喪われた神の神話3
クリフは肉色の化け物がいまだに映った球体を見つめて言う。
「『審判の日』、データ確認」
瞬間、球体は真っ黒に染まった。
「これはっ……?」
「ここは、時の狭間という空間らしい。地上ではないから、果てもない。」
のぞき込んだその世界は徐々に明るくなり、一人の男の姿が見えた。
空間には地平がない、と感じる。椅子も、何もかもが宙に浮いている。一人の男は苦悩した様子でチェス盤を見つめている。そして、もう一つの椅子には「誰も座っていなかった」。
「この人が、前の王様……? 君のお父上なの?」
「そうだよ、彼はシーフェル王だ」
彼。その言い方は自分の親のことを言っているというよりかは、歴史の人物について人が口にしたようなものに聞こえた。
それが、王という立場からなのか、彼とシーフェル王との関係によるものなのかはわからなかった。
映像のなかで、ひとりでに宙に浮いたチェス駒が動く。アダムは思わず、目を見張った。
そして、誰も座っていないはずの赤い椅子から、声が響いた。
「チェックメイト」
「なぜっ……?」
アダムが思わずそう言ったのと同時に、映像の中の、クリフと同じ金髪を持った壮年の王はつぶやいた。
「なぜだ、邪神の王……!」
ぶわぶわと、邪神の王の声が響き始める。
「私の勝ちだ。最後の人の王、シーフェルよ。約束通り、私はこの星に有害なお前たち人類を殲滅する……猶予は決して与えない。」
何もない場所から発せられる声は、美しくもあり、恐ろしい。
一見若い男性のようで、ぶわぶわとエコーがかかっているせいで、しわがれた老女のような声にも聞こえた。
「さあ、我が眷属たちよ……! この星に唯一残された大陸へと向かえ!」
そして、その声と同時に、どこからか地層を割り裂くような轟音が響く。
シーフェル王は混乱しながら、机をたたく。
「なぜこんなことを! 姿なき邪神の王よ! 私たちが一体、そなたらに何をしたというのだ!?」
「私の存在意義はこの星を観察し、維持し続けること。お前たちが何世紀にもわたる同族間戦争で大地を汚した罪は重い。」
シーフェル王は胸にかけたガラス細工のペンダントをぎゅっと握りしめながら、言う。
「どうか…どうか救ってくれ!! 他の国民は全て殺したとしても、せめて私の息子だけは……! 私にとって、大切なのは、あの子だけだ……! そのためだけに私はこの命懸けのゲームをしたのだぞ!」
姿なき邪神の王は、その声音のなかにある表情を変えることはなく、冷たく言い放つ。
「断る。言ったはずだ。私は賭けに関する約定だけは違えないと。それは勝者がどちらであっても同じ事。だが、お前はこの遊戯のよい相手だった。私の緩慢な時にわずかな楽しみを与えたぞ。褒賞として、お前に一つ、知恵を与えてやろう。」
「知恵……?」
「一万年前、お前の先祖は、かつてすべての時と記憶を司る最高の神性であった我が父ヨグ・ソトースを殺し、その肉体を切り刻み、ヤドリギの木の下に隠した。」
映像の中のシーフェル王は、何かをつぶやいたかのように見えた。だが、それが何だったのかはわからない。
アダムは思わずつぶやく。
「これが、さっき君の言っていた『知恵』なの?」
クリフはうなずく。
「ああ。そうだよ。父上は最期まで、このことばかりをつぶやいていた。」
「なんだと……!」
低いシーフェル王の声で、意識を現実から映像に引き戻された。姿なき邪神の王はわずかな感情をこめた声で言う。
「かの肉体は殺され、引き裂かれてもなお、いまだ風化せず、心臓の鼓動を止めていない。私は時折、その鼓動を感じる。あまりに弱く、感傷に満ちた父の魂が呼び掛け続けているかのように。」
そのとき、しゅわん、という音がした。そして、シーフェルの「足が消え始める」。
「時間だ。時の狭間より出ていけ。命は取らずにおいてやる。せいぜい、地上にてあがくがよい。人の王よ」
シーフェルは消滅しながら、叫び続ける。
「待て! 邪神の王! もう一度、もう一度賭けを!!」
「残念だな、シーフェル王。この世にやり直しの利くことなど、何一つない。私は遊戯が好きだ。せいぜい抗い、私を楽しませてくれ」