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D・M  作者: 足立 和哉
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5.オクリダ

 白馬大池に通じる登山道の両側が急に明るくなり、森林限界を抜けて草原地帯に変わる。もう白馬大池が近い。青空が広がり晴れているが、登山道のザラメ状の雪が次第に密度を増し、更に周囲の草原地帯は全体に白く雪化粧をしていた。正面に白馬大池を見る場所で白馬大池山荘への道と白馬岳への道との分岐がある。白馬大池の写真を撮ろうと白馬大池山荘に向けて歩き出す。午前十時〇二分、白馬大池山荘前に着く。太陽は出ていたが風が強く、寒さをまともに体に感じる。

山荘の手前にあるキャンプ場には、まだいくつものテントが張ってあった。テントとテントの間にはうっすらと雪が積もって白くなっていたが、所々、雪の無い四角い地面の跡があるのは既にテントを撤収して白馬岳方面に縦走しに出かけたか、または栂池方面か、れんげ温泉方面に下山したキャンパーの痕跡なのだろう。

 キャンプ場に備え付けられた木製のテーブルで色とりどりのダウンジャケットを着たキャンパー達が寒い寒いと言いながら温かい湯を沸かしコーヒーやお菓子に手をつけていた。

 私は登り続きだったので体は火照っていたが、じっと休憩しているとさすがに寒くなってきたのでリュックサックに仕舞い込んでいたレインウエアの上衣を重ね着した。小腹も空いてきたので持ってきたカロリーメイトを一本かじりながら白馬大池を眺める。

 白馬大池は標高二三七九メートルの位置にある。森林限界を超えているので周囲を遮る高木はなく小蓮華岳への登り途中からは晴れていると濃紺の水を静かに湛えている風景を見下ろすことができる。池の周囲は約一キロメートル。火山による堰止湖の一つだが、周辺からこの池に注ぎ込む川は無い。雨や雪解け水がこの池の水量を維持しているのだろう。魚はいないようだが人の話によるとクロサンショウウオが多く棲息しているという。

 私は白馬大池の写真を撮るためにカメラのファインダーを覗いてみた。一抹の不安を感じていたが、案の定、大池周辺の岸部には白いカプセル、つまり不思議な人間達がルコスと呼んでいた物体が多数見えた。また少数のルコスが白馬大池の中央部からも湧き出していた。

白馬大池の対岸にある白馬乗鞍岳から続く岩だらけの登山道の途中に先に着いていたメピリードの姿が見えていた。彼はさかんに岩の裂け目にトレッキングポールを突き立てて、その傍らにいくつもの穴を開けていた。そのいくつもの穴からスーリンとその仲間達が出てきて彼らもまた周辺の岩場にトレッキングポールを突き立てていた。しかし、ここではスーリン達が岩を突いても中々穴が開かないようだった。ルコスの地中へ入る穴ができないため、ルコスが地表にどんどんと増え始めてきていた。私の周囲にもルコスが増えてきて、ピョンピョンと私の腰にまで飛び上がろうとしている奴もいた。

その時「いやー、重い、重い」大きな声が背後から聞こえてきた。

私はファインダーから目を離して後ろを振り返ると、そこには厳つい顔をした三十代と思しき男が立っていた。眼だけを見ると柔和な印象もあるが、揉み上げから顎にかけて長く伸ばした髭が厳つい雰囲気を醸し出していた。その男は濃いオレンジ色のキャップを被り、背中にはやたらと大きな青色のリュックサックを背負っている。そのリュックサックの肩ひも付近からチューブが出ていた。これは歩きを止めないでもチューブの先端から直接、水分を口に補給できるタイプのリュックサックだ。ハイドレーションシステムというタイプだ。そして白馬岳から下山中なのか上下に厚手の防寒用の濃いオレンジ色のウエアを着こんでいた。

「こんにちは」その男性は明るい元気な声で私に挨拶をしてきた。彼の勢いに圧倒されながらも私も挨拶を返した。

「自分はオクリダです。いやあ、メピリードやスーリンたちが苦戦していますなあ、ルコスに敗けてんじゃないか」オクリダと名乗った男性は白馬大池の対岸で繰り広げられているメピリード達の戦いを面白そうな表情で見ていた。

無論、私にはファインダーを通してしかメピリードたちとルコスたちの戦う風景は見られないから、肉眼で見る対岸風景はメピリードたちが滅多やたらとトレッキングポールを岩場に突き立て回っている姿だけだった。メピリードたちの姿が見えるという事はオクリダも彼らの仲間に違いなく何か特殊な能力を持っているはずだ。

「スーリンはメピリードに呼び出されても、時々、ああいう苦戦の場面に出会うのです。いくらスーリンが頑張ってもルコスの入る穴が開かないものだから、ルコスの数が一向に減らない。今もあなたの体にはルコスが纏わりついているし」オクリダは急に私の方を見て、さも気味の悪いものを見るかのような顔をした。

恐らくカメラのファインダー越しに見ると、今もたくさんのルコスが私の体を取り巻いて這い上がろうともがき回っているのだろう。

「このルコスは一体私に何をしようとしているのだろうか?」

「ここに来るまでの間に、あんたは足に痺れや痛みを感じたはずだ。それはルコスの大量発生のせいでね。今、眼は見えにくくなっているという事はないかね?順番から言うと、足の痺れや痛みの次には眼に影響が出て霞かかったように見えたり、蚊が飛んだりして見えるような症状が出るはずなのだが」

クリニート達と会った時、確かに私は足に痺れや痛みを感じた。あれはやはりルコスのせいだったのだろうか?

「眼は何ともないが、君にそんな事を言われると、何だかまた足が痺れ痛い感じになってきたかな」

「ルコスはあんたの体の中にある大切な部分にくっついて悪さをし始めるんだ」さらに話をしようという素振りを見せたオクリダだったが、対岸の戦いが苦戦しているのが気になるらしく「とにかく自分はスーリン達の応援をしてやらねばならないから、あんたはカメラのファインダーで自分の働きを見ていてくれ」と言い残して私の元を離れ雪でまだうっすらと白くなっている白馬大池の水際まで歩いて行った。そしてハイドレーションシステムのチューブの先端を対岸にいるスーリンに向けた。

正確にはスーリンがトレッキングポールを突きたてようとしている岩の裂け目に照準を合わせていた。オクリダがチューブの先端に装着されているスイッチに指を触れた。するとチューブの先端から水のような液体が消防車の放水のように一直線にメピリードの前にある岩の裂け目に向けて発射された。発射された液体が勢いよく岩の裂け目にぶつかると、そこから四方八方に黒色や赤色の物体が飛び散って行った。それらの物体が岩の表面に穴が開くのを妨害していたらしく、徐々にスーリンとその仲間達がトレッキングポールを突き立てていた先に穴が開き始めた。

「あの黒や赤の物体は何ですか?」私はファインダーを覗きこみながら徐々にオクリダに近づき懸命に放水を繰り返しているオクリダに聞いてみた。

「スーリン達の仕事の邪魔をしようとする妨害者でね。妨害者といっても彼らも意思を持たない有機物でしかないから妨害物質と呼んだ方がいいかな。黒い物体ファティューモネクロ、赤い物体はファティと呼ばれる物質だ」

「何だか変わった名前ばかりだな」

私はれんげ温泉から白馬大池までの約二時間半の間に聞き慣れない、それも覚えにくい名前をいくつ聞かされた事だろうか。こんな状況がずっと白馬山荘に着くまで続くのかと思うとうんざりとした気持ちになる。

「チューモネクロもファティもアデポサイトという母体から生み出される。ルコスはカボハイドから引き千切られて生まれてくるが、チューモネクロとファティはアデポサイトの中で作られて外へ放出される」オクリダは放水作業を止めずに話を続けた。

「何だか訳が分からん」私はオクリダの話す内容について行けず思わず叫んでいた。

私の声に驚いたのか近くで大池を背景にして写真を撮っていた若いカップルが気味悪そうに私を盗み見るようにして、ゆっくりと遠ざかって行った。私は第三者にはオクリダ達の姿は見えていないという事実をすっかりと忘れていた。オクリダの声も聞こえないのだろうから私が一人で池の畔に立って、ぶつぶつと独り言をつぶやいているとしか見えなかっただろう。

おまけに叫んだりするものだから彼らが驚くのも無理はない。これもまた、はた迷惑な話である。自分が本当に精神的におかしい状態に陥っているのではないかという恐怖心が再び湧いてくる。

 私は周囲を窺いながら小さな声で「そのアデポサイトというのは、どこにいるのだろうか。カボハイドのように上空に浮かんでいるのかい?」とオクリダに質問をした。

「ん、ああ、それについては又の機会に話すかもしれんが、おや、やばくなってきたな。スイッチが切れん。故障かな」と言いながらオクリダはチューブの先端に装着してあるスイッチを叩いたり、向きを変えたりし始めた。しかし放水は一向に止る気配はない。

「いくら大きめのリュックサックと言っても、どれだけの水がその中に入っているんだ」私は思わず叫んでしまった。今回は幸いにして周囲に人は居なかったが気を付けなければいけない。

 ハイドレーションシステムのチューブの先端からは止めどもなく液体が放出されるため、白馬大池にどんどんと流れ込み始めた。放出されている液体は恐らく真水ではないのだろう、池の水よりも比重が重いのか見た目にも池の下に沈んでいく様子が分かった。この池の最も深い所で十三メートル近くあるそうだ。池の最深部に溜まった放水された液体の運命がどうなるのかは分からないが、元々あった池の水は当然の事ながら溢れ出すようになる。徐々に水際の境界線が私の方向に向かってくるのが分かった。

 水際にいるオクリダの踝辺りにまで水位は上がってきていた。しかし、これらはファインダーの中だけの現象だった。ファインダーから目を外すと水際でオクリダがリュックのハイドレーションシステムを点検している姿があり、大池の水面は何事も無かったかのように静かに小さなさざ波を立てていた。対岸ではメピリードとスーリン達が未だにあちらこちらと動き回っている。

 ファインダーを改めて覗くと彼らがルコスと戦っている姿が写し出されていた。しかし、いつまでもここで休んでいる訳にもいられないので、私は先を急いだ。オクリダにも挨拶をしたが、まだハイドレーションシステムの修理が終わっていないのか後ろ手に別れの挨拶をしただけだった。

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