第四十五話 夕去の疾風
確約されていた庇護が水泡に帰し、さすがのドミニクも目覚めてから五分ほど横たわったまま呆然と天井を見つめていたが、気持ちを切り替えることにした。聖女といえど、弱さや我欲を持つ完璧とは程遠い存在。やはり、最後に頼れるのは己のみであると改めてドミニクは痛感した。この世界は、甘ったるくはない。だが、勇者として強い魂と肉体、高潔な人格を兼ね備えた自分ならば、此度の試練もきっと乗り越えることができる。
そもそもが神々やナナは、間接的にこのミラベリアに影響を及ぼす、いわば埒外の存在。強大な力の持ち主ではあっても、世界の住民とはずれが生じてしまう。では、この世界の民で、最も力を持つのは何者か。
無論、ペンブライドの長、総将軍だ。名目上、軍事貴族・騎士の棟梁として皇帝に任命される役職だが、もちろんそれは権威に理由を付けるための口実でしかなく、実際はミラベリアの最高権力者となっている。皇帝は帝都キャスリングにて、その権力を大きく削がれ、監視された上で玉座に就いている。
過去には明確に反逆の意志ありとして処刑された皇帝もいたし、そうでなくとも、皇帝家からは不自然に若くして病死する者が多数出ている。これは相応しからぬ者に対しダグローラが裁きを与えているなどとされているが、実際は将軍府側の呪術師の仕業だと実しやかに囁かれている。
現在の皇帝も表面上は将軍府と穏やかな関係を継続してはいるが、その内には間違いなく、総将軍への敵愾心が宿っているはずだ。では、もしも勇者が皇帝に自らを懐刀として用いるように働きかければどうか。これをきっかけとして、国家の実権を取り戻すべく、将軍府へ戦争を仕掛けるのではないか。
まずはその気概があるかどうか、皇帝を見極めなければならない。ドミニクは帝都へ赴くことを決意した。
さらに、勇者としての在り方についても少しばかり考えを改めることにした。本来ならば人々は、勇者を敬い、崇め奉るのが道理であるが、この世には道理というものを理解せず、捻じ曲げる愚民が予想を超えて多い。彼らは力を持つ者へ敬意を払うことなく、そのおこぼれだけを狙う、畜生以下の存在だ。このような邪魔者が集まらぬように、なるべく注目を浴びぬようにひっそりと行動しなくては。真に勇者の力になりたいと考えている義ある者は、それでも必ず自分のもとに参上し、助けになるはずだ。
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ドミニクはヤ=テ=ベオの所へ行き、出発すると告げた。彼は少しの路銀と携帯食料をくれた。はした金だったが、もらっておいて損はない。ヨハンナにも別れを言い、どこかこっそりと帝都の方へ抜けられる道はないかと聞いた。「こっそり」とはどういうことかと問われ、自分の熱狂的な支持者が悲しむので、気づかれないように、と答える。
すると、屍術士ギルドの奴らが実験場として使っている地下道があり、そこから西の方へ出られるという答えが返ってきた。もちろん通行には彼らの許可が必要だ。ドミニクはその足で、イーネ親方の所へ向かった。
屍術士ギルドは陥没した工場跡にあった。ドミニクは宿り木の力で空気を浄化しているからいいものの、そうでなくば、死臭と薬物の臭いで窒息してしまいそうになっただろう。革のマスクで顔全体を覆った医療者のような胡散臭い人々が、得体の知れない薬液で満たされた水槽に、つなぎ合わせた人体の全部や一部を放り込んでいる。火花を散らす大掛かりな装置や、化け物の入った檻など、奇怪なギミックばかりだ。死体漁りたちが、次々に運んでくるのは死にたての亡骸だ。
イーネもまた、マスクで顔を覆っていたが、ドミニクを見ると奥の部屋へ案内し、素顔を晒した。
ドミニクが、ここを出ること、地下道を使わせてもらいたいことを告げると、親方はこれを二つ返事で承諾し、もしよければ、自分の新作を連れて行って欲しいと頼んだ。口は利かないし、邪魔にはならないようにする。もし万が一、目障りなら、樹に変えてくれても構わない、とまで言うのだった。
その新作というのを見せて欲しい、とドミニクが頼むと、イーネが何かを連れてくる。
ベンシック――トカゲの頭を持つ男、その蘇った個体だ。〈夕去の疾風〉と親方はそいつを呼び、それは生前の名そのものらしかった。イヴンゲイルは本人の同意の上で、生きているころから何らかの措置を施し、死後の自我の損失をどうにか抑えようとした実験体だった。
ドミニクはイーネが言ったように、邪魔だと思ったら樹にするつもりで、彼が後から付いてくるに任せた。
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幅広で急角度な暗い階段を降り、問題の地下道へ降り立った。まだ脇道らしく、しばらく歩くと本筋に出たが、これが恐ろしく天井の高い、巨人の死体を蘇らせた場合でも想定していたのか、という代物だった。一応、魔法具の照明が点在しているが、消えていたり点滅したりと不安定だ。闇がまたたく中、物言わぬ死者を後ろに連れて、ドミニクはゆっくりと歩みを進めた。




