日本語文法――主語、主題、主格、主体(動作の主体)、……――
主要な登場人物の他に、複数の登場人物を描くとなると、動作の主体を明示する必要があります。「誰それがどうした」ということを明示しないと、誰の動作かがわからなくなってしまいます。具体的な書き方は「主語を明示する」ということですので、自作では可能な限りそのように書いています。
書き方指南などを見ると「主語を(ある程度)省略したほうがよい」とも書かれています。確かに、日本語は主語無しでも成立します。夏目漱石の『坊っちゃん』の冒頭部分を見れば、それはわかります。「坊っちゃん」は一人称小説ですので、主語(主人公=語り手)を明示しないというのは理に適っているのでしょう。
一人称小説では違和感をそれほど抱かない「主語の省略」ですが、三人称小説に於いて主語が余りにも少ない文章を読んでいると、私は非常に気持ち悪く感じるのです。まるで、語り手が登場人物を舐め回すような感じ、あるいは、語り手と登場人物とが一体化したような感じがし始め、読むのを止めたくなるほどです。語り手と登場人物との距離が限り無くゼロに近づいたような感じ、とでも表現すればよいのでしょうか。
三人称小説に於いて主語を省略する(できる)ということは、『視点』で挙げた [1] の書き方([1] ある登場人物に寄り添った書き方)をしている場合なのではないかと思うようになりました。[1] の書き方は実質一人称小説ですので、動作の主体になる人物については主語を明示しなくても読み手に伝わることが期待されます。そうなると、一人称小説と三人称小説([1] ある登場人物に寄り添った書き方)との差異はどこからくるのだろうかという悩みが増えることになりました。
『視点』の回より抜粋:
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[A] 一人称小説
[B] 三人称小説
[1] ある登場人物に寄り添った書き方
[2] どの登場人物にも寄り添わない書き方
[2a] 登場人物の心理描写を行うもの
[2b] 登場人物の心理描写を行わない(仕草や表情の描写のみ行う)もの
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後半の記述は、前半の記述をひっくり返しています。前半の記述は、参考文献を読む前に書いたものですので……。
(小説らしき)文章を書くようになって、それまで意識もしていなかった文法について勉強し直してみようと思い立ち、書店に文法書を探しにいったのですが、意外なほどに日本語文法に関する書籍が無いということに今さらながら気づきました。受験生向けの英文法の書籍は見つけられるのですが、日本語文法の書籍となると、受験生向けの書棚にも置かれておらず(置かれているのは古文の文法書ばかり)、どこを探せばよいのかすらわかりませんでした。そのため、「困ったときは検索エンジンに頼ればいいじゃない」ということで、ページ数も値段も手頃なものとして見つけたのが、参考文献の [1] の書籍でした。
※参考文献 [1] および [2] については、第三回の「『「~~」●■は言った。』あるいは『「~~」と、●■は言った。』」でも挙げています。
国語や現代文の授業で習った以降、日本語の文法に興味を抱くことも無かった身として、この参考文献 [1] は、ある意味、衝撃的でした。「国語の授業で教えられている文法(学校文法)」と「日本語を外国語として学ぶ外国人学習者のための日本語文法」とに差があること、日本語には(英語の主語に相当する)主語は無いこと、日本語文法に於ける主語に関する論争はずいぶん前からあること、など、今まで考えたことも無かったようなことが多く書かれていました。
参考文献 [1] は、日本語文法との比較対象として英語文法を例として使用していますので、英語の文法も読み直そうと思い立ち、ずいぶん前に購入したものの本棚の飾りと化していた参考文献 [3] の埃を払い、改めて読み始めました。参考文献 [3] は「英語を外国語して学ぶ学習者のための英語文法書」なので、それほど難しい言い回しは使用されていないので、今でも何とか読むことができます。確かに、英語の文の組み立て方には、日本語とは相容れないものがあるのを改めて感じました。
並行して、参考文献 [2] を書店で購入し、読み進めました。参考文献 [2] の書名は英語に関する話題のように見えますが、実際に読んでみると、英語を通して日本語について語っているというようにも読めます。名詞中心の英語と動詞中心の日本語との差異、等、確かに思い当たることが多々あります(英文を読むときに関係代名詞などが出てくると、どこまでが修飾する部分で、文の本体はどこなのかを見失ってしまうことになり、いつも悩まされています)。
海外の翻訳作品と日本人が書いた作品とを読んだときに感じる差は、海外の翻訳作品には外国語の表現に影響された日本語が使用されていること、日本人が書いた作品には素の状態が日本語が使用されていることに起因するのかもしれません。さらには、前述の「語り手と登場人物との距離が限り無くゼロに近づいたような感じ」というのは、日本語の文法の一つ(「(英語の主語に相当する)主語は無いこと」)に起因することなのかもしれません。いずれにしても、結論には至っていませんが。
参考文献:
[1]
『日本人のための日本語文法入門』
著:原沢 伊都夫
講談社現代新書
[2]
『英語の発想』
著:安西 徹雄
ちくま学芸文庫
[3]
Longman English Grammar
著: L. G. Alexander
Longman




