第六幕 技
それから数分後、固まっていた男はハッと我に帰えり、すぐさま拙者の方へ振り向く。
「お、お見苦しいところを見せてしまい。大変、失礼致しました。申し遅れましたが、私は此処にいるリサの父で、店主のリッドと申します」
店主と名乗るリッドは、先程の事で頭を深々と下げ謝罪する。
「拙者は、レィジュ・フリンデルと申します者だ。先ほどの事は、気にしておりませぬ故、頭をお上げくだされ」
するとリッドは、拙者の正式名称を聞いた突端、目を見開いたまま絶句した。
リサも驚いた表情をしていた。
それも其の筈、何せ…領地を収めている貴族、そのご令嬢が目の前に居れば、誰だって驚く。
このままでは埒が明かない為、些か強引ではあったが、わざとらしく咳き込み話題を戻した。
そして再び我に帰るリッド。
その様子を見て、反応が余りにも可笑しかった為、思わずリサと共に笑い合った。
それと同時に、リッドが照れながら頭を掻いていたのは、言うまでも無いだろう。
そんな感じで、その後も相談も含め、雑談に花を咲かせていった。
それから十数分後、外に待機していた二人の使用人によって、先程買った服は、次々に馬車へと運んで行く。
全ての荷物を積み終えると、馬車に乗り込む際、後ろを振り向く。すると其処には、リサとリッドが店の入り口前に立って居た。
「では、次来る時を楽しみにしている」
二人にそう告げると「「はい!またの御来店をお待ちしております」」と、二人は共に一礼する。
馬車に乗り込むと、出発の合図と共に馬車は走り出す。
そして…リサとリッドの二人は、馬車が見えなくなるまで見送ったのであった。
◇◇◇
それから暫くして、拙者は思わぬ収穫に、満足そうに笑みを浮かべていた。
正直…服に関しては、余り期待はしていなかったが。
だが…此処まで事が、上手く運び過ぎている様な気がする。
――何も無ければ良いが…
そんな事を考えながら、窓越しに空を見渡すと、太陽の位置が丁度一番上へと登っていた。
そろそろお昼時になる頃だ。
うむ、丁度良い頃合だなぁ。
鍛冶屋に寄る前に、飯を食ってから出向こうか。
急遽、目的地を変更し、食事処を探す事にした。
馬車が走り続けていると、大通りを抜け、小道に入った。
先程の道とは違い…通りの真ん中に人口の水道が引かれていた。
道の幅は、一般の馬車一台半分は有ったが、拙者が乗って来た馬車では、少し大きい過ぎる。その為、其処から先は徒歩での移動となる。
街に着いてからと言うもの。店内で立っているか、馬車の中で座っているかで、今日は余り歩いていない。
コレは良い機会かもしれないなぁ。
そう思った拙者は、道の邪魔にならぬ様、道の片隅に馬車を止め、一人の使用人を待機させ、もう一人の使用人と共に、先程の道へと歩いた。
暫く歩いていると、何処からか…食欲を擽る様な、何とも言い難い程の良い香りがして来る。
思わず唾を飲み込み、匂いに釣られる様に先へ進んで行く。
気が付けば、食事処らしき店に辿り着いていた。
店の看板には"喫茶店 サンシャイン"と、大きく書かれていた。
建物の構図は、二階建ての設計で、上を見上げるとテラスがある。どうやら、テラス席も有るみたいだ。
テラスの真下には入り口があり、扉の左右に木製の長椅子が設置されている。
おそらくコレは、道端で歩く人達が足を休めるよう、この店の主人が設けた、ほんのささやかな心配りだろう。
その証拠に、左の長椅子に腰掛けている。八十代半ばの御老人が、あんなにも心地良く寛いでいるのだから。
拙者は、御老人の方を向いて微笑みを浮かべた。
――キャァァァァーー!!
突如、女の叫び声が響き渡る。その声を耳にした拙者は、目を見開きながら、辺りを見回す。
すると、向こうの方から物凄い勢いで走り出す一人の男がいた。
男は、灰色のフード付きのマントを身に纏っていた。しかし、男が手に持っていたのは、どう見ても女が持つ様な鞄だった。
「ど、…泥棒ぉーー!」
その男の後ろで叫びながら、後を追う少女の姿が見える。
その声を聴き、徐々に此方へ走って来る男に向けて、睨み付けながら呟いた。
「――強盗か…」
しかし、コレは不味い事になった。
何故なら、今の拙者は手ぶらの状態。刀さえ有れば、あの様な愚者を取り押さえるぐらい容易い事。
だが、今の拙者には立場と言う物がある。下手に手を出せば、被害が悪化する所か…拙者の周りの者らに再び迷惑を掛かってしまう。これ以上は心配を掛けられない。
さて…一体どうするか?
そう考え込んでいた……そんな時、拙者の目の前に映るのは、先程見兼ねた御老人。そして、手元に持つ一本の"杖"だった。
「もし…其処の御老人!済まぬが、暫しの間その杖を貸しては貰えぬだろうか?」
「…うぅむ?別に構わんが…」
「忝ない!」
首を傾げていたものの、親切に杖を貸してくれた。
杖を手渡された際、御老人に向けて一礼をしてから受け取る。
その後、すぐさま強盗犯の方へ向き、再び睨み付ける。
――何と浅はかで愚かな事を…自ら悪行に走るとは笑止千万!その腑抜け切った根性。この"四季舞流当主、四季舞 練十郎"こと"レィジュ・フリンデル"が叩き潰してくれおぅぞ!
そして、呼吸を整え杖を構える。
それと同時に強盗犯は、立ち憚る拙者を視界に捉えた。
しかし…時既に遅し。
気付いた時には、もう既に領域内に入っていた。
拙者の領域内に入って仕舞えば、もう悪虫だろうとて…なぁ。
戦いに置いて、拙者に甘さなど無いに等しい。何人たりとも取り逃しわせぬ!
「オラァ!退けやぁぁっ!!」
額に血管が浮き出る程に興奮しているのか。強盗犯は、大声を撒き散らしながら突進して来る。そして、拙者目掛けて拳を振り下ろしていた。
此奴…周りが全く見ておらぬな。
相手の力量を見抜かぬまま突っ走って来るとは、愚策にも程がある。然も、女に手を挙げる始末。何と愚かなり…そして―――
「遅いっ!」
そう言い放った瞬間、女の特有の柔軟性を生かし、しなやかに躱した。
強盗犯は、さぞかし慌てただろう。何せ、突然目の前にいた筈の女が視界から消えたのだから。
驚きの余り、身体が竦めてしまう。
それと同時に、急に足を止めるが、勢い付いた身体は、急には止まれぬ。
そして今、拙者の剣技が放たれた。
――四季舞流…皐月 弐ノ舞、入梅上流風!!
その瞬間、その場に居た者達は、皆揃って上を見上げた。
何故なら、其れは――女性に襲い掛かって来た筈の強盗犯が、板の間にか、向かって来た方向とは真逆に、高く宙に浮いていたのだから。
「………えっ?」
強盗犯は、困惑していた。
女性の鞄を奪って逃走した。その後、目の前に一人佇む、長い黒髪をした美女が居た。強盗犯は、美女に向けて振り払おうとした。しかし気が付けば、強烈な顎の痛みと共に、何故か青空を見上げていた。
そして、その前に地面へと落下した。
背中から全身に来る衝撃に耐え切れず、そのまま気絶した。
こうしてレィジュは、見事…強盗犯の撃破に成功したのであった。