第十話 巨獣
会食の後、騎士たちは戦闘準備を始めている。そういえば、誰も酒を飲んではいなかった。今からオルテンシアの警告に従い、穢れ石の所へ向かうらしい。のん気に晩餐会など開かずにとっとと行けばいいものを、とドミニクは彼らを見ながら思っていた。恐らくはあの優柔不断な領主が、急遽予定を変更する決断を下せずに、英気を養うためとか言って開催させたのだろう。
「よりによってこれから大事な任務があるってのに、こいつが追放されちまうとはな」
「せめて少しでも我々の役に立ってから消えろ。わたしの部下をよからぬ道へ引きずり込んだ償いにはならぬが、せめてもの埋め合わせだ」
ドミニクは街を出ようとしたところ、冒険者たちと騎士たちに取り囲まれ、説得されていた。もちろん聞く耳は持たない。
「領主様が出て行けとおっしゃった以上、立ち去らぬわけにはいかないでしょう、それがルールです」
普段はルールとか常識なんてどこ吹く風って感じのドミニクが、妙に律儀にそう言った。街の一大事においても他人事の態度に、まだこの少年をあまり知らなかった冒険者が何人か激昂し詰め寄る。もちろんドミニクは彼らをろくに見ず、
「いや、僕はもうこの街を出るのであまり関心がないのです、そもそもまだ思い入れが発生するには短すぎる時間しか滞在していないので、危機と申されましても、僕としては右から左といった具合であります。しかしあなた方の奮起に対して、武神と那由多の神々もきっと賞賛してますよ。ではご武運を」
「分かったドミニク、もう止めはしねえさ」フィリップが諦めたようにそう言った。「だが、これからどこへ向かうかくらいは教えてもらえるだろ?」
「ええ、構いませんよ。僕は聖女様に会うために、ひとまず北へ向かいます」
「北か、よし、ちょうどオルテンシアに教わった方向だな。ドミニク、これからお前さんに先行し、先遣隊が問題の地点へ向かう。すでに化け物が発生していたら、そいつらを引き連れてお前のところへやって来る。そうすればさしものお前も、化け物どもを樹にせざるを得ないだろう」
「僕をどうにかして運用したいようですね、頭を使って努力する姿勢、好感が持てます。それで構いませんよ皆さん、せいぜい頑張ってください。この街を守るために」
そうして悠然と、ドミニクは、騎士と冒険者たちの指揮官であるかのように歩み始めた。一同は遣る瀬無い顔で彼のあとに続く。
街を出てすぐ、行列を追い越して、オルテンシアがドミニクに追いついてきた。
「いやあ、この危機にもその貫禄、君はやはり勇者なのかも知れないね。最初はアウルスもまた、一介の放浪者、ともすれば変人・うつけ者との評価を受けていたらしいからね、将来的には君も彼のように、一軍を導くことになるやも知れないな」
「そのようなことを自らしようとは思えませんが、周囲の人々が僕を邪魔しない程度にウロチョロするのは勝手です。ところであなたは、一泊してから発つのではなかったのですか」
「その予定だったけど、君の力を把握しておきたくてね。もちろんわたしは手出ししないからね」
「ご自身の任務に忠実ということなのでしょうが、ともすれば無辜の民の命がかかっているのに軽薄と見られなくもないお言葉ですね」
周囲の冒険者たちはドミニクを睨み付けたが、オルテンシアは何も答えなかった。
■
一方、鱗馬に乗って先行した部隊は当該地点に近づくにつれ濃くなる瘴気に危機感を募らせていた。石が発生して一週間もしないうちに、これほど高濃度に達するとは前例がないことだ。今回だけの突発的な災難であればいいが、今後もこのペースが続けば居住区の外部は真の魔境と化し、各都市が寸断されかねない。城壁と聖岩で守られた居住区も、どこまで安全か分かったものではない。
そこは崩れた巨大な建造物が積み重なった場所だ。ヘイゼルウィック周辺は石造りの回廊や塔で覆われているが、それらは半ば海の上に張り出している。この場所も海上に突き出した区域だが、ところどころに大穴が穿たれ、足場は極めて不安定だった。しかも夜の闇が辺りを包んでいる。瘴気なしでも危険な区域だ。
スタンとジャニスも先行部隊にいた。スタンの光球が上空に浮かび、周囲を照らし出している。この聖武具にも弱点があった。近距離の相手からの直接的な攻撃を止めることはできるが、範囲外からの飛び道具は阻止できないこと。そして、例えば巨大な魔物が突撃してきた場合、そのエネルギーを消すことができるわけではないという点だ。ジャニスの霧の槍もまた、圧倒的な質量とエネルギーには太刀打ちできない。
そして、今まさにその天敵とも呼べる存在が生まれつつあった。
「巨獣だ……あの小僧以上に我が領邦にとって最悪だな」
濃い瘴気によって霞む瓦礫の丘の上、黒い岩ができあがっていた。その近く、恐らくは発生したばかりの怪物。長屋ほどの、犬と鰐と牛を混ぜたような奇怪な獣がたたずんでいる。
「前向きに考えようじゃないか。奴をドミニクのところまで連れていけば勝利、こちらで相手をしなくてよいという気楽な作戦だ……」そう言いつつ、頭巾の奥でスタンは表情をこわばらせていた。
作戦は単純だ。風の魔術で魔物寄せの香を流し、ドミニクのところまで誘導するだけだ。しかし、予想外の出来事が発生する。
突如として、部隊の近くの瓦礫を掻き分け、二体目のビヒモスが躍り出たのだ。そのまま騎士たちへ襲い掛かるが、スタンの聖武具で動きを封じられる。
「冗談じゃないぞ……! 撤退だ! とっととあの小僧に押し付けるぞ!」
そうして部隊は怪物が脱力した隙に、来た道を戻っていく。跳躍力と柔軟性に長けた鱗馬は悪路でもものともしないが、ビヒモスは力任せに瓦礫を砕きながら迫り来る。
時折ジャニスが槍で迎撃し、眠気によって少しばかり速度を緩めさせてはいたが、相手は巨体であるがゆえに完全に熟睡させることは叶わない。同行している騎士と冒険者たちも魔術や銃で攻撃はするが、焼け石に水だった。やはり、ドミニクの〈宿り木〉が一番手っ取り早い。いつしか思考があの少年頼みになっていることを認識し、スタンは舌打ちする。
振り返ればビヒモスは、悪夢的な形相で迫ってくる。しかも背ろから、最初に発見したもう一匹が追いかけてくるではないか。さしものドミニク・フリードマン、宿り木の勇者といえど、これではかたを付けられないのではないか? そういった不安も抱きつつ、部隊はどうにか少年のところに、追いつかれずにたどり着いた。
ドミニクとともに出発していた騎士と冒険者たちは、既に彼のもとを離れ、周囲の高台で、彼が失敗したときのために迎撃の準備を整えている。
スタンたちはゆっくりと歩いているドミニクとすれ違い、わき道に逸れた。
ドミニクは、つまらなそうに前を見て、横並びになって迫る怪物を認めると、無造作に魔剣を手にして、地面に突き刺した。
その場にいた誰もが、森林の中にいるかのような爽やかな香りを嗅いだときには、すべては終わっていた。ビヒモスたちは既に見あたらず、二本の大樹が道の上にあり、木の葉が舞い、清浄な空気が辺りを満たしていた。