第五幕 買い物
スリジエの街、その門前に到着していた。
馬車がゆっくりと門をくぐり、街の中に入って行くと、上から陽の光が差し込んで来る。
余りにも眩しさに思わず目を瞑た。直ぐに目を開けると、其処で拙者が目にしたのは、見た事が無い光景だった。
建物から街の風景まで、ありとあらゆる物が美しい街並み。
拙者が知っている下町とは全く異なっていた。目に入る物全てが、実に衝撃的であった。
よもや、これ程とは———これが南蛮の街!
真の事ながら見事な物なり。
それから進んで行く馬車の中から街中を眺めていると、馬車が停止し、その後ゆっくりと扉が開かれる。
「お嬢様。只今、目的地にご到着致しました」
「う、うむ。ありがとう」
如何やら着いたようだ。
最初に訪れたのは、父から紹介された珈琲店だ。
馬車から降りると、茶の香ばしい香りが外まで漂ってくる。
早速、店内に入ってみると、色んな所から取り寄せた珈琲が売られていた。
近くで見ると、並べられた棚には珈琲の名前が書かれている。
その内の一つを手に取って見ると、篭の中には袋詰めされた珈琲が入っていた。
「いらっしゃいませ。本日は、どの様な珈琲をお探しでしょうか?」
暫く品を眺めていると、女性店員が明るく声を掛けられた。
「えぇと…すまぬが、此処のお勧めの珈琲を頂戴したいのだが」
「はい、それでしたら…此方、季節限定の”特製春花珈琲”は、如何でしょうか?」
そういいながら、棚に並べられた珈琲の中から取り出して来たのは、如何にも…春を思わす様な花柄の模様した桃色の札が貼られた小袋だった。
店員の説明によれば、店独自に配合した珈琲に、街に咲く三種類の花から取れた素を混ぜ合わせた一品との事。
「成る程…では、それを頂こう。それから彼方にある———」
そこからと言うと、先程勧められた品の他に二品を選び、合計三品を購入した。
二品の内、一品は何時も飲んでいた珈琲を選んだ。
その後、拙者は珈琲店を後にした。
再び馬車に乗り、次の目的地に向かっていた。
その目的地とは、知っての通り服屋だ。
そして先程の女性店員に、服屋の心当たりがないか尋ねてみると、一つ該当する所が在った。
其処は、とある小さな服屋で、昔から営んでいる。
最近では、娘さんと二人で、一緒に切り盛りしているとの事。
それで、その娘さんが作った服が独特で…特に使われている服の柄は、娘さんの御手製で、他の店には稀に見ない模様をしているそうだ。
その話を聞いた拙者は興味が湧き、其処に足を運ぶ事にした。
目的地の服屋に到着した。
前と同じ様に扉が開き、そのまま馬車に降りると、古く趣がある建物が佇んでいた。
他の建物に比べれば、確かに少々小さいが、店としては十分な大きさだと思う。
看板には"服屋 ネイチャア"と書かれていた。
店内に入ると其処には、黄緑色のワンピースの上に白い腰布を身に付け、後ろ髪を橙色の髪留めで束ねた茶髪に、少し大き目な山吹色をした瞳の若い女が切り盛りして居た。
「あ、いらっしゃいま———」
そう言い掛けた時、急に女がポカーンとした表情で黙り込んでしまう。よく見てみると、頬は少し赤くしており、呆然と立っていた。
その姿を見た時、ふと思い出した事がある。
それは先程まで居た珈琲店内での事。
拙者が品を拝見している時も、店員と話をしている時も、気付かぬフリを通していたが、周囲に居た人々からの視線を感じ取っていた。
…確かに、この身は前世でも、かなり美形の部類に入るだろう。
だが、しかし……しかしだな!
幾ら何でもガン見し過ぎだ。確かに…確かに、見惚れる気持ちは分からんでも無いが…(前世では、漢の身であったが故)
視線を向けられる、こっちの身にもなって欲しいものだ。
他者から注目される事に、慣れていないと言うのも有るが、正直落ち着かない。
女の方は兎も角。男に見惚れられるのは、些か憂鬱である。
そんな事もあったが故に、直ぐに珈琲を選び、さっさと店から出たのだ。
本当は、もう少し見て行きたかったが、あれ以上、長居をしていると、後々面倒な事になっていたかもしれない。…いろんな意味で。
…おっと、そろそろ声を掛けてやらねば、このままだと先が進まぬ。
「あー、もし。大丈夫かね?」
「…え?はっ、はい!す、す、すみません!余りにもお客様が美しかったので…その…つい見惚れてしまいました」
「えー、あぁ…そうであったか」
「すみません…」
女は恥じらうかの様に、顔を赤くしながら何度も頭を下げ謝罪をしていた。
「その事については、気にしておらぬから、顔を上げて欲しい」
拙者がそう言うと、女は直ぐに顔を上げ「はい…」と頷く。
「申し遅れました。店の看板娘をしております。リサと言います」
「ほぉ、リサ殿か。拙者の名は四季———では無く…レィジュと申す。以後、良しなに」
お互いに自己紹介を交わし終えると、拙者はリサに用件を話した。
「実は…珈琲店の店員から、服屋の噂を耳にしたので、立ち寄らせて貰った。何着か拝見させて貰いたいのだが、宜しいかな?」
「はい!勿論構いませんが、レィジュ様が求められている物が有るかは、分かりかねますが…」
「それでも構わない。頼めるか?」
「あ、はい…分かりました。では、此方へどうぞ」
リサに店内を案内して貰った。
店内には、色んな衣服が置かれていた。中でも、一番奥に飾られた服に目を奪われた。
「リサ殿、彼方に飾られている物は?」
「アレは、恥ずかしながら、私が仕立てた衣服です。年長者の方からは好評だったのですが、若い方から観ると「他に比べて、地味だ」と言われおります」
彼女がそう説明する際、何だか悄気ている様にも見えた。
「そうであったか。では、此方も拝見させて貰おう」
「………えぇ?」
拙者の予想外の言葉に、リサは再びポカーンとした表情で固まってしまい。全く呑み込めずにいた。
それもその筈、何故なら…先程まで彼女は、自身の仕立てた衣服は、若者には酷評との説明をしたのにも関わらず、目の前に立っている美しい女性が、彼女に「拝見したい」と言って来るのだから。
「お、お待ち下さい!」
「うむ、何だね?」
拙者を止めたものの「あの…その…えぇっと」と、どの様な言葉で伝えれば良いのか、分からずにいる様子だった。
しかし拙者には、彼女の言いたい事が大体分かっていたので「案ずるな事は無い」と、彼女に伝えた。
すると彼女は「その…え、ええぇ!?」と、混乱気味になっていた。仕方がないので、拙者は衣服の悩みを暴露した。
母曰く「突然好みが変わるぐらい、誰にだって有るわよ」と言う言葉を参考に話すと、リサは納得した様に深く頷いた。
「…そうだったんですね」
「あぁ、だから全く問題ない。寧ろ、拙者が求めていた衣服に等しい」
「分かりました。では、衣服の方を紹介させて頂きますね」
「うむ、忝ない」
そして、リサが仕立てた衣服を見て行く。
折角なので、試着してみる事にした。拙者の要望にあった衣服を、リサから一着選んで貰った。
その後…その衣服持ち、リサに案内されたのは、暖簾の様な縦長の布で仕切られた、試着室と書かれた個室だった。
中に入り、先程選んでくれた衣服に着替える。途中、着方が分からなくなると言う出来事もあったが、何とか着替え終えた。
リサに見立ての確認して貰おうと、仕切られた布を開けて、彼女を呼び掛けた。
すると、振り向いたリサが、目を輝かせながら見詰めて来る。
「すっごく似合ってます!」
「う、うむ…ありがとう」
リサの速答に、少々照れ臭そうにしていた。
そして、実際に着てみて実感する。
そう、彼女が仕立てた衣服は、正に前世の模様や色の扱いが、瓜二つだったのだ。
模様は、麻の葉から千鳥格子…矢絣から市松文様まであり、他にも桜・梅・竹・波・扇子等があった。
色に関しては、まるで平安時代の色彩その物だった。
彼女曰く"自然との調和を題材したデザイン"だそうだ。
「リサ殿…リサ殿が仕立てたこの衣服。とても着心地が良く、生地も丈夫で動きやすい。そして、心馴染む様な模様と色合い。何処から取って見ても、申し分無い出来上がりだ!」
「あ、ありがとうございます!そこまで褒めて頂けるなんて…」
リサがそう言うと、拙者の言葉に涙目になりながら喜んだ。
「何を申す。拙者は只今、思った事を口にしただけだよ。それに…これからは店で、衣服を買い取らせて貰う事にするよ。その時は宜しく頼む」
「———はい!此方こそ、宜しくお願いします」
そして互いに握手を交わした。
すると、丁度奥の部屋から一人の男が現れた。
髪は茶色の短髪。少し太った体格をしたおり、口元には小さな髭を生やしている。穏やかそうな優男だった。
「なんだか店内が騒がしいが…何か有ったのか?」
「お父さん、お父さん聞いて!今…此方のお客様が、私が仕立てた衣服を買ってくれたの!」
「そうか、そうか。それは良か———」
すると、視線を拙者に向けた途端、目を見開いた状態で、あんぐりと口を開いたまま、顔を赤く染めながら見惚れていた。
異変に気付いたリサは「…お父さん?」と、何度も呼び掛けるが、一向に反応しない。
店内には、固まったままの父親を心配する娘リサ殿と、見惚れながら唾を飲み込み、呆然と立ち尽くす父親らしき男。そして、その状況を見て、唖然と溜息を溢す拙者であった。
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…またか…またなのか……?
この時、拙者は顔を引きずり、苦笑いを浮かべていたのは、言うまでも無い。