第四十一話 博徒のヨハンナ
むすっとした顔の悪漢たちを引き連れ、仮面の女は湿った溝の中を先導していく。ここは枯れた水路の支流の一つで、ネズミがちょろちょろと駆け抜けていく不衛生な場所だった。
「やはり好き勝手やってるみてえだな、ドミニク? スタンやオーマの危惧した通りだ。彼らはヘイゼルウィックからあんたが離れてくれて、心底喜んでたぜ」
「あの二人をご存じとは、あの地から来た方でしょうか?」
「私はずっとここに住んでてあそこにゃ行ったことねえよ、だけど別の私があそこに住んでてな、一応あんたがスタンピードを阻止してくれたわけで、その借りは返さなくちゃならねえ」
「別の私とは?」
「聖武具だ」振り返らずに仮面の女は言った。「ずっと昔にヨハンナ・フランケンシュタインっつう騎士がいた。そいつは相手の同意を得た上で、自我を〈株分け〉する力を持ってた。そいつぁとっくにくたばったが、今じゃあらゆる場所にヨハンナ・フランケンシュタインがいる。人間、エルフ、風生まれ、悪魔、魔人。騎士、物乞い、貴族、商人、悪魔狩り、冒険者。ここにいんのは博徒のヨハンナだ」
「その力を使えば」ドミニクが言った。「僕もあなたの一人になるということですか?」
「ヨハンナになれんのは女だけだ。あと勇者にゃたぶん効かねえ。本人が同意したらいける可能性はあるから、一度試してみてえとは思ってる。まあ今はそれよか、あんたもご存じのあいつ、ゲオルギーネ・タンホイザーを私にしてえが」
「なるほど、いい戦力にはなりそうですね。今は悪魔狩りの技にご執着のようですが」
「いいや、もうギデオンを追っかけんのは止めてる。今は悪魔を探してケンカを吹っ掛ける腹だ」
悪魔。なぜそんなことを? そう思っていると、ヨハンナはあの隻腕の剣客を追跡しているらしい自分からの情報を話してくれた。どうやらギデオン・ロシュフォールはしつこいゲオルギーネに対し、一つの助言をしたらしい。
悪魔狩りは己の剣術を余人には決して見せない。ならば、他の見本を求めた方が早いと。狩る側ではなく狩られる側を。
〈斬鬼法〉は悪魔を倒すための剣。ならば、その獲物を観察すれば何が必要か、見えてくるのではないか、と。極めて危険な助言だが、ゲオルギーネはこれを真に受けて、悪魔狩りの力を自ら作り出すつもりのようだった。ドミニクとしてはその探求に意義を見出せないが、元気でやってるなら結構なことだ。
「あと、あんたが興味を持ちそうな話として、ブランガルド以外にも聖女が確認された。ま、自分でそう名乗っているだけだがな。聖女と勇者って奴の違いがよく分からねえんだが、どうなんだ?」
ドミニクとしてもあまり知らないが、自信をもって回答する。
「聖女はそれ自体が強大な力を持っていますが、相応しい勇者と共鳴関係にあると言っていいでしょう。相応しい聖女が助力することで、勇者はその真の力を発揮できるのです。しかし、未だに聖女も勇者も片割れのみしかいません。アウルスとミラベルのような、完成形に至った者たちは皆無、もっとも僕がその先駆けとなるのですが」
「ほう、あんたは自分の聖女の目星がついてるってことかい? 真の力とやらで、何をするつもりなんだ、ドミニク? 覇者となるのか?」
なんとも的外れなコメントだった。覇者など、つまるところ激務、最下層の冒険者と同じく、使いつぶされるためのコマにすぎないというのに。世界を救ったのちに姿を消したというアウルス、ミラベルに皇位を譲ったデレクは実によく現実を分かっている。それこそが真の賢者だ。
「それより目的の賭場というのはまだ着かないのでしょうか。少しは衛生的だといいのですが」
「もちろんさ、もうすぐだ」
干上がった川底に、取り残された戦艦が見えてきた。錆びついた鉄塊に過ぎないそれは、今や博徒たちでにぎわっている。人々はじろじろとドミニクを凝視する。すでに勇者だということは知れ渡っているのだろう。実に素晴らしい。民草の間での認知度をもっと高めていけば、支援を申し出るしかるべき援助者が現れることだろう。
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ドミニクは奥まった部屋に通された。鉄火場では誰もが熱に浮かされ、酒を呷りながらサイコロ賭博に夢中だ。六の目ばかりが出ることを保証されている自分に比べ、運などという曖昧なものに左右される彼らの人生。哀れなことだ。
元締めは、中年といった年頃のエルフだった、もちろんエルフは人間の半分ほどの早さでしか歳を取らないので、かなりの高齢であることは間違いない。彼は〈ヤ=テ=ベオ〉と名乗った。
「初めまして、ドミニク・フリードマンよ。さっそくだが、君の目的を教えてくれるか? わたしにはこの一帯を取り仕切る、管理者としての責任があるのだ」
思ったよりも柔和な口調で彼は質問した。もちろん、恫喝などが意味をなさないことを既に知っているのだろう。
「上が騒がしいので静かに過ごせる場所を探しているだけですよ」
「そうか、だがな、ここは上よりもよっぽど騒がしいぞ。まあ、君に手を出そうとする愚か者はそう多くないし、いたならばその力で樹にしてくれても、こちらとしては一向に構わん。手の早い馬鹿なぞ消えて然るべきだ。さて、お近づきのしるしにちょっとした料理を用意した」
「もちろんそうでしょうね、言っておきますが毒など入れても僕には通用しませんよ。前に眠り薬を仕込んで、僕を食べようとした悪魔がいました。それも失敗に終わり、逆に悪魔狩りに自分が狩られる羽目になりましたが」
ヤ=テ=ベオは冷静な態度を崩さず、やんわりと否定する。
「わたしはそれほど愚かではないさ! ただの、勇者への礼儀ってやつだ。こちらとの友好の証としての」
胡散臭い男だが友好的ではあるようで、当面の食事と寝床は確保できそうだ。もちろんドミニクの辞書に一宿一飯の恩などという言葉はない。常にもてなされて当然と信じ込んでいる。そんな彼でも、この賭場の渡世人たちは歓迎することにそれなりのメリットもありそうだと考えているようだ。少なくとも周囲の空気は清潔になるし、勇者と友誼を結んだと言えば箔は付くというわけだろう。
もてなしの料理は、ドミニクとしては可もなく不可もなく、といった味わいだった。当然礼の一つも言わない。
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翌日、ドミニクが周囲をうろつきに出ると、ヨハンナがついて来た。監視役兼、昨日のように絡んでくる奴らへの圧力のためだった。
「ここいらに辻斬りが出るという話でしたが」
「ああ、もうちっと先だけどな。既に三人殺られてる」
「あなた方は手を下さないのですか?」
「こっちの構成員に被害は出てねえからな。自警団の仕事だ、もっとも奴らもまだ動いちゃいねえが」
「それは怠慢では?」
「住民に、自分たちがどれほど重要な存在か教え込むための見せしめだろうさ。現ナマを包んで行きゃ即日動いてくれっかもな。下手すりゃ奴らの自作自演ってこともあり得る。どっちにしても、殺しなんざ日常茶飯事だ、異常者の見本市だよここは」
ならばなぜ、こんな場所にいるのだろうか。興味本位で覗きに来たドミニクと違い、永住するなど。
「ここいらの住民は皆行き場がねえのさ、上で生きらんねえ奴らばっかだよ。それに薄汚ねえ格好で上へ行ったら、騎士どもにとっ捕まっちまう、浮浪罪かなんかでさ。賄賂を贈るのもままならねえ。あんたみたくすげえ力でもねえ限り、ここで死ぬってわけさ、例えばあんな具合に……」
ヨハンナが示した先では、死にたてと思しき老人が横たわり、さっそく死体漁りたちが身ぐるみを剥いでいる。ドミニクは無造作に、彼らに話しかけた。




