第七幕 激怒
大変お待たせ致しました!
その後、拙者は横たわっている強盗犯に近付いた。
どうやら落下した衝撃で、気を失っている様だ。
拙者の側にいた使用人が「お嬢様!これ以上、近づくのは危険過ぎです。早く馬車へお戻りに…」と、拙者の手を取り、止めに掛かる…が、拙者は構わず手をはらい、強盗犯の近くに寄り添う。
フードをめくり、顔を覗き込ませた拙者は、眉間に皺を寄せ顔を顰めた。
「……やはり」
フードから覗かせたのは、二十代名ばかりの青年だった。
然も人では無い。狼の様な耳と尻尾が生やしており、白と灰色の毛並みが風で靡いていた。
しかし青年は、充分な食事を得ていないせいか?
顔色が悪く、とても青年とは思えぬ程ガリガリに痩せ細っている。
そして、身体の至る箇所に無数の紫斑や創傷がチラホラ見える。中でも特に一番酷かったのは…腕に負った生傷だ。最近出来た傷なのか、若干血が滲んでいた。
其れが目に留まり、賺さず手持ちのハンカチを傷に当て、手当てを行った。
気休め程度だが、無いよりはマシだ。
手当てを終えた頃、殺気に似た視線を感じた。
視線を感じる方へ向くと、強盗犯が口元から犬歯を覗かせ、目を血走りながら此方を睨み付けていた。
その瞳は、まるで怒りで赤みを増している様な赤紫色をしている。
うむ…どうやら気が付いた様だな。
しかし、身体は先の衝撃により、身動きが取れない状態だった。
拙者は、そっと…強盗をしたその青年の頭を撫ぜ、優しく微笑んだ。
「――早まる事無かれ若人よ。生き抜く為とは言え、自ら悪行に勝手出る必要はない。貴殿が人生を踏み外すには、まだ若い…」
拙者は青年の眼を見つめ、そっと哀れみを込めて告げる。
拙者の言葉が伝わったのか。先程まで血走っていた青年の目は、薄っすらと涙ぐんでいた。
同時に、瞳の色が徐々に赤みが引いていき、いつのまにか紫色になっていた。
赤みが引いた?
コレは一体、どういう原理なのだ?
ふと不思議に思い、顔を近くで見ようとした…その時、二時の方角から数人。此方へ駆け寄って来る気配がする。これは…恐らく街の衛兵隊の者達だ。
どうやら、先程の騒ぎを誰かが通報したのだろう。
拙者は、此度の出来事を説明するべく、しゃがみ込んでいた足を伸ばし、立ち上がってから後ろへ振り向くと、丁度その時、衛兵隊が到着した処だった。
「此処に、強盗犯と思われる者がいるとの通報を聞き、取り急…ぎ――」
すると、余りにも信じられない光景に、衛兵達は眼を疑い絶句していた。
其れもその筈、強盗犯と思われる人物が倒れており、その隣には杖を握り締めた女性が其処に佇んでいたのだから。
そして何より―――
「……美しい」
其れは、衛兵達の内の一人の誰かが呟いた言葉だった。
しかしその言葉は、衛兵達の気持ちを代弁している言葉でもあった。
皆共に、美女の容姿に見惚れている。
拙者は、衛兵の呟き一つ聞き逃す事は無かった。
衛兵の言葉に対し拙者は、眉間に皺を寄せて苦笑いをしていた。
「………」
そして目を閉じ、奥底から湧き上がる苛立ちに震えていた。
平常心…平常心と、心を鎮めていく。
だが、ふと目を見開くと、まだ茫然としたまま立ち尽くす衛兵達の姿があった。
その姿を見た拙者は、怒りが最高潮に達した。
その理由は、衛兵達の態度にあった。
衛兵とは、警備や取り締まり等を主に活動する兵士。各地に配置され、其処に暮らす国民を守ると言う役割を担っている。
しかし…目の前にいる衛兵達には、全くその"お勤め"を果たしている様には見えなかった。
確かに衛兵達の気持ちは、前世とは言え…元男の身で在った拙者にも分からんでもない。しかし其れは、今に至る話ではない。
衛兵達の気を見れば解る。
普段から身を引き締めず、気を緩めたまま勤めに明け暮れている証拠だ。
気の緩みは己の緩み。前世に比べ、南蛮は少し平和ボケしている様に思える。コレでは、万が一の事が起きれば、全く対処出来ないのは明白。
この腑抜けっぷりと来たら、衛兵達の隊長殿は一体何を――
そんな時、頭の片隅からプチンっと言う音が鳴り響く。恐らくコレが、世に言う処の"堪忍袋の尾が切れた"瞬間だった。
……仕方がない。此処は少々、活を入れ直さす必要がある様だ。
「――えぇい、何を其処で茫然の如く突っ立っておる!?この状況の中、主に警備又は取り締まる者が、何をそんな呑気にして居られる。さっさと各々の務めを果たせ!この腑抜け者が!!」
「「「「はっ…ハイィィ!!」」」」
拙者は言葉を告げた後、衛兵達はキリッと背筋を伸ばし、大きく返事をした。
普通ならば、此処まで言われれば誰だって激怒するものだが、衛兵達は只頷く事しか出来ず、そのまま黙り込んでしまった。
衛兵達は、皆揃ってこう語った。
――目の前に佇む、漆黒の長い髪をした美女。余りの美しさに見惚れてしまっていた。しかし次の瞬間、美女の表情が豹変した。
先程まで美しいと思っていた美女を、心の底から恐ろしいと思った。
例え、美女の言葉に対し、恐怖のあまり激怒するどころじゃなかった。
そして先程、御嬢様を引き止めるべく、馬車に誘導していた召使い(このおとこ)…執事見習いのリラクは、後ろの片隅で控えながらも、御嬢様の豹変っぷりに萎縮していた。
御嬢様が住まうフリンデル家の執事見習いになって、早半年以上も経つ。
当時のお嬢様の第一印象は、最も知的な女性かと思っておりましたが、元領主の父君と現領主の兄君に、超絶なまでに甘やかされて育った故、世間一般で言う処のワガママお嬢様でした。
しかし…そんなお嬢様ですが、あの事件をきっかけに、記憶に障害が出てしまい、ワガママお嬢様の性格が一変して、前よりも優しい方になられました。
そして今日、この様な表情をされた御嬢様を見るのは、フリンデル家に使えて以来初めてだった。
リラクは、お嬢様の方を向き、その光景に少し青ざめ、苦笑いをした。
其れから暫く、拙者の威圧に押さえ込まれた衛兵達は、後から来た別の衛兵隊と合流する。
後から来た衛兵達の中に、その者はいた。
「おいおい、一体何の騒ぎだぁコレ?」
駆け寄って来た衛兵が言い放った。
何せ、彼の目の前には、女に威圧された衛兵達が、萎縮して棒の様に立ち尽くしているのだから。
その声に反応して、後ろを振り向いた衛兵達が、その男に救いを求める視線を送っていた。
どうやら、この者が衛兵達の上官であろう。
見るからに…衛兵達とは違い、服の上からでも分かる程に、かなり鍛えられておる。
腑抜けではない様だな。
拙者は、上官らしき男を見詰め、声を掛ける。
「貴殿は、この衛兵達の上官…であるか?」
「おっと…大変申し遅れました。俺はこの街で副隊長を任されている。タイラと申します。」
上官と思っていた男は、拙者の前に並び経つ衛兵達の副隊長であった。
タイラと名乗る男は、背丈が丁度拙者の顔の処まで肩があり、
「ほぉ、副隊長殿だったとはなぁ。丁度良い…此度の一件について、拙者から伝えよう」
「おお、其れは有難い。是非ともお願い致します」
その後、拙者は事成り立ちを全てタイラに語ったのであった。