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帰タラー 足早(1章)  作者: ちゃつね
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帰タラー 足早(1章)

一章


 窓から見える空模様は雲一つない快晴。

 天気予報では、今日は曇りで降水確率三十パーセントと言っていたが、予想以上に天気がよく絶好の帰宅日和。どうやら天気は俺の味方をしてくれてるらしい。

「足早くん、おはよー」

 それに実は、今日はかなり体の調子がいい。いつもよりも軽く感じるほどだ。

 自転車で登校してきたときだって、ペダルの踏み応えがあまりにもしっくりくるものだから、早く学校に着いた。いつの間にか調子にのってスピードを出してたっぽいな。    

 そのおかげで今は、帰りのための天候予測に力を入れることが出来てる。

 今日こそは……いや、今日は絶対早く帰る! これは確定事項、変えられぬ運命だ。

「ねぇ、足早くん聞いてる?」

 それよりなんだ? このクラスの連中ときたら、あと十分ほどで朝のSTが始まるってのに教室を見渡しても……。

「あっ、気づいた? おはよっ」

 ――全然いないっ! 

 空席が多過ぎ……。逆に登校して来てる生徒が目につくとかあり得んだろ。

 これじゃあ俺が、学校が楽しみで張り切って早く来たみたいじゃないか!

「い、いきなり机叩いてどうしたの!?」

 俺は早く帰りたいだけで早く学校に来たい訳じゃない。誤解しないでくれ。

 でもこれじゃあ帰タラーじゃなく、来タラーだと思われるかもしれん。

「………おい」

 にしてもおかしい。なんでクラスの連中のほとんどは登校して来ない?

 いつもこんなに遅かっ……たか? ――ま、まさか!

「ああああぁぁぁくそがっ! 糞糞糞糞糞っ! なんで来ないんだよ! 早く来いよっ!」

「いきなり何っ! ちょっとどうしたの!? そんなに机叩いて――ちっ」

 奴ら、朝のSTに出ないつもりかっ! 

 くっ、意外に抜け目のない連中じゃないか、見事に出し抜かれるところだったわ。

 これはクラスぐるみ。いや、廊下の人通りの少なさを見る限り、二年生全体での朝のSTをボイコット。でも朝のSTはそこまでするほど大それたものじゃ……ていうかSTってなんだ? 考えてみればこういうものはHRっていうはず。確か中学でもそうだった。

 翻訳すれば、たぶんSTってのはSがショートでTがタイム。ってところか?

 おそらく、朝の、帰りの短い時間ってところか。連絡事項を報告したりするための。

 STは朝の授業前と、帰りの授業後に行われる十分間の時間だ。

 確かに短いと言えば短いが、こんな単純な訳ではない気もする。

 もっとこう深くて、複数の意味が掛かっているような……。

 まずはTをタイムであると仮定してSから考えてみるか。S、S――。

「足早くん。隣席のこんな可愛い子が挨拶してるのに返事もなしなの? いきなり叫びだすようないかれた男の子を心配してあげてるってのに…………いいのか?」

 そ、そうかsabotage(サボタージュ)! 確かサボるはサボタージュが語源だったな。

 少し安直な気もするが、これなら今の状況にも説明がつく。

 朝の、帰りのサボる時間。Tがタイムの訳で丁度当てはまるじゃないか!

 ST――これはこの意味に気づいたものから、サボれるというものだったんだ!

 はんっ。まだ意味に気づかん間抜けな連中は、これからものこのこと登校して来ればいい。俺は明日から、いいや、今からサボらしてもら――。

 突如、俺の右頬あたりをものすごい勢いで何かが掠めていった。

「なっ、なんだっ!!」

 それは椅子から立ち上がろうとした瞬間。

 窓からの心地よい風を閉ざすカーテンだった。

 誰だよいきなり! カーテン閉めるほどの日差しは強くないだろ。むしろ心地良いくらいだってのに。――って、そんなことはどうでもいい。一秒すら時間は惜しいからな。

 教室を出るため、俺を包むように風で膨らんで、小さな空間を形成しているカーテンを除けようと手に――。

「たっ……」

 手に取っ――。

「……くっ」

 手に取れそうで――。

「…………どけよ」

 俺の足止めをするつもりらしい。ふわふわ風に揺られて膨れ上がる白いカーテン。

 風が弱まりカーテンが戻って――来る! 

「ああぁあぁぁぁっ、モコモコ膨らみやがって鬱陶しぃっ!」

 俺は後ろに引き絞った右腕を放った!

 所詮はカーテン、ちょっと分厚いくらいの布っきれ。

 俺の拳はすぐに埋もれこんで、確かな感触と共にカーテンを奥へと押し切る。

 ……あれ? おかしくないか?

 風に煽られたくらいのカーテンに手ごたえなんて感じるはずは……。

 そう思った時にはすでに手遅れだった。

 肉打つような鈍い音が鳴った後、盛大な金属音と共に悲鳴が聞こえた。

 拳には柔らかい嫌な感触が残っている。

「え?」

 カーテン越しに何か…………誰かいたのかっ!?

 慌ててカーテンを捲って後ろに放ると、目の前には机と椅子を巻き込んで女の子が倒れていた。

「――ごっご、ごめんっ! 大丈夫!?」

 駆け寄って声をかけるが、女の子は首を傾け横たわるだけで返事をしてくれない。

「足早くん、どうしたのーっ? ロコモコが何かとか叫び声聞こえて来たけ――えっ」

「ねぇ、何かすっごい音してたことない? って大丈夫っ!?」

「……なにこれ。何があったの?」

 教室の後ろの方で談笑していた女子達が何事かと駆け寄ってきた。

 マズイな。俺の叫び声なんか出してた? 

 気を付けないと頭おかしいと思われ――それどころじゃない!

 ……やってしまった、取り返しのつかないことをした。

 俺が悪い。どうみたって百パーセント俺が悪いことはわかってるけど……女子三人の「お前なんかしたろ?」みたいな疑いの眼差しが辛い。

「いや、そのぉー……事故?」

 重圧と罪悪感のせいか、ちゃんと目を見て答えられない。

 見る限り女の子に外傷は無さそうだけど、動く気配がない。

 カーテン殴った勢い余って女子も殴ったとか、俺の学校生活終わった。

 さらに何事かと、席に座っていた連中まで駆け寄ってくる始末。

 どんどん騒ぎの沈静化も困難な状況に……。

「――んっ」

 だが俺の不安とは裏腹、倒れていた女子がドキッとするような甘い声を出し、ふらつきながらも立ち上がった。

「……だ、大丈夫だよ、みんな。ごめんね心配かけて」

 女子が柔らかい笑みを浮かべると、少し場の空気が和み、周りに集まっていたクラスの連中は、

「ほんとに? 無理してない?」

「保健室行かなくても大丈夫?」

 すでに俺の事なんか眼中にないようで女の子の心配をする。

「実は朝から調子悪かったんだ……寝不足かな? あとでコーヒーでも買って来るよっ」

 女子がニコニコしながら答えると、クラスの連中は安心した様だった。

 よかったよかったと、散乱した机や椅子を片付け始める。

「足早くんも私がいきなり倒れたからビックリしたでしょ? ごめんね心配かけて」

 片付けに入るタイミングさえも逃し、呆然と立ち尽くす俺に女の子は声を掛けてきた。

 被害をくわえたはずの俺を庇ってくれるのか? なんて優しい……なのに俺は……。

「いや、俺が悪いんだよ。そっちが謝る必要なんて! ……人がいることに気づかなかったとはいえ、あんなこと……っあれ? お前、天ノか――」

「ちょっとこっちこいや」

 クラスの連中が片づけを終え、それぞれ散っていったと同時。

 俺は再びカーテンの中へ押しやられた。

「お、お前があんなところにいたから……」

「いきなり殴りかかってくるなんて頭おかしいの? 学校の人気者に殴りかかるとかないわー、足早」

 カーテンに覆われていて、俺以外に素顔を見られないと解ってか、いつものように表情を隠さず、眉間にしわを寄せて口角をつり上げ、俺の胸倉を掴んできた。

 だが顔立ちが幼くて背の低さも手伝ってか、全然迫力がなかった。

「か、顔近いわっ! それにわざとやった訳じゃないって。悪かった」

「何だ? 女の腹殴って興奮してんのか? 興奮してんのか? お?」

 挑発するように俺の頬をぺちぺち叩いてくる。

「そんな性癖ないっての!」

 胸倉を掴む手を振り払ってやると、天ノ上は「けっ」とつまらなそうに吐き捨てた。

 訂正しよう。迫力は確かにないけど、こいつの心の持ちようは本物だわ。

「つれねーな足早、もっと遊ぼうぜーっ。どうせぼっちで誰も話す相手いないから遊んでやってるってのによぉ。やれやれ」

 肩口まで両手を軽く上げる天ノ上。は? どうして俺が呆れられてんの?

「お前意外と暇だな……ってぼっちじゃねーわ! 自分から関わり持ちに行ってないだけだっての」

「ぼっちってみんなそういうこと言うよなー」

「クラスの注目の的がぼっちの何を知ってんだよ」

 あっ……。これじゃあ俺、自分がぼっちだって認めてない? 

 ぼっちじゃなくて俺帰タラーね。ぼっち=帰タラーってわけじゃないから。

「ちゃっかりランク下げんな。学校中の注目の的だ」

 不満だったらしく、天ノ上が眉を寄せ訂正した。

 自分で言っちゃうあたりがすげーよホント。絶対に本心で言ってる。目がマジだもん。

 でもここで天ノ上がクラスのちょっとした人気者かどうかなんて争っても、早々に片付く論点じゃない。それに俺には言わなければいけないことがある。

「……それより、まぁなんだ……大丈夫か?」

「あ? 何が?」

 今、呑気にクラスで過ごしてる連中に見してやりたいわ。

 学校中の注目の的とやらが、あ? とか言ったぞ。

 俺はなんとか腹の中だけでつっこみを押えて、話を続ける。

「は、腹だよ、腹! さっきのことだよっ!」

「あぁー、なに? 心配してくれんの?」

 そりゃあさっきからこれ見よがしに腹押えてたら気になるっての……。

「い、一応女の子だしな……ごめん」

「一応は余計だ。ぼっちの癖に心配とかいっちょまえな」

「だからぼっち関係ねぇっての。もういいわ!」

 ぼっちは心配することも許されないのかよ、扱いひでーな。俺には関係ない話だが。

「まぁまぁ、それじゃあ俺にも非があるからさ、2対8くらいで足早が悪いってことでいいだろ?」

 興奮した馬をあやすかのように、どうどうとあやされる俺。

 天ノ上、女の子なのに俺とか言うなよ。凄く残念な感じに見えるぞ。

「……よし、十割足早が悪かったってことで手を打とうか」

「うん、全く許す気ないなお前。結局全部俺が悪いじゃねーかよ」

 俺の心の中でも読んだのか、譲歩してくれた分をすべて取り下げられた。

 いくらこんな奴でも手を出した俺が悪いからあまり文句は……。

「ん、なんか不満か?」

 俺の心の不快指数でも読み取ったらしい。

 天ノ上は怪訝な顔をして口を開き言葉を続ける。

「だって足早俺のこと無視するんだからしょうがないだろ? ちょっと驚かしてやろうと思っていきなりカーテン閉めたら、ぶつぶつ言ってるんだから絶対からかってやろうと近寄った瞬間、いきなり腹に殴りかかってくるんだから。ふいに後ろに飛びのいて勢い殺してなかったら、さすがに俺もやばかったわ。もし他の奴も巻き込んで倒れてれば足早のせいに出来て……惜しかったな。まっ、要するに全部お前のせい。な、足早」

「お前悪意しかねぇなっ! 絶対からかってやるとか、そんな言い方されたの初めてだわ! いつもいつも絡んできやがって、何が目的だっ!?」

 一年の頃に可愛い子がいるって噂になってた奴が、二年になって同じクラスになったと思えば、こんな奴だったとは。やけに俺にだけ当たり強いし……でも無視してたの根に持ってたとか、意外と可愛い奴なのか?

 そんなことも解らないのかと言いたげに、天ノ上はため息をついて一言。

「足早くんのこと好きって理由じゃ駄目?」

「――えっ。ちょっ何? なにそれ? 別に……えっ!?」

 いきなり不意をついてくるもんだから取り乱した。

 なんだよいきなり。もしかして妙に俺にだけ絡んでくるのも……気があったからなのか? そんなこといきなり言われても困る。けど――。

「……と、まぁこんな感じで、足早からかいやすくて楽しいからなー」 

「お、お前っ!」

 一瞬だけ猫被りやがって、若干揺れそうに――いやいやそんなことはないっ!

 天ノ上とか全っ然可愛くない! 可愛いは正義とかあれ嘘。こいつはただの糞アマだ。

「てかさー、足早さっきどっか行こうとしてなかったっけ? STがなんちゃらとかぶつぶつ言ってんの聞こえたけど……もうすぐ朝のST始まるぞ?」

 やはり欠片もそんな気はなかったらしく、天ノ上は思い出したかのようにあっさり話を変えてきた。

「お前が絡んでくるから出遅れただろ」

 あぁそうだ。この時間はサボれる時間だ。ったく無駄に時間を取らせやがって。

 さっさと教室を出て、図書館かどっかで早く帰るための作戦でも立てよう。

「まぁ後悔すればいいさ。真のSTの意味を知らないお前らは……な」

 やばい、今の俺ちょっとかっこ良くなかった? 

 天ノ上の横を素通りしてカーテンを捲る。

「え、なに? 真のSTの意味って。普通にショートタイムの略じゃ――」

 いつの間にか教室には殆どの生徒が登校してきており、俺たちの席と他に数えられるほどの空席があるだけ。

「あれーっ? 足早くん行かないのー?」

 カーテンから出てきた天ノ上は、いつも通り猫を被った声を掛けてきた。

 憎たらしい笑みを向けて「邪魔」と、死角から俺の横っ腹に拳をめり込ませてくる。

 そして何事もなかったかのように横を通り過ぎ、隣の席に着く。

 あーそうそう。さっきのSTの真の意味とかいうのネタだから、本気で言ってるわけないからね。サボタージュタイムとか何だよ、馬鹿? そんな意味だと思う奴いないっての。

 俺は静かに席に着いた。


「なーなー足早」

 子供が縋るみたいに、後ろからぐいぐいと制服のワイシャツを引っ張られる。

「……なんだよ。まだなんかあるのか?」

「あーしーはーやー、こっち向けよー。背中に喋りかけてたら寂しいじゃんかー」

 たらたらと相変わらずのマイペース口調で駄々をこねるのは、韋駄)県一(いだけんいち)

「いちいちうるさい奴だな。前後の席で話するのに特別向かい合う必要ないだろ? 俺はこの状態で全く問題ないんだよ」

 いつも通りに一、二時間目に帰りへの英気を養うため仮眠をとった俺は、次の三、四時間目にする帰宅ルートの段取りを立てている。

 このまま会話が続いたら作業が進まん、こんな奴さっさと振り払ってやろう。

「それに安心しろ。背中に話しかけてるのはお前だけだ。俺は前に誰もいないからな」

 普段クラスの連中は、何故か俺が帰るとき以外ほとんど絡んでこないが、韋駄だけは見境なく絡んでくる。こいつは少しでも気を許せば付き纏ってくるタイプだ。俺にはわかる。

「へ? 誰もいないのに喋ってる方が寂しくない? ――って、その手があった!」

 俺の前の空席に滑り込むように移動してくる韋駄。しまった、失言だった……。

 とっとと追い払ってやりたいけど、責めづらいことこの上ない。

 そんな目が線になるほど嬉しそうに笑ってたらねぇ……。

 韋駄は男の俺から見てもそこそこ顔も良く、すらっとした細身の体型だ。このいつも見るアシンメトリーに外側にはねた髪も律儀にセットしてるんだろうな。俺なんか水つけてちょちょっと寝癖なおすくらいだってのに。色気づきやがって。

「でさでさー。あ、なに? 勉強中だった?」

「え? あぁ――しゅ、宿題だよ!」

 今日の大まかな帰宅プランを書いていたルーズリーフを、速攻で机の中に放る。

「いぁー、そんなに宿題宣言しなくても疑ってないってー。な?」

 う、迂闊だった。もう少しで俺の帰りのプランが見られることに。

 もし見られてたら今日の帰宅を邪魔されるかもしれない。気をつけないと……ただでさえこいつは、毎回しつこく一緒に帰ろうって誘ってきやがるんだから。

「……で、何か? まだ何か用でも? それなら早くしてくれません?」

「うわっ、冷たいなー足早。なにその事務的な対応。なんか怒ってるのかー?」

「別に怒ってねーって。俺がキレる要素なんてどこにあったんだよ」

「んー……だから聞いたんだけどなぁ」

 ふて腐れたのか、勝手に俺の机に両手を伸ばし倒れ込むように顔をつく韋駄。

 こいつ人の揚げ足ばっかとりやがって……。

 抜けてそうで、たまに正論言う所がなんかイラッとする。

「なんだよ。聞きたいことあったんじゃないのか?」

 このままここに居座られても仕方ないから、さっさと帰ってもらうため会話を促す。

「えーっと……あっそうだ。足早って天ノ上さんと付き合ってんのー?」

 また天ノ上の話か。朝のSTが始まる前、天ノ上とカーテンの中で何してたのか、さっきまでしつこく聞いてきたばっかじゃ……待てよ。年頃の男女がカーテンの中で……あれ? なんかちょっとエロくない? まぁお楽しみなことは何一つしてないけど。

 そんなんこっちからごめんだっての、あんな憎たらしい奴。顔も童顔だし、どうせまな板の幼児体型だろ? そんな奴と俺が付き合ってるわけ――え?

「ど、どどうしたらそんな風に見られんだよ!?」

「あ……。マ、マジだった?」

 韋駄がしまったと言いたげに口をおさえる。

「ち、違うって。違うからな! そんなことさらっと言うもんだから驚いたんだっ!」

「そーなん? 足早と天ノ上さん仲よさそうだからてっきり……。天ノ上さんが自分から誰かに話しかけるとか珍しいからさー。ましてや男の足早に。それに年頃の男女がカーテンの中で……はっ!?」

 何か思い出したように韋駄が顔を上げる。

「あれ? なんかちょっとエロくない?」

「エロくないわっ!」

 俺は眼の前の頭を押さえつけ、再び机へと沈めた。

 恥ずかしい、俺も全く同じこと考えてたとか言えない……。

 でも韋駄の言っていることもわからない訳じゃない。

 確かに天ノ上が、自分から誰かに話しかけるとこは殆ど見ない。女子とすらあんまり話してるのを見ないのに、自分から男の俺に話しかけてくるとか……周りが勘違いしてもおかしくないか。今だって一人、隣の席の天ノ上は本読んで――なっ、このアマ!

 隣を見ると、天ノ上が俺を見て中指を立てていた。

 更に口パクで、二文字の俺を死へといざなう言葉すら唱えてきてやがる始末。

「おい韋駄っ。天ノ上がこっちに中指立ててきてるぞ、見ろってほら!」

 うつ伏せの韋駄の首を無理やり向かせる。

「いっ、痛いって……はい嘘ー。足早なりの精一杯のボケありがとー。でも天ノ上さんそんなことしないからー」

 あ、駄目だ。こいつも完璧に洗脳されてやがる。

 ……おい、天ノ上も何勝ち誇ったような顔してんだ。

 それ以前に、隣にいる奴の話をその隣ですること自体無神経すぎるだろ! 俺はさっきから声ひそめて喋ってんのに、こいつはべらべらと……。

「お前は本当の天ノ上を知らないんだよ。……実際めちゃくちゃ性格悪いし、普段のあれは猫被ってるから! 余所行きの格好だからっ!」

 韋駄にしか聞こえないくらい小声で喋ってんのに、どうして天ノ上が睨んでくんだ。

「足早、そりゃないわー。悪口言って、天ノ上さんの価値貶めるなんて最低だぞ。まー、そんなありもしないこと足早の親ですら信じないけどさー」

「親にすら信じてもらえないとか、どんなけ俺信用ねぇんだよ!」

 あー、鬱陶しい。この女、腹抱えて笑いやがって。見事に全部聞かれてんじゃん。

 別に天ノ上の価値貶めなくても俺の中ではすでに最低――あ。

 まな板だと思ってたけど、天ノ上って意外と……。

 制服のブレザーに押さえつけられてても胸のふくらみが――ちょっと評価上げるわ。

「もういい。後から「天ノ上めちゃくちゃ性格わりぃぃぃ」とか言っても知らんからな」

「大丈夫だってー。天ノ上さん、可愛いし、性格良いし、悪いとこ見つけるのが難しいくらいだからー」

 こいつ視覚無いの? あぁ、見た目がいいってのだけは合ってるから機能はしてるか。それよりさっきから俺の机にお前のよだれ垂れてんだけど……もうキレていいよな?

「……もう用が済んだんなら早く自分の席戻れよ。それと――」

 よだれも拭いていけよ。と言おうとしたが、常に顔の筋肉が緩んでるような韋駄が、珍しく真面目な面構えをしてたせいか躊躇った。

 でも俺には、韋駄の考えているであろうことは予想で来ている。

異常なほどの天ノ上推し=韋駄は天ノ上が好き。っていう方程式は出来上がってんだ。どうせ仲取り持ってくれとか言ってくるんだろ?

 こっちが取り持ってほしいくらいだってのに……俺の場合は方向が逆だけど。

「先に言っとくけど、俺には何もできない」

「足早ー、天ノ上さんに声かけるのどうしたらいいかなー?」

「いや、だから俺は――」

「天ノ上さん喋りかけにくいオーラ出てるしなぁ……女子ですら一歩引いてる感じなのに男の俺が喋りかけに行ったらなんか下心しか無さそうじゃんかー」

 こいつ全く人の話きかねぇなぁ。がっつき過ぎだろ、顔近いし……。

「……それならあきらめろよ。男が女に話しかける理由なんて八割が下心だろ? 男なんてみんな下半身動物。そんな俺らが何を今更……」

「やめろやめろやめろーっ! どんな目で男のこと見てんだ!!」

「どうせ男なんてみんなそうだろ?」

「男にトラウマでもあるのかよ……」

 初めて見る韋駄にあからさまに引いた顔で、ものすっごく哀れまれてるのが解る。

 でも別に俺は、男が嫌なわけでも女が嫌ってわけでもない。

 俺が嫌なのは俺の帰宅を邪魔してくる奴らだけ。

 変な方向に勘違いされても困るから、一応訂正は入れておくか。

「言っておくけど、何かしらのトラウマなんてものは無いからな」

「わかってるわかってるー」

 確実に理解して無さそうな返事をした韋駄は、そんなことよりも意見をくれと言いたげに、ペンと紙を持ってキラキラとした期待に満ちたまなざしを向けてくる。

 案を出せということか? ならさっさと上手く丸め込んで帰らしてやった方が早いな。

「……お前、そんなんでも一応男子のクラス委員長だろ? だから職権乱用して適当に話しかけるってのはどうだ?」

「おいおい、足早―。そんなんとかひでーなっ。しかも職権乱用とか、もっと良い言い方あるっしょ。なんかやり方姑息すぎない?」

 失礼なことに韋駄はプッシュしてペン先を戻し、紙と共にポケットにしまいやがった。

 ものすごく馬鹿にされたような気がして癪に障るので、もう一つだけ案を出す。

「じゃあ、同じ部活にでも入って繋がり作るとかは?」

「2点。あげても2点。ほんとは点数すらつけたくないなー。ちょっと真面目に考えてくれてるようだけど単純すぎるんだわー。教科書かよっ。っていうか、それ以前に天ノ上さん部活入ってないしさ。そんなことも知らないのかー? よく話してんのによ」

 何が二点だよ。せっかく助言してやったってのに。

 そんなに話したいなら今隣にいるんだから話せばいいだろっ!

 こっちは普段、天ノ上とまともな会話なんてしてないんだっての。

 ストレス発散まがいの理不尽な八つ当たりに付き合わされるだけでな!

 俺があからさまにイラついてることが解ってか、韋駄は一瞬やっちまったと言いたげな顔をしたが、何事もなかったかのように話を続ける。

「まー、俺も入ってないけどー。てか足早は入らないの?」

「部活なんて入るわけないだろ? これから入るつもりもない」

 部活なんか入ったら早く帰れなくなる。俺は帰宅部で十分だ。

「そっーかー、でも気を付けた方がいいぞー。なんか今年はラグビー部が血気盛んらしくてさ。運動神経よさそうだと判断されたやつは学年関係なしに拉致られて、無理やり入部させられるって話だからー」

「拉致って……。でも俺には関係ない、何されても入る気なんてさらさらないからな」

「ま、頭にだけでも入れといたほうがいいぞ」

「はいはい」

 少し辺りを見回しつつも、小声で俺に忠告してきた。

 部活勧誘ごときで拉致とか、大げさに言いやがって……。

「はぁー。でも足早と天ノ上さん付き合ってなかったのかー」

 不服なことでもあるのか、何故か韋駄はため息を吐いた。

 お前はそこ喜ぶところだろ? 天ノ上のこと好きなら。なんでちょっと微妙な顔?

「どうしたんだよ。問題でもあるのか?」

「問題っていうかなー。……率直に聞くと、足早嫌がらせとか受けてなかった? 天ノ上さんと仲良くしてる男なんか嫉妬で嫌がらせ受けてもおかしくないと思ったんだけどさ」

「嫌がらせか……」

 それじゃあ、帰りに俺の邪魔してくる男連中は、みんな嫉妬野郎どもってことか? ……あの糞メガネぇぇっ! それに――。

「なら、お前も俺に嫌がらせしてるってことだよな。いつも俺の邪魔してくるの意図的ってことだよな? 自分で吐きやがったな。よだれも吐きやがってるしな。よし、ちょっと表出ろ」

「え? ちょっと違うって。何言ってんの何言ってんの? 天ノ上さんをそういう見方してる訳じゃなくて仲良くなりたいだけだからー。それに俺、足早に何もしてないからー」

 何もはしてねぇことはねぇよ。少なくても俺が早く帰る邪魔はしてるだろ。

 目の前に天敵がいることを再確認した俺は、韋駄を睨み付ける。

「下手な言い訳しやがって。みんなそういうんだよ」

「言い訳じゃなくて本気だってー。みんなと仲良くなりたいんだよー、俺は」

 全然臆することなく話す韋駄が、拍子抜けするようなぬるい回答をしてきた。

「言ってろ言ってろ。そんなやる気の無さそうな口調で言われても説得力ないわ」 

「じゃー、今日は俺らの親睦を深めるってことで一緒に帰――」

「じゃあってどこにそんな流れがあった。一緒に帰るとかないわ。本気でひく」

 肩に手を置くつもりだったのか、腕を伸ばしてきたので空中で叩き落してやった。

 韋駄はじれったいといった様子で地団駄を踏みだす。

「ああぁっ、もー。なんで足早そんな一緒に帰るの嫌がるんだよー」

「別に大した理由じゃないから気にするな」

 昔に仲が良かった奴に裏切られてとか、そんな過去もないし、人と交わるのがめんどくさいとか思っているわけじゃない。それ以上も以下もない。

 俺は早く帰りたい、ただそれだけ。

 韋駄はぶつくさと不満つぶやきながらも、席を立って教室を出て行こうとした。

 俺は背中を見送りつつも、帰宅ルートの段取りを書いていたの紙を机に出す。

 でも手元にはよだれが残っていたせいで紙が湿って……。

「おい、待てよ」


「きりーつ」

 いつも通り、女子のクラス委員長の気持ちのいい号令で立ち上がるクラスメイト。俺も同じように椅子を後ろへと引いて立ち上がる。

 そういえば韋駄、委員長のくせに一回も号令掛けてるとこ見たことないな……。

「えっ? ――ってぁぁああっ!」

 後ろを振り返ると、ぼーっとしていたのか韋駄が慌てて立ち上がっていた。

 こんな奴にまかせられないか。爽やかさの欠片もない。

 後ろのアホ。最後の一人が立ち上がるのを確認し、委員長は号令をかける。

「……れいっ」

『さよーーならー』

 周りが委員長の掛け声に合わせて挨拶をする。

「さ、さよぉ……なら」

 俺は慣れない恥ずかしさに耐え、少しタイミングは遅れたがきちんと挨拶をした。

 そして、その場で数秒間の静止…………クリア。

 いつもここで一緒に帰ろうと誘われるはず。けど、今日は声がかからなかった。

 休みのときに強く断った成果だ。韋駄はいつものように誘ってこず、後ろのロッカーの方へとだらだら足を引きずるようにして歩いていた。落ち込んでるのか?

 背中が寂しそうに見える。そんなに一緒に帰りたかっ――いや違うな。

 俺の帰宅を邪魔できなくてふて腐れてるだけ、そうに決まってる。

 筆記用具とルーズリーフを外のポケットにしか入れてない、軽量化した鞄を持ち上げ肩にかける。鞄の取っ手が袖をすり抜ける音が耳に入ってくる。

 鞄に荷物をしまっている天ノ上が横目で俺のことをちらちら見ていた。

 俺は三、四時間目で決めたとおりのプラン、五、六時間目でやったイメージトレーニング通りに行動すれば大丈夫。更に今日は七時限授業だったから、最終確認まですることが出来た。今日はかならず成功する!

「それじゃ天ノ上、また明日」

「――あ、あぁ足早くん。ばいばい……」

 訝しむような視線を向けている天ノ上に挨拶を済ませると、

「足早がおかしくなった、足早がついにおかしくなった、足早はやっぱりおかしかった、足早あしはやあしは……」

 顔を俯かせてブツブツつぶやき始めた天ノ上。ただ挨拶しただけなのに、何この言われよう。人として当たり前のことをしたのに、帰タラー差別だっ! 

 まぁでも、今日の俺はいつもと違うことは確か。それはある法則に気づいたからだ。

 そう、今までの俺は注目を浴びぬよう自分の行動を徹底していた。

 でもそれが仇となっていたんだ。

 木を隠すなら森の中。人を隠すなら人ごみの中。帰タラーを隠すなら帰タラーの中。

 でもクラスの連中は帰タラーじゃない。それなら俺がこいつらに合わせればいい話だ。

 それで俺はただの高校生。特に珍しくもないただの男子高校生になる。

 そんな俺に誰が興味を持つ? これなら話しかけられることもないだろ。

 ここで帰タラーさを出すのは駄目だ。極力、生活音の消音には心がけないことが必要。そうすることで俺は、クラスの一部として完璧に同化出来るはず。

 道なりに教室の前扉を目指すため足を進めると、またも金曜日と同じように女子二人が談笑をしている。また道の真ん中……。

 あえて前と同じように、ペンを落とした方の女の子の後ろをさっと通り抜ける。

 ――が、何も起きない。前落としたのは偶然だったのか?

 もう絶対に拾わないつもりだったからな。でもまた落としてきたら、どっかの誰かと違って一切の不純物を感じない、あの笑顔欲しさに揺らいでだかもしれん。助かった。

 今まで早く帰りたいのに、話しかけられても無視しなかったのも、落としたものを拾ってやっていたのも、周りに注目されないがためにすぐ対処していたに過ぎない。

 親切心で拾おうなんて思ったことは一回たりともないからな。勘違いしないでほしい。

 教室の前扉の方へと視線を向けると、部活の時間が惜しいんだろう、運動部員たちがさっさと教室を出て行く。

 扉も開けっぱなし、教室を出るまでのモーションが一つ減って助かる。

 今日は七時限授業だからな。時間が遅いせいか、早く教室を出ていく生徒が多いおかげで、それに紛れて出ていくことが出来るわけだ。

 挨拶をしてから何のアクシデントもなく最前列へとたどり着いた俺に、やっぱりアイツが妨害をしてきた。

「あっ――あああぁぁっ!」

 一番前の席に座るメガネが、またもや俺の足元に教材をばらまく。

 こいつ固定トラップかよっ! 百パーセントわざと、大根役者すぎる!

 それをもちろん俺は――。

「ごめん、いつもいつも拾わせて……」

 教科書を蹴飛ばす。

「……足早くん?」

 無視して蹴飛ばす。

「えっ、ちょ、足早くん? 何やって……ひろって……」

 眼鏡の机の方へ蹴飛ばす。

「――あ? なんだって?」

 自然に足がぶつかったふりをして、踵で最後の一つを蹴飛ばしてやる。

「言っておくけど、お前が今までわざと落としてたことにはもう気づいたんだ。もうドジなふりすんはやめろ。もう二度と拾ってやらん。せめても足跡が付かないように、足先で蹴り寄せてやったことに感謝するんだな」

 と言ってやりたかったが、ぐっと堪えてメガネの横を通り過ぎる。

 メガネの瞳が若干潤んでいたような……悔し涙かよ。この野郎。

 今まで俺が律儀に拾ってやっていたのが間違いだったんだ。甘やかしすぎていた。自分で落としたものは自分で拾う。でも気づいたら拾ってあげる、それが優しさってもんだ。

 でも気づかなかったら、拾わないよな? だって落としてることすら知らないんだもの。

 だから今日は気づきませんでしたー。

 俺は最前列の角を曲がって扉の方へと進み、教卓の前を抜ける。

「あ……ちょっといい? 足早くん」

 珍しくも、いつもは教卓の前でおろおろしている和気先生が声を掛けてきた。

「え? はい。どうしたんですか?」

「ちょっとだけ、いいかな……?」

 教卓の前からそーっと移動して、窓際のカーテンの方へ移動する和気先生。こっちこっちと言わんばかりに手招きする。全然似合ってなくて、むしろ怖い……。

 さすがに先生を無視するわけにいかない。逆走することに萎えつつも和気先生のもとへ。

「ごめんね。急いでるみたいだったけど、聞きたいことがあったから……」

 和気先生は申し訳なさそうなオーラ全開で、少し顔をうつむかせ気味に話し出す。

 和気先生そこは、

「わるいな足早。急いでるみたいだったが、時間は大丈夫か? 聞きたいことがあるから少し時間を割いてくれ」

 とでも言ったほうが似合う。和気先生は見た目と性格があってなさすぎるから。

 ふわふわしている感じの人で、服装はほとんど私服。髪もゆるりと長めな柔らかい雰囲気だと似合っていたけど――全く正反対。

 きっちりと着こなしたスーツに、肩口まで伸びたシャープな黒髪、吊り上った目にクールな横顔。まさに出来る女教師とでも言ったような感じなのに……。。

「いや大丈夫です。なんかすいません。特にそういうわけじゃないんで、続けてください」

 さっき頭の中で、見た目通りの風格漂う感じに再生してしまったせいか、少し返事に臆してしまった。

「え、えっと、どうして謝るんですか? ……そうですね。あのー」

 顔周りの髪に触れながら思案顔をする。言いにくいことなんだろうか?

「……どうしました?」

 聞きたいことって、なんか俺やらかした? 

 まさか、さっき眼鏡にいじわるしたことかっ!?

「足早くん。困ってることって、ないかな?」

「こ、困ってることですか?」

 想像していたことと違っていて、思わず聞き返してしまった。

 困ってることか……。それはもちろん、帰りにクラスの連中が俺に話しかけてくることや、帰りにクラスの連中が明らかに俺の邪魔をするようにしてくること。帰りに天ノ上や韋駄やメガネや……帰り道のあの……それはもう思い出したくもないほどあるけど――。

「いや、今の所特にはないですね」

 これは自分で処理すべき問題だ。和気先生に頼るなんて真似は出来ない。

 それに今日は上手くいっていて、少し活路も見えてきたところだ。

「ほんとに? 例えばクラスでいじ――上手くいってないとか?」

「あー。そ、そういうのは大丈夫です」

 いじ? なんか遠まわしに言われたような。……あぁ。俺っていじられてるのか――っていじんなよ! 帰タラーいじったところで何も出ないってからな!

「……そっか。なら頼りないかもしれないけど、話したくなったら先生に言ってね」

 日が陰ったような表情をした和気先生だったが、すぐに表情を明るくする。

「ごめんね時間取らして。それじゃあまた明日、気を付けてね」

「は、はい。わかりました、それじゃあまた明日……」

 和気先生って意外と鋭いのか? もしキツく質問攻めされてたら喋ってたかもな。

 そりゃあ威圧感あるもの。ギャップのせいか、もし本気で怒られでもしたら――っ。

 気のせいだろうか。一瞬寒気がするような視線を感じたから、慌てて教室を出た。

 

 俺は愛車の、メタリックブルー色の自転車を駐輪場から出して跨り、正門へと漕ぎ出す。

 二年生の駐輪場には俺以外の生徒はいなかった。校舎を出ても部活に向かう連中ばかりで、帰ろうとする生徒は数えるほども見ない。

 教室を出てから話しかけてきたのも、同じクラスの連中が軽く挨拶してくるくらいだったし、あぁ……部活に勧誘して来る鬱陶しい奴は一人いたけど、振り切ってやったわ。

 正門まで辿りつき、門を出てすぐの横断歩道を……左右安全確認してから渡る。

 信号がないからってノールックでの横断は許されないからな。

 家に着くには最終的に右側にいなければいけないのに、こうしてわざわざ横断歩道を渡るのだって、自転車は左車線を走るのがルールだからだ。

 ルールを守って早く帰ってこそ、生粋の帰タラー。

 左車線へと渡り、車線へと出て端っこを走る。

 ペダルには軽く足を置く程度の力を入れ、そのまま坂道を下り始める。

 この私立春日野高校は山の上にある高校だ。緩急が激しい坂が多々あるせいで登校してくるときは地獄。その分、帰りはスピードが乗ってくれるが……。

 それに良いのか悪いのか、国道と旧国道に挟まれるような形であるため、非常に交通の便がいい。国道へと出るには、入り組んだ山道を通らないといけないのは面倒だけど。

 俺はいつも旧国道で帰る。てか国道のルートは使ったことないな、道わからんし。

 旧国道は、最初に緩やかなカーブの坂道を下れば、すぐに平地に出れるわかりやすいルートだ。だからって初心者ルートってわけじゃないからな。

 帰り道に優しいものなんか一つとしてないからね。障害だらけよ。

 自転車についた小ディスプレイ。スピードメーターを確認する。

 現在二十三キロ、二十四、二十五、二十六――ペダルを漕がなくても、速度はどんどん上がっていく。それにつれ風を切る音もだんだん鋭くなる。

 申し訳程度に画面表示されている時間にも目をやると、俺の帰宅プランより二分も早い。

 和気先生が三分ほど早くSTを切り上げると考えてたけど、嬉しい誤算で今日は五分も早く切り上げてくれたおかげだ。

 もしこれで和気先生が呼び止めてなければ……いかんいかん。

 和気先生は授業を絶対に延長させない、むしろ早めに終わらしてくれる。帰りのST開始だって遅れることなく、教室前の廊下で授業が終わるのを待ってくれてくれるほどだ。

 まさに俺の帰宅の女神様。そんなお方を邪険にするようなこと考えたら罰が当たるってもんだ。

 俺は制限速度四十キロと書かれた標識を横目に、減速せずに坂を降り切って、一つ目の横断歩道へと近づく。現在は三十二、四キロとメーターが表示している。法定速度内だ。

 点滅中の歩行者信号。俺はそのまま横断歩道をまっすぐ渡りきった。

 スピードに乗ったまま、リズミカルに変則を二から三へと切り替えて、現在のスピードを維持するためペダルに力を加える。今日は信号が切り替わるタイミングがいい。

 今の所で緩やかに続いていた坂を降り切り、田んぼ沿いの長い直線ルートへと入る。

 先が遠すぎてか、ただの陽炎か、道の先がぼやけて見える。

 ――が、それよりも先に俺の視界がとらえているものがあった。二組の女子高生だ。

 一直線の道で、ゆっくりと横二列に並んで話をしながら歩道を走る。

 はっ、自転車で歩道とか何? しかも横二列で。少しおふざけが過ぎるな。

 でも困ったな……。スピードを落とすのは癪に障るし、坂を下りたときの速度の三十キロ前後を維持してるから、もう少しで女子高生たちにかなり近づくことに。

 俺は車道の端を走ってるから問題はないけど、このまますれ違えば――。

「何あいつー、すっごいスピード出しいてない? きんもーっ☆」

 とか言われるかもしれない。あの紺色のブレザーは……たしか近くの商業高校。まだ他校なのは救いだが。――地元だ、どこで噂が広がるかわからない。

 クラスで、昨日足早ガチでチャリこいで帰ってた。とか広まったら俺……。

 速度を落とさないといけないかとあきらめかけたとき、転機が訪れた。

「ちょっとあれ見て見てー、ちょーかわいいー」

「えっ! うそー。ほんとだー。すっごーいっ!」

 女子高生たちの目線が左の方へとくぎ付けになった。その瞬間を俺は見逃さない。

 歩道を走る女子高生の横を、なるべくペダルの音をたてず通り過ぎる。

「――え?」

 女子高生たちは何かに夢中だったみたいで、気づいた時には俺はすでに数メートル先。

「あー、出てきたー。ちょー可愛い。すっごいたくさんいるー」

 心配とは裏腹、女子高生たちは俺には全く興味を示していなかった。

 なんかそれはそれで寂し――何思ってんだ。てか可愛いって? ――まさか俺かっ!?

 気がついたときには手遅れ。やつらは大量に出現し、田んぼの間にある空き地に停っていた車から次々と飛び出してきていた。……なんだ俺じゃないのか。っておい!

 完全に見誤った。今日はケロべロス出現時の対策しか立ててないぞ! 

 横着して山を貼らずに、すべての可能性を考えてプランを立てるべきだった。

 それかもっと早く奴らの存在に気づいていれば……女子高生に気を取られすぎたのが原因か。いきなり強い風が来てスカートが――みたいなやましい考えがあったからだな。

 でも打開策もないこともない。奴らが来る前に、一気に飛ばせばおそらく間に合うが、今ここで本気で立ちこぎしだしたら絶対に女子高生にひかれる。まだあと二年間学校に通わなきゃいけないってのに、そんなことしたらこのルートが使えなくなるじゃないかっ!

 もし顔合わせて、

「あっ、あれ。立ちこぎ男の足早じゃない?」

 とか言われたらぁぁぁぁっ――。

 そうこうしているうちに、数十メートル先の歩道に奴が躍り出る。

 口からむき出しの凶悪な犬歯、獅子のように柔らかな白を纏い、地をしっかりと踏みにじり立ち尽くす、すべてを吸い込み無に返すように誘惑する黒い瞳。そして首には鎖。

 この時間になると現れる、この地域の支配者。

 黒い眼で俺を見据える奴は――チワワ。

「かわいーーっ」

 後ろでは女子高生たちの叫び声。

「きゃんっ」

 目の前ではチワワの叫び声。

「どけぇぇぇぇぇ……」

 俺の咽が枯れたように叫ぶ声。

 女子高生に聞かれないよう、低音域で音量を絞った必死の足掻き。

 威嚇が上手く成功したのか、チワワが空き地へテクテクと戻っていく。ナイスハスキーボイスだ、俺。ちょっと可愛いからって甘やかされやがって、ざまぁみろ、この犬っ!

 でも今度は腰の曲がった老人が広場から歩いてきた。と思えば、老人の周りの無数のチワワたちが取り囲んでいる。やっと現れたか、羊飼いめ。

 何度見ても、大量の白に囲まれるじいさんの姿は、まさに羊飼いそのものだった。

 先ほどワゴン車から降りてきた放し飼いのチワワたち。

 おそらく数は、一、二、三………んー、じゅ~、あれ? 十よ――わからん。

 なにせチワワたちは、ところせました狭い歩道を歩きまわっている上に、奴らの色は白一色。全く見分けがつかない。……絶対飼い主ですら一匹一匹把握できてないだろ。

 チワワの群れに衝突するまで残り数メートル。俺は仕方なく徐々に減速する。

 紐で繋がれてないチワワたちは、じいさんを囲って歩道の中。このまま行っても車線を走っている俺には問題ないんだが……。なんせここは歩道と車道の境にガードレールがない。それに歩道のコンクリートは整備がされていなく、所々地面が山なりに膨らんでいるとこすらある。それをぴょんぴょんはねているチワワたちが、必ずしも車道に飛び出してこないとは言いきれない。

 車道も今の時間帯は車の通りが多い。車はほとんど絶え間なく通っている。

 だから今以上に車道に侵入するスペースもないし……。

 後ろの女子高生たちからも、

「あれ、私たち通れなくなーい?」

「ホントだ。どうしよー」

と聞こえてくる。今、車のタイミングを見計らって振り返ると目合いそうだ。

 前に、音の感覚だけで大きく車道に出たときは、走行音の小さいハイブリット車に気づかず轢かれそうに――ああぁっくっそ! ペースを合わせるしかないのか……。

 ちりーん

 ――ふと後ろから質素な乾いた音、ベルが鳴らされる。

 なんだ女子高生たち。まさか俺が遅いっていうの? まだ俺の速度は十九キロだぞ。一般人にしても、遅いって速度でもないだろ。今はまだ通れないんだ。お前たちだって通れん。それに帰タラーに後ろからベルを鳴らす意味。……わかってやってるのか?

 ちん、ちーん

「なっ!」

 さっきよりも音が近づいてる……それにこの音。女子高生たちのベルの音じゃない!

 ワンベル後のツーベル。――これは帰タラー同士の宣戦布告っ!

 俺が振り向こうとした瞬間、目の前をものすごい勢いの赤が抜き去っていく。

 先の車道から、歩道の中へと弾丸のように突っ込んでいく一台の自転車。

 ――馬鹿な。そのまま奴らを押しつぶす気かっ!

 そいつ、クリムゾンレッドの自転車に乗る奴は、群れには目もくれず猪突猛進。

「おいっ! ぶつかるぞっっ!」

 俺はたまらず声が出る。

 案の定、バランスを崩したのかでこぼこみちの大きなこぶのせいでタイヤが浮く。というより飛んだといったほうがいい。そして、そのまま田んぼ沿いにある白い鉄柵の方へ。

 そいつはハンドルを宙に引っ張り上げ飛んでいた。

 でもそれだけじゃ甘い。自転車は宙に浮いたら終わりだ。

 地面についてこそ機動力が生かせる乗り物。もう身動きもとれず柵にぶつかるだけ。

「なんだっ……と」

 奴は空中で、急なコーナリングの時のように、体の重心を横に傾けて車体を倒し始めた。まるで自分の体の一部かのような自転車さばきで。

 その状態ではバランスは最悪だぞ!

 そのまま鉄柵に乗って大道芸まがいのことでもする気かっ!?

 勢いをつけてでこぼこを踏み台にした奴は、車体を傾けつつも真ん中でチワワたちに囲まれる羊飼いを、斜め後ろから空中で抜き去る。

 それからは時間を遅くしたかのような、重力すら忘れさせる動き。

 滑らかな動きで、自転車の後輪だけを白い鉄柵にぶつけ、いつの間にか曲げていた膝をバネにして両足でペダルを踏み、後輪で鉄柵を蹴り飛ばすっ! 

 その反動でバランスを崩すことなく、体勢を起こしつつも着地した。

 ――奴は一瞬にして羊飼いを攻略しやがった。

 そして俺には見向きもせずに、そのまま自転車を漕ぎだしていった。

 圧倒的な実力の差。完全に俺の負けだった。


 帰りのSTを終え、難なく教室を出る。

 ――おかしい。今日の帰りも韋駄は一緒に帰ろうと誘ってこないし、あの粘着質な天ノ上ですら昨日と同じでチラチラ見てくるだけだった……何か企んでるのか? 

 あの固定型トラップだけは今日も変わらず作動したけど。俺が拾わないもんだから、和気先生に助けてもらってたな。俺の女神様の手を煩わせやがって。

 でもそのおかげか一番に教室から出ることが出来た。

 廊下に出た俺は、左方向へと足を進める。

 この二年四組の教室は北校舎の四階に位置する。一番左端から一年六組、七組、二年一組、二組、三組、四組となっていて、四組は一番奥。一年七組と二年一組の間には階段があり、今向っている所。ちなみに四組より奥には一枚の扉を通じて渡りがあり、その渡りを通って東校舎へと行けるようになっている。

 前扉に小さくある小窓から見るに、三組はまだ帰りのSTをやって――やべっ!

 瞬時に右側にある窓へと目をそらす。

 小窓を境に三組の男子と目が合いそうになったから。

 教室の廊下側の窓はすりガラスだからいいが、扉についてる小窓は透明だ。教室を覗けてしまうものだから、もし今みたいに中の人と目が合いでもしたら、俺が廊下にいることがバレる。これはかなり危険だ。 

 今度は下手にのぞいて見つからないよう、外側の窓へとそらして、二組の後ろ扉も通り過ぎようとする。――が、その場で足を止めることに。

 一組の前に、筋骨隆々の男が三人で円陣を組んでたからだ。

 何これ? 邪魔なんだけど、むさ苦しい。

 三人の男たちは何やら話し込んでいたようだが、その中の短髪の図体のでかい男が、俺に気づいたらしく目があった。

「あっ、部長。昨日の奴です」

 身の丈180センチほどある男が、俺にも微かに聞こえてくるくらいの声を発した。部活の普段着だろう半ズボンからは、丸太のような鍛え上げられた太ももがむき出しになっている。

 自分が図体でかいのわかってんだから、もっと遠慮して道を……あれ? こいつ昨日の帰りに俺にしつこく勧誘しきた奴じゃん。

「誰だ? 私のラグビー部じきじきの勧誘を断る奴わっ!」 

「げっ――」

「おっ! 君は確か……足早くんじゃないか! もう帰るのかーっ!?」

 ……最悪だ。ラグビー部の部長ってこいつだったのかよ。

 部員を押しのけて前に出てくる部長。他の二人に何やら手振りをしている。

 出てきたのは、横にいる体格の良いラグビー部員よりもひとまわり大きく「百パーセントっ!!」とか叫んだら化け物みたいに筋肉が盛り上がってきそうな筋肉おばけだった。

「授業が終わったからもちろん帰る……りますけど」

 相手が一応上級生だったことを思い出し、一応敬語で返す。

「授業が終わったから帰る……か。そんな暇を持て余した君にいい話があるんだ」

 授業が終わって帰るからって暇とか決めつけてんじゃねーよ。てか相変わらず演技臭い喋り方するんだな。鬱陶しい、いちいち間溜めんなよ。

「二年生からでも遅くない、ラグビー部に入ろう」

「入りません」

「即答か……ならば、一回体験入部をしてみるのはどうだろうか? そしたらラグビーの楽しさを――」

「しません」

「わ、わかった。それならば入部届だけでも書いてくれ。練習は来なくてもいいっ!」

 は? なんでこの人ちょっと投げやりになってるの? 練習しなくていいなら入部届け書く必要ないよね、俺必要とされてないよね!?

「ごめんなさい」

 何度も告白してくる男子に断りを入れる煩わしさってこんな風なんだろうな。

 俺は女子力がアップした気がした。

「そう、か……。我が部のスプリンターから逃げ出すほどの逸材と聞いたものだから、私じきじきに勧誘に来たのだが……やはり足早くんだったのか」

 ほんとにめんどくさい奴に捕まった。二度とに会いたくなかったのに……。

「だが、ちょうど手間が省けたらしい。足早くんには私から直接勧誘に行くつもりだったからな。さぁ、足早くんも一緒にラグビーをやろうっ!」

 こいつ何言ってるの? 筋肉って日本語通じない? 俺さっき断ったよね。

 あくまでとぼけるつもりなら俺だって……。

「アナタダレ? ボク、アシハヤチガウ。カエッテー」

『は?』

 間抜けな声を出して戸惑っている三筋肉どもを余所に、俺は廊下を歩きだす。

「……おいお前。昨日勧誘失敗したのは、この足早くんであってるんだろうな?」

「確かにこいつです。スリッパも赤色で二年生でしたし、間違いないです」

「そうだな。お前から逃げれるような素人で二年の男と言ったら……」

「でも部長。こいつ足早じゃないって言ってますけど、ホントにあの足早なんですか?」

「もちろんだ。それは間違いない。足早くんちょっと頭おかしいからたまにこういうことを言う――ちょっと足早くん、まだ話は終わって――」

「さぁんじゃぁねぇよぉぉおおおっ!」

 俺は肩に置かれた部長の手を素早く振り払い、二歩、三歩と後ろに跳ぶ。

 誰が頭おかしいだ! 脳筋に言われたくなっての。……でもさすがに駄目だったか。

 どうせ単細胞生物だろうから、話しているときはそれ意外に意識はいってないと思ったけど、奴らもまとも人間だったらしい。筋肉バカは単細胞生物って信じてたのに。

 それに思った以上に部長は危険だ。今ちょっと肩に手を置かれたくらいで、肩がしびれてる……どんな馬鹿力だよ。しっかりと掴まれてたら肩ちぎられてたんじゃないか?

「だろ?」

「……はい」

「ほんとですね」

 よくわからないが、筋肉どもは納得したようにうなずいていた。

 せっかく早く教室を出れたのにこんな所で時間を食うわけにはいかない。こんな奴らはさっさと抜いて階段へと行きたいが、さすがに全国クラスのラグビー部。

 ただの肉塊が廊下にあるだけなのに、全く抜ける気がしない。

「しかたないな……」

「おぉ、やっと入部してくれる気になったか足早くん! 今まで勧誘し続けたかいがあったってもんだよ」

 部長の野太い声が廊下中に響き渡る。

 でかい声で名前呼ぶんじゃねーよ! 足早もう廊下出てるの? とか思われるだろ。

 でもやはり単細胞、詰めが甘い奴らだ。

 俺が北校舎にクラスのある生徒のテンプレ通り、この道しか帰る時に使わないとでも思ったか? 普段は北校舎の階段を下りるルートばかり使っているが、別に東校舎から回って帰ることもできるんだぞ。少し遠回りにはなるけどな。

 もう昨日みたいに負けるわけにはいかないっ!

 足元が不安定なスリッパで地面を踏みしめて、瞬時に反対方向へと身を返す。

「東校舎へは渡ることは出来ないよ?」

 後ろからは、さっきの馬鹿みたいなでかい声とは違う。肉食動物のうなり声のように低い、身震いしそうな威圧感のある声がした。

 ――いつの間にか目の前の退路は他のラグビー部部員によって防がれていた。

「いつからいた!?」

 全く気配を……いや――そうだ。奴らが俺の確認をしているとき、微かに物音がしていたような。

 あんな奴らのペースに乗せられて、まんまと気を散らされていたとは……。

 場に調子を乱されるなんて素人じゃないんだ、しっかりしろ俺っ!

 目の前には、無数のラグビー部員たちが廊下に隊列を組んで待ち構えている。

「奴らは俺が指示を出したらすぐにこっちに向かってくるように伝えてある」

 振り向くと部長が不敵な笑みを浮かべ、俺に向けて二本の指をさす。

 今のがおそらく合図なんだろう。威嚇のためか、隊列が揃って一歩踏み鳴らした。

 身の危険を感じた俺は、咄嗟に思考を巡らし、すぐさま状況を回避するルートを探す。

 前には部長を真ん中に隙間なく横一列に並んだ筋肉ども。後ろには筋肉、筋肉、筋肉筋肉筋肉筋肉……筋肉の群れ。前後挟まれた俺に残された道は――窓からのダイブ。

 ここは四階。もし飛び降りたら間違いなく足は持っていかれる。

 だけど骨はいつか治って元に戻るが、今日という日を早く帰れなかったことは、二度と元には戻らない。もう負けたくはないんだ。早く帰るためなら足の一本や二本おしくはない。それの信念こそが生粋の帰タラーだっ!

「何が目的ですか?」

 俺は周囲を観察するために動かしていた視線を止め、部長を見据える。

「目的? そんなの決まってるじゃないか、足早くんの勧誘だよ」

「勧誘? 俺をラグビー部にですか?」

 精一杯の睨みを利かしているつもりだが、部長は全く動じない。

 さすが多くの、修羅場をくぐってきているだろうことはある。

「そうに決まってるじゃないか。私はあの日のことは忘れていない……君ならラグビー部に入れば大活躍だ」

「……俺はラグビー部として活躍するつもりはないんですよ」

 窓からダイブか……。いや、決して怖気づいたわけじゃない。その場の勢いで行動に出てしまうのは俺の悪い癖。きちんと合理的に良し悪しを考えて行動しなければいけない。

 俺が今ここで飛ぶことによって、今日という日の帰宅を守りきることは出来る。が、これからはどうなる? 明日の帰宅、明後日の帰宅は?

 足が治るまでは早く帰るなんて容易ではない。それに命を失う可能性だって……これは最終手段か。それに――。

「おい、足早とか言ったな。お前さっきから先輩になんて態度とってんだ。ちょっと部活に入るだけだろ? とりあえず入部届書くだけでいいからついて来いっての」

 部長の横にいた昨日の筋肉が何をイラついてるのか、けんか腰に訴えかけてきた。

「態度? 人の貴重な時間を無理やり奪っている輩に態度も糞もないでしょ? 礼儀を通さない奴にはこっちも礼儀を通す必要はない。敬語だってやめてもいいんですよ?」

「てめぇ……部長。さっさとこいつ連れて練習に戻りましょっ!」

 頭に血上ってるのか? 意外と我慢できないタイプなんだな。いきなり三下キャラっぽいよ三下筋肉。ていうかスリッパ見る限り部長と同じ三年生の水色のスリッパなのに、何で敬語使ってるの? 部内でのルール?

「まぁ落ち着け。彼ならきっとラグビー部に入ってくれる……な、足早くん?」

「俺も物わかりが悪いってわけじゃないんでね。入部しないと通してくれないっていうなら、このまま話し合ってても埒があかないですし……もう、おりますね」

 俺は緊張した態勢を解いて手足を軽く伸ばしてリラックス。その場で数回跳躍。

「折れる? ――おぉ、本当かっ! 足早くん。ついに折れて部活に入ってくれる気に。お前ら! やっと足早くんも入部する気になったみたいだっ!」

「――は? 何言ってるんですか?」

 体を伸ばして少しだけほぐれてきたのがわかる。体がしなやかに動く気がする。

 俺はつま先へと体重を乗せ、膝をゆっくりと曲げる。

「誰も折れるなんて言ってないですよ? 折るって言ったんです。通してくれないってなら、あんたらの骨へし折ってでも通ってやるって意味だよ」

 誰が自己犠牲をしてまで逃げなきゃいけないんだ。俺が被害を被る必要なんてない。

 帰タラーを止めに来てるんだ。こいつらだってそれくらいの覚悟はあるはず。

「はっははははっ! そう来たか。悲しいなぁー。無傷のまま連れていきたかったんだが……それならこっちは無理やりにでも連れて行くしかないじゃないか!」

 部長は実に楽しそうに豪快に笑った。どちらかというと、こういう荒事の匂いがするからな。スポーツよりもその手の方があってそうだ。

 廊下のタイルを蹴り割るくらいのつもりで踏み、駆け出す。

 部長の相手をするのは安易ではない。これでもうちのラグビー部は全国常連校だ。かといって後ろにいる奴らに突っ込んで行っても勝てる気がしない、何より数が多すぎる。

 無理に突っ込めば、おそらく一瞬でボロ雑巾だ。

 それに俺は帰タラーだ。相手を倒しに来ているんじゃない、早く帰れさえすればいい。そのためにはどんな手だって使うつもりだ。妥協はしない。それにもう二度と土をつけられることは……。

 ならば答えは簡単だ。目の前の奴らは俺の邪魔者。俺の帰宅を邪魔する奴ら。

 帰タラーの帰宅を妨害する行為は何人たりとも許される行為ではない。

「全員っ――位置につけーっ!」

 部長が何やら手を上にあげ、真っ直ぐ俺へと向けて振り下ろすと、後ろから聞こえてきたこそこそとした物音の一切が消える。

 ここで先手を取られたら身動きが取れなくなる。最終手段さえも使えなくなってしまうことを恐れた俺は更にスピードを上げ、部長へと突っ込む。

「いけ」

 部長が機械的に命令を下すと、今度は威嚇ではなく後ろから無数の叫び声と足踏みが聞こえてきた。俺へと徐々に距離を詰めてきているのが音だけでわかる。

「足早くんが自主的にラグビー部に入ってきてくれるのを待っていたんだが……」

 俺が部長との距離を詰めてきているのに余裕なのか、部長は語りはじめた。

「こんな形になってしまったのは悲しい。――でもこれからは同じ仲間だ」

 もう駄目だこいつ。いかれちまってるな。俺は部活に入らないって言ってるのに、なんででこんなに固執してくる? こんなのだと今日逃げ切れたとしても、これできっぱりあきらめてくれるとは限らない。むしろその逆に……これからも俺の帰宅の邪魔をしてくるのなら、ここで摘んでおくのも一興。

「さぁ、一緒に全国優勝目指してがんばろうじゃないか!」

 部長は俺を抱き留めるように大きく手を広げて迎え入れようとする。三下筋肉どもは邪魔になると考えたのか、部長の後ろに回っていた。

「物わかりの悪い人ですね……」

 こいつは脳内補正を掛けて自分の良いように解釈するタイプだ。下手したら韋駄以上に付きまとってきそう。そんなことされたら俺の明日や明後日の帰宅たちが汚されてしまう……。もし捕まって入部することにでもなったら――終わりだ。

「俺を抜けるものなら抜いてみろぉーーっ!」

 何を熱くなっているのか部長が叫び声をあげる。

 でも凄い迫力だ。頬がピリピリするくらいの威圧感を感じる。

「いきますよ」

 体格の差で余裕だと高を括っているのか、部長は両手を広げ、未だに俺を抱き留めるように迎え撃つ。

 こういう戦いなれた相手には小細工なんてものは無駄――真っ向勝負だ!

 俺は勢いづいたまま飛びあがって、廊下のコンクリートの壁へと右足を着地させる。

 昨日の奴が使っていた技の応用。俺だって出来ないはずがないっ! やってやる!

 曲げておいた膝で、着地と当時につま先から膝までをバネのようにして使って強く踏み、部長へと飛びかかる。

「甘いよ足早くん。そんな少し高いくらいの跳躍で私がビビるとでも?」

 その時、部長の両腕はわずかに痙攣していたのを俺は見逃さなかった。

「喋ってる暇があるならっ」

「ぅらあああぁっ!」

 唸り声をあげた部長が両腕をギロチンのように俺を挟みにかかる。

「俺を早く帰らせてください」

「なっ――」

 向かってきた両腕。旧道の道なりのようにボコボコとした後肘部を、俺は両足で止める。

 部長の後肘部を踏みしめて立ち上がると同時に、部長の両腕を奥へと弾き飛ばす。

「足で私の両腕をっ! とんだじゃじゃ馬だな」

 部長は無防備になった癖に、どこか表情は余裕がある。その慢心が命取りとなるとは知らずに……。

 両腕を弾き飛ばし、空中に着地点のなくなった俺は地面へと落下していく。

「筋肉は攻守備えたいいものですね。でも……」

 俺は落下する勢いで部長の鍛え上げられた胸筋――ではなく、俺の姿を追う両目へと指をめり込ませた。

「目っ、目がぁぁっ!」

 部長はかん高い叫び声をあげ、つばの混じった吐息を天井に吐き出す。

「うっ、うぅぅぅぅ……」

 すすり泣くような低いうめき声を出して、両手で目を押えている。

「いくら筋肉があっても、筋肉がつかないところは鍛えられない。だからあんたは鍛えられないところの防御を怠ってはいけなかった。それがあんたの敗因だ」

 部長の選手生命を断ったというのに、なんだか俺は清々しかった。

 これは俺の帰宅への大いなる犠牲、仕方のないこと。

 部長は未だ目を押えならもうめき声をあげたまま。押えている隙間から透明な液体が流れていた。――が、部長は何事もなかったかのように、目をこすって顔をあげる。

「あー、びっくりしたなぁ」

「ど、どうして!? 確かに俺は……」

 部長の眼球を突いたはず。失明は間違いないだろうがっ!

 部長は眼を閉じたりしていた。

 でもそのたんびに、上下のまぶたが二キっと盛り上がっていて、しっかりと目を守っている。なんだよ、あの気持ち悪い肉は。どうしたらあんなところに筋肉が……。

 しかも指の勢いを殺せるほどなのか? んな馬鹿な、鍛え方が尋常じゃない!

 俺はすぐさま部長の胸板を両腕で押して後方へと転がりこむ。

 その刹那、部長の両腕がギロチンのように勢いよく胸の前で閉じられた。

 ――危なかった。少しかすったブレザーの袖口を見ると、三つついていたボタンが二つ吹き飛び、一つは取れかかってる。――それにこれは。 

 部長はラグビーの試合中に、腕一本で人を吹き飛ばすほどの怪力の持ち主だ。あんな腕で挟まれたら、今頃ろっ骨の何本か持ってかれてた……。

「どうして逃げるんだ、足早くん。一緒にラグビーをやろうよ」

 確実に今の出俺を仕留めるつもりだった癖に。にやりと口元をゆるませる部長。

 俺はすぐさまその場で立ち上がり、部長の間合いから逃れる。

 自分の頬をリズムよくパンパンっと叩いて、一喝。俺は気合いを入れ直す。

 よしっ、ならこの三人の中で一番弱そうな奴。一年生の緑スリッパ履いた小回りの利きそうな小筋肉を潰そう。ゴーレムとスライムが一緒にいたらスライムから倒す。どんな時も弱そうな奴から殺るのは城跡だ。

 先手必勝、俺はすぐさまスライムへと走りこむ。

「うぉおわぁぁぁぁぁぁぁ!」

 こいつは部長の右側、廊下から外へと面している窓際にいる。

 図体に似合わずチキンな野郎だ、俺の怒声にひるんだらしい。スライムはあたふたとして何をしていいのかわからない様子。

 出来るだけ惨劇のインパクトは大きい方がいい。それこそ血でも吹き出すような……舌でも噛み千切らせるか。

 俺はふいに顎を蹴りあげるため、悟られないように直前で歩幅を大きくとる。

 ――だが、何故か両足首に力が入らず、その場で膝とついてしまう。

「うっ……」

 どうやら部長の両腕を足で止めたときのダメージが、今更になって足首に出てきたらしい。普通に走ったりは出来そうだが、さっきみたいに壁を使っての大きな跳躍は出来そうにない。でも走ることが出来れば十分だ。すぐにでも立ち上がって……。

「ど、どうしたっすか?」

 何故か慌ててスライムが、俺の元へと駆け寄ってきた。

 スライムを狙ったのは、この中で一番やわそうだって理由だけじゃない。もしこいつを潰すことに失敗しても、窓際にいれば窓から脱出することが出来るから。

 でもその心配はなかったか。作戦は変わるけど、このまま近寄って来て俺の間合いに入ってきた瞬間、スライムの顎に全力で頭突きをかまして、顎の骨を砕いてやるつもり。

 悪く思うな。これが帰タラーを足止めした代償だ。一人くらいその見せしめを作るのは必要。これからこいつらが簡単に手出し出来ないような抑止力とするために……。

「おい! お前ら止まれっ! 足早くんの体調がおかしい。調子を悪くしたのかもしれん」

 部長が、俺の後ろにいる筋肉の群れへと指示を出す。

 部長とその隣にいた三下筋肉までが、俺の元へと駆け寄ろうとしてくる。

 ちょっとやめろって! これじゃあ俺がほんとに汚い奴みたいじゃないか。

 帰タラーじゃなくて、キタナー? いやいやいや、なんで俺が悪みたいになってんの?

 それにそんなに近づかれたら……仕方がない。

 俺は肩にかけていた鞄を床に降ろす。

 胸ポケットについているクラス章のピンをはずし、そのまま胸ポケットへ。

 先ほど袖口に絡まっているのを見つけた、緑色のミサンガを左手に通して準備完了。

 何も中身を入れていない、更に軽量化した鞄の一番大きな収納口のチャックを開け、それを――頭にかぶる。

 視界が一瞬にして暗闇へと変わった。

 布の縫い目の隙間からは微かな光さえ差し込まず、これでもかというくらいにナイロンの匂いがするけど、不思議と不快じゃないかった。

「……足早くん、何をしているんだ?」

 鞄を被っていても部長の声はしっかり聞こえた。

 でもその問いには答える気はない。

 しゃがんでいた膝をばねとして使い、俺は二組の後ろ扉があっただろう場所へと全力で飛び込む。

 首の痛みと共に、バキッと乾いたような割れた音がした。

 おそらく扉をぶち破ることに成功。

 視界がシャットアウトされていて、平衡感覚がつかみにくい中でなんとか立ち上ると、二組の教室内が気持ち悪いほどに静まり返っているのに気が付いた。鞄をかぶっていても感じるほどに。誰も教室にいないんじゃ……だったらどれだけ嬉しいことか。

 手触りの感覚で一番近い机を見つけ、机と机の間の道へ。

 俺は右手を横に広げ、左手を前に出してあたりを彷徨う。

 教室の机の配置などは特別教室ではない限り同じ、このまま手を広げて移動すれば思わぬ障害物が発生しても問題はない。すぐに感知できる。

 おそらく最後尾であろう机を右手に確認し、左手にも同じ感覚があるのが解ると、一気に最前線へとかける。

 前に、不意に視界を奪われて教室後方に取り残されたシュチュエーションを想定して、前の扉へと移動する練習をしたことがあった。どうやらそれが体に染みついているらしい。

 右手に、二つ目、三つ目、四つ目と順番に机が触れていく。――そして七つ目。

 最後の机を触れたあと、黒板のような特有な冷たさの物に左手が触れ、教室の一番前へとたどり着いたことを悟る。そして右方向へと移動。

 教室の扉を開けて外に出るとき、俺はさりげなくミサンガを緩めて落とした。

「上手くいったな」

 鞄を剥いで顔を出し、何事もなかったかのように廊下を進む。

 すると、後ろから二組の教師の怒鳴り声が聞こえた。

 そりゃあそうだ。いきなり帰りのST中に扉をぶっこわされて妨害をされたんだ。二組の担任の山田は、俺の知る限りでは教員で誰よりも時間阻害されるのを嫌う。授業中でも一言も無駄な雑談をさせないくらいだ。今ごろ憤慨してるに違いないな。

 まさかと思って肩越しに見るが、怒声は俺へ向けられたものではなかった。

 ここで俺が引き留められなかったのは、あのミサンガのおかげ。

 あれはラグビー部員が着けている象徴のようなもの。

 たぶん部長とやりあった時、部長の腕に着いていたのが俺の袖に絡みついたんだろう。

 それによってラグビー部が第一に疑われるのは必然。それにあんなに涌いてればな。

 階段へと差し掛かる曲がり角で振り返ると、ラグビー部の連中は山田に全員集められ、廊下に正座させられていた。

「アホな奴ら」


 勢いに乗って下駄箱へと続くを一階へと、二、三段飛ばしで駆け降りる。見る限り他の学年の生徒たちも、まだ廊下にも出ていないようだった。

 三階の踊り場から一気に一番下まで飛び降り二階へと到着。

 そこで俺は声を掛けられた。

「こら! ちょっと待ちなさい」

 絨毯の生地みたいな茶色のスーツを着た丸メガネのおっさん。教頭だった。

 筋肉どものせいでだいぶ時間を削られたからな。教頭だろうと無視だ。無視。

「こら君だよ、君っ! 校内で走らない!」

 そのまま横を通り過ぎようとしたが、目の前に立たれてしまい道を塞がれた。

 老眼なのか、教頭がまじまじと顔を見てくる。

「あ、君は……確か和気先生のクラスの生徒だろ?」

「……そうですけど」

「じゃあこれを至急持って行ってくれたまえ、和気先生が忘れて行ったんだ」

 教頭は大量のプリント、読書だよりを渡してきた。

「それじゃあ頼んだよ」

「え、ちょっと――」

 最悪だ、下駄箱をもうすぐそこなのに……。

 よりによってこんなものを渡せれるなんて。どっかゴミ箱にでも捨ててやろうか。

 この読書だよりは教頭が毎週自分の読んだ本の感想を書いているもの。

 毎週教室で配られても、ほとんど誰も受け取らず、列ごとに配られたプリントはいつも大量に余ってしまい、一番後ろの席の奴がごみ箱に捨てに行くのがお約束。

 普段は猫被っている天ノ上さえも、見向きもしないで後ろへと回す代物だ。

 そんな不必要なものを、俺が届けにまた教室に戻る必要はあるのか? 

 いいや、あるわけがない。こんなもの適当にそこらへんに捨てて――。

「どうしたんだ? 早くいきなさい」

 まだ教頭が居た。

 さっき歩いて行ったろ! 捨てられる予感がして戻って来たのかよっ!?

「…………はよ行かんかっ!」

 はよじゃねぇっ! そんなに届けたいなら自分で行けばいいだろ!

 俺もじっと教頭を見据える。

「――ちっ」

 仕方がない、こいつ俺が届けに行くまで絶対ここ離れないつもりだ。俺を見つめて全く動かない。悩んでてもしょうがないな、上の階のトイレのごみ箱に捨ててやるっ!

 俺は踵を返して、一気に二段、三段飛ばして階段を駆け上がる。

「おいっ君! 走るなって言ってるだろ! 階段なんかで走ったら――」

 教頭が注意したときにはすでに遅かった。

 勢いづいて三段飛ばしで駆け上がっていた俺は、踊り場が見えた途端、視界が後転し天井が目に入ってきた。

「お、おわっ――」

 上がり下りでは訳が違うのに無茶をしたせいか、踏みとどまることが出来ずに階段から落ちた。目の前では天井がだんだんと遠ざかっていくような錯覚が見えて、股のあたりがひやっとする。必死に何かに捕まろうと手足を伸ばすが、階段上で引っ掛かるところは手すりしかない。それにさえも届きそうにない。慌てて手に力を入れるも――。

 鈍い嫌な音が聞こえ、俺は反射的に目を閉じていた。

「痛っ……あれ?」

 階段から落ちたはずなのに、なんの痛みも感じない。

 ごろごろごろ――――どふっ

 気持ち悪いくらいの鈍い音。

 一階へと続く下の階段から物音が聞こえ、そちらに目を移す。

 ――そこには一階へと続く踊り場に、教頭が転がっていた。

「……どうして教頭が?」

 俺は教頭を一瞥した後、新人OLみたく散らばらしたプリントを拾って、床に横たわる教頭の首元へと手を添える……まさかな。俺は体の芯から嫌な震えがこみ上げてくる。 

「脈が……ウソダロ?」

 教頭の脈が止まってる。

 部長を潰しに掛かったときとは真逆。思いがけずに起こってしまったせいか、覚悟が出来ていなかった分、喪失感が半端じゃない。

「いや……まだ俺が殺ったって決まった訳じゃ、自分から飛び込んだかもしれないよね?」

 俺は事故に見せかけプリントをまき散らす。

 でもそれは逆効果。プリントの散らばり方がリアル過ぎて殺人現場みたいになった。

 この日、教頭は俺の帰宅の生贄となった。

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