11.クラル
パルートのお蔭で、南稜線ルートから来るルコスの数は激減し、さらに私の右足の痺れ感も治まってきていた。ふたたび山荘内に入ると既に夕食が始まっていた。私は急いで食堂へ入り、誘導された席に着いた。夕食は主菜が肉料理で、ご飯とみそ汁のお代りもしながら美味しく済ませた。十号室の部屋に戻っても寒いだけなので消灯時間の午後九時まで暖かな談話室で備え付けの山岳関係の本を読みながら過ごす事にした。
消灯時間近くになって部屋に戻ると数人が既に布団をかぶって寝ていた。しかし部屋の中は相変わらず冷えきっていた。この部屋で泊まる人数分より余分に布団があったので、まだ起きていた同室の人と布団を適当に分けましょうと話し合ってから厚めに重ねた布団に潜り込んだ。それでも、あまりに寒いのでダウンジャケットとレインウエアはそのまま着込んだままで眠る事にした。パルートが言っていたクラルと言う女性が来るまで一時間を切っていた。
山小屋では早く寝た者が勝ちである。登山で疲れた一部の人達は良くイビキをかく。先に寝て熟睡してしまえばいくら他人がイビキをかこうが気にならない。しかし寝そびれた者はそのイビキが気になって寝付きにくくなる。他人のイビキが無くても体が疲れ過ぎていると寝つきにくい時もある。また直ぐに寝付けたとしても早くから寝るため十二時前に何気に目が覚めてしまうと、その後が中々眠られない場合もある。色々な場合があるが、今日の私はすっと寝入ってしまったようだった。
寝入っていたはずの私は大きなエンジン音で目が覚めた。どうやらヘリコプターが白馬山荘の上でホバーリングをしているようだ。山荘とヘリコプターとの距離が短いため双発機から聞こえていたエンジン音の比ではない程のけたたましく大きな音になっている。室内はほぼ真っ暗な状態だ。腕時計の蛍光の針を見ると午後十時だった。随分寝た印象があったが床に就いてから一時間程度だった。やがてヘリコプターのエンジン音は次第に遠ざかって行き、室内は静寂を取り戻した。私以外には誰も目を覚ました者はいないようだった。あれだけ大きなヘリコプターのエンジン音が私だけにしか聞こえていないという事は山の神のしもべの関係者によるものだというのは明らかだった。
再び訪れた静寂の中で、この部屋では静かな寝息だけが聞こえている。廊下向こうのどこかの部屋からイビキが響いていた。その時、山荘の玄関の方からピターン、ピターンというゆっくりとしたスリッパの音が聞こえてきた。それは何ともかったるい音でもあった。
その足音はこの部屋の前で止った。そして入り口の戸のガラス部分をほのかに照らしていた廊下のほのかな常夜灯の明りが急に陰る。ガタガタという戸を開ける音が聞こえて廊下の冷気が部屋の中にすーと入ってくるのを顔が感じる。私は思わず顔を少し起こして部屋の入口を見た。そこには明らかに人型の影が映っていた。しかし暗くてどのような人物かは全く分からない。私は寝ている同室の人を考えて声をかけるのをためらった。
その人影は後ろ手に入口の戸を閉めた。戸のガラス部分に再び廊下の小さな常夜灯から発する淡い明りが戻ってきた。しかし、その明りは闇に沈んだ室内の中を照らすだけの力は無い。人影は静かに廊下側の壁と私の間に入ってきた。そして屈んで私の耳元に囁いた。
「クラルです。兄のパルートから聞いてると思うけど」落ち着いた声ではあったが、気の無い印象のある声だった。
スーリンとパルートを兄に持つ末っ子のせいかもしれないせいか、少し甘えん坊のような響きもある。表情は暗がりのため全く分からない。クラルが顔を動かす度に揺れる髪の毛にはシャンプーの爽やかな匂いがほのかに残っていた。
「じゃあ、失礼しますね」
なんだかクスクスと笑っているような声だったがクラルは私の布団の中にするりと体を入れてきた。まさか真っ裸ではないだろうなという期待感を少し持ちながら私は彼女の存在を布団の中で感じた。その感触では普通の登山服の上下を身にまとっているようだった。しかし彼女の肌の温かみや弾力感が伝わってくる。パルートは自分達を実体の無い存在だと言っていた。これは一体どういう事だろうか?隣に寄り添っているクラルはしっかりと実体を感じさせていた。
「変な悪戯はしないでね。私は一晩中、あなたをルコスから守ってあげるんだからね」クラルは耳元でそう囁くと私と正面から抱き合うように右手を私の胸に当て、左腕を私の背中の方に回し、左脚を私の右脚に絡ませるようにしてきた。
そうされる事で私はより一層にクラルの温もりを実感した。しかし廊下にある常夜灯のわずかな灯りが洩れ来る部屋の暗がりの中では、目の前にあるはずのクラルの表情は全く見えなかった。スーリンやパルートを兄に持っている位だから、彫りの深いエキゾチックな顔立ちで、更に鼻が高く鷲鼻なのだろうかと想像している内に、急に意識が朦朧となり深い眠りに落ちて行った。
私は傍で何かがもぞもぞと動く気配で目が覚めた。部屋はまだ暗い。ヘッドランプのLEDの光が時折り天井を行き来している。朝早く出発する登山者が荷物の整理をしているのだ。さらに静かな寝息がすぐ私の顔の傍で聞こえている。そうだ、私はクラルと添い寝をしながら眠りに落ちていたのだった。暗い部屋の中でクラルの顔はまだはっきりとは見えなかった。クラルの腕をそっと外しながら腕時計を見ると午前四時半を少し回った場所を針が示していた。朝食は午前五時からだった。廊下の灯りは既に常夜灯から通常の灯りに替わり、何人もの人の歩く音が聞こえている。山の朝は早い。午前五時でも遅いと思う人は、その前に自炊して早々に出立していく。
昨夜、談話室にあった衛星放送テレビの天気予報では、今日も秋の高気圧に覆われて快晴の予報であった。と言う事は予想通りに放射冷却現象によって周辺は寒さが一段と厳しいはずである。登山道はカチンカチンに凍っているだろう。私はある程度太陽が高くなり、暖かくなる時間を見計らって出発しようと思っていた。午前六時半にこの山荘を出発したとしても正午までには登山口のれんげ温泉に下山できるはずである。そこで、ご来光を見てから午前六時に朝食をとり六時半に出発する計画を立てた。
「ねえ」突然、隣りで眠っていたはずのクラルの声がした。それは気だるい甘ったるい声に聞こえた。
「何時に食事にするの?」そう言いながらクラルはゆっくりと私の首に両腕をからませてきた。
昨夜は気が付かなかったが、彼女の胸には弾力に富んだ肉感がある。ここでうっかりと声を出して答えると周囲の人に奇妙に思われるので私はわざと黙っていた。
「ねぇたらぁ。何時にするのお」クラルは更に甘える声で問いかけてくる。
私はクラルには返事をせず「あ、早いですね。もう出発ですか?」とさも今起きたかの様に装い、向かいで出発の準備をしている登山者に声をかけた。その上で「私はもう少し寝て、日の出が五時五十分頃でしたね、それを見てから六時に食事にしてから下山する事にします」と彼に話しかけるようにしながらクラルへの返事にした。
「もう、まどろっこしい答え方ね」クラルは私から腕を放すと仰向けに寝転がった。
登山服のポケットからスマートフォンを取り出してから、指で何やら操作をし始めた。その時、スマートフォンから発する明りでクラルの表情を初めてかろうじて見る事ができた。確かに二人の兄の特徴である鷲鼻であった。しかし二人の兄が持つ彫りの深いエキゾチックな顔ではなく、むしろ和風の顔立ちであった。
「うーん。まだ時間があるから、もう少し寝てよ」スマートフォンをポケットに戻してから、クラルは再び私に抱き付いてきた。何だか甘い匂いが鼻をくすぐる。そして私は急に意識が遠のいて行った。
いつしかブーンという音が耳に入ってきた。あの音は確か双発のプロペラ機の音だ。私は再び目が覚めた。部屋の中も既に明るくなり誰が誰かを区別ができるようになっていた。
「まず日の出を見てくるのよね。それが終わったら、朝食を食べてから下山の準備をするのよ」そう言いながらクラルは私の掛布団を剥がしてから私を引き起こした。既に同室者達は全員出立したようで彼らの布団は折りたたまれ重ねられていた。
同室者がいないので私は遠慮なくクラルと話せた。
「プロペラ機の音がしたようだけど、また誰か来るのかい?」
「今から兄のパルートが来るのよ。さっきスマホで朝食が午前六時だって知らせておいたの。朝食前には兄に会ってよね」次第に明るくなってくる中でクラルの顔もはっきりしてきていた。クラルはこれまで私が人生で出逢った女性の中でも一番に入る美人である事が分かった。
その時、いきなり部屋の戸がガタガタと開いた。
「おはようございます」と言いながらパルートが部屋の中に入ってきた。
「どうやらクラルも夜中にそれなりの活躍はしたみたいだな」パルートは室内を見渡しながら言った。
「もっと褒めてくれてもいいんじゃないのぉ」クラルはパルートに甘えるような口調で答えた。
「それが君の仕事だよ」パルートがピシャリとそう言うと「じゃあ、私はまだここで寝てるわ」とクラルは少々ふてくされたように布団をかぶってしまった。
パルートは、ご来光を見に行こうとする私を先導しながら「クラルはいつもこうなんですよ。グータラで作業は遅いし。まあ僕と違って少しずつ仕事をするので持続力はありますね。同じような調子で一日中仕事ができます。それがクラルの良い所と言えるかな」実は仲の良い兄妹なのかクラルを非難したかと思うと持ち上げる事も忘れない。
山小屋の外に出ると、日の出前の冷たい空気がピリッと頬を撫でた。しかし昨日とはうって変り風がほとんど無くなっていたため、気温よりは暖かくさえ感じられた。私達は既に冬季閉鎖した宿舎の手前を通り山荘の少し裏手にある小高い所まで登って行った。白馬岳山頂でもご来光を見られるのだが、凍った登山道を今登るのは得策ではないと考えて、手軽に往復できる近くの小高い場所に行くことにした。
それでも地表には凍った部分もあり私の底のすり減った登山靴で歩くのには、やはり苦労した。パルートは私の先頭に立ちながら手にしたトレッキングポールを慌ただしく地表に突き刺していた。私はカメラのファインダーを覗いてみた。数こそ少ないがルコス達が居て、パルートが開けた穴の中に次々と飛び込んで地表から消えていた。
「いつもと比べてあなたの周囲のルコスの数は少ないでしょう。これはクラルが一晩中あなたの周りにいたルコスを片付けていたからですよ」パルートは自慢気に私を見て言った。
「では、僕の朝の仕事はこれで終わりです。後は、クラルに任せます」そう言うとパルートは昨夕と同じように崖下に向かって飛び込んで行き、パラシュートを開いて空中遠くへと消えて行った。相変わらず消え去るのが早い男だ。
私は小高い丘のようになった場所に行き、大勢の登山者と一緒になってご来光を待った。午前五時五十三分、太陽が白馬村の盆地の向こうにある山脈の山際から登ってきた。今日の良い天気を象徴するかのようにくっきりとした太陽が登ってきた。周囲から一斉に歓声が上がる。カメラのシャッター音もそこかしこで聞こえ、傍にいた中年の二人の女性は「すごい」と言いながら一心に手を合わせていた。
間近に見える白馬岳山頂や白馬岳の南稜線上にある白馬鑓ケ岳の山頂が次第に明るくなり始めるが、眼下にみえる盆地、白馬村はまだ夜明け前の薄暗さの中に沈んでいる。
感動的なショーを見てから私は凍てつく下りの登山道を注意しながら歩き、山小屋に着いた。朝食をとるために食堂へ向かったが、途中、自分の部屋を少し覗いて見るとクラルはまだ静かに寝息を立てて眠っていた。
朝食を終えてから部屋に戻ってもクラルはまだ眠っていた。軽い寝息が聞こえている。私が夜熟睡している間も彼女はずっと起きていて働いていたのだろうか?
私は彼女の横で静かに出発の準備を始めた。登山道が凍っていても白馬山頂までは十センチ位の積雪のある場所を選びながら歩けば何とか登れるだろう。しかし問題は山頂を過ぎた後の急な下りをいかにして克服するかだった。アイゼンが無い以上、手足を十二分に使って下るしかない。トレッキングポールは反って動作の邪魔になるのでリュックサックのサイドポケットに括り付けておいた。
クラルはまだ疲れて眠っているようだったので、そのまま寝かしておいてやろうと思い私は彼女を部屋に残したまま部屋を出た。山荘の玄関ホールには登山道が凍っているので様子を見てから行動しようとしている登山客も何人かいた。山荘の外に出てみるとアイゼンを付けずに白馬岳山頂方面に向かう人がいた。それを見た私は自分と同様の人もいるのだと勇気付けられて、午前六時三十五分に山荘前を出発した。
白馬岳山頂までザレ場ではあるが、昨日と同様に凍りついた場所と積雪場所がある。凍りついた場所に足を踏み入れるとやはり滑る。新品の登山靴であれば、この程度の凍り具合であれば、こんなに滑らなかっただろうにと思うが、思うだけ無駄なので積雪のある場所を選びながら先へ進む。
山頂に着くと昨日の風が嘘のような静けさだった。その時、後ろからザッザッとゆっくりではあるが一定調子の足音が聞こえてきた。
「もう、ひどいじゃないですかあ。私、置いてきぼりですかぁ」
そこには薄紫色の毛糸の帽子を耳まで覆うようにして被ったクラルの拗ねた顔があった。
「あまりにも良く寝ていたから、起こすのも可哀そうだったから一人で来ちゃったよ」私は美形のクラルの顔を明るい陽射しの中で見てドギマギしながら答えた。
「何も遠慮しなくてもいいのに。これかられんげ温泉の登山口までご一緒させて頂きますからね」日に焼けたそれでも若々しく艶のある顔をほこぼらせながら言った。
クラルは帽子と同じ薄紫色の防寒用の上着にグレー色のズボン姿で、登山靴にはしっかりとスパッツと四本爪の簡易アイゼンを装着している。
「ねえ、おじさんの名前はなんて言うの?」小柄なクラルが私を見上げるようにして聞いてくる。
「藤っていうんだよ。改めてよろしく」
「下の名前は?」
「ふたばって言うんだ。こうして双に葉と書く」私は宙に指で漢字を書いて伝えた。
「そうか、じゃあフーさんだね」と言いながらクラルは一人で笑い始めた。
「よし、行きますか」彼女が何故笑ったのか分からないが、私は覚悟を決めて下りにかかった。
「フーさん、山頂から三国境までの下りが特に急だから気を付けてね。完璧に凍ってるから」
私は恥も外聞もなく這いつくばってでも下りて行こうという気分であった。岩場を下りようとして手で触れた部分は表面が凍っている。滑らないようにしっかりと両手と両手で体を支え、ハイ松の枝で支えが効きそうなものがあれば、そこを掴み、三点支持をしっかりと守り、少しずつ下りて行った。緊張の高ぶりを抑えるため、時々、立ち止まり周辺の景色を見て気を紛らわした。
昨日にも増して空は青く、早朝の冷たい空間は遠くの山々まで見通す事ができた。クラルは私の後からのんびりとした調子で付いて来ていた。そして、時折り、手にしたトレッキングポールを岩の間に突いていた。恐らく、その度にルコスが入る穴を作っているのであろう。それにしても、パルートやスーリンと比べると何とゆっくりとした緩慢な動作なのだろうか。気だるい様子で、明らかにやる気の無さが態度に出ていた。
それでも「フーさん、大丈夫ですかあ、動けますー?」と私が立ち止まる度に私に声を掛けてきた。時々、私を追い抜いて行く登山者達がいるので、まともにクラルに返事が出来ない。私は後を振り向いて軽く頷き、大丈夫である事を彼女に伝えた。
何とか三国境まで下りてきたのが、午前七時三十一分だった。山頂からここまで四十三分かかった計算になる。昨日、三国境から白馬岳山頂までが四十六分かかっていたので、ほとんど登りと変わらない時間を下りにかけている。それくらい慎重に下りてきたわけだ。
「安全第一よ。気にしない、気にしない」クラルはニコニコしながら私に話しかける。
ここから先は少し緩やかな道になってくるが、昨日の雪は溶けるわけもなく、依然として白い山の中に白い登山道が続いている。
三国境から雪倉岳への登山道には数人の足跡がついているだけで、ほとんどが白馬大池への足跡だった。昨日、ビルダ親子達と別れた場所でもあった。私はビルダの魅力的な瞳を思い出しながら今日は彼らの姿を見られないのかと思った時にクラルが声をかけてきた。
「ひょっとして、フーさん、ビルダが気になるのかしら。彼女も可愛いけれど、私も負けないと思うのにな」と言いながら私の背中を押してきた。靴底のペラペラな私はその軽い衝撃すら耐え切れずに滑って尻もちをついてしまった。
「ちょっと、危ないじゃないか」私は振り向いて言ったが、その少し先には若い男性の姿があった。
私は瞬間「しまった」と思った。案の定、彼は怪訝な顔をして私を見ている。軽く礼をしてから足早に私の横をすり抜けるようにして追い越し白馬大池方面へと急いで行った。
「気を付けていたのになあ。また、誤解されてしまったじゃないか」と他の人には見えないクラルを見上げながら文句を言った。
「フーさんが私以外の人の事を考えるからよ」クラルは澄ました顔で答えた。
ともかく私は白馬大池への雪上の足跡をたどりながら下山を再開した。やがて昨日ビルダに言われてレインウエアのズボンを穿いた平坦な場所にたどり着いた。体が熱くなってきたので私はレインウエアのズボンと中に着込んでいたダウンジャケットを脱ぐ事にした。
ここからは小蓮華山へと向かう登り坂が続く。クラルは相変わらずのらりくらりとした動作で周辺にトレッキングポールを突き刺していた。確認のためにカメラのファインダーを覗くとやはり少なからずいるルコスがクラルの開けた穴に吸収されていた。
「これでも私ちゃんと仕事してるんだからね」クラルが私にウインクをしてみせる。
「クラルちゃんは美人だから、恋人がいるんじゃないの?」私は唐突だったが個人的な話をしてみた。
「いやだわ。仕事が忙しくてそれどころじゃないのよ」
「結構、のらりくらりとした仕事で忙しそうに見えない気がするんだけど」そう言うとむきになるクラルだったが、むきになる仕草も中々可愛いと思った。
小蓮華山までは登り続きだが軽口をたたき合いながら登っていると登りの辛さも苦ではない。彼女の気だるい声にも、いつの間にか慣れてきた。
午前八時十四分、小蓮華山の山頂に到着した。三国境からは一時間もかからずに到着した。まあまあのペースと言ったところだろう。今日の小蓮華山の山頂は風もなく穏やかであった。確かに寒いが風が無い分、体感的には楽であった。そのためか山頂に止まっている人数も多かった。そのような中でクラルと話をする訳には行かなかったので、私は彼女の存在を無視して他の登山者と話をした。
快晴の空の下で、遠くの山々もくっきりと見えていた。残念ながら富士山方向の南アルプス方向はかすんでいたが、山々の姿をカメラに納めた。その間、クラルはぶらりぶらりと山頂周辺を所在なげに歩き廻りながらトレッキングポールの先を時々、地面に突き刺すようにしていた。ここでもマイペースでルコス用の穴を開けているのだろう。
十分ほど小蓮華山山頂で過ごした後、私はクラルの横に立ち小さな声で「行こうか」と呼びかけて、小蓮華山からの下りにかかった。白馬山荘から此処までクラルが傍にいるせいか、彼女以外の山の神のしもべという不思議な人間達は現れていない。ぶらりぶらりしながらもクラルはそれなりの仕事をしているのだろう。