sector.4
(ギルのパソコン調べて、アキラの保護者とやらに連絡入れねぇとなぁ)
食堂を後にし、エレベーターの上行きボタンを押す。オレには、アキラをこの戦いに引き入れなければならない理由があった。
その保護者とやらの連絡先に心当たりがあり、自社製のPDAの電話帳を探った。エレベーターの扉が開く頃には見つけてしまい、そのままスリープモードにしてポケットへ戻す。今はギルの残したパソコンが気になるし、何よりも一服したかった。
オレが主に使っている部屋は四階にあり、その階層は重役区画なんて言われている。オレは重役区画と言うより、「なんかあった時に、ダッシュでどの部屋にも行きやすい区画」と呼びたい。
この階は多目的室などあまり使われない部屋が多いので、静かな階層でもある。階段を一つ降りれば娯楽施設もあるし、最上階の八階にも寝室を持っているので、このビルはなかなか居心地がいい。
エレベーターを出て、一番奥の階段近くがオレの部屋だ。カードキーを取り出し、ドアを開ければいつものにおいのする部屋。
もみ消してから放置された吸い殻の臭いに、あらゆる種類の機械油の匂い。長く放置された吸い殻はなかなかに臭く、吸う時の香りとは全くの別物だった。
吸い殻を蓋のできるゴミ箱に放り込む。
傷だらけの木のテーブルに乗った、手巻きタバコ用のシャグや、それを作るためのペーパーやフィルターの袋を端に追いやる。
修理中だったキンバーカスタムⅡも残っていたので、細かいパーツを金属製のバットに乗せた。そして、もう一つのデスクトップパソコン用机の、キーボードをずらしてから置く。ついでにマウスを引っこ抜き、木のテーブルへ運ぶ。
空になった灰皿の隣に、ギルのパソコンを置いてから座る。アイツのよく吸う甘ったるいタバコの匂いが染み付いていた。
市販の紙巻きタバコなんて正直吸えたもんじゃない。タバコの味だと思って有難がっているもののほとんどは紙臭さだ。
オレは、薄っぺらい紙を使って自分でタバコを巻く。その紙は無漂白で燃焼剤が入ってないし、紙臭くならない。少し吸わないで置いておくと勝手に火が消えるが、緩やかに燃えるので長く吸える。それがいい紙で巻かれている証だ。
葉っぱは気分で変える。特にハーフスワレが好きだ。濃厚でいい旨味がある。
正面の壁際に鎮座するウィスキーを軽く口に含み、食事の残り香を中和した。手の平ほどの黒いケースから、特にきれいに巻けた一本を取り出す。
薄茶色の紙は透け、フィルターと葉がよく見える。
フタ付きの銀色ガスライターで、温度の低い火の側面を使い、咥えたタバコにゆっくりと引火させた。
最初の一口はガス臭いので、そのまま煙を吐き出す。そして、葉を激しく燃やさないよう優しく吸い込んで口の中で転がす。味わってから肺に入れて、細い煙を口から出した。
右の人差し指と中指でタバコを挟んだままノートパソコンを開き、ギルの甘ったるい匂いを塗り替えてやろう。
マウスを挿してから電源ボタンを押すと独自のOSが立ち上がり、このオレに向かってパスワードを要求してきやがった。
「なーんだとぉ? パスなんてしらねーぞクソッタレ」
フラッシュメモリを渡さなかったのは、このPCで使われている強固なセキュリティで守りたい何かが入っているのだろうか?
パスワードに心当たりというものが無かったので、適当にキーを叩く。
「うーん、『sexyjack』いや、これだと解析しやすいから『sexyjack1234』とか?」
半分おふざけで打ち込んだパスワードは見事一致し、「単純なおバカさん、あなたは間違いなくジャック・ラビット」というメッセージを表示してから、デスクトップへ移行した。
「後でぶっ飛ばす。五十メートルぐらいぶっ飛ばす」
デスクトップの中心に「Openme」というフォルダが置かれている。その中には「Gift」という画像フォルダと、「to jack」というテキストファイルが収められていた。
また一口タバコを吸い、開いたテキストファイル内にはこう綴られている。
「【ゼップル博士】から急に送られてきたものだ。今は【ダグラス】の船で保護されているらしい。死んだんじゃぁないかとすら思っていたが、ダグラスから裏が取れた。俺はしばらく日本から離れる。動きがあったらすぐに連絡するから、この画像を見て思った通り動いてくれ。いろいろと頼んだ」
ギフトの発見者でもあり、その研究をしていたゼップル博士。黒い怪物に「もたらすもの」という意味でギフトの名を付けたらしい。
彼は謎が多く、行方を掴むのすら難しい人物だ。そんなやつが仲間に保護されているという事実に驚きを隠せなかった。
次に画像フォルダの一番上の画像を開き、マウスのサイドボタンで順にページを送っていく。
見慣れた人模倣体の兵士型や、飛行種などを至近距離で撮影したものだ。あまり見かけない巨大な腕を持つ【豪腕型】や、先程の鳥模倣体空母型の写真もある。
いずれも鮮明な画像で、なかなかに貴重な資料だ。これは対ギフト戦の教育に使える。
最後の二枚を除いては。
この画像は少しばかり画質が悪い。頭持ちの人模倣体ギフトが手術台に拘束されているようだ。
人を真似たとはいえ、顔は人類からかけ離れたものをしている。目や鼻はなく、口だけの頭部。
どうも様子がおかしい。
ギフトは殺すと液体化した後に蒸発する。液体を瓶詰めにしようにも、密閉された瓶の中でも蒸発してしまう。
もし生きていたとしても、人間用の拘束具なんて破壊してしまうはずだ。
「この写真、どこで撮ったんだ」
画像を見ながら何度か吸ったタバコの先端は、灰が落ちそうになっていたので灰皿に落とす。
最後の一枚は、さらに異質な画像だった。
「黒い……胎児……」
ステンレスの膿盆に黒い胎児が乗せられた画像。画質や撮影日時などから察するに、先程の拘束されたギフトと同じ状況で撮影されたもの。
オレの考える一番悪い展開は、ギフトが身籠った証拠の画像ではないだろうか。人の形を真似たギフトが、生態までも近づこうとしている。
これは急激な進化とも捉えられた。
地形に合わせて姿形を変えるだけではなく、模倣する精度の向上。
ギルの「この画像を見て思った通り動いてくれ」という言葉の意味。ギフトが次の段階に移行していることを考えれば、その意味は明白だった。
「戦いに備えろということか」
短くなったタバコは指先に熱さを伝え、残り僅かだ。最後の一口を吸ってから灰皿でもみ消す。
PDAとノートパソコンをコードで繋ぎ、画像を転送した。
ノートパソコンには独自規格の端子しかなく、データの盗難防止に役立っている。
一方、オレのPDAはあらゆる端子を扱える拡張パーツを取り付けられる。データを盗んだりするときに役立つのだ。
「あ、終わりました?」
背後から少女の声。
「ドゥワッホイ!?」
椅子をガタつかせながら跳ねて、ルーちゃんだと理解するまで二秒かかった。
「おめー、さっきの仕返しのつもりか?」
「ふふふっ」
オレは気配とか音にはそこそこ敏感だが、こいつの忍び足だけは妙に苦手だ。
どうやら、ギリギリであの画像を見られていないらしい。もし見ていたら、気持ち悪そうな顔をしていただろう。
「ったく人の部屋に好き放題入りやがって」
「私はこのビルの管理者なので、みなさんのプライベートは私のものです」
「とんでもないやつだ。もうアキラにあのこと話しちゃうもんね」
「ななっ! 卑怯者! ってそれどころじゃないんですよ!!」
どうやら本当に困ってるらしく、向き直って話を聞く。
「アキラさんの保護者を語る人が薙刀を持って突入して、食堂がてんやわんや。終いには、アキラさんと自称保護者のどっちが引くか引かないかで、賭けが始まってます」
「なにそれ面白そう」
「とにかく来てください。『責任者を呼びなさい』なんてファミレスのクレーマーみたいになってるんですよぉ」
「このビルの管理人は自分だってさっき言っただろーが!」
ルーちゃんのクールキャラの皮がまた剥がれ始め、駄々っ子が出始めてしまう。オレの襟元を上下左右に引っ張り回すのはやめて欲しい。
こうなってしまうと手に負えないので、オレが行くしかない。
「分かったから引っ張んな」
コートを吊ってある場所に、特殊な金属で作られた黒い槍がある。仲間のために調達したのだが、こんなタイミングで使うとは。
槍の長さはオレの身長より頭二つ三つ分長く、一般的なものより刃の部分が大きく作られている。ちょうどショートソード程度の刃渡り。
オレの得意な得物はまだ製作中だ。借りてもアイツなら文句は言わないだろう。
「何をするんですか?」
「神藤桔梗は武術の達人と聞いた。ならその自信を砕けば大人しくなる」
「え、ちょっと!?」
「いやぁ、電話する手間が省けて助かったよ」
この長物を持ってエレベーターや階段を降りるのも面倒なので、窓を開けて仰向けで飛び降りる。青空を十分に堪能してから、アスファルトに軽くヒビを入れて着地した。