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「語り手」について(四)

『視点』について、改めて考えてみます。

 前回までの『「語り手」について(一)(二)(三)』を基に、「視点」について考えてみます。考える対象は『視点』の回で挙げた以下のものです。


  『視点』の回より抜粋:

  ----------------------

  [A] 一人称小説

  

  [B] 三人称小説

   [1] ある登場人物に寄り添った書き方

   [2] どの登場人物にも寄り添わない書き方

     [2a] 登場人物の心理描写を行うもの

     [2b] 登場人物の心理描写を行わない(仕草や表情の描写のみ行う)もの

  ----------------------



[A] 一人称小説


一人称小説では、「語り手」は作中の登場人物の一人であり、物語世界の中に存在します。知覚するのも、語るのも、この「語り手」になります。「語り手」が知覚したことを語っていくのが一人称であり、一人称に於ける『視点』というのは、『登場人物の一人が物語世界を見る』という向きになります。



[B] 三人称小説


はじめに、『[2] どの登場人物にも寄り添わない書き方』を採りあげます。こちらは、登場人物の心理描写を行う/行わないがありますが、本質的には同等だと思いますので、一括りにします。この書き方では、「語り手」は物語世界の外に存在します。物語世界の外に存在する「語り手」が、物語世界を知覚し、知覚したことを語ります。この書き方に於ける『視点』というのは、『「語り手」が物語世界を見る』という向きになります。



対して、『[1] ある登場人物に寄り添った書き方』となると、どうでしょう。三人称小説では、「語り手」は物語世界の外に存在します。この「語り手」は物語世界を知覚するでしょうか。知覚するとも知覚しないとも言えると思います。それは、物語世界の登場人物の一人に寄り添っている、ということに起因します。この書き方の三人称小説では、物語世界の登場人物の知覚したことを語ることになります。知覚する主体は、物語世界の登場人物の一人ということになります。「語り手」は、その人物が知覚したことを(知覚したであろうことを)語ることになりますので、「語り手」が主体的に知覚するということが弱まると言えると思います。極端に言えば、この書き方での「語り手」は、「語り手」自身が物語世界を直接的に知覚するということをしない、となります。知覚する主体(物語世界の登場人物の一人)と語りの主体(「語り手」)とが分離した状態だと言えると思います。


一人称小説と、どの登場人物にも寄り添わない三人称小説とでは、「語り手」は物語世界を知覚し、語ります。「語り手」がどこに存在するかの差異はありますが、形式を見る限りは同じとみてもよいでしょう。ですが、ある登場人物に寄り添った三人称小説では、物語世界の登場人物の一人が知覚したことを「語り手」が語ることになります。知覚する主体と語りの主体とが分離していることが、私が『視点』を理解できていない原因なのではないかと、思っています。『視点』という言葉自体も、書き方指南などを見たところ、使用される局面によってそれぞれ意味が異なるように感じられるのです。


『視点』という言葉に、少なくとも二つの意味を見いだすことが可能です。一つは『「語り手」から、物語世界の中のある登場人物へ向かう視点』です。もう一つは、『物語世界の中のある登場人物から、物語世界へ向かう視点』です。ある登場人物に寄り添った三人称小説では、この二つの『視点』が陰に陽に現れてくるため、「視点を統一する」ことが重要になる、のでしょうか……。今の私では、まだわかりません。この先、書いていけば、おそらく結論に至るのでしょう。それがいつになるかはわからないのですが。


++++


 一人称小説と、どの登場人物にも寄り添わない三人称小説では、「語り手」が知覚したことを語っていく、という点では同等といえます。一人称小説の「語り手」が、「語り手」自身の存在感を消していったとすると、見かけ上、どの登場人物にも寄り添わない三人称小説に近づいていく気がします。一人称小説に於ける「語り手」が知覚したことのみを語る、という制限は依然として課せられたままですが、その他の点では、どの登場人物にも寄り添わない三人称小説に近づいていくでしょう。さらに、一人称小説に於ける「語り手」が死者である場合を仮定すると、死者は時間的空間的制約からほとんど解き放たれた状態になりますので、見かけ上、どの登場人物にも寄り添わない三人称小説となるでしょう。死者は生者に干渉できない、という制約も課してしまえば、ほぼ三人称小説になります。そう考えると、一人称小説と三人称小説との差異はどこにあるのだろう(何にあるのだろう)という、新たな疑問が生じてしまいました。あまり深く考えずに、とにかく書いたほうがよさそうです。


『「語り手」について』は、今回で終わりです。

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