深淵の声と危機
視認不可能生命体アストラを討伐するために編成された『殲神特殊部隊』に配属され、兵士となるための訓練期間は二日間だった。
同じ殲神の仲間たちも、自分も、ホログラム状に表示された修練用モデルのアストラを討伐専用武器『神の牙』で斬っているときは、これからどのような運命が待ち受けているのか、現実の戦いがどれほど過酷かを想像できなかった。
そして、アダムはなぜか隊長のダーレスから『戦闘の素質がある』と評された。実際、同時期に模擬訓練を受けた殲神たちのなかで、ホログラム状のアストラを誰よりも早く切り裂くことができたのは、アダムだった。
身の回りのものの名称がなんであるかは思い出せるのに、自分自身の過去、そして世界がアストラによって脅かされるようになった経緯についての記憶の一切を失っているアダムにとって、それは驚くべきことだった。
「もしかして、アダムが記憶を失う前は、少年兵だったのかもよ? それか、『ワルハラ』の過激派ゲリラか」
アダムと同じタイミングで訓練を受けたイリヤはそう言った。
『喪われた神』の細胞を移植し、適合手術に成功した『殲神』たちは、貴重な戦力として、『対邪神結界』とよばれるものが張られた都市、王城近隣の兵舎への居住を許可される。その二日間は訓練のあと、仲間とともに安全に過ごすことが許されたのだ。
その間、不安を覚えながらも、『殲神』の少年たちとアダムは、わずかな間に友情を築いた。
そして、その友人たちの半数は三日目の実戦で喪われた。
二人は『アストラ』に命を奪われた。そして、もう四人は『討伐設定数の不消化』によって、『粛清』されたのだった。
『殲神』たちには、能力に応じた『討伐設定数』が課される。そして、その数をこなせなければ、『粛清』機能によって命を奪われる。
その体制に気づいたとき、アダムは恐怖のあまり、眠れない夜を過ごした。アダムは初戦でもどうにか百体のアストラを狩ることができたため、粛清対象にはならなかったが、次の戦いでもし、こなせなければ、という恐怖に囚われてならなかった。
眠れないアダムは、殲神として目覚めた初めの日、首輪がようやく脊椎と接続されたときのことを思い出していた。
あのあと、クリフはアダムのベッドに座ったまま、『俯瞰鏡』とよばれる、「世界のすべてが見渡せる監視装置」を使い、ある街の様子を見せた。
「これに映っているもの、君になら見えるよね? あいにく、君たちと違って、か弱い人間の僕には見えないんだ」
そう言って、見た鏡の中に映っている化け物、そしてそれに襲われ、触手で貫かれる人々の様子を見て、首輪と脊椎が『一体化』した感覚に違和感を覚えながらも、アダムは息を飲んだ。
常人の目には確認できない怪物、アストラ。自分の目には見えているが、襲われている人たちは、知らないうちに殺されるということになる。
アストラは皆、地層に眠る『邪神の王』とよばれる姿なき神が生み出した自らの複製だと言われている。
彼らは邪神の王によって地層深くに無数に配置されたアストラ発生源から発生する。
発生源からはまず、「複製核」と呼ばれるアストラが定期的に生み出される。そして、いったん生み出された複製核を中心にアストラは複製され、増え続けるのだ、とクリフは言った。
その複製核を討伐することによって、ほかの複製体は消滅するが、複製核は地層深くに潜伏しており、発生から五時間程度が経過しなければ現れることがない。
そして、現れたときにすぐ複製核を討伐しなければ、複製核がさらに分裂し、アストラは無限に増殖する。複製核はオリジナル、つまり邪神の王に限りなく属性が近い強靭な生命体であるため、討伐は有能な王駒が行わなければならない。
なぜ、五時間が経過しなければ、複製核が現れないのかはいまだにわかっていないという。
クリフいわく、それは『邪神の王の遊戯』だという。
『邪神の王は賭け事が好きだったらしいからね。ま、父上がその賭けに負けて、世界がこんなことになってしまったわけだけど。だから邪神の王は、僕たち人類と君たち殲神を試してゲームをしているのかもしれないね』
ゲームをしている。
あまりにもクリフがその言葉を軽々しく語ったことに、違和感しか覚えなかったが、その言葉が本当ならば、納得は行く。
だからこそ、殲神がほかの複製体を大量に倒してからでなければ、『複製核』は現れず、永遠にアストラは生み出され、人々を脅かすのだ。
殲神以外の人間の目にはアストラは見えない。無力な国民を守るために、喪われた神と一体化した殲神たちはこの戦いを強いられている。
そして、クリフが自分たちに課した『討伐設定数』と『討伐制限時間』。『討伐制限時間』は、本来ならば、アストラの複製核を討伐しなければいけない時間である五時間に「余裕をもってもらうために」三十分を加えた五時間三十分に設定されている。そして、その制限時間内に、アストラを個人に課せられた『討伐設定数』の分を討伐できなければ、待つのは死だ。
一体、なぜそんなものがあるのかはわからない。管理のためなのか、服従を誓わせるためなのか……。クリフも、あのときは答えてくれなかった。
だが、この世界で何を疑い信じようとも、「決められた数のアストラを殺さなければ生き残れない、だが殺しさえすれば生き残れる」ことだけは紛れもない事実だ。
アダムはそう自分に言い聞かせ、恐怖を感じながら、必死で短剣を振るい、生き延びたのだった。
ギギギギ。ふと、耳元を『ノイズ』がかすった。
アストラの鳴き声だ。間もなく、自分の近くに顕現するのだろう。アダムは短剣を構える。
その瞬間、地中より、アストラが生まれいでた。アダムは恐怖を抑えながら、振りかぶり、ひときわ強く光る眼球に向かい、短剣を突き刺そうとする。だが、
「わ……が……みこ……める……じゅーぬ……わが……は……」
その瞬間、ノイズが、とぎれとぎれでありながら、まるで人間の声のように聞こえた。
――一体、なんだ? この声は……?
それと同時に、頭に閃光のようなものが走る感覚と、激しい頭痛がした。
アダムは思わず、頭を抑える。やめろと頭の中で叫んでも、記憶の奔流があふれかえる。
これは、何かの記憶だ。だが……これは誰の記憶なんだ?
一人の少女が泣いている。
彼女は……一体、なぜ泣いている? 教えてくれ。夢の続きを。僕が見逃してしまった、結末を。
腕を激しい痛みがかすめ、アダムは我に返った。
気づけば、アダムは激しく触手に腕を殴打され、短剣を取り落としていた。急いで短剣を拾おうとするが、それはアストラの触手によって、はるか遠くへと弾き飛ばされた。
「なにっ!?」
そして、アストラはアダムへと触手を伸ばしてくる。
短剣が吹き飛んだ先には、数体のアストラと抗戦している殲神がいる。何より、目の前をこのアストラがふさいでいる以上、そこへ近づけば、生きては帰ってこられないだろう。
アストラは触手をアダムに向かって伸ばしてくる。
アダムは判断する間もなく、後方へ逃げるべく、走った。
「アダム!?」
すれ違ったイリヤがそう声をかけたが、その声すら聞こえなかった。