第二十二話 侵入
冒険者ヨナタンは朝の涼しい空気の中を歩いている。夜通しドブ掃除をして、衣服もブーツも顔も泥に塗れた状態だ。早いとこ一風呂浴びてさっぱりし、ベッドに倒れこみたい気分だった。
冒険者の仕事は楽じゃない。大した学もコネもなく、さらに卓抜した戦闘能力なんかもないので、都市の外や〈間隙〉に飛び込むことも叶わない。そういう多くの冒険者は、清掃や害獣駆除、使い走りなんかで日銭を稼ぐだけだ。
上級の冒険者や騎士になるなんてのは夢のまた夢、強力な魔法具かなにか、いいとっかかりがなければ、延々今の生活が続くだろう。体でも壊せばどうなることか。
そんなぼんやりとした不安を抱えて彼が歩くのは、フェイチェスター、キーラン地区第十五階層三番街、特にこれといって特色のない場所だ。彼にとっては見慣れたこの街を、しかし興味深くじっと見つめる少年に、その朝遭遇した。
歳はまだかなり若そうだ、十代半ばといったところか。濃い茶色の髪と両目をした、小柄な少年だ。ずっと向こう、隣の四番街の、壁のように立ち並ぶ建造物を見ているようだ。
ヨナタンが彼の後ろを通り過ぎようとしたところで、少年は突然振り返り、言った。
「お兄さん、この街は――汚いですね」じっとこの冒険者を見つめて、「いえ、この街じゃなく、あなたの格好が。泥遊びでもしていたのでしょうか」
「ああ、それは……分かってるさ、そうだな。オレもこの街も、汚い。オレのはドブ掃除で、この街は、多くの住民のせいでな」
足を止めてヨナタンは彼の言葉に答えていた。無視を決め込んでも良かったが、なぜか気づいたらそうしていた。発言の失礼さに反して、少年の周囲の空気が澄んでいたからだろうか、木漏れ日の差し込む青々とした森のように。
「この街はとてつもなく巨大ですね、こんな場所は初めて見た。これは長い時間をかけて作られたのでしょうか? それとも旧文明の時代に形成されたものですか?」
「両方だ。最初からあった都市に多くの人々が移住し、さらにでかくしたもんだ」
「この地区もそうなのですね? これほどのサイズの橋なんて」
二人が今いる三番街は、それ自体が巨大な一つの橋の上に存在している。都市は橋の下にも、その上にも、向こう側にもずっと続いている。
「ここの馬鹿でかいサイズはまあ、住んでりゃそう気にはならないさ、一区画にだいたいは揃ってる、なにしろ大公領だ、そこいらの村とは違うってわけさ。ところで、君は外から来たのか? その年齢で、一人旅をしているってわけかな」
「はい、昨日の夜に到着したばかりです。そこの路地裏で寝て、先ほど目覚めました。野宿もきらいではありませんが、やはりきちんとした寝床が一番ですね」
「まあ、誰だって石床の上では寝たくないもんな」
「いえ、石床ではなく藁を敷き詰めて寝たのですが。それでも安宿の薄い布団にも劣る寝心地でした。あなたの住まいはもっとましだといいのですが」
「一応ベッドはあるからな、藁よりはましだろう」
「それは良かった。なら今日は安心して眠れそうですね」
何か違和感のあるやり取りだった。ヨナタンは疲れた頭で少し考えて、もしやこの少年は、自分の家に宿泊するつもりなのだろうか、と疑問に思った。いや、初対面でそこまで図々しいことを言うはずがないだろう。こちらを案じての台詞のはずだ。オレの疲れた顔と汚れた姿、それを見てゆっくりと休めることを望んだ、心優しい少年。そのはずだ。
「じゃあ、そういうことでな」
「はい、そういうことで」
ヨナタンが歩き出すと、後ろから少年が付いてきた。
やはり、そういうつもりなのか? いいや、行き先が一緒なだけだ。そう自分に言い聞かせ、ヨナタンはただ歩いた。
大通りを外れ、細い錆びた橋を渡り、一棟の大きな古びた建物、安い集合住宅へ入り込む。子供の泣き声とか、口論する男女の声とか、犬猫の鳴き声なんかがだだ洩れの住環境。バナナの皮とか酒瓶とかが放置され、踊り場で酔っ払いがいびきをかく階段を上って、ヨナタンは自室に入る。当然かのように、少年も同時に入って来た。
「なあ、なぜここにいるのかな?」
「……確かに、いつかは僕ら全員が向き合わなければならない疑問ですね。我らはなぜ生まれたのか。神々の思し召し、と一言に片づけてしまうこともできましょうが、それはきっと我々が、人生をかけて答えを出すべき問いなのでしょう」
頷きながら深淵たる哲学に思いを馳せる少年。ヨナタンは深呼吸し、玄関に立つ少年に立ち塞がるようにして語り掛ける。
「あのさ、オレは君をうちに泊めるだなんて一言も言っていないんだ」
「そうでしたか? まあ言わずもがな、ですから」
「そう、言わずもがな、だ。見ず知らずの他者を家にいきなり泊めようだなんて――」
「確かに、相手が悪党でないという保証もありませんからね。用心するにこしたことはないでしょう、僕もこの部屋に妙なのが転がり込んできては、安心できませんからね。ゆめゆめ注意を怠らぬようお願いします」
そう言いながら少年は、自然な挙動でヨナタンの脇をすり抜け、室内へと侵入した。




