粛清と遠い追憶
イリヤはアダムの肩をつかみ、訴えかけるような目をしていた。
ガイアはそっとイリヤに向かい、語り掛ける。その声は冷静だが、わずかな悲しさもにじんでいた。
「……だめだ。あと数分で制限時間が来るというのに、移行すれば、アダムが死ぬ。僕ももう、数に余裕がなくて分けてあげられない」
イリヤはガイアを睨みつけて叫ぶ。
「王駒のお前らに何がわかる! 俺に死ねっていうのかよ!」
「イリヤ、落ち着いて……!」
アダムは心臓の鼓動が高鳴るのを抑えられなくなっていた。一体、どうすればいい?
イリヤはさらにアダムの胸に追いすがって言った。
「なあアダム、俺たち友達だよな!? お前が泣いてるとき、慰めてやったよな? お前がアストラに襲われたとき、俺、助けてやったよな?」
そうだ、その通りだ。今度は僕が助けてあげなくちゃいけない。アダムは震える唇でつぶやいた。
「わかった。それじゃあ」
ガイアは瞬間、アダムの体をイリヤから引き離した。
「ガイア?」
「もう君は、僕のメイトだ。勝手なことは許さない。」
イリヤはさらに焦り、叫びに近い声で言う。
「手出しするなよ! 俺、ほんとにこのままじゃ……!」
ガイアはアダムの目を見つめて言った。
「アダム。君はほんとうに、友達のために死ねる?」
アダムはその瞬間、震える唇を閉じた。
勅令放送が再び鳴り響く。
「王より勅令、王より勅令。これにて、討伐時間を終了とする。『不適格者』以外の全ての殲神は、王城への帰還を要請する」
放送が終わった瞬間、イリヤという少年は突如、自分の首輪を両手で抑えた。
「うっぐっ……あぁぁぁあぁあ!!」
激しい痛みのためか、少年の目がかっと見開かれる。
そして、彼はぱたりと、薄い紙のようにあっけなく地面に倒れた。
アダムは初めて見る『粛清』による死に、感情が追い付かず、ただ死体から後ずさった。
「……さあ、帰ろう。もたもたしていると、僕たちまで粛清の対象になる」
アダムの口から、自然に言葉がこぼれる。
「……こんなの、おかしいよ……時間以内に狩れなかったからって……!」
「だとしても、一体何ができる? 僕たちは狭い檻で飼われた殲神だ。王に従うほかはない」
「でも……」
アダムは恐れと衝撃のあまり、そこから動けずにいた。
耳の奥に、わずかな間だったが、自分に優しくしてくれた少年の声が蘇る。
時折襲う、思い出せない記憶へのある意識と疑念に苦しめられ、不安なアダムはよく、兵舎の談話室の窓にもたれかかり、空を見つめていた。
アダムは、自分の意識の深い底で、『いつか、誰かをひどく傷つけた』過去を自分が持っているような感覚に囚われることが幾度もあった。
その考えに一度支配されると、たまらなく恐ろしく、不安になる。自分が生きていていいのかすら、わからなくなるのだ。
決まってそういう時は、自分の体を抱きしめた。そうしないと、不安のあまり、窓から飛び降りてしまいそうだったからだ。
すると、必ずイリヤはそばにやってきて、アダムを慰めてくれた。
「何に悩んでるのか、わかんないけどさ。大丈夫だって。元気出せよ、アダム」
わずかな時間の付き合いで、イリヤがどこまでアダムを理解していたのかはわからない
――でも、僕はそんなイリヤのために死んであげることはできなかった。答えは簡単だ。イリヤよりも、自分の身がかわいかったから。そう、僕はいつだって、自分が一番大切なんだ。覚えていない、遠い昔もきっと……。
アダムは無意識に拳を握りしめていた。
ガイアは大鎌をしまい、アダムに告げる。
「上官の王駒として、君に命令する。僕と一緒に来なさい。僕たちはもう『メイト』なんだ。死が二人を分かつ時まで、運命を共にしてもらうよ」
アダムは茫洋とした意識のまま、ためらいがちに、前へと歩き出したガイアを見つめ、呟いた。
「ガイア…… なぜ君は、僕の名前を知っているの? なぜ、僕を助けてくれたの?」
ガイアはふっと、どこか寂し気に笑い、振り返っていった。
「運命が決めているんだ。……僕が決めているんじゃない」