第十五話 連行
「二十年? 子供の頃に出奔したのですか?」
「いいや、成人してからだよ。若さを維持してるのは我が聖武具のおかげさ。肉体を全盛期の状態で留めておいて、延々修行を続けられる。だがアンサラーもだ、あいつは、吸血鬼の風生まれだからな……」
吸血鬼――地方によっては魔物と見なされる、血を摂取する不老の存在である。月神エルズの姉である、夜の女神シュカに祝福を受けたと本人たちは自称するが、昼間はほぼ活動できず、日光をまともに浴びれば灰と化す呪いのような特性を持つ。だが、その力は強大で、瘴気に対する耐性も兼ね備えている。オークや魔人とともに、西の地で魔物を食い止める過酷な使命を全うしているが、時折流れ者や追放者が東へ流れてくることもある。
〈風生まれ〉は世界中に点在する、子供の姿から成長しない種族だ。独自の領地を持つでもなく、そこらじゅうを彷徨っている。この種族において、アンサラーのような剣客はかなり珍しい。彼らは気まぐれで、何かひとつのことに集中・執着することが難しいからだ。吸血鬼として長すぎる時を生きたがために、剣の道を追求するようになったのだろうか。
それにしても、何十年も鍛錬を続けることに意味があるのだろうか、とドミニクは思った。どこかその辺で切り上げてもいいようなものだが。恐らくゲオルギーネにとって、そしてまだ見ぬアンサラーにとっても、強くなり続けることが半ば手段ではなく目的もしくは自然な習慣と化しているのだろう。だが自分は努力もせずに手にした力を持ち、それを考えるとどうしても彼女やアンサラー、他の剣客が身を置く修行が無意味に思えてならない。卓抜したゲオルギーネの剣術も、二十年もかけてこの程度か、という感想が浮かんでくる。
しかし、さすがにその考えは無礼だろうと思って口にはしないことに決め、そんな自分の配慮を、内心ドミニクは強く自賛した。まさに勇者に相応しい美徳。誰もが寝床や食事、金銭を提供して当然の好漢であることは疑いようもない。
二人が食事を終えて、食後の茶を飲んでいると、表から悲鳴が聞こえた。
「ヤバいぞ、魔獣だ! 戦える者は手を化してくれ!」
そんな呼びかけを聞いて、すぐにゲオルギーネが表へ飛び出して行った。ドミニクものんびりと店を出るが、彼女は参戦することなく、剣すら抜かずに茶店のそばで戦いを眺めていた。
「行かないのですか?」
「ああ、ありゃ大したことねえ、あたしは強者以外と戦うつもりはねえからな、森のリビングアーマーくらいじゃねえと」
街道に乱入したのは数匹の巨大な虎だった。十分に強大に見えるが、厳密には魔物には分類されない、瘴気で変化した野生動物のたぐいだ。体内に魔石は形成されていないし、魔術を使うこともない、キャラバンの護衛で十分に対処できるだろう、とゲオルギーネが言った。
その通り、多少負傷者は出たものの、虎どもは護衛たちによって程なくして討伐された。
「まああんな感じだな、面白い見世物でもなかった……ん?」
立ち往生する車列を抜けて、白銀の鎧を纏った、白い鱗馬に跨った騎士たちが姿を現した。
「ソラーリオの聖騎士どもか……今頃出てきやがって、死体の浄化とか治癒で隊商からふんだくるつもりだな。ボロい商売さ」
二人は店の中に戻った、ドミニクは聖騎士たちについて尋ねる。
「ああ、あいつらはアンデッドと戦ったり悪霊を祓ったり、色々やってる遠征騎士さ。ただお代は箆棒に高いけどね。あとは異端審問かな、黒犬どもに比べればまだお優しいけど、下手なことを言わねえのが吉さ」
冒険者と違い、聖棘を有し、高度な教育と鍛錬を受けた騎士団は比類なく強力だ。いかにも戦闘狂らしいゲオルギーネも、騎士たちが茶店に入ってくるなり、借りてきた猫のように大人しくなった。ドミニクがそんな彼女にやや失望する中、騎士の隊長らしいものが、店主にこの付近で変わったことはないかと尋ね、その答えを聞く前に、石床に不自然に生えている樹に気づき、凝視した。
「ご亭主、これはなんだ。魔術的に作られた観葉植物かね?」
「へ、へえ、それはそちらの……」
店主がドミニクの方をちらりと見やり、騎士たちもそうすると、少年は立ち上がり、彼らの前に歩み出た。
「悪漢に危害を加えられそうになったので、僕が魔剣でそうしたのです」
「魔剣だと?」歳の頃は三十代半ばほどの、隊長の男が顔を顰めてそう言った。「するとこういうことか、君が勇者アウルス様よろしくその悪漢を樹に変えてしまったと?」
「そうです、僕は当代の勇者なので。僕はアウルス・アンバーメインを直接見たことはありませんが、その力を上回っていることは間違いないかと」
見たことがないのに、間違いない、とはどういうことか。そうゲオルギーネと店主、他の客は思ったが、騎士たちはそれどころではなかった。
「なんだと貴様、アウルス様を侮辱するばかりか勇者を自称するというわけか!?」
「自称もなにも、それが事実です。あなた方のことはあまり詳しくありませんが、勇者は聖女と同じく崇拝対象なのですよね? 何しろ太陽神の庇護を受けた身だ。あなた方は僕に寝床と食事を無期限で提供する形になるのではないかと思われます」
「ふざけたことを……貴様、それ以上馬鹿なことをほざくつもりならば牢屋に入ってもらうぞ!」
ドミニクとしては、自分が勇者と明かしたとたんに跪き、平伏し、涙を流して拝むくらいのことは想定していたが、どうも空気が違うようだと気づいた。勇者を名乗る不届きものが、他にいたのかもしれない。だから彼らは疑いを持っている。直に見せるしかないだろう。そう思って、彼は魔剣を抜いた。
「武器を抜きおったぞこいつ! あの木剣は魔剣だ! 拘束せよ!」
つかみ掛かってくる騎士たちを、好都合とばかりに樹に変え、店内に草いきれが充満する。店主の悲鳴。
「ご覧のとおり、僕の〈宿り木〉はこれほどの力を持っているのです。ご理解いただけたら、今日の宿に案内していただきたいのですが」
「な……何をする貴様! 我らに楯突く腹積もりか!」
「楯突くもなにも、勇者という証明をしただけでして。まあ、これ以上乱暴にしないのであれば彼らを人間に戻してあげてもかまいませんが。あと僕を襲った悪漢も戻すので彼を連行していただければと」
隊長は副官らしい騎士と話し合いを始めた。
「こやつ、確かにアウルス様の伝説と同じことを――」
「いや、何かの魔術に決まっている。神々がこんな無礼な者に力を与えるはずがない。小僧を連行するのだ」
「しかし、捕まえようとすれば我らも樹に……」
「宿に案内しろと言っていたな、奴は。ならば丁重に、連行するのだ」
「は……はっ。そのように」
なんとも間の抜けたやり取りだ、と思いつつ、ドミニクが樹と化した人々を元に戻すと騎士たちは剣を納め、
「望みどおり案内しよう。君の名前を教えてくれ」
「ドミニク・フリードマンです。豪華な晩餐を期待します」
そうして、樹にされていた賞金稼ぎの男とともに、ドミニクは騎士団の砦へと連れて行かれた。
すでに彼と同行していた若い女剣士は店内にいなかった――代わりに隻眼隻腕の老婆が、彼女の座っていた席にいて、呆れ顔を浮かべている。
「やっぱあいつはトラブルメーカーだなあ。助けに行くべきかね? そんな義理もねえが……ん?」
いつしか店内に、見知らぬ剣士がいた。鉛色の装束と、同じ色の髪と目。ゲオルギーネの知る、その外見から明らかな所属は、物騒なものだった。
「ありゃあ、まさか――こいつぁますます、厄介そうだな。まあ、うまくすりゃいいもんが見られるも知れねえ。もう少し、ドミニクの周りをちょろちょろしてみるかね」