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SONG OF MIRABELIA/宿り木の勇者  作者: 澁谷晴
第三章 大都市の冒険者
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第四十六話 桜花十字

 イヴンゲイルは、薄い緑色の鱗を持つ、中背のベンシックだ。頭部には縫い後があり、脳を弄ったらしい。動きは極めて機械的で、もはや生物という感じはあまりしなかった。イーネ親方の狙いとは裏腹に、生前の自我などは大して残っていないように思われたが、元からこのように、寡黙な性格なのだろうか。


 簡素な革鎧と、片刃の剣だけを身に付けた、この蘇りし男の戦闘を見ようとドミニクは思った。おあつらえ向きに、この地下道――実験場には魔獣が湧きだすらしい。


 そこいらの薄暗い地面には、獣骨が散らばっている。鋭い角や爪を持つそれらは、バルトロメアが初仕事で駆除したネズミなどより、だいぶ凶悪そうだ。


 数分歩くと、その実物を見ることができた。


 ネズミと犬が混じり合い、さらにハリネズミも加わっているかのような奇怪な獣だ。頭部から鬣のような毛が、鋭く伸びている。ドミニクは後退し、イヴンゲイルの戦いを鑑賞することにした。


 無造作に立っているイヴンゲイルが、彼の剣――多くの剣士は腰の左側に差しているが、彼は左利きなのか逆だ――の柄に手をかけた瞬間、空気が変わるのをドミニクは感じた。何か巨大な断片が、がっしりと嵌り、一枚岩のようになって聳え立っているかのような威圧感だ。


 彼と対面している魔獣もそれを感じ取ったらしく、喉を鳴らして威嚇を始めた。


 イヴンゲイルは奇妙なことに、剣を握ってはいるが、鞘から抜く様子がない。尋常であれば、戦意の喪失とも取れるが――ゲオルギーネからこの剣術について聞いた覚えがある。狼心流とも、サナム流とも違う。それは、鞘に納めたままの剣を抜き、即座に斬るための剣法。


 この〈抜剣術〉は戦乱の世において、戦場ではなく屋敷内で発達した。かの時代、諜報・暗殺もまた現在の太平の世とは比べ物にならぬほどに苛烈だった。隠密たちは名ある戦士や領主を、数多く彼らの領内で屠り去った。


 抜剣術は、奇襲・対奇襲用技能として、恐るべき速度で発展を見せ、その極みについてゲオルギーネは話してくれた。


   ■


 戦禍が幕を閉じ、ライナス公によってブライドワース将軍府が開かれたのちの時代。とある村で春先、枯れた桜の大樹が伐採されようとしていた。


 樵たちが斧を振るう寸前、一人の旅人がふらりとその場に現れた。


 どうせ切り倒すならば、試し斬りをさせて欲しいとその剣士は言うのだった。


 どういうつもりなのか、村人たちは不可解に思いつつ、興味本位で彼が剣を振るうのを見物することにした。


 だが、剣士は剣の柄に手を当てたまま、動こうとはせず、一陣の風が吹いたのち、彼は剣から手を放して、その場から立ち去った。


 余りに多くの見物者が集ったために、恐れを成したのだろうと思いながら、樵たちが作業を再開しようと大木に近づくと、奇妙なものが目に入った。


 先ほどまではなかった傷だ。桜の幹に、二つの真新しい傷が開いている。


 剣士がいた位置から見て、横一文字に走るものが一つ。正面に向かって、幹の左脇についた傷が一つ。


 いったい、あの剣士はこの二つの傷を、いつ、どのようにして付けたのか? 剣も抜かずに――そして、さらに驚くべき出来事が村人たちを唖然とさせる。


 なんと、枯れ果てたはずの桜が、彼らの見ている前で見る見るうちに蕾を膨らませ、あっという間に満開の花を咲かせたという。まるで、大木そのものが剣士の不可解な技量に対し、ひどく仰天・感服したかのように。


 その〈二傷桜〉は今でもその村に現存するという話だ――さすがにそれは、ホラ話だろうとドミニクは一蹴したが――


   ■


 イーネ親方が、そしてイヴンゲイル本人が残したかったもの。死者の体内に、未だに縫い留められているもの――なんと呼ぶべきだろうか。単純に戦意、と呼ぶのが一番近いのかもしれない。くすぶり続け、時折赤く光る火。


 ドミニクの目はその神速の一撃目を捉えた。一瞬で、イヴンゲイルは魔獣の横を通り抜け、同時に斬撃を加えた。


 そして――勇者の目をしても、次なる一撃は見えなかった――ただ、魔獣の肉体が、一撃目と交差するように、横一文字に斬り裂かれたという、結果のみがあるだけだった。


 あらかじめ、死を予見したイヴンゲイルが、旧知の親方に依頼したのだろうか。もしくは、たまたまこの地を訪れた流れ者だったのか。どちらにせよ、二人はある考えを共有した。この鱗ある剣士の戦意と技能を、彼の死を潜り抜けさせること。この先も、彼が立ちはだかる相手をすべて切り伏せること。


 イヴンゲイルが剣を納める音と、魔獣が倒れる音だけが静かに残響し、彼は物言わぬ、ただ立ち尽くすだけの死者に戻った。ドミニクが彼の目を見ても、青白いそれは、少年を見てはいない。しかし、確かにその内に、火が燃えているのをドミニクは感じた。

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