妄想と現実の境目なんて実際のところ存在しないと現実世界のぼくは妄想することを妄想する
間違いない、あのサラリーマンは伝説の殺し屋だ。
ぼくは男を凝視する。でっぷりと肥えた身体、寝ぐせと紙一重の無造作ヘア、淀んだ目つき、全体的に不衛生な風貌……等々、どこをどう切りとっても「仕事のできない煤けたサラリーマン」にしかみえない。
だが、それは世間と同業者の目を巧妙に偽る仮の姿で、その正体が泣く子も黙る伝説の殺し屋――スナイパー・ヴァン・ヘルシング(通称・千里眼の狙撃手/沈黙の神父)であることは間違いない。
これには、さすがのぼくも驚いた。まさか早朝から駅のホームでヘルシングを見かけるとは! 幸か不幸か、当然滅多にお目にかかれる相手じゃない。
仕事で来ているのだろうか。ふむ……醸しだされる只ならぬ空気。言い換えれば、殺気。プライベートで来ているわけでは到底なさそうだ。そもそも伝説の殺し屋が、お忍びで常磐線各駅停車を利用するわけがない。
と、すると――下見か。ヘルシングの愛用武器はその名の通りスナイパーライフルで、肉眼では確認できない遠距離から神の雷のごとくズドンッ――アタマに命中!――を得意としている。そのためには標的のルーチンワークを完璧に把握し、もっとも隙の多い瞬間をみつける必要がある。ヘルシングが伝説である訳は、その下見の「異常なまでの入念さ」ともまことしやかに囁かれているほどだ。
実際、ヘルシングは新聞に熱中するふりをしながら、ちらちらと前方の女子高生を盗み見ている。明るい髪色で、すらりと背の高い女子高生の後ろ姿を、心なしか充血した目で(鼻息荒く!)盗み見ている。
なるほど、あの子が今回のターゲットというわけか。彼女も、一見すると無垢で無害な一般人にしかみえないが、ヘルシングが注目しているくらいなのだから当然そうではないのだろう。
正体を探るヒントはないものか……。ぼくは彼女の靴先から頭の先、その他隅々に至るまで観察の目を光らせる。そして……見つけた! 明らかに不審な点。
彼女が肩から掛けた学生鞄。そこに全長二十センチほどのアニメキャラクターを模したぬいぐるみが五つ、さながら囚人の首つりがごとくぶらぶらと揺れている。
明らかに不自然なサイズと量だ。
そう……アニメキャラクターは狡猾なカモフラージュ。
ぬいぐるみのなかには、危険なドラッグがぱんぱんに詰めこんである。
間違いない、あの女子高生はクスリの運び屋だ。
ぼくは想像する。最初はほんの軽い気持ち、軽い小遣い稼ぎのつもりで運び屋を始めたに違いない。謝礼金も少し割のいいバイトとほとんど同額だった。しかし回数を重ねるごとに危険な仕事を任されるようになり、リスクに応じて報酬も跳ねあがっていった。
そうしてじょじょに、若い身体を売っても到底稼げない額をほんの「綱渡り」で手に入れられるこの仕事に魅了されていった。
だが……肝心のリスクを、彼女は失念していた。いや、「失念」というより、「麻痺」していったのだ。つまり、仕事をこなすうちに当初は少なからず感じていた恐怖と罪悪感が、「量」と「慣れ」に糊塗されてしまった。それが命とりになるとも知らずに……。
彼女が何度目かの仕事で運んだクスリは、実は事前に依頼したクスリとまったくの別物で、依頼主は激怒した。依頼主にとって、クスリのすり替えはどんな事情があるにせよ重度の裏切り行為に他ならない。主は直ちに伝説の殺し屋――スナイパー・ヴァン・ヘルシング(座右の銘・金を積まれれば海の水だって飲み干す)を大金で雇うと、関係者を秘密裏に片づけるよう指示した。果たしてヘルシングは任務を忠実に遂行した。ただ一人……運び屋の少女を除いては。
彼女を最後まで残したのは、慈悲の心が理由ではない。ヘルシングはかつてへその緒で産後間もない赤ン坊の首を絞めたのだ。そんな悪魔に、慈悲の心など存在するはずもない。
では何故か? 答えは明白。業界の常識と照らし合わせれば自明の理。つまり、「リスクの逆算」の結果だ。無知で無力な彼女を最後まで残したほうが、追い詰めた鼠に手を噛まれる心配がない……。
もっとも、鼠は自身が追い詰められている事実すら知りようがないのだから、ヘルシングの用心は害虫相手に何発もの核弾頭を撃ち込むようなものなのだが、百獣の王もびっくりなこの徹底ぶりが彼を伝説たらしめている要因なのだろう。ある帰還兵も言っていたではないか。「俺が戦場で生き残れたのは、勇敢に戦ったからでも、用意周到に立ち回ったからでもない。ただ臆病に震えていたからだ」と。世界一の殺し屋は、世界一の小心者でもある。
伝説の殺し屋、運び屋の少女。
二人のあいだに流れる殺伐とした空気に気付く者はない。
駅のホームで電車を待つ者たちは皆、自分の人生に手一杯で他者を顧みる余裕すら無いようだ。
いや……何人か「ワケアリ」な者もちらほらと混じっている。
誰もが日常風景に溶けこもうと努力はしているようだが、ぼくの目だけは誤魔化せない。
たとえば、ベンチに座っている黄色い帽子を被った小学生の男の子。
間違いない、IQ230の超天才詐欺師だ。
ただでさえ頭が切れるのに、「子どもは大人を出し抜くだけの能力と狡猾さをもたない」、そんな大人特有の傲慢さを逆手にとる生まれつきの天才は、まず大起業家である両親を支配下に置き、大手ベンチャー企業影の支配者として現在君臨している。先日、同業他社の株価が相次いで暴落し大勢の失業者を生んだのもまた、彼の悪魔的采配によるものだった。もちろん、暴落に比例して両親の企業は莫大な純利益をあげている。細部に至るまで彼の采配には一分の隙もない。
ただし彼の職業は詐欺師であって、実業家ではない。かの天才は企業を成長させることに微塵の興味もなく、ただ「人を騙す」「人を誑かす」ことに純粋な面白みを感じているにすぎない。その証拠に、彼は同じクラスの超天才プログラマー(彼の現パートナー)に対して、企業の経営理念を「単なる暇つぶし」と評している。その言葉に残念ながら嘘はないようだ。
暇つぶしに飽きたら、早晩成長した企業を自ら潰してしまうことだろう。その作為がいったいどれだけの損失と人々の悲劇を呼び起こす引金となるのか――彼の頭脳は正確に理解しているが、特別気に留める価値はないと判断している。
彼が次に興味をもつ先はいったい何処なのか……。
産まれたばかりの天才は残念ながら好奇心の塊で、この先も無難に大人しく余生を過ごすつもりなど毛頭ないのは間違いないみたいだ。
ぼくは視線を移動させる。
頻りに腕時計の時間を気にしている若い男。
間違いない、過去改変を試みる未来人だ。
平成三十一年四月十五日/午前七時三十七分/夜深山よみやま市/夜深山駅構内において、何か劇的な事件が起ころうとしている。いや、あるいはほんの些細な出来事なのかもしれないが、いずれにせよ男はそれを止めるために未来からタイムマシーンで遥々この時代に現れた。
ぼくは視線を移動させる。
杖をつく腰の曲がった老翁。
間違いない、腕の立つ用心棒だ。
杖は日本刀をカモフラージュした仕込み刀になっている。
ぼくは視線を移動させる。
大きなマスクで顔を隠した女。
間違いない、イカれた殺人鬼だ。
今日もこうして獲物を物色している。
ぼくは視線を移動させる。
不潔を極めた浮浪者然とした男。
間違いない、神の遣いだ。
その正体は巨大なドラゴン。悪人に裁きを下す者。
ぼくは視線を移動させる。
間違いない。
ぼくは視線を移動さ間違いない。
ぼ間違いない
間違いない
間違いない間違いない間違いない
間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない
間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない
間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない間違いない。………
間違いない。
この世界は――奇人変人の巣窟だ。
プアァァァ………
電車がやってくる。
その瞬間――
「よせ!」
過去改変を目論む未来人が、大声をあげた。
その視線の先では
「DIE!!」
ヘルシングがどこからか黒光りするライフル銃をとりだしている。
銃口を運び屋の女子高生に向ける。
「きゃあ!」
悲鳴があがった。
その銃口の先を
「させるか!」
老翁が刀で真っ二つに切断する。
一瞬の出来事。
それら一連の流れを、新鮮な表情で
「へえ……」
天才詐欺師が見守っている。
未来人がヘルシングと運び屋の間に割って入る。
「今度こそ……この子を守る!」
「FUCK YOU……」
ヘルシングが舌を打つ。
と、刹那――
ドンガラガッシャン……!!
凶暴な炸裂音。
晴天の下に落雷が発生して
≪醜き人間どもよ……≫
雲を突き抜ける首長竜が、ぼくら人間を睥睨した。