第三十三話 半分の月
翌朝、ドミニクが何者かの気配で目を覚ますと室内に見知らぬ人物が立っていた。痩せぎすで長身の、薄汚れた男だ。フード付きのボロいローブを着ており、深くフードを被っている。手には新聞紙を柄の先端に巻いたモップ。すわ押し込み強盗か、それにしてはただ突っ立っているだけで、金銭を要求したり、縛り上げたりはしないようだ。もとより、どうせ侵入者がいても自分が傷つくことはないと鍵をかけずに就寝した結果がこれか。
ドミニクはソファの上で体を起こし、その人物を見た。
「あんたが、勇者か? 俺は困ってる、なんとかしちゃくれねえか?」
ブライドワース訛りで男は言った。ドミニクはしばし彼をじっと見つめる。
「なあ、どうなんだよ? 勇者じゃねえのか? このアパートに勇者がいるっつうんで、助けてもらおうと思って来たんだけどよ」
この男もバルトロメアと同様に、自分では大した努力もせずに人様の助力を当てにするタイプの輩か。ドミニクは深くため息を吐いた。
「まず名乗ってもらえますか、あなた」
「ああ、そうだな。俺は〈ハーフムーン〉って呼ばれてんだ、前に〈ムーン〉って呼ばれてた奴がいて、俺はそいつにツラが似ちゃいるが背は半分くらいなんでハーフムーンだってさ」
どうにもおかしな回答だった、この男もかなり背が高く、その倍ということは、昨日会ったマウザーのようなオークでない限りあり得ない。いや、そのムーンという人物はオークなのか? しかし、ハーフムーンは別にオークに似ていない。もっとはっきり顔を見ようと、ドミニクは男にフードを取るように言った。
彼がそうした。ハーフムーンはエルフだったが、これまでにドミニクが遭遇してきた者達とは違い、偉ぶったり堅苦しい雰囲気は感じなかった。その代わり、この都市で何人も見てきた、あまり希望を抱けない労働者や、さもなくば物乞いと似通った無気力さを感じた。
「何を困っているのですか」
「俺は冒険者になりてえんだけど、なり方が分からねえんだ。武器もこしらえたってのに」
彼がモップの先の新聞紙を外すと、そこには針金で錆びた包丁が固定されていた。どうやら手製の槍らしい。
「あなたはエルフなのに魔法は使わないのですか」
「エルフがみんな戦闘魔導士だと思ってんのか? そいつに向かねえ野郎だって大勢いるんだぜ、俺みてえにな」
「まあ冒険者といっても、戦闘を必ずしもこなす必要はありませんが。しかし、なり方が分からないというのはどういうことでしょうか。ギルドへ行けばいいだけの話ではありませんか。そこで熟睡している彼女も、つい昨日なったばかりですよ。頭がおかしくなって教会に乱入するような悪党ですが、それでも片手落ちといえど依頼をこなしたのです。あなただって今すぐにでもなれるでしょう」
ハーフムーンはしばらく困ったように沈黙して、
「ギルドには行った、だけどよ、受付に行こうとすると足が動かなくなっちまうんだ。どうにも気力が削がれてな」
いったい何を言っているのか? ドミニクは顔を顰める。
「いや、分かってるって、てめえが妙なことをほざいてるってのは。お袋にも兄貴にも説教されたよ、やる気が本当にあんのか、ってな。俺はもちろんあるつもりだけどさ、実際はねえのかも知れねえな。それで、やる気ってのを出すにはどうすりゃいいのか、あんたに教えてもらおうと思ってよ」
ドミニクは付き合いきれない、という風に、
「とりあえず、いったん頭を落ち着かせないと良いアイデアも出てきません。ここで何時間か眠るべきです。寝具はいっぱいなので、床で」
「ああ……寝る、か。そいつぁ、気づかなかったぜ、すげえな、あんた。さすが勇者だ」
さすが勇者、などと言われる機会はあまりなかったので、ドミニクは気を良くして、カーテンを外して布団替わりにする許可を出した。
ひとまずハーフムーンを黙らせたが、ドミニクは天井を見つめて思案する――なぜ自分の周りにはろくでもない人々ばかりが存在するのか。これまでに出会ってきた人々は自分を勇者と認めず、小言ばかり言う人々だった。崇高・神聖とされていたセラ司教も偽物の悪魔でこちらを食べようと画策していたし、どこぞの隠密だの殺し屋だのもウロチョロしている。自分を利用しようとしたヘイゼルウィックの騎士やクロフォード。そしてバルトロメアやハーフムーン、ヨナタン、その他の貧しい労働者、落伍者、無宿人。
少しばかり考えて結論が出た。この世界は、そういったどうしようもない人々で埋め尽くされているのだ。
恐らく、今日のように世界に魔物と瘴気が増加する以前に、邪神が前段階として人々の心を少しずつ荒廃させていったのだ。その準備期間が完了したか、直接的な滅びが達成されずに業を煮やしたかで、穢れが増え始めたのだ。
これはいよいよもって、勇者である自分が一肌脱がねばならない。ハーフムーンを冒険者にし、バルトロメアとともに可能な限り実戦に当たらせることで精神を鍛えよう。無論雑魚相手と言えど脆弱な二人では危険だし、死傷する恐れもあるが、それを過度に忌避していては始まらないし、自分が殺すわけでもないので別に構わないだろう。
しばらくして、ヨナタンが仕事を終えていつも通り疲れた顔で帰宅し、見知らぬ男が床でカーテンにくるまって寝ているのを見て絶句した。
「ドミニク……こいつは誰だ。また連れ込んだのか?」
「誤解されているようですが、彼は僕が連れてきたのではありません。勝手に部屋に入り込んでいたのです」
「本当か? なら、どうして追い出さないんだ」
「彼は落伍者ですが、完全な悪党ではありません。更生するためのきっかけを、勇者である僕が与えなくてはいけません、自分で働けるようにしなくては」
「何だって? 君は労働には反対の立場じゃあなかったのか?」
「バルトロメアにも言いましたが、少しの毒は薬になるのです。それに彼も、邪神によって作られた被害者なのです。ナナ様のためにも、僕がどうにかしなければなりません」
邪神がどうしたとか、ナナとは誰か、とか問いただす気力もなかった。ドミニクは調子のいいことを言ってはいるが、どうせ大したことはしないのだろう。そう思いながらヨナタンは、見知らぬエルフから少し離れた場所で壁にもたれかかって座り、すぐに眠ってしまった。




