第二十四話 大輪の花
「いかにも、その通りです。〈宿り木〉はいかなる相手も樹に変え、またこの僕へのいかなる攻撃をも無効化する最強の魔剣。すべての人民がひれ伏し、賛美し、心酔するにふさわしい勇者の武器であります。その際の作法として、まず頭を地面に擦り付けて畏敬を新たにするところから――」
「分かった分かった、本当なんだな? ちょいとお前、仕事を頼まれちゃくれねえか? やっかいな害虫が――」
クロフォードが「仕事」という単語を口にした瞬間、疾風のごとき俊敏さでドミニクはその場から消失していた。あまりの凄まじい速度で、二人の騎士の強化された動体視力と言えど、捉えることは叶わなかった。
害悪たる労働から逃れ、ドミニクは再び散策に戻る。進む道の幅は、急激に狭くなっていった。人一人がようやく通れる広さから、小柄で痩躯な少年が横向きになって進まなければならないほどに狭まり、路地というより隙間といった様相を呈してきた。
表通りの喧騒は、ほとんどもう聞こえない。どこかで猫が喧嘩している声がする。それが静まった頃、誰かの話し声が聞こえてきた。ドミニクの正面にある壁の向こうにいて、密談をしているらしい。しわがれた声の男と、甲高い声の、部下らしきもう一人。
「……問題は無いな? ブツは間違いなく、正午には届くんだろうな?」
「へえ、大丈夫です。あのエルフ野郎とは〈誓約〉を結んでやすから」
「〈錆色金貨〉の奴らは、おれたちみてえなはぐれ者にゃあ吹っ掛けてくっからな、ここからが勝負だぜ……」
「おっと、兄貴、すいやせん、〈探知〉をかけるのを忘れてやした!」
「馬鹿野郎、とっととしねえか! 騎士どもに聞かれでもしたらコトだ」
部下が周囲に魔術を使うが、ドミニクに対しては〈宿り木〉の力で打ち消される。そのことを使用者は気づかず、何もなかったのだと誤解する。悪党の部下も安堵したような声で、
「問題ありやせん、野良猫が何匹かいるくらいで」
「その猫ってのも魔女の使い魔か、誰かが化けてる奴じゃねえだろうな。まあそんな奴らは、おれらみてえなのに構ってるほど暇じゃねえか。よし、場所は〈マルグレーテの滝〉の店で間違いねえんだな」
「へえ、旅商に化けて来るそうで」
「エルフは堅苦しいくせに、時間にゃあルーズだかんな、正午きっかりにゃあ来ねえだろう……ろくでもねえ奴らめ」
ドミニクは放っておこうかとも思ったが、気まぐれに通報してみようと思った。自分に仕事を依頼するなどという蛮行に出たあの騎士。恐らくあののんびりとした様子では、下から魔物が飛んでくることなどそう無いのだろう。自らに課せられた任務をこちらに押し付けようとした点からも、悪質なサボり癖があるのは間違いない。彼にもこの都市を守るために動いてもらわなければ。
ドミニクはそのまま、来た道を戻っていった。
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再び、間隙の大穴の淵にある監視所へ到達し、ヘリュが「また来たのか? そんなにこの穴に魅せられたというのか?」と呆れていたが、無視してドミニクはクロフォードの所へ行き、悪党が何かを密輸していること、正午に〈錆色金貨〉なる団体のエルフから〈マルグレーテの滝〉の店で品物を受け取ること、エルフは旅商に化けていることを報告し、エルフは時間にルーズなので時間きっかりに踏み込まず様子を見るべきだと付け加えた。
「そうじゃ、あやつらは何世紀経とうが時間通りに行動するということを覚えぬ。東国の商人の爪の垢を煎じて飲ませたいくらいじゃ」
ヘリュがぶつぶつと言っているが、それを無視してクロフォードはドミニクに尋ねる。
「ドミニク、それは間違いのない話か? 聞き違いなどじゃなくて」
「無論です。間違いなくこの耳でしかと聞き届けました。早く手配をしてください。それとも、あなたが単独で制圧するのですか?」
「あいにくオレは勇者じゃないんでね、仲間を向かわせよう」
クロフォードが別の詰め所に連絡している間、ドミニクはヘリュに〈錆色金貨〉について聞いた。
盗賊の寄り合い――本人たちは同業組合と称しているが――の一つらしい。この大都市フェイチェスターにはいくつかの盗賊団があり、各階層・各区画で縄張りが決められている。〈錆色金貨〉は主に、市場を有する階層で、密輸や、禁制品の販売を行う闇市場の運営をしているらしい。
「そのような悪党どもを、なぜ野放しにしておくのですか」
「一網打尽にしても新たな盗賊どもがその空白に舞い戻って来るゆえ、ある程度制御のきく奴らを監視下に置き、出過ぎた真似をした場合にのみ取り締まる、そのような風潮が、長い間この都市には蔓延っておる。さらに上層部には、盗賊どもの頭たちと繋がっている者が潜んでいるという話じゃ。つまり、野放しにはしておらんが、いろいろと厄介なので強く取り締まるわけではない、ということじゃ」
「すなわち汚職ではないですか。秩序を守る騎士団が盗賊団と癒着するとは、世も末ですね」
そこにクロフォードが戻ってきて、ドミニクの通報に従い、正午に実働部隊が密輸人を捕縛するように手配したと告げた。そして、これからどうするのか、と尋ねる。
「そうですね、ヘリュさんに教わった通り、この地区の教会で街の歴史を学びたく思います」
「ならオレが案内してやろうじゃねえか。既に体験したと思うが、ここの道は複雑だ。そう遠くはねえが、オレがいれば安心だろ」
ドミニクはこれを承諾し、クロフォードに先導されて歩き始めた。
相変わらず街は無秩序に立ちはだかる。設計図なんて一度も使われたこともないかのように、ドアの横がぶち抜かれて入り口になっていたり、途中で途切れた石橋に吊り橋がかかっていたり。しかし、ドミニクもどうも妙だと思い始めた。行く道はどんどん、暗く、湿っていく。悪臭の漂う下水道のような所に入り込み、ずっと無言だったクロフォードに質問する。
「クロフォード、僕はきれい好きなもので、このような場所にはあまり足を踏み入れたくないのですが、教会へたどり着くためには、絶対に通らなければならないのですか」
ゆっくりと振り返って、騎士は頷き、
「ああ、確かにここが最短だけど、そう言うならばちょいと遠回りだが、清潔な道を進もうじゃないか……」
そうしてドミニクの脇を抜け、戻りかけて彼は何かを薄暗い下水道の奥へ投擲した。それは光を放ち、ドミニクは目を細める。照らし出されたのは、大きな芋虫のような、醜悪な魔物だった。
「悪いなドミニク、今のであの膨れ蟲がこっちに来る。奴と戦ってもらうぜ、何、お手の者だろう」
そう言いながら退避するクロフォードを横目に、ドミニクは〈宿り木〉を抜いた。
恐ろしく臭う粘液を振りまきながら、蟲は少年へ向かって突進して来る。もちろん、その飛沫は魔剣によって浄化され、ただの水に代わるが、それでもドミニクは視覚的な嫌悪でうんざりとする。程なくして蟲は、大量の木の葉に変化させられ、汚水とともに奥へ流れていった。
クロフォードの狙い通りあっさりと勝利したドミニクが通路から出ると、彼が待っていた。
「やってくれましたね、僕を利用するとは」
「そうさ、お前を利用した。臭えところで臭え魔物なんざとやり合うのは御免だからな。街中だろうと間隙の傍にはたまにこうして厄介なのが湧くのさ、頭の使いどころだ。謝礼はくれてやる、何か文句でもあるかい?」
「……いえ。教会への道は教えていただけるんですね?」
「ああ、もちろんさ、勇者よ」
「なら結構、さっきはあなたを朽ち木にでも変えようかと思いましたが、考えてみれば大した手間でもなく、街のためにもなる英雄的な人助け。僕にはふさわしいでしょう」
「そうさ、大助かりだよ」
しかし、意に反して不衛生な場所へ引きずり込んだツケは払ってもらいます、とドミニクは声に出さずに囁いた。
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それからクロフォードは詰め所に戻ったが、ヘリュは大いに戸惑った。すさまじい悪臭が彼を包んでいたからである。発生源はその腕に咲いた、大輪の赤い花だった。死肉の腐ったような臭いに大量の蠅が飛び交い、すれ違った誰もが吐き気を催すほどで、一時間で花は消え去ったが、染みついたその臭いは依然、数日に渡って彼と周囲の人々を苛み続けたのである。




