第二話 信念
「馬鹿なことを言うな、このムカつく小僧が勇者などあってはならん」
「いや……姉御、もしドミニクの剣が〈宿り木〉なら、ここまで来たことについても説明がつきます、瘴気を浄化し、襲い掛かる魔物をこうして樹にしちまったんなら。この力は大いにヘイゼルウィックの役に立つはずです。なあドミニク、お前はこんなところで壁を見てねえで、冒険者になれよ。お前ならすぐに名を上げて、大金を稼げる。騎士に叙せられるのだって遠くねえ」
それを聞いてオーマは呻いた――この小僧が自分と同じ騎士に? グレートヘルムの内側ではさぞ嫌な顔をしていることだろうが、ドミニクもまた初めて無表情を崩し、あからさまに嫌悪の表情を浮かべた。
「どうしたってんだい? やっぱり騎士が嫌いなのか、ドミニク?」
「いや、別に騎士は嫌いではありません。僕が嫌いなのは労働です。この世の悪夢、墓場、地獄」
「貴様は何を言っているんだ……?」オーマの言葉に、苛立ちよりも困惑が増した。「働いて金を得るのは当然だろう? 私のような騎士はお館様より扶持を、フィリップら冒険者は依頼者から報酬を。それがこの世の――」
「誰かが勝手に決めたことではありませんか。それに従うのは僕の自由が許さない、それだけの話なのです」
「もしかして貴様は馬鹿なのか? 頭が痛くなってきたぞ……」
「姉御、とにかく一旦帰還しましょうや。なあドミニク、このすばらしき壁に関しては、いっぺんに味わうのではなく、小分けにするのもまた粋じゃねえかとオレは思うぜ」
「フィリップ、貴様も何を言っているんだ……?」
ドミニクは壁から目を離し、無言でフィリップを見やる。興味を引けたらしいと手ごたえを覚え、たたみかける。
「つまりここで七時間見ちまったら、もうある程度『十分』ってなっちまうだろ? だけどここで後ろ髪を引かれながら中断すりゃ、壁への渇望が増し、次に見たときの満足度も増すってものじゃねえか。自分をちょいとばかし焦らすってわけさ。どうだよ?」
しばし考えた後にドミニクが頷いたとき、フィリップはちょっとした強敵の魔物を打ち倒したくらいの達成感を覚えていたが、オーマはただため息ばかりを吐いてろくに口を利きはしなかった。
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ドミニクを連れて歩きながらの道中、妙に空気が澄んでいることに二人は気づいた。〈宿り木〉の力だ。やはりこの魔剣は騎士の持つ聖武具と同じく、瘴気を浄化する力があるらしく、オーマの聖剣と重複して清浄化を行っているようだった。そのような魔剣は稀に存在するが、数は絶対的に少なく、極めて重宝される。
また、魔物との遭遇もなかった。もしかすると、魔物たちを退ける効果もあるのかもしれない――上級騎士の持つ、強力な聖武具の中にはそういった効果を発揮するものもあるが、ただの少年の持つ、木の枝のような魔剣には不釣合いな効果だ。
フィリップは〈宿り木〉をどこで手に入れたのかと尋ねた。もしかするとフリードマン家に伝わる、祖先伝来の秘宝かも知れないと思ってのことだったが、ドミニクはこともなげに、そこらのドブで拾ったと答えた。
やがて石造りの回廊の果て、広大なバルコニーにたどり着いた。そこからはヘイゼルウィックの居住地が一望できる。無数の尖塔を束ねたような、ひとつの巨大な棟だ。
「ここはもう聖岩の結界内だ、一安心といったところだな。もっとも貴様のような得体の知れぬ小僧を街に入れると思えばそうでもないが。貴様はどこから来たのだ?」
高圧的に聞いたオーマに対し、ドミニクは彼女を見ずに答える。「ブライドワースの方です」
ブライドワース。将軍府の本拠地が置かれる、ミラベリアの首都と言うべき大都市だ。
「ふん、上様のお膝元に、貴様のようなやつが生れ落ちるとはな、貴様は貴族家の生まれか? フリードマンなどという家は聞いたこともないな」
姓を持つからといって貴族とは限らない。農民であっても勝手に名乗り、黙認されているというケースも多々あるからだ。しかし、少年の不遜な態度は世間知らずな、貴族のドラ息子のそれに思えた。
「まあそれは、ごく外様の小さな家ですからね」
「それで? そのフリードマン家のせがれが、こんなところで何をしている? 騎士でも冒険者でもないと貴様は言っていたが」
「不可解な出来事の結果、不本意ながら流れ着いたのです」
ヘイゼルウィックへ渡る橋の上、ドミニクはぼそぼそとこれまでの経緯を語った。
彼は六人兄弟の末子で、学び舎を出てから実家に居つき、読書、散歩、釣り、遠乗りなどをして悠々と過ごしていた。あるとき、彼の両親が「いつまで家でぶらぶらしているつもりか」と尋ねたところ、ドミニクは自信満々に「一生涯部屋住み宣言」を行った――これに対し両親は激怒、彼を叩き出したとのことだった。
「何だそれは、しょうもない顛末ではないか」呆れるオーマにドミニクは、
「不可解というのは、そのときの両親の態度です。僕の堂々たる態度に対し『感動だ!』と賛美した癖に、食事を出さず家から閉め出すという理不尽な行動に出たのです」
「感動……カンドウ……それって勘当したってことじゃねえのか?」フィリップがそう問うと、
「そうです、感動したと何度も言うわりに、お前はうちの子ではないなどと非道なことを。なぜ僕にこれほどの責め苦を与えるのか」
「責め苦を与えられているのは貴様のご両親のほうだと思うが……まあ馬鹿息子にはふさわしい末路だな。それで行くあてもなくふらふらしていたわけか」
それにしては――と、フィリップは改めてドミニクを見て思う、彼の服は無宿人とは思えぬほどに清潔で、むしろ森林の中のような爽やかな香りすら纏っている。それを尋ねると、
「ああ、僕はきれい好きなもので。〈洗浄〉の術で頻繁に身を清めているからです」
「食事はどうしてんだ?」
「そこらに生っている木の実を食べて飢えを凌いでいました」
彼は鞄から果実をひとつ取り出して見せた。それは、金色に輝く林檎だった。
「なんだこれは……妙な魔力を感じるな。どこで手に入れたのだ?」
「そこらじゅうに生っていましたよ」
「そんなはずがなかろう。まさか、これも〈宿り木〉の力か? なぜ神々はこのような怠惰な小僧に救いを差し伸べるのだ」
オーマが嘆くように言うと、ドミニクは当然のごとく、
「それは僕が、何者にもとらわれず自由に生きる者だからです」