクが目を覚ますと、また何やら騒ぎになっている。クレセントが再度暴走したのかと思ったが、どうやら違った。街中だというのに、魔物らしきものが暴れている。血まみれになっている探索者たちが、その怪物を取り押さえようとしているのだが、これが不気味な容貌で、そいつは強いて言うなら犬や狼に似ていたが毛は無くて生白くつるりとした、海産物のような肌で、頭が異様に大きく目も鼻もなかった。口からは乱杭歯が飛び出し、悍ましきうなり声を発してのたうち回っている。
またしても何らかの遺物が暴走して呼び出されたのだろう。探索者たちはそいつにナイフを突き刺して弱らせてはいるが、殺すつもりはないようだった。生きたまま解剖でもして調べたいのだろうか。
「おう兄ちゃん、見てねえで手伝ってくれろ」一人の探索者が、ドミニクに対してそう言った。
「もしかして僕に対してそうおっしゃっているのですか?」
「そうだよ、おめえさんに対しておっしゃってんだ。このバケモンが存外タフだからよ」
既に三人の屈強な探索者に抑え込まれているが、怪物はまだバタバタともがいている。血と涎で辺りがひどく汚れている。ドミニクは、もちろんその申し出を無視して、朝食を食べるために歩き出す。




