6.登場人物・登場物質の紹介(1)
一旦、ここで登場人物や登場物質の働きを解説しておこう。
ルコス:
本名をブドウ糖。英語でグルコースと呼ばれる。血液中にあると血糖、尿中にあると尿糖と呼ばれている。ブドウ糖は体のいろいろな細胞の中に入り、エネルギーの素として直ぐに利用されたり、貯蔵用エネルギー源としてグリコーゲンや脂肪に変化して貯蔵される。血糖が多くなり下がりにくくなると糖尿病と言われる病気になる。
ブドウ糖は体の中にある蛋白質に結合して離れなくなることがある。血糖が多いほど影響が大きくなり、蛋白質の大事なところにブドウ糖が結合すると蛋白質の働きが阻害される。すると体に異変をきたすようになる。その影響は神経、眼の網膜、腎臓に顕著に現れる。これを糖尿病の合併症という。
本文中では白いカプセルと表現され、多数の白いカプセルが私に襲いかかっている。私は糖尿病の患者なのである。
カボハイド:
本名を炭水化物。英語でカーボハイドレートと呼ばれる。人の栄養分の中で炭水化物というと「でんぷん」になる。「でんぷん」は唾液などに存在しているアミラーゼという消化酵素により分解が進み、「ブドウ糖」が二つ結合した「麦芽糖」になる。さらに腸内にあるアルファ・グルコシダーゼという消化酵素が「麦芽糖」を分解して「ブドウ糖」へと変化させる。三大栄養素の一つである炭水化物はブドウ糖にまで分解されて初めて小腸から吸収され血液中に入り栄養源となる。
空に浮かぶカボハイドから千切れてルコスになる過程は「でんぷん」が分解されて「ブドウ糖」になる様子を似せている。カボハイドはルコスの産みの親といえる。
スーリン:
本名をインスリン。膵臓のベータ細胞で作られる血液中のブドウ糖の量(血糖値)を下げるホルモンである。ブドウ糖を血液からいろいろな細胞の中へ移動させるホルモンと言い換えてもよい。その結果、血液中のブドウ糖が少なくなるのである。スーリンが地面にトレッキングポールで穴をあけて、その中に登山道にあふれるルコスが入る様子が、細胞内に入るブドウ糖に似せている。
インスリンが血液中に増えすぎると、血液中のブドウ糖が減り過ぎて低血糖と呼ばれる状態になる。そうなると手足の震え、異常な空腹感、冷や汗、顔面蒼白などの症状がでてくる。さらに脳など重要な組織へエネルギーの素になるブドウ糖を送れなくなるためこん睡状態になる場合もでてくる。
低血糖状態になった場合には、砂糖分を取ったり、ブドウ糖を取ったりして回復をはからないとなりません。
クリボース:
本名をボグリボース。この薬は腸内にあるアルファ・グルコシダーゼの働きを抑えて麦芽糖からブドウ糖への分解を遅らせる薬である。
食事をするとブドウ糖が血液中に流れ込み血糖値が上がり、これを食後血糖値と呼ぶ。この血糖値の上昇を抑え込もうとしてインスリンが膵臓から分泌され、血糖値がすぐに下がってくる。体の細胞が血液の中に入ってきたブドウ糖をすぐに有効利用しようとして細胞内に入り込ませるといっても良いだろう。
ただ食べ過ぎが続き、次々とブドウ糖が血液の中に入ってくると膵臓からのインスリンの追加が遅れがちになってくる。すると食後血糖値が高い状態となる。膵臓が疲れてくるのである。1日中インスリンの分泌が少なくなり、やがて空腹時の血糖値も高くなっていく。これが糖尿病である。
糖尿病のきっかけになる食後高血糖をなるべく低くしておくと糖尿病にならずに済む可能性が高くなる。ボグリボースは麦芽糖からブドウ糖への分解を遅らせるので急激なブドウ糖の血液の移動を防ぐことができるわけで食後高血糖の治療に利用される。
ただ腸内に麦芽糖やその前の段階の糖が残るため、同じく腸内にある腸内細菌がそれらを栄養分として別の物質に変えてしまう場合がある。それが酸となったりガスになったりして、それが腹痛、腹の張り、おならとなって現れる。それが副作用と言われるものになる。
クリニート:
本名はナテグリニド。治療の目的が食後の血糖値の上昇を抑えるという点では前出のボグリボースと同じ。ただ作用の仕方が違っている。ナテグリニドは小腸から血液中に吸収された後、直ぐに膵臓に働きかけてインスリンの放出を促す飲み薬になります。
その働きは早く、そしてその効果はあっと言う間に消えてしまいます。つまりナテグリニドを食直前に飲むと、食事の中の「でんぷん」が分解されブドウ糖が血液の中へと吸収されたとしても、それに対応するインスリンが既に血液の中に放出されているため、アッと言う間に血糖値が下がって行く。そして効果はアッと言う間に無くなるので低血糖という副作用が起こりにくい特徴がある。
メピリード:
本名はグリメピリド。スルホニル尿素系の薬と呼ばれ、この系統の薬の歴史は古く、かつ強力の薬でもある。この薬は膵臓のベータ細胞を刺激してインスリンをどんどんと血液中に放出させる飲み薬だ。インスリンは血液中のブドウ糖を細胞内に引き込んで血糖値を下げる働きがあるので、グリメピリドは間接的に血糖値を下げる。一日一回もしくは二回に分けて飲むのだがグリメピリドの量が多過ぎるとインスリンの量も増えるので、スーリンの人物紹介でも書いたように低血糖という副作用を起こしやすい。
この薬は例えれば膵臓を鞭打つようにして無理矢理インスリンを放出させるような薬なので、長い間そのような状態が続くと膵臓が疲れ切る場合が出てくる。するとこの薬を飲んでいてもインスリンが出にくくなり、血糖値が下がりにくくなる場合も出てくる。この現象を医学の世界では「二次無効」と呼んでいる。このような場合には外からインスリン注射薬を補給して膵臓を休ませるか、インスリンに頼らない血糖を下げる薬を飲む必要がある。
オクリダ:
本名はピオグリダゾン。この薬はインスリンが十分に血液中にあるにも関わらず血糖値が下がらない時に用いる飲み薬になる。インスリンがあっても血糖値が下がらない状態をインスリン抵抗性と呼んでいる。
インスリン抵抗性が起こる原因はいくつか知られているが、肥満がもっとも多い原因になるだろう。肥満は脂肪細胞という細胞の中に脂肪がたくさん詰まって巨大化した脂肪細胞が集まってできる状態だ。臓器に脂肪が直接つくのではなく巨大化した脂肪細胞が臓器にまとわりつくのだ。
体の中にある脂肪細胞は出来て間もない頃はサイズも小さくて細胞内の脂肪分も少ない状態になっている。そのような若い脂肪細胞はアディポネクチンという物質を作っており、それがインスリンの作用を助ける働きをしている。ちなみに文中では脂肪細胞をアデポサイトと言う名で登場させている。
ところが、肥満が進んでくると脂肪細胞の中に脂肪が増えてきて、やがて巨大化した脂肪細胞はアディポネクチンを段々と作れなくなってくる。代わりに脂肪酸とTNFアルファと呼ばれる物質を作って血液中に放出しだすようになる。脂肪酸はファティアシッド(文中ではファティ)、TNFアルファは癌壊死因子アルファ(文中でチューモネクロ)とも呼ばれている。これらの物質はインスリンが細胞に働きかけてブドウ糖を細胞内に取り込もうとするのを邪魔してしまう性格がある。これがインスリン抵抗性の背景と言われています。
ピオグリダゾンは脂肪酸やTNFアルファの働きを弱めるように働くので、インスリンに抵抗性のある患者さんに利用される。スーリンにとってファティとチューモネクロは天敵といえるだろう。
しかし、この薬は特に女性では浮腫みを引き起こしやすい副作用が知られているため、女性患者には少ない量から始めるなど慎重に投与される必要がある。さらに心臓の機能が弱っている心不全患者でも浮腫みは禁物なので、この薬の利用は禁じられている。加えて海外ではこの薬を飲んだために膀胱癌がわずかに増えたとの報告もあり、最近ではその利用も限定されている。