第十三話 剣閃
「すべては模倣から始まる」隻腕隻眼の黒騎士は言った。「先人の、敵対者の、同盟者の。人間である必要もない。だけど何事も、縛りが必要だ。限定された状況が、かえって創意を生む」
昼過ぎ、目覚めたドミニクを前に折れた剣を抜き、ゲオルギーネは上段の構えを取った。魔物は一匹も寄り付かなかったようだ。あらかじめ、彼女が始末したのだろうか。それとも、この剣士の強さに恐れをなし、逃げ出したとでもいうのだろうか。
「サナム双剣流の極意は、瞬時に相手の形を写しとる〈鏡〉だ。昨日も言ったように、技が対等ならば剣が一本多いほうの勝ちだからね。さて、ミラベリアで今日、最も支配的なのがこれだ――狼心流」
ゲオルギーネのしたことは単純だ。掲げた剣を振り下ろす、それだけのこと。しかし、わずかなぶれもなく、目に留まらぬほど早く、鋭い。その一瞬折れた刃とて、甲冑だろうが、岩だろうが、巨大な竜だろうが、おかまいなしに両断するだろうと思わせるのに十分だった。
「こいつはライナス・ペンブライドが戦場で生み出した、我流の技を体系化したもんだ。秘訣は専心――心臓の鼓動、呼吸、魔力、そして意思、それらのすべてを一並びに揃える。その一瞬全生命を、斬ることだけに使う。今時のブライドワース人にできるかは怪しいけど、サナムの騎士にとっては容易いことさ」
確かに、通常の生命活動ではありえないふうに、ほんの刹那、彼女の魔力が静止したようにドミニクは感じた。世界そのものに亀裂が入ったような錯覚。それは既に塞がったが、剣の前に相対した敵はそうではないだろう。
「狼、とは言うもののこいつは人の使うための技だ。そりゃあ、そうさ。人は弱い。だから技を使う。獣はどうだ? 魔物は? サナムには二つの流派がいる。どちらも双剣を使うけど、片方は人の技のみを模倣する。我らをして、まあ健全な考えだろ? こっちも人族だからね、利にかなっている。もう片方は、人の範疇によらず、獣や魔物をも模倣する。あたしは後者さ」
次いでゲオルギーネが剣を一振り、今度は何もかもが、崩れ、壊れていた。精緻な構えも、呼吸も、専心もなかった。無造作で、粗野な一撃、しかし、確かに空気が軋むのをドミニクは聞いた。
「どちらでもいいんだ、結局は。相手を斃す、それが、それだけが剣士の目的。血の流れない御前試合なんざ、退屈なショーに過ぎない……そんなことばかりしているから、瘴気だの魔物だのでてんてこ舞いなんだ。サナム以外でそれを知ってるのは少ないな、悪魔狩りどもと黒犬ども、あとはせいぜい、西のオークや……魔人どもか? あいつらは人族ってより魔物だから当然だけどね」
「そういった体たらくでは、ペンブライドの太平の世も長くはないとお考えですか?」
面白そうにゲオルギーネは笑み、「黒犬が喜びそうな発言だな」
「彼らの一員にはもう会いました、ただ話をしただけで、むしろ好意的な印象を与えたようでしたが」
「奴らに『好意』なんざねえのさ、ドミニク。奴らにとっちゃ誰もが、屠るべき敵か、今はまだ放っておいてもいい敵かだ」
「どこぞの村を、反逆者をかくまったかどで焼いたというのも事実だということですか?」
「かくまうどころか、反逆者を生んだという理由だけで焼いたこともあるさ。騎士なんざもとより危険な武装集団だ、従えるにゃ力しかねえ。今だと例えば聖女だな」
「皆さん聖女を確保しようと躍起になっているようですが、手にしてどうするのでしょうか」
剣を納め、皮肉な表情でゲオルギーネは答える。「決まってんだろ、子を産ませんのさ。手前んとこの血筋を、そいつで清らかな、神がかりのもんに引き上げる。もうひとつの皇帝家を作り出せるってわけだ」
「おぞましき野望ですね。僕の健全な計画とは真っ向から衝突するものです。僕はただ恒久的に、聖女に金銭と食料、住居と安全を提供していただきたいだけなのに、世の人々ときたら……」
「あんた、どこぞの世間知らずの部屋住みみてえだけど、そこまで臆面ねえのはなかなかいねえぞ」
そう直截に言われてもドミニクは気にするそぶりもなく、
「何をおっしゃいます、良識が服を着て歩いているようなこの僕に」
■
件の廃墟へ向かう途中、冒険者の一団と出会った。全員、髪と目の変色はなく騎士はいないようだが、浄化の力を持つ魔法具を保有しているらしかった。一目こちらを見るなり彼らは口々に叫んだ。
「ドミニク・フリードマン! こんなところで何をしているんだ」
「聞きましたか、ゲオルギーネ。僕の勇者としての名声がすでにこれほど広まっているのですよ」
「違う、おれたちもヘイゼルウィックに滞在していたんだよ」頭らしい、目つきの悪い男が言った。「お前みたいなお騒がせ小僧がよそでもあんな騒動を引き起こすと考えると、他人事ながら気が重くなるわ」
「悪名が広がってるじゃねえか、一体ヘイゼルウィックで何したのさ」
「何かの誤解があるようです」
次いで冒険者たちは隣にいた黒騎士を凝視し、
「片腕に隻眼……あんたもしかして、ゲオルギーネ・タンホイザーか? サナムからの出奔者、賞金首の!」
「おっと、悪名が伝わってるのはあたしもだったか。で、どうするんだいあんたら、リビングアーマーを討伐しに来たようだけど、奴を倒してからあたしを相手するか? それとも逆かな? こっちはどっちでもいいけど」
その挑発に冒険者たちは顔を見合わせ、あんたとやり合う気はない、と言って先行した。
「彼らに先を越されてしまいますよ」
「構うこたあねえさ、あいつらにゃ無理だよ。奴らの悲鳴でも鑑賞するかね」
少し離れて二人も後を追う。深い森の中、木陰に石造りの崩れかけた城砦が姿を現した。
かつての戦乱の時代に築かれたものらしい。問題のアンデッドも、その時代の騎士が蘇ったものだろう。それは即ち、ゲオルギーネ言うところの「本物」――今日よりもずっと、人族同士の戦いが日常であった時代の戦士――であることを意味する。
そいつはゆっくりと、既に意味を成さぬ崩壊した城門から姿を現した。血と泥で汚れ、傷だらけの鎧はそれ自体が城壁のように巨大だ。得物は馬鹿げた大きさ――その巨体とほぼ同じ刃渡り――の大剣。
冒険者たちはそれを一目見た瞬間、尻尾を巻いて逃げるべきだったのだ。しかし、彼らは果敢、否、無謀にも戦いを挑んでしまった。瞬きするより早く、先頭の二人が真っ二つにされ、森林の大気が血と肉の臭いで赤黒く染まった。
生き残りが戦意を喪失し、腰を抜かしたところにゲオルギーネが乱入する。死せる騎士は冒険者たちを捨て置き、彼女を選んだ。
騎士の恐るべき一撃。大剣が霹靂のような速度と苛烈さで、上段から振り下ろされる。ゲオルギーネは笑み、折れた剣を構えた。
まるで事前に示し合わせたかのように、大剣は横に逸れた。半分に満たぬ刃で、いったいどのようにして受け流したか。ドミニクには見当もつかなかったが、好機。だが、巨岩のごとき命なき騎士を、その折れた剣と片腕で屠ることが可能なのか?
当然の疑問を、これまた当然のように打ち砕いたのは、黒騎士――サナムの剣客の絶技だった。
一撃をはじき返した流れのまま彼女が刃を返すと、空気が炸裂した。
アンデッドの騎士の大太刀にも劣らぬ、馬鹿げた威力。誇張抜きに、ゲオルギーネと相手の間の空間が、爆発したかのように感じられた。
ドミニクにも、茫然自失の冒険者たちにも分かるはずもないが、それは混じり合った一撃だった――狼心流の、専心から生まれる精緻な剣術が、相手に到達する半ばで、ゲオルギーネの屠ったキマイラのような、化け物じみた、乱雑な、理などあざ笑うかのような、純粋な暴力に変貌していたのだ。
それは空気と、リビングアーマーの鎧と、背後の木々を穿ち、砕き、かき混ぜ、毟り取っていた。
「唯禍流――〈人面獣心〉」