第五話 手合わせ
聖棘――騎士として叙せられる際に主君より授けられる、魔を討つための力。霊体にこれを打ち込む〈処置〉を受けることにより清められた騎士たちは、聖なる魔力を宿し、常人を超えた力と各々に合った〈聖武具〉を獲得することができる。古くからのエルフにとっては不自然な行いであり、彼らから「神々から授かった霊魂を汚す蛮行」と謗られることを含めて、少なからず副作用もあるが、瘴気と魔物に抗い、それらの発生源たる穢れ石を砕く有効な手段だ。そして、騎士とそれを有する貴族が、特権階級たり得る根拠でもある。
冒険者ギルドの裏庭、訓練場にて不遜なるドミニクと対峙するジャニス・ウィンターもまた聖武具を所有しているはずだが、それを手にすることはなく、〈宿り木〉とそう変わりない木剣を構えていた。
二人の手合わせを見物しようと、数人の冒険者たちが遠巻きに取り囲んでいる。
「ああいった青二才の心得違いは、言葉で諭してもいかんともしがたいからなぁ。強烈な蹉跌を味わわせなくては」
自らも若年であるのだが、スタンの言葉にフィリップは頷いた。彼もジャニスも、毎日のように街の外に出ては、魔物と戦い続けている。一方、戦闘経験が乏しいであろうドミニク。尋常であればぶちのめされ、スタンの言ったように強烈な蹉跌を味わうこととなるのだが――
その少年は中庭に出てから、ずっと上を見上げている。遥か頭上にある空を。
「その穴が気になるか? 我らヘイゼルウィックの民が開けたものではない。もとより存在していたものだ。陽光の当たる場所は限られるゆえ、その下に居を構えることができるのは――」
「いい色合いの空ですね、あと一時間くらい見ておきたいような……」
自己の解説に対しとぼけたことを言うドミニクに対し、スタンは眉間に皺を寄せて、
「おいガキ、状況が分かっているのか? 貴様は不審者丸出しなのだぞ。さらには食事と寝床を突如要求し、挙句空を見ていたいだと? この手合わせ自体がすさまじい譲歩、施しだというのを理解しているか? 今すぐ街の外へ放り出してもいいのだぞ?」
これに対しドミニクは返答しない。スタンは苛立ちもあらわに、ジャニスへ「ぶちのめしてやれ」と告げた。周囲の冒険者たちもにわかにヒートアップし、彼女に声援を送る。
ドミニクは申し訳程度に〈宿り木〉を手にしたが、構えもなにもあったものではなく、棒立ちだ。
「確かに一度痛い目に合って欲しいところだが……」フィリップだけが、少年の木剣に目をやる。
ジャニスの一撃は迅速だった。一呼吸に満たない間に剣を振り上げ、無防備なドミニクに肉薄するが――
「っ……!?」
彼女の右腕が剣を振り下ろすことはなかった。大量の蔦に覆われ、木剣と半ば一体化し、動きを止めてしまった。
「……それがオーマにも使った、得体の知れぬ魔剣の力か」
スタンはジャニスに歩み寄り、その腕を検分する。
「ジャニス、腕はどうなってる? 感覚はあるのか?」
「力が入らない……! 自分のものじゃなくなったような感覚だわ……」
少しばかり逡巡してからスタンは言う、
「小僧、こいつを解除しろ。休みたくなったら上に来い。好きなだけ空でもなんでも眺めてからな……」
これにドミニクは返答しなかったが、ジャニスの腕に生えた枝葉はすぐさま枯れ、崩れ落ち、彼女の腕は自由になった。
「どうやらこの小僧を自動的に守っているようだな。なんということだ。こんなムカつく野郎がこのような力を有するとは。神々は実に悪趣味ではないか」
「だが兄さん、考えようによっちゃ有用な戦力になりますよ。相手がサイクロプスだろうと樹に変えちまうんだから」フィリップがそう言った。「とは言え、奴を無理やり同行させようとしたら……」
「ふん、その時点で樹にされるというわけか。まあ、持ち主がこのような覇気のない小僧で良かったと言うべきかも知れんな。だが何より腹が立つのは、おれの武具にいささか似た性質という点だな……いいかお前ら、このガキがいかに腹立たしかろうと手を出すなよ。新たなる街路樹をそこらに増やすはめになっちまうからなぁ」
そう冒険者たちに忠告し、スタンとジャニスは上階へと戻っていった。
■
ヘイゼルウィックの上層、騎士団の詰め所に二人が入ってくると、不機嫌な顔のエルフがいた。ヘルムを外したオーマだった。その右目と右側の髪は、他の騎士たちと同じく灰白色に染まっている。
「あの小僧と会ったのか? 感想を聞かせてもらいたいな」
「大したタマだな」腕組みをして、スタンが答える。「流れ者の黒騎士が街にやってきて、そこでひと悶着起こす物語は読んだことはあるが、大抵は快男児と相場が決まっている。一方奴は――不快男児ってとこだな。さて、あいつをどうやって軍事利用すべきか頭の使いどころだ」
「簀巻きにして川に流すってのはどうだ」
「いいアイデアだが水質汚染が心配だな。ときにジャニス、腕は大事無いのか?」
そう問われてジャニスは右手を握り締め、
「ええ、完全に元通りよ……彼はムカつくけれどスタン、あなたがもう一人増えたように、完全な防御を敷くことができるわね。これで穢れ石の浄化も……」
「容易に進むやもしれぬな。まずどこぞで使用感を試すべきだ。オーマ、お頭は何と言っている?」
「ああ、彼と勇者の力を喧伝すれば、聖女確保の足がかりになるのではないかと考えているようだ」
「勇者……か」スタンがやや苦々しげに言う。「アウルス・アンバーメインが草葉の陰で歯軋りしているだろうな。あの小僧を懐柔するにはどうすればいい? 少なくとも一宿一飯の恩などという言葉は、やつの辞書にはなさそうだったがなぁ」
「雲とか壁とか、妙なものを見たがる性質がある。基準は一切我々には分からんようだが。腕ずくで従わせることは無理と見ていいだろうな」
「……彼を勇者として立てたら、帝都とか教会が何か言ってきそうなものだけれど」
「一理ある、少なくともこちらで勇者であると承認するのは時期尚早であろうな。擁立するにしても、本人が勇者と自称している、という形に留めておくべきだろう、恐らくお頭もそうお考えのはず。だが、それでもなにがしかの横槍は入れられよう。下手をすれば〈黒犬〉どもも動きかねん……ときにオーマ、奴は貴族家の出ということだったが、出身はどの辺りと言っていた?」
「ブライドワースの方、とのことだったが」
「曖昧な表現だな。それが真実として、そちらの方に働きかけるという手もあるが……そうすると今度は将軍府と一悶着有ろう。もう街の外に出して、なかったことにするのが手っ取り早い気もしてきたぞ」
「何をなかったことにするのですか?」
突如、当のドミニクが室内に侵入してきた。当然、騎士一同は歓迎とは程遠い表情だ。
「手っ取り早く言うぞ小僧、我々は貴様を利用したいと考えている。魔物の出現区域に同行させ、盾となってもらう。貴様は何もせずともその魔剣が勝手にしてくれるというわけだ。例えばそれを我々に譲渡するのであれば話は早いのだが」
「寝言は寝て言えという言葉を贈りたいですね、スタン」
彼はドミニクの嘲笑を無視して続ける、「さらにはその勇者の力――便宜上そう表現するが、そいつをもって我らが聖女を擁立する根拠と成したい、そうダルトン団長は考えておられる」
しばらく無言でドミニクは考えてから、
「野心的なお話ですが……聖女。皆が聖女を確保したがっているというわけですか? まだ誰も見てもいないのに」
「ああそうだ、帝都も法王領も将軍府も、さらには東の商人たちも、いやあらゆる領邦、あらゆる騎士たちと冒険者たちが聖女を血眼になって探している。この国を築いた、偉大なる力だからな」
オーマが言うとドミニクは呆れたように、
「そんな皮算用をする暇があったら、日々の生活に心血を注ぐべきだと僕は言いたいですね」
「貴様にだけは言われたくないな」
「ところでエルフのお姉さん、あなたは誰ですか? どこかでお会いしましたでしょうか」
「気づいていなかったのか? お前をここに連れて来たオーマだ」
「ああ、オーマか、不覚にも気づきませんでした」
「さりげなく『さん』を外すな」